2010年5月26日水曜日

俺の名は勘九郎(32)

《上野っていうのは、浅野の上役にあたる上司だったな》
《浅野ソーラーの親会社の社長です。この話は、山崎にもちゃんと思いだしてもらって、行動を起こしてもらいたいのですが、難しいのですかね》
《まあ、しっかり念じながら話すことだね。ムダだとは思うけど》

あれは今から2年ほど前のことでした。浅野ソーラーが徳原グループに入って1カ月経った頃でしたから、2006年の5月のことです。S市の再開発プロジェクトの一環で、街路灯を一遍に240台も設置するという大きな仕事がありました。一度にそれだけの台数を受注するというのは、浅野ソーラーの歴史において最大の仕事でした。新工場が建設される前も、年間600台の生産能力はありましたから、生産能力上の問題はありませんでした。その案件は、浅野社長と市の再開発担当者が何年も協力してつくり上げた計画だったのです。
市が開発する仕事の設計書を浅野ソーラーのようなメーカーがつくることは形式的にはありません。メーカーに頼むと自分の会社に有利な設計書を作ってしまいますからね。しかし、S市の本音は、浅野ソーラーのウィンディーサニーが欲しかったのです。どんな夜でもウィンディーサニーを常時点灯させておけるのは、現地の風量と太陽光の照射傾向を調査して、独自のノウハウで発電バランスを計算することで成り立ちます。だからこそ、日没から翌朝の日の出まで一定の明るさを保証する、という条件を満たせるのです。


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