2011年1月22日土曜日

俺の名は勘九郎(54)

ハンから聞いたところによると、新設する街路灯に国の補助金がつく制度が始まったのは、浅野が死んで2カ月ほど経った4月のことだった。上野が画策しなくても、エコタイプのハイブリッド街路灯に補助金をつけることは、国も考えていたのだ。国が定めるエネルギー効率の基準は、それなりに厳しいもので、制度が始まったときに条件を満していたのは、ウィンディーサニーだけだった。すぐに、村上製作所の「ひまわり君」と鳥海ウィンドパワーの「ウォッチングバード」も、補助金対象商品として認定されたのだが、それ以降、国の基準を満足できる製品は現れなかった。
ハイブリッド型の街路灯を選んでも、旧来型の街路灯でも、自治体が負担する費用は一緒になったので、老朽化した街路灯の更新工事や新しい公園への新設工事が決まると、入札に呼ばれるのは、3社だけという状態になった。
結果的に、上野が目論んだ寡占の状態になっていたのだ。
上野の指示を受けた田中は、すぐに高校時代の友人だという村上製作所の設計部長に電話した。談合を持ちかけられた設計部長は驚いたが、「そういうことなら、営業に話してくれ。お前から連絡が行くことは伝えておくよ」と言って、田中に営業部長の個人的な連絡先を教えた。
ゴールデンウィークが明けてすぐの火曜日に、田中は村上製作所の営業部長を都心にあるホテルのロビーに呼び出した。夜のホテルで待ち合わせなどしたことのない田中は、そわそわとしながら、話の切り出し方を考えていた。
村上製作所の営業部長は千葉といって、大学時代、バスケットボールの選手としてインカレにも出場したことのある大柄な男だった。黒い髪が少しだけ残った白髪は短く刈り込まれ、ネギ坊主のような頭の下で、鋭い目が光っていた。


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