2014年4月19日土曜日

俺の名は勘九郎(119)

その翌日に、例の手紙が届いたのだ。
「うちが悪いことをしたわけじゃないんだよ。いや、最初に談合に加わってしまったことは間違いだったかもしれないが、国の制度にしたがって、そこから抜ける決断をしたんだ。それが会社の為にもなる。みんなは気にすることないから、今まで通り仕事をしてくれたらいい」
応接室に入ると、猪俣は急に猫なで声になっていた。
「うちが自主申告したんですね」
山崎は、事実をはっきりと確認したかった。
「それが会社のためなんだよ」
「この手紙、千葉さんだとは思えないんですけど」
「知らんよ。首になった腹いせに出したのかもしれない。昨日だって、やくざの脅しみたいだったじゃないか。どっちにしたって無視すればいいことだ。君たちが動揺することはない。その手紙を渡しなさい」
「営業部の皆様へ、って書かれた脅迫状ですよ。だれが狙われてるのか分らないじゃないですか。総務に届けるべきだと思いますけど」
「ただのいたずらだよ。それに千葉のしわざなら、ターゲットは私だ。変に騒ぐことはない」
「いたずらにしたって、知らせておくべきだと思います」
「いいから渡しなさい!業務命令だ」
越権行為です、山崎はそう言おうとしたが、黙って猪俣の目を睨みつけた。「早く渡しなさい」と猪俣に迫られたとき、山崎の背後でドアのノブがカチャリと回る音がした。
「それは私が預かっておきます」
左手をドアノブにかけたまま、蔵島が言った。
「それは業務命令ですか」
猪俣は、いまいましそうに聞いた。
「そうです」
蔵島が応えるのと同時に、山崎はソファーを立ち上がり、手紙を渡そうとしていた。
手紙が蔵島手に収まるのを見ると、用があるので私はこれで失礼します、と言って、猪俣は応接室を出ていってしまった。


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2014年3月16日日曜日

俺の名は勘九郎(118)

村上製作所の営業部長である千葉が、アポイントもなく浅野ソーラーのオフィスにやってきたのは、例の手紙が届いた前日のことだった。談合に関するすべてのリスクを排除してきたはずの千葉だったが、周到な行動もすべて無に帰したのだ。
バスケットボールの選手だった千葉が、フロアの入り口に仁王立ちしていた。タワーのてっぺんからサーチライトで闇を照らすようにフロアを見渡すと、千葉はすぐに目的の人物を発見した。長いコンパスを大股にして歩き、千葉は、左の奥にいる猪俣を目指して一直線に進んだ。
「ずいぶんなやり方じゃないか。そっちから持ちかけて、密告するとはな。おかげで、こっちはクビだよ。あと10年は、働かなくっちゃいけないっていうのに」
「何の事を言ってるんですか?私はもう出かけなきゃいけないんだ。失礼しますよ」
不意に現れた来訪者に猪俣は動揺した様子で、慌ててカバンを持つと、逃げるように席を立とうとした。
「ふざけるな!」
千葉は猪俣の両肩を頭上から抑えつけ、椅子に押し戻した。
「話はまだ終わっちゃいないんだ。俺の就職先をあっせんしてもらえませんか。なんなら、浅野ソーラーさんで雇ってくれてもいい。ウチと鳥海が指名停止のうちに、おたくはたっぷり稼げるでしょう。営業マンが足りなくなるんじゃないですか」
「アポイントがあるので、私は出かけさせてもらいます」
千葉の言葉を、猪俣は取り合おうともしなかった。
「一応言っとくけど、本気であんたと働こうなんて思ってるわけじゃありませんよ。危ないのは暗い夜道だけじゃないって言いますから。用心された方がいいと思いましてね」
それだけ言うと千葉は、再び大股で歩き、その場を立ち去った。
紳士で通っているはずの千葉とは別人のようだった。


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2014年1月25日土曜日

俺の名は勘九郎(117)


リーニエンシーとは、談合やカルテルに関与する企業が、不正を自ら認め、摘発される前に自主申告することによって、制裁金や刑事告発を免れることができる制度だ。自主申告した企業は、制裁を免除されるが、申告しなかった企業は罰せられる。談合から抜けた企業だけに大きなメリットがあるその制度は、仲間を裏切る “密告制度”と呼ばれた時期もあった。浅野ソーラーが真っ先にその制度を使ったことを、山崎や一般の社員は、少し前の新聞報道で知った。村上製作所と鳥海ウィンドパワーの2社が、公正取引委員会の摘発を受けたというニュースは、産業新聞の小さな記事になっただけで、社会的なインパクトはほとんどなかった。大手企業の談合事件に食傷気味だったマスコミにとって、中小企業の街路灯メーカーが起こした談合事件など、ニュースにする価値もなかったのだ。
産業新聞の記事を読んだ山崎は、それでも初め、ほっとした思いだった。小さな記事とはいえ、新聞沙汰になってしまった事件の中に、浅野ソーラーの名前がなかったからだ。しかし、街路灯工事の関係者ならそれが不自然であることに、すぐに気づくだろうと山崎は思った。自然エネルギーを利用した街路灯のトップメーカーは、浅野ソーラーだったし、村上製作所と鳥海ウィンドパワーが談合したとされる入札には、浅野ソーラーも参加していたからだ。
仲間を裏切って生き残りを図ろうとした会社と言われるのだろうか、それとも、業界の慣行を捨て談合と決別した勇気ある会社と思われるのだろうか。新聞の隅に目を落としながら、山崎はそんなことを考えていた。


