2012年7月7日土曜日

俺の名は勘九郎(91)

十二
ヨウザンでポールの突貫工事が始まった春先のある日、俺は山崎の会社へは行かず、渋谷の上空を飛んでいた。宮下公園の片隅の、木と木の間で何かが光っていた。黄色と黒のトラシマ模様のロープに、針金のハンガーがぶら下がっていた。そいつを狙って、俺は急降下した。ハンガーを集めて小枝の代わりにし、巣を作っている仲間もいるほどで、人間が使う道具の中には、俺たちの生活に都合のいい建材がときどきある。二本の木を結ぶ古いトラロープには、薄汚れたタオルの他に、しっかりとしたナイロン生地のスーツケースも吊るされていた。ロープにたるみがないところを見ると、ケースの中にスーツは入っていないのかもしれない。嘴でハンガーを咥えてはみたものの、俺は目下、巣を作る必要がない。地上からキラリと光ったハンガーに遊び心を誘われただけで、それを咥えて家に帰るつもりはなかった。
ハンガーをポイと捨てると、キャンと小さな犬の泣き声が聞こえた。落ちた針金が、仔犬の鼻先にぶつかったようだが、謝るのも面倒くさかったので、俺は黙ってその場を去ろうとした。
《痛いじゃないですか!》
意外なことに、そいつは俺に強い念を送ってきた。
《おっと、すまなかった》
《もう少し丁寧に謝ってもらいたいですね。子供だと思ってバカにしないで下さい》
キャンキャンと鳴きながらしゃべっている声は、まだ黄色く甲高いものだったが、気丈なヤツであることは間違いないらしい。


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