2013年6月1日土曜日

俺の名は勘九郎(108)


霧雨がつくった粒子のような雨粒が作業着にしみ込んで、山崎の背中から体温を奪い始めた。検査台上の20本のパイプを計測し終える頃、辺りはすっかり暗くなっていて、投光機から落ちる灯りだけではマイクロメーターのメモリを読むことが困難になっていた。尻のポケットから懐中電灯を出して数字を読み、それを戻してメモを書く。一本のパイプを計測する時間はさらに延びてしまった。
尾藤のところに行って、検査を終えたパイプを降ろし、新しいパイプを並べてもらうように頼むと、服の上から貼るタイプの使い捨てカイロを、尾藤が渡してくれた。
「どうでした?」
「全部合格でした」
「そりゃあ、良かった。静岡のパイプが、たまたま出来が悪かったのかもしれない」
「だといいんですけど」
「次は、101番~120番を並べさせますよ。それがOKなら、あとは大丈夫でしょう」
101番や120番というのは、パイプにつけられた通し番号のことだ。
「残りのパイプは検査しなくてもいいんですか?」
「抜き取りで2割合格なら、普通はやりません」
「今回は?」
「全部で60本はやりましょう。それで問題なければ終了です」
残り180本、と思っていた山崎は、それを聞いてほっとした。
「弁当が来たから、メシにしましょうや」
尾藤に言われて、ようやく腹が減っていることに気がついた。
「天丼とカツ丼、どっちにします?」
尾藤に聞かれた山崎は、迷わず、カツ丼と答えた。発泡スチロールのどんぶりから、黄色い卵がはみ出して、厚みのある肉を口に放り込むと、まだしっかりと熱さが残っていた。汁のしみた飯を飲み込むようにして食べる山崎を見て、ちゃんと噛まないとエネルギーになりませんよ、と尾藤が注意した。そう言われて、山崎は雪乃のことを思い出した。
「かまずに食べると、胃酸が出すぎるよ」
山崎がきちんと噛まないと、雪乃はいつもそう言うのだ。尾藤の言葉でそれを思い出した山崎は、いつか雪乃と別れたら、ちゃんと噛め、と言われるたびに、胃酸の話を思い出すのだろうな、と考えた。
「どうしたの?」
尾藤に言われて我に帰り、
「何でもありません。あと40本で済むといいですね」
と応じた。早く帰るためではなく、プロジェクトのことを考えている自分に気づいて、山崎は《柄にもない》と思わないでもなかった。


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