2013年2月24日日曜日

俺の名は勘九郎(103)

《ぼくは、キトさんに教えてもらったときです。それまでは、人間が声にだしてしゃべる言葉をときどき理解できたので、不思議な感じがしただけです。犬語を使えるのは当たり前のことですから、それが念の力だなんて思ったことはありませんでした》
《それが普通さ。読まれてることを知らなきゃ、気楽に生きていけるからな。人間が一番いい例さ。言葉が唯一のコミュニケーションだと思っているから、嘘をつくことにためらいさえ失くしてしまった》
《そんな連中ばかりじゃないのよ。勘九郎だって気づいてると思うけど》
《ぼくだって、それくらいのことは分かります》
コタローはキトに子供扱いされたと思ったようで、いきがった。
《そうね。コタローもそれが分かったから、成長したんだろうね》 コタローは少し得意げな顔になった。
《嘘をつかないことをルールにして生きている人間もいるし、嘘をつかない自分が好きだから、そうしている人間もいるわ》
《どちらも少数派だな》
《でも、そんな人間と通じ合えたときに、私たちの力が大きく伸びるのよ。あのときの女の子が、雪乃なの。今の雪乃はしょっちゅう嘘をついているわ。でも、なぜ彼女が嘘をつくようになってしまったのか、あたしには分かるの。あたしには彼女が必要だし、彼女にはあたしが必要なのよ》
《俺は今までそんな風に人間と付き合ったことはないな。人間の力を借りなくたって、力はいくらでも伸ばせる》
《そうかしら。最近のあんたの成長は、ハンのおかげだけじゃないはずだわ。出会ったのよ。あんたに必要な人間と》
《山崎が、俺の力を伸ばしているとでもいうのか》
《気づいているんでしょ。あんたほどのカラスだもの》
素直に受け入れたくはなかった。俺たちは人間から忌み嫌われてきた存在だ。「まっくろで薄気味悪い」「ゴミをちらかす害鳥」と言われ続けた。近づけば追い払われる。都会じゃあ、特にそうだ。森がなくなり、住むところを奪われた。森がなくなれば、食い物も減る。しかたがないから、人間が残した食糧を処分してやることになる。わざわざ半透明の袋に食糧を入れて、一か所にまとめておいてくれる。ご丁寧なことだ。「食べきれなかったご飯を、カラスさんどうぞ」と言っているようなものじゃないか。それを食ってなにが悪い。
《あんたの気持ちも分からないではないわ》
《ノラ犬のぼくにだって、遊んでくれる人がいますからね》
どうやら全開の頭で考えてしまったらしい。コタローにまで読まれてしまった。


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2013年2月2日土曜日

俺の名は勘九郎(102)


《あんたほどの使い手でも、気づいていなかったのね。マタギの力を意識して使える動物なら、だれでもその力を伸ばそうとするわ。あんたが一生懸命、ハンから学ぼうとしているようにね》
《ハンのことを知っていたのか》
《当たり前よ。あんた、いつもカゴのなかで、ハンから習ったことを復習してるじゃない》
《うかつだったな。キトに盗まれてるとは思わなかった》
《失礼ねえ。あんたが漏らしてただけじゃない。それにあんただってハンの技を盗んでいるんでしょ》
《盗むというより、感じ取っているだけさ》
《あたしだって同じよ。あんたから盗んでいるつもりじゃないわ》
《すまなかった。盗むという表現は、穏当じゃなかったな。それで、能力を高めるために、必要な人間というのは?》
《言葉を使うようになった人間は、長い年月のうちに、念を使う能力を失くしてしまったわ。そして、すべての動物に心があることさえも忘れてしまったの。けれど中には動物や植物にも意思があることを信じていて、話しかけてくる人間もいるわ。車や道具に愛着をもって、大切に扱う人もいるわね。そんな人間は、あたしたちとシンクロしやすいの。
あたしの力が飛躍したのは、あたしにこっそり餌を与えてくれた女の子と心が通じた時だったわ。理科室の裏で倒れていたあたしを拾って家に帰ったその子は、母親にひどくしかられたの。母親は猫の毛に触れるとアレルギーの出る体質だったのね。それで、あたしを見るなり、元の場所に捨ててきなさいって彼女を叱ったの。小学一年だった彼女は、体育小屋の裏に、段ボールの箱をおいて、あたしの面倒を看てくれたわ。生まれて半年のあたしは、風邪をこじらせて、ひどい熱を出していたの。彼女は毎朝、パンとミルクを持ってきてくれたわ。授業が始まる前に来てくれて、放課後には残しておいた給食を運んでくれた。そんなことが一週間くらい続いて、あたしは起きて歩けるようになったの。彼女があたしに気づいてくれなかったら、あたしは死んでいたわ。あたしはなんとかして彼女に気持ちを伝えたいって思ったの。あたしが強く、強く、ありがとうって念じたときに、彼女が笑ってくれたわ。次の一週間も、彼女は毎日やってきて、あたしにいろんなことを話してくれたの。あたしはすっかり元気になったし、彼女の言葉と気持ちが全部分かるようになったわ。彼女も偽りのない言葉をあたしにくれていたのね。
ある日、一人の少年がやってきたの。鼻の形が彼女と似ていたし、左手に持っていたパンがいつもと同じ匂いだったから、たぶん兄さんなんだと思った。目つきは全然似てなかったけどね。地面に置かれたパンをあたしが食べ始めると、彼はいきなりあたしの首の皮を掴んで、茶色い紙袋を頭から被せたわ。尻ごみして逃げようとしても脚は宙をかくばかりで、すぐに彼は、チャックのついた布袋にあたしを押し籠めたわ。そして小屋の脇に留めてあった自転車のカゴに袋を入れて、走りだしたの。でこぼこ道を、せいいっぱいの力でペダルをこいだのでしょうね。真っ暗闇に包まれたまま、なんども、なんどもスチールの格子に背中を打ちつけられたわ。あたしは痛いというよりも、恨めしい気持ちだった。だって、口の中に残っていたパンが「ゴメンね」って泣いていたんだもの。それは、あの女の子の意思だったわ。彼女の気持ちがパンの一切れに乗り移ったに違いないの。あの子は、あたしがこうされるのを知っていた。それに気づいてしまって、悔しかったの。
どれくらいの時間だったかは忘れてしまったけど、あたしにはとても長い時間に感じたわ。彼はよくやく自転車を止めて、あたしを布袋から出して、紙袋のまま、地面に降ろしたの。あたしはバックしながら、頭の紙袋を地面にこすりつけて、ようやく紙袋を外すことができたわ。外はもう夕暮れどきで、見たことのない沼の縁に、あたしはいたの。彼は自転車のハンドルをグイとまわすと、サドルにまたがって、帰ろうとしたわ。あたしは一生懸命、彼の頭の中を調べたの。
母親はなぜか娘を毛嫌いしていたみたい。ネコアレルギーだけが理由じゃなかったわ。あの子の体についていた、あたしの毛のせいで、母親が顔や腕を真っ赤に腫らしていたことは確かだった。それを理由にあの子をぶったの。なんどもなんども。お兄ちゃんはそれが我慢できなかったのね。だからあたしを捨てるってあの子に宣言した。それでも、あの子は「あと一日、もう一日だけ」とお兄ちゃんに頼んだのね。私の体が回復するまで待ってくれって。
コタロー、あんた、念の存在に気づいたのはいつから?》
キトは長い話しを中断して、不意にコタローに質問した。


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