2010年6月6日日曜日

俺の名は勘九郎(33)

市の委託を受けて公共事業の設計書を作るのは、本来、専門のコンサルタント会社なのですが、コンサルタント会社にもその能力はありません。浅野ソーラーはコンサルタント会社に設計書づくりの手伝いを頼まれていたわけです。
街路灯の設置工事について、S市は公募型の競争入札を実施しました。公開された設計書をみて、明るさ保証のできる会社は浅野ソーラーしかないことは、業界の関係者ならすぐに分かります。結局、応募した会社は浅野ソーラーだけでした。
最初からウィンディーサニーが欲しいのだから、S市は直接浅野ソーラーに仕事を頼めばいいと思うのですが、その辺が公共事業の難しいところなのでしょうね。もちろん、浅野がS市の担当者に賄賂を渡すようなことはありません。ウィンディーサニーを適切な値段で提供し社会に貢献する、それが、浅野ソーラーの経営方針でしたから。
徳原グループ入りした浅野ソーラーは、本社を品川にある徳原ビルに移していました。社長室は有りましたが、個室に入ることを嫌っていた浅野は、いつも社員の顔をみながら、仕事をしていました。朝の光を窓から背中に受けて、社員の横顔が輝くのを見るのが、浅野は好きだったのです。


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