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2013年12月31日火曜日

俺の名は勘九郎(116)

十四

「刺されたら、刺し返すまでのこと」
封筒の中に入っていた紙には、それだけが書かれていた。
F市のプロジェクトが無事に完工して半年ほどが経ち、2009年の年の瀬を迎える頃のことだ。ハンに習ったおかげで、俺も文字を読めるようになっていたが、実際に俺がその手紙を見たわけじゃない。しかし山崎が見たものを間接的に感じ取ることで、どんな手紙だったのかが分かった。
新聞の活字を切り抜いて作ったバラバラの大きさの文字が、A4のコピー用紙に貼られていて、現物を見たハンは《ひと昔前の脅迫状のようでした》と俺に言った。
封筒に差し出し人の名前はなく、宛名には住所と浅野ソーラーの社名があり、真ん中に「営業部の皆さまへ」と小さくエンピツで書かれていた。定規を用いて書いたようなカクカクとした文字が規則的に並び、切手の消印で日本橋付近で投函されたこと分かった。
手紙を最初に開封したのが、山崎だった。ビルの1階にある郵便受けをチェックする当番だった山崎は、エレベーターの中で、営業部宛ての封筒と技術部や設計部宛てのものを仕分けした。営業部に宛てられた郵便物はその手紙だけで、山崎は不審に思いながら席につくと、封筒の端をハサミで切り、一枚の紙を取り出した。
「刺されたら刺し返すまでのこと」と貼りつけられた文字を見た山崎は、気味が悪いと思う前に憂うつになった。
「こんな手紙がきましたけど、村上か鳥海の誰かからじゃないですか?」
山崎は猪俣の机に歩み寄って、言った。猪俣は、ラップトップの画面からゆっくりと目を離し、怪訝な顔をして山崎から手紙を受け取った。
椅子に座ったまま山崎から手紙を受け取った猪俣は、キーボードの上に置いた紙に目を落とすと、右目の端を一瞬ゆがめたが「捨てておけ」と不機嫌に言って、手紙を持った左手を山崎に突き出した。ムッとした顔で席に戻ろうとする山崎の背中に「シュレッダーだぞ!」と猪俣は、鋭い声で付け足した。
「総務に届けるべきだと思いますけど」
山崎は猪俣の方に向き直って、はっきりとそう言った。
「山崎君、ちょっと来なさい」
猪俣はそう言って、席を立つと営業部の奥にある応接室に向かった。近くにいた営業マンや女性たちは、苛立ちを隠さずに歩く山崎を見て、その手紙が「リーニエンシー」に関するものなのだろうと感じ取った。


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2013年11月23日土曜日

俺の名は勘九郎(115)


事務室に戻ると、溶接の作業を終えた船越が、ちょうど上がってきたところだった。
「どうだった?」
「1本足りなくなりました」
山崎は無念を隠すことが出来なかった。
「まだ調べていない問屋って、どれくらいあるか知ってますか?」
「尾藤さんがやってたからなあ。どっかに書いてあると思うけど」
「尾藤さん、大丈夫ですかねえ?」
その時、船越の尻の辺りでニュース速報を知らせるときの様な音がした。ポケットから携帯を取り出し、画面を開いたい船越は
「あれ、尾藤さんからだよ。こんな時間に起きてんなっつうの」
と言って、本文を読みだした。
「2本、手配してあるってさ」
「えっ?」
「残りの問屋を調べて、2本だけ見つかったから、すぐに頼んだとさ」
そう言って、船越は返信を打ち始めた。
“ダメパイプは、全部で21本でした。静岡の方もケリがつきました。尾藤さんも安心してゆっくり休んで下さい。明日、会社に来ちゃ駄目ですよ”
メールを送り、携帯を閉じた船越は「命懸けでやんのはいいけど、ほんとに死んだら意味ねえって」とぽつりと言った。


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2013年11月2日土曜日

俺の名は勘九郎(114)

