2011年7月18日月曜日

俺の名は勘九郎(68)

開発の主体である藤吉不動産や地元の設計コンサルタント、そして建設会社や物流会社などを歩きまわって、山崎は計画の概要をつかんだ。ウィンディーサニーを売り込むべき設計コンサルタント会社の担当者とも親しくなり、一度に100基以上の街路灯を設置できそうな大型プロジェクトに山崎は食い込んだ。

計画が詳細検討の段階に入ると、営業部長だった蔵島も熱心に動き出し、技術部からはエース格の中堅社員が投入された。リゾートランド内を走るメインストリートや周遊道路の計画が固まり、街路灯の配置や機器の概要を決める段階で、山崎は「ウィンディーサニー」と読める内容を、仕様書の原型となる資料に盛り込むことができた。

プロジェクトの概要が地元の住民に説明されたとき、アクセスルートの予定地になっている雑木林には大鷹の巣があるはずだという指摘があった。藤吉不動産の用地買収係は、土地の取得に関する交渉はまとまっているから問題ないと主張したが、自然保護団体の反発を恐れた市の責任者は、鷹の巣が見つかったら、周遊道路のルートを再検討すると約束した。

やがて大鷹の営巣が確認され、別のルート探しが始まったのだが、そうこうするうちに、景気後退がささやかれ始めた。「いざなぎ景気を超える戦後最長の好景気」と発表されていた景気は「格差景気」とも呼ばれ、浮かれた気分のまったくない好況はいつの間にか幕を閉じていた。勝ち組だった藤吉不動産の社内でも、不況に向かう時期のリゾート開発は中止すべきだという声が強くなり、結局、リゾートランドプランは、いったん凍結されることになってしまった。


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