2011年11月18日金曜日

俺の名は勘九郎(77)

浅野ソーラーは元々、太陽光パネルも街路灯を支えるポールも自前で作っていたが、何年かすると自社でつくるのはパネルだけに切り替えていた。パイプを切断し、溶接してポールを作るのは、小田原に工場のあるヨウザンという名の会社に任せていたのだが、徳原エナジルの傘下に入ってからは、徳原グループと関係の深い業者を使うように指導されていた。ヨウザンと比べると格段に規模の大きいその会社は、コスト面でヨウザンに劣っていた。
F市の発注した街路灯は、ポールのデザインも特殊だったが、街路灯や道路標識のポールを専門に作っているヨウザンには、そのタイプのポールを何度も作った実績があることを、山崎はよく知っていた。
「分かった。どこを使ってもいいが、必ず安くしろ」
グループと関係の深い業者を潤わせるよりも、この仕事をとる方が先だと猪俣は考えた。
翌朝、山崎はヨウザンの小田原工場に出向いた。
額から吹き出す汗を作業服の袖で拭うと、ちょっと失礼と言って工場長の尾藤はテーブルのコップを取り上げた。立ったまま二口ほどで冷たい麦茶を飲み干すと、尾藤は再び「いやいや失礼」と言って山崎の前に座った。シャツからプンとくる油の匂いを山崎は懐かしく感じた。
山崎が初めて尾藤に会ったのは、浅野ソーラーに入社して3カ月が経つ頃だった。経理部に配属される予定の野々村と、営業への配属が決まっていた山崎は、新人研修の一環でヨウザンの工場に派遣された。浅野ソーラーや信号機のメーカーなどから、支柱の製作を請け負うヨウザンは、本社と工場が同じ敷地内にある従業員40人ほどの小さな会社だった。尾藤は、専務取締役の工場長で、両肩の筋肉がバレーボールのように張り出していた。シャツのボタンをはじきそうな胸板は、弾丸を防御する服でも下に来ているのかと思わせるほどだった。自己紹介が終わるとすぐに現場研修がはじまり、よく整頓された工場の通路を歩きながら、野々村が尾藤に向かって、「専務」と呼びかけた。


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2011年11月3日木曜日

俺の名は勘九郎(76)

十一
スージーがミカリン日記に「やっぱり自由行動でいいわ」と書き込みしたのは、入札が行われる1カ月ほど前のことだった。猪俣はそれを鳥海ウィンドパワーの敗北宣言だと理解した。技術力が足りなかったということなのだろう。
F市の件は価格勝負になると猪俣から聞いて、山崎は「えっ」と思わず声に出してしまった。
「うちがとる番じゃないんですか?」
「どこが仕事をとるかなんて、決まっているわけがないだろう」
わざとらしい猪俣の答えを無視して山崎は続けた。
「技術には、ウチがとる順番なのだろう、と言って原価を準備させています。このままじゃ、安い原価にはなりません」
「なに!」
今度は猪俣が色をなした。談合で取れる仕事なら、ギリギリと絞り上げた原価で入札する必要はないのだが、技術部が早くもそんな体質になってしまっているとは思わなかった。
「徹底的に安くしろ。この仕事は必ず取れ!」
猪俣の唇はねじれていた。それは上野からの厳命でもあったのだ。大型工事の受注に失敗したばかりの徳原エナジルが、子会社の受注もかき集めて、なんとか穴埋めしようと躍起になっていたからだ。
「ポールの業者を、変えてもいいですか?」
山崎の質問に、猪俣は怪訝な顔をした。猪俣に昔の話は分からない。
「以前はヨウザンという会社を使っていました。エナジルの指定業者より、安くていいものが出来ると思います」



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