2012年2月25日土曜日

俺の名は勘九郎(82)

「おーい、飯にしようや」
少し離れた所で別な作業していた尾藤から声をかけられたが、山崎は、「すいませーん」と大きな声を出し、手を振った。
歩み寄ってくる尾藤に「ほんの少し足りないんですけど」と山崎は、報告した。
「狙いすぎなんだよ」
とメーカーの姿勢に文句を言った尾藤は、すぐに自分で計測し直した。同じパイプの上下を調べると、管の下側の厚みがわずかに足りなかった。
「他は?」
「他のは大丈夫でした」
聞きながら、尾藤はいくつかのパイプを自分で調べていた。大丈夫そうだな、とつぶやくと「さっきのパイプは返品だ。念のために一緒入荷したやつは全品検査してくれ」と山崎に言った。そのパイプと一緒に運ばれてきたパイプは100本以上あり、抜き取りなら6本で済むはずだった。山崎は、舌打ちしたくなる気分を抑えて
「0.01ミリ足りないだけで、事故とかにつながるんですか?」
と、疑問を口にした。

「つながるね。そのパイプを使っても、実際には問題ないだろう。けど、一度、それをやると、品質に対する感覚が、マヒしていくんだ。少しくらいいいだろう、と思ったらすぐ流されるのが人間ってもんだよ」
「分かる気がします」
「山崎さん、今日、何時に事務所についた?」
尾藤の目が少し険しくなった。
「8時ちょうどです。低血圧っぽくって、朝、苦手なんです」
「初日は、何時に来た?」
尾藤の目つきはさらに厳しくなっていた。
「7時40分頃でした」
「なら、低血圧のせいじゃないだろう。遅刻したわけじゃないから、文句は言わないけど、あと5分寝てても大丈夫だって、毎朝思ってないかい?」
「すいません」
「うるさいオヤジで悪いけど、これもあんたのためだ。それと、正直言えば、うちのためでもある。浅野さんの社員に、ヨウザンを分かってもらいたいからな」
「正直言うと、うちの蔵島にも言われたことがあります」
「あの人なら、ちゃんと教えてくれるだろうな」
「やっぱ、そいう感じですか?」
「蔵島さんは、うちのこともパートナーとして扱ってくれる人だよ。一緒に仕事してて気持ちのいい人だね。だけど、山崎さん、同じことを3度言われたらアウトだぞ。遅刻だけの問題じゃない。安きに流されるなってことさ」
「ハイ」
山崎は、反省しながら返事した。
一台の軽トラックが、寸法の足りない一本のパイプを載せて、ヨウザンの工場を後にした。
「ダメなものはダメ。たった一本でも、0.01ミリでもな」
尾藤の言葉を思い出しながら、山崎は白いトラックを見送った。


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2012年2月5日日曜日

俺の名は勘九郎(81)

「寸法公差ってのがあるからな。正規の数値から外れても、決められた範囲なら問題ないんだよ」
「誤差みたいなもんすか?」
「まあそうなんだが、誤差じゃなくて公差だ。公に認められている『差』ってことだ。誤差って言うと、正規品じゃないみたいだろ。浅野さんだって、誤差なんて言葉は使わないはずだよ」
「なんか、習ったような気がします」
「しっかり、覚えていってくれよ。新人さん」
山崎は再び検査台に向かい、計測作業を続けた。
額から流れる汗を、首に巻いたタオルで拭いていると、後ろから生姜のタレで焼かれた肉の匂いが、ふんわりと漂ってきて、口の中に唾液が広がった。通りを挟んだ向かいには、小さな公園があって、少し前に幼い女の子が母親とブランコで遊んでるのが見えた。その親子が木製のベンチの上で弁当を広げ、そこから流れてくる匂いが、元々少ない山崎の集中力を完全に奪い去った。
《あと二本も測れば、昼休みだ》
そんなことを考えながらマイクロメーターのメモリを読むと6.90ミリしか厚みのないパイプがあった。本来の管厚は7.9ミリだから、正規の厚さよりだいぶ薄いのだが、公差でマイナス12.5%までは正規品として認められている。つまり、管の厚さが6.9125ミリまでは正規品となるわけで、一本のパイプが、同じ値段で売れるなら、公差の範囲で極力薄いパイプを作った方が、メーカーとしてはコストを抑えることが出来る。技術力の高いメーカーは、当然、公差の下限値を狙ってパイプをつくるため、6.92や6.93という厚さのパイプも珍しくないのだが、山崎がいくら目をこらしても、6.90としかメモリを読むことができなかった。
《6.92と書いてしまうおうか》
手元の検査表を睨みながら、一瞬そんな風に考えた。めんどくせえなあと思ってしまったからだが、それよりも《ここに6.92と書いたら、問題が起こるのだろうか》という疑問の方が強かった。このパイプが街路灯のポールに利用された場合、それによって生じる問題は何なのだろう、山崎はそれを考えた。


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