2012年2月5日日曜日

俺の名は勘九郎(81)

「寸法公差ってのがあるからな。正規の数値から外れても、決められた範囲なら問題ないんだよ」
「誤差みたいなもんすか?」
「まあそうなんだが、誤差じゃなくて公差だ。公に認められている『差』ってことだ。誤差って言うと、正規品じゃないみたいだろ。浅野さんだって、誤差なんて言葉は使わないはずだよ」
「なんか、習ったような気がします」
「しっかり、覚えていってくれよ。新人さん」
山崎は再び検査台に向かい、計測作業を続けた。
額から流れる汗を、首に巻いたタオルで拭いていると、後ろから生姜のタレで焼かれた肉の匂いが、ふんわりと漂ってきて、口の中に唾液が広がった。通りを挟んだ向かいには、小さな公園があって、少し前に幼い女の子が母親とブランコで遊んでるのが見えた。その親子が木製のベンチの上で弁当を広げ、そこから流れてくる匂いが、元々少ない山崎の集中力を完全に奪い去った。
《あと二本も測れば、昼休みだ》
そんなことを考えながらマイクロメーターのメモリを読むと6.90ミリしか厚みのないパイプがあった。本来の管厚は7.9ミリだから、正規の厚さよりだいぶ薄いのだが、公差でマイナス12.5%までは正規品として認められている。つまり、管の厚さが6.9125ミリまでは正規品となるわけで、一本のパイプが、同じ値段で売れるなら、公差の範囲で極力薄いパイプを作った方が、メーカーとしてはコストを抑えることが出来る。技術力の高いメーカーは、当然、公差の下限値を狙ってパイプをつくるため、6.92や6.93という厚さのパイプも珍しくないのだが、山崎がいくら目をこらしても、6.90としかメモリを読むことができなかった。
《6.92と書いてしまうおうか》
手元の検査表を睨みながら、一瞬そんな風に考えた。めんどくせえなあと思ってしまったからだが、それよりも《ここに6.92と書いたら、問題が起こるのだろうか》という疑問の方が強かった。このパイプが街路灯のポールに利用された場合、それによって生じる問題は何なのだろう、山崎はそれを考えた。


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