2010年9月23日木曜日

俺の名は勘九郎(44)

「国の役人に、厚木工場を見てもらうことになったぞ」
電話を耳元に寄せるまえから、上野のがなり声が飛び込んできました。厚木工場は、ソーラーパネルを生産する唯一の工場で、隣接の土地では第二プラントの建設が進んでいました。
上野の言う国の役人とは、経済産業省に勤務する鶴巻という名の部長でした。
「本来なら、浅野ソーラーに来ることなんてあり得ない人物だ。十分気をつけてもてなせよ」
上野は浅野に、恩着せがましく言いました。
上野が鶴巻を引っ張りだした本当の理由は別にあり、風力発電の普及が温室効果ガスの削減にどれだけ寄与するかを刷り込むことが目的でした。太陽光発電の補助には熱心な国の目を、風力発電にも向けさせ、エナジルの発電事業に役立てようとしたのです。しかし、浅野にはそのことを言わず、くれぐれも粗相のないようにとだけ繰り返し、プレッシャーをかけました。
静岡県にある富士川ウィンドファームは、徳原エナジルが建設した風力発電所で、そこには、支柱のてっぺんで3本の矢を付き合わせた形の風力発電設備が16基もありました。上野が鶴巻に見せたかったのは、このウィンドファームで、雄大な富士を背景に、白くて長い羽根をゆったりとまわす発電設備は、自然と経済の調和を感じさせることを意識して作られたものでした。
鶴巻とその部下がウィンドファームと浅野ソーラーの工場を見学したのは、冬至の二日ほど前のことでした。午後1時から公園のような趣のあるウィンドファームを見てまわると、鶴巻たちがそこを出たのは3時を過ぎた頃です。上野はウィンドファームでの案内を自ら行いましたが、厚木に向かう車には乗れませんでした。終日同行して鶴巻を接待するつもりの上野でしたが、昼過ぎに発生した営業上のトラブルがそれを許さず、上野は新富士の駅から東京に向かいました。新幹線に乗ると上野は、すぐに浅野の携帯に電話して、「夜の席には合流するから、俺がいくまで鶴巻たちを返すなよ」
と言って予定の変更を告げた。


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2010年9月12日日曜日

俺の名は勘九郎(43)

「そう言うわけには行きません」
黙って聞いていた蔵島が異を唱えました。
「若い社員にどう説明するんですか。会社は社会の公器だって教えてきたんですよ」
山崎たち若手に教えてきたことを思いだしながら、蔵島は言いました。それに対して、田中は、少し力を込めて反論したのです。
「缶ジュースはどこで買っても120円じゃないですか。新聞の休刊日だって話し合いで決めてるんですよ。世の中は適度な競争で成り立ってるんです。若い連中だってそれくらいのことは知ってると思いますけどね。私だって、毎回談合しようと思っているわけじゃありません。一度話して、あうんの呼吸をつくるだけです」
「この話は終わりにしよう。あとでもう一度、上野さんと話してくる」
しかし浅野は「勝手な動きをするな」と田中に言うことができませんでした。そして浅野が、この件で上野の所に行くこともありませんでした。上野の顔を見ることが大きなストレスになっていた浅野に、方針転換をせまる気力は残っていなかったのです。
鉄塔の向うに一条の雲がたなびくばかりで、東京の空にしては冴えのある師走の朝のことでした。駅へ向かう浅野は、手に下げたカバンから微かな振動を感じ、歩みを止めて携帯を取り出してボタンを押しました。


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2010年9月4日土曜日

俺の名は勘九郎(42)

「自然と、だな。それ以上、俺が知る必要はないだろう」
そう言って上野は携帯を取り出し、「こっちは終わったから、すぐに山下を呼んでくれ」と秘書に言って、浅野に出ていくことを示唆しました。
「我々の判断で談合しろというのですか!」
蔵島は食い下がろうとしました。
「誰にものを言ってるんだ。次の役員人事を楽しみにしておくんだな」
上野は含みのある笑い方をして、蔵島の目を見ました。
エレベーターで5階に戻った3人は、そのまま浅野の社長室に向かいました。険しい顔をして進む浅野と蔵島の後を、田中がうつむき加減でついていきました。
浅野の応接室のソファーはビニール皮の安物で、壁に高価な絵もありません。上野の部屋と比べて見劣りするのは明らかでしたが、談合して儲けた先にあるのが、虚飾でしかないように思え、浅野はむなしさと怒りを覚えました。
蔵島を自分の脇に促し、田中を正面に座らせると浅野は静かに言いました。
「上野社長と事前に打ち合わせしていたようだね」
「いいえ、今朝の社内会議で社長のご意見を伺おうと思っていたのですが、上野さんから急な呼び出しになってしまったので…」
「それも、予定通りのハプニングだったんじゃないのか」
「そんなことはありません」
「それにしたって、田中を談合プロジェクトのリーダーにするような話だったじゃないか」
「業者同士の強調には、やむをえない面があると思います。叩きあいをしていたのでは、適正な利益を確保できません。前から言っている通り、ウィンディーサニーはもう少し高く売れていい商品だと思っています。その点では、上野さんに近いのかもしれません。世の中には、利益率が20%や30%という商品だって沢山あるじゃないですか。そんな売り方をしている会社が、勝ち組企業と言われてるんですよ」
「その話は前にもしたはずだよ。それはうちのやり方じゃない。しかし、上野さんはそれを否定している。田中に言い含めたんじゃないのかね」
「それは違います。でも、このままじゃ、うちは潰れてしまいますよ。一度だけやらせて下さい。村上の設計部長は、高校時代の友人です。彼と会って、話をしてみます。適切な価格について、意見交換するだけです」
「それだけじゃすまないだろう」
「それ以上、聞かないでください。浅野社長も蔵島さんも、何も知らなかったことにすればいいんです」


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