2013年11月23日土曜日

俺の名は勘九郎(115)


事務室に戻ると、溶接の作業を終えた船越が、ちょうど上がってきたところだった。
「どうだった?」
「1本足りなくなりました」
山崎は無念を隠すことが出来なかった。
「まだ調べていない問屋って、どれくらいあるか知ってますか?」
「尾藤さんがやってたからなあ。どっかに書いてあると思うけど」
「尾藤さん、大丈夫ですかねえ?」
その時、船越の尻の辺りでニュース速報を知らせるときの様な音がした。ポケットから携帯を取り出し、画面を開いたい船越は
「あれ、尾藤さんからだよ。こんな時間に起きてんなっつうの」
と言って、本文を読みだした。
「2本、手配してあるってさ」
「えっ?」
「残りの問屋を調べて、2本だけ見つかったから、すぐに頼んだとさ」
そう言って、船越は返信を打ち始めた。
“ダメパイプは、全部で21本でした。静岡の方もケリがつきました。尾藤さんも安心してゆっくり休んで下さい。明日、会社に来ちゃ駄目ですよ”
メールを送り、携帯を閉じた船越は「命懸けでやんのはいいけど、ほんとに死んだら意味ねえって」とぽつりと言った。


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2013年11月2日土曜日

俺の名は勘九郎(114)

たった一人で作業する二晩目の夜になった。投光機が放つ白い光の奥に、銀色の満月が見えた。
「お月さまって、なんでいつもおんなじ顔してんの?」
緊張しているはずなのに、しばらく前に雪乃から聞いた言葉を、山崎は思い出していた。あのときの雪乃は「はあっ?」と聞き返した山崎に、質問の意味を説明した。
「お月さまって、満月のときも半月のときも、いっつもウサギがもちつきしてる方の顔しか見せないでしょ。どうして?」
「地球が室伏で、月がハンマーなんじゃん?」
「はあ?」
今度は、雪乃が聞き返した。
「室伏がぐるぐる回っても、常にハンマーの内側だけが見えるのと同じ原理なんじゃない?」
「そしたら、ブラジルの人は永遠に月を見れないわけ?」
適当に答えたつもりだったのに、真面目に突っ込まれてしまった。月の自転と公転が同じ周期だから、という理由をネットで調べたことがあったが、今ではもうその理屈を覚えてはいなかった。
そこで山崎は、雪乃に連絡していなかったことを思い出して、右太腿のポケットから携帯を取り出した。「今日も帰れそうにない」とメールすると、すぐに「了解」とだけ返信が来て、なんだか淡泊すぎるような気がした。
181番目のパイプは無事合格で、山崎は残り19本に異常がないことを願った。182番にも、その次にも異常はなかった。1本を調べるのに、再び10分以上かかるようになってしまったが、肉厚さえ足りていれば、朝までかかっても構わない、そう考えて山崎は慎重に計測した。緊張のせいか、ほとんど眠気を感じなかった。
198番のパイプを調べ終えたとき、日付が変わって金曜日になっていた。あと2本。その二つに問題がなければ、週末に鉄鋼問屋を探し回る必要はない。山崎は祈る様な気持ちだった。
最後の1本の最後の1箇所に当てたゲージを読み、山崎は7.98と記録用紙に書き入れた。逆さに持ち替えたボールペンのラバーグリップを親指でしごきながら、左手で支えたバインダーの先に見える地面を、ぼんやりと眺めていた。やがて両腕をだらりと下げると、首だけを真っすぐに上げ、夜の空を見上げた。ヘルメットが滑り、あご紐がのどに食い込んだが、山崎は口がぽかんとあいていることにも気づかず、頭上に輝く星を見つめた。30秒ほどそうした後、山崎は再び左手のバインダーを胸の前に持ち上げ、7.95と記された文字の上に黒い線を二つ引いた。それは、199番のパイプの肉厚を示す数値で、山崎は記録欄のわずかなスペースに7.94と書き直した。
「ダメなものは、ダメ」
尾藤がピシャリと言ったときの顔を山崎は思い出していた。尾藤なら最初から7.94と書いていただろう。山崎はそう考えると、自分のしたことを恥ずかしく思った。


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