2012年6月4日月曜日

俺の名は勘九郎(89)

作業員の時間が余ってくると、やることがなくて工場内のペンキ塗りを始めるそうだ。《忙しいんだな》と思ったとき、山崎の胸は再び締め付けられた。山崎はカバンを胸に抱えて下を向いてしまった。
「情けない顔してないで、お掛けなさいよ」
いつの間に現れたのか、尾藤に声をかけられて山崎はハッと顔を上げた。
「どうも、すいませんでした!」
山崎は反射的に謝っていた。尾藤は黙ったままパイプ椅子に座り、山崎にも座れ、と手で促した。腕組みした尾藤が何もしゃべらないので、仕方なく山崎は、神田を連れてきた日のことを話した。お客さんである神田の方にばかり気をとられ、永野から預かった図面のことをすっかり忘れてしまったことを正直に告白した。それが言い訳にもならないことは山崎にも分かっていたが、それ以外に話すことがなかった。

「永野さんから承認図を預かったとき、めんどくせえなあって思わなかったかい?」
いくぶん、責めるような調子で尾藤が口を開いた。
「思いました」
「責任が持てないなら、断れよ」
静かで低い声だったが強い口調で言われて、山崎は面食らった。すまないと思いながらも、ヨウザンに仕事をもたらしたのは自分だという甘えがあったのだ。
「と言いたいところだけど、お客様を張り倒すわけにもいかないか」
一転して、尾藤の顔は穏やかになっていた。だが、山崎がホッとして緊張を緩めたのを見ると、尾藤はすぐに険しい顔に戻った。
「安心したら忘れてしまいますよ、山崎さん。誰だって、余計な事を頼まれれば、面倒くさいと思うものです。だけど、一度引き受けたら自分の責任でケリをつけるのがプロなんです。ついでに頼まれただけの仕事だとしてもね」
それから少しの間、尾藤は遠くを見ているようだったが、山崎は真剣な目で尾藤に頷き返した。
「4月28日までに届けると約束したのは俺だ。納期は守らせてもらいますよ」
「ありがとう御座います。私のせいで一週間もロスさせてしまいました。本当に申し訳ありません」

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