2012年6月24日日曜日

俺の名は勘九郎(90)

「今回の件はね、俺も悪いんだよ。プロが一度引き受けたら、責任を持たなきゃいけないんだ。山崎さんを悪者にして、一週間納期を遅らせてくれ、なんて言うのはアマチュアのやることですよ」
きょとんとする山崎を見ながら、尾藤が続けた。
「このところ、だいぶ忙しくってね。永野さんに送った図面が帰ってきてないことに、一度は気づいたんです。承認図が戻ってこなければ、督促して返してもらわなきゃいけないんですよ。『お客さんが返してくれないから仕方がない。その分、納期を遅らせてもらおう』なんて発想じゃ、プロとは言えませんよ」
《やっぱ、尾藤さんはすげえや》
山崎はそう思ったが、口では別なことを言った。
「そう言って頂くと本当に助かりますが、私にできることがあったら、なんでも手伝わせて下さい」
「人手が足りなくなったら、応援にきてもうらおうか」
朗らかに笑いながら尾藤は言った。しかし、やがて本当に山崎の手まで借りる事態になるとは、思いもよらなかった。


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2012年6月4日月曜日

俺の名は勘九郎(89)

作業員の時間が余ってくると、やることがなくて工場内のペンキ塗りを始めるそうだ。《忙しいんだな》と思ったとき、山崎の胸は再び締め付けられた。山崎はカバンを胸に抱えて下を向いてしまった。
「情けない顔してないで、お掛けなさいよ」
いつの間に現れたのか、尾藤に声をかけられて山崎はハッと顔を上げた。
「どうも、すいませんでした!」
山崎は反射的に謝っていた。尾藤は黙ったままパイプ椅子に座り、山崎にも座れ、と手で促した。腕組みした尾藤が何もしゃべらないので、仕方なく山崎は、神田を連れてきた日のことを話した。お客さんである神田の方にばかり気をとられ、永野から預かった図面のことをすっかり忘れてしまったことを正直に告白した。それが言い訳にもならないことは山崎にも分かっていたが、それ以外に話すことがなかった。

「永野さんから承認図を預かったとき、めんどくせえなあって思わなかったかい?」
いくぶん、責めるような調子で尾藤が口を開いた。
「思いました」
「責任が持てないなら、断れよ」
静かで低い声だったが強い口調で言われて、山崎は面食らった。すまないと思いながらも、ヨウザンに仕事をもたらしたのは自分だという甘えがあったのだ。
「と言いたいところだけど、お客様を張り倒すわけにもいかないか」
一転して、尾藤の顔は穏やかになっていた。だが、山崎がホッとして緊張を緩めたのを見ると、尾藤はすぐに険しい顔に戻った。
「安心したら忘れてしまいますよ、山崎さん。誰だって、余計な事を頼まれれば、面倒くさいと思うものです。だけど、一度引き受けたら自分の責任でケリをつけるのがプロなんです。ついでに頼まれただけの仕事だとしてもね」
それから少しの間、尾藤は遠くを見ているようだったが、山崎は真剣な目で尾藤に頷き返した。
「4月28日までに届けると約束したのは俺だ。納期は守らせてもらいますよ」
「ありがとう御座います。私のせいで一週間もロスさせてしまいました。本当に申し訳ありません」

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