たった一人で作業する二晩目の夜になった。投光機が放つ白い光の奥に、銀色の満月が見えた。
「お月さまって、なんでいつもおんなじ顔してんの?」
緊張しているはずなのに、しばらく前に雪乃から聞いた言葉を、山崎は思い出していた。あのときの雪乃は「はあっ?」と聞き返した山崎に、質問の意味を説明した。
「お月さまって、満月のときも半月のときも、いっつもウサギがもちつきしてる方の顔しか見せないでしょ。どうして?」
「地球が室伏で、月がハンマーなんじゃん?」
「はあ?」
今度は、雪乃が聞き返した。
「室伏がぐるぐる回っても、常にハンマーの内側だけが見えるのと同じ原理なんじゃない?」
「そしたら、ブラジルの人は永遠に月を見れないわけ?」
適当に答えたつもりだったのに、真面目に突っ込まれてしまった。月の自転と公転が同じ周期だから、という理由をネットで調べたことがあったが、今ではもうその理屈を覚えてはいなかった。
そこで山崎は、雪乃に連絡していなかったことを思い出して、右太腿のポケットから携帯を取り出した。「今日も帰れそうにない」とメールすると、すぐに「了解」とだけ返信が来て、なんだか淡泊すぎるような気がした。
181番目のパイプは無事合格で、山崎は残り19本に異常がないことを願った。182番にも、その次にも異常はなかった。1本を調べるのに、再び10分以上かかるようになってしまったが、肉厚さえ足りていれば、朝までかかっても構わない、そう考えて山崎は慎重に計測した。緊張のせいか、ほとんど眠気を感じなかった。
198番のパイプを調べ終えたとき、日付が変わって金曜日になっていた。あと2本。その二つに問題がなければ、週末に鉄鋼問屋を探し回る必要はない。山崎は祈る様な気持ちだった。
最後の1本の最後の1箇所に当てたゲージを読み、山崎は7.98と記録用紙に書き入れた。逆さに持ち替えたボールペンのラバーグリップを親指でしごきながら、左手で支えたバインダーの先に見える地面を、ぼんやりと眺めていた。やがて両腕をだらりと下げると、首だけを真っすぐに上げ、夜の空を見上げた。ヘルメットが滑り、あご紐がのどに食い込んだが、山崎は口がぽかんとあいていることにも気づかず、頭上に輝く星を見つめた。30秒ほどそうした後、山崎は再び左手のバインダーを胸の前に持ち上げ、7.95と記された文字の上に黒い線を二つ引いた。それは、199番のパイプの肉厚を示す数値で、山崎は記録欄のわずかなスペースに7.94と書き直した。
「ダメなものは、ダメ」
尾藤がピシャリと言ったときの顔を山崎は思い出していた。尾藤なら最初から7.94と書いていただろう。山崎はそう考えると、自分のしたことを恥ずかしく思った。


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2013年10月26日土曜日

俺の名は勘九郎(113)

午後の検査も順調に進んだ。一本を調べるのにかかる時間も一定になり、同じことの繰り返しが続いた。船越の読みあげる数字を記録し、メジャーの端を押さえるだけの作業を単調に感じ、山崎は眠気さえ感じ始めた。「7.94」と読み上げたときの船越の声に、少し間があったことにも気づかず、山崎は数字を書き留めようとした。
「94ですか?」
7.9まで書いてから、山崎が聞き返すと、船越は黙ってうなずいた。
下限値を下回る肉厚が出てしまった。それは、127番のパイプで、まだ検査をしていないパイプが50本以上も残っていた。そこから続けて6本のパイプが不合格になり、139番と140番にも異常があった。
予備のパイプが、なくなってしまった。
船越はクレーンを操作して、141番から160番のパイプを検査台に並べた。141番から158番までは合格だった。調べ方が丹念になるとどうしてもスピードは落ちてくる。日の入りの時刻は、昨日よりもほんの少しだけ延びたはずだが、公園の向うにある民家の尖った屋根の三角に、オレンジ色の空が削られ始めると、辺りはあっと言う間に暗くなった。
150番の検査が終わる頃、作業するのに再び投光機が必要になった。最初に不良を発見したのが160番代だったので、山崎と船越は緊張しながら150番代のパイプを調べたが、問題のあるパイプは見つからなかった。
船越は最後の20本を検査台に並べ終え、
「腹減ったなあ、休憩!」
と大きな声を出した。そのとき、工場の建屋から白いヘルメットをかぶった男が飛び出してきて、構内道路を斜めに横切ってきた
「尾藤さんが倒れました!」
その男の顔も蒼白だった。山崎と船越が事務室に戻ると、尾藤はすでに病院に運ばれていた。溶接班や組み立て班の班長が集まっていたが、尾藤が仮眠室で寝ている姿をみたものはいないという。
「だから、言わんこっちゃねえんだよ」
船越が誰にともなく言った。社長が尾藤に付き添って病院に行ってしまったので、溶接班長の石井という男が、工場の指揮をとることになった。石井は、山崎の方を見てすまなそうに「このあと、船越には溶接をやらせます」と言った。
「山崎さんにも、もう帰ってもらわないといけないんですが…」
そう続けた石井を制して
「最後の20本、やらせて下さい」
と、山崎は訴えた。足元を見つめたまま体を戻そうとしない山崎に向かって、石井はさらに深く腰を折り「本当に申し訳御座いません」と謝って、山崎に検査を頼んだ。
山崎たちが夕食をとっている途中、病院にいるヨウザンの社長から石井に連絡が入った。尾藤のダウンは疲労と睡眠不足による一過性のもので、しばらく休めば心配ないようだった。


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