2009年12月12日土曜日

俺の名は勘九郎(13)

2006年に入社した山崎は、半年間の研修が終わるとすぐに営業部に配属された。学生気分の抜けない山崎は、副社長であり営業部長を兼務していた蔵島に、細部に渡って指導を受けた。
「中小企業の営業って、やっぱ厳しいんスね」
およそ副社長に対する言い方とは思えないもの言いで、山崎は、蔵島に不平をもらした。
「大企業だって、零細企業だって、サラリーマンは辛いんだよ、ヤマちゃん。新入社員を甘やかしているような会社は、すぐにつぶれちゃうよ」
山崎より20歳も年上の蔵島だが、言葉づかいは柔らかである。したがって、山崎には蔵島の厳しさが伝わらない。ありていに言えば、受け流しているのだ。

蔵島について言えば、社長を補佐するときの考えの深さと、事を起こした時の行動力は抜群である。身長は185cmを超え、横幅もそれなりにあるが、恰幅のいい中年体型ではない。子どもの頃から水泳で鍛えたという逆三角形の体型は、50歳近くなってもバランスよく維持されている。アーリア系民族の血が四分の一ほど混ざっている、と言われたら信用してしまいそうなほど彫の深い目鼻立ちから、山形県で生まれた生粋の日本人であることを想像するのは難しい。小柄で細身の浅野が、大男の蔵島を従えて歩く姿は、要人といかついSPのように見える。しかし蔵島の物腰は柔らかで、慎重すぎるようにも思える性格に、浅野はじれったさを感じることもあった。

「自然エネルギーを有効活用することで、地球環境に貢献する会社」浅野と蔵島の二人で会社を設立したとき、それが浅野ソーラーの理念だった。ハイブリッド街路灯のウィンディーサニーが主力商品となり、会社の規模が大きくなってからも、基本理念は変わらなかったし、二人の理想の行きつく先は同じだった。太陽と風の力を利用した街路灯で、暗い夜道を明るく照らす。それは、犯罪や事故を減らすことにもつながる有意義な事業だった。ウィンディーサニーは、暮らしの安全と地球環境を守る製品であり、二人にとっての誇りだった。


「続きが楽しみ」と思ったら押して下さい。

2009年12月10日木曜日

俺の名は勘九郎(12)

当時29歳だった浅野は、大手電機メーカーを退職して、ソーラーパネルを製造・販売する小さな会社を興した。会社の名前を「浅野ソーラー」という。理工学部出身の浅野は、浅野と同じ大学を卒業して二年ほど海外を放浪していた後輩の蔵島という男を誘い、たった二人で業を起こした。資本金はすべて浅野が負担している。

浅野が開発したソーラーパネルは、太陽のエネルギーを効率よく電気に変換した。しかし、名もないベンチャー企業の製品を売ることは簡単なことではなかった。技術畑出身の浅野は、よい物が安ければ必ず売れると信じていた。しかし、高品質で安いものも、信頼と評判がなければ、決して商品は売れない。宣伝と営業にまで手が回らない浅野を経営学部出身の蔵島がよく補佐した。「清廉潔白」を是とし、正攻法しか知らない浅野に対し、世界中を放浪して歩いた蔵島は、人間の善意を信じることの大切さと、その危うさを知っていた。企業社会で競争するには、ときに清と濁とをあわせ飲む必要があることを、体感的に悟っていた。現実派の蔵島が、理想主義の浅野を盛り立てながら、会社の進むべき方向をうまくリードした。

会社は少しずつ成長し、ソーラーパネルは省エネ社会のニーズとマッチし、着実に売り上げを伸ばした。浅野ソーラーが急成長したのは、太陽の光と風の力を利用できるハイブリッド型街路灯を商品化してからのことだった。晴れた日には太陽の光で発電し、雨の日でも風さえあれば、発電できるタイプの街路灯を浅野は開発した。チュウリップの花のような形をした銀色の羽は風と光を受け、くるくると回りながら電気を作った。そして、花びらの下の電灯が、夜になると街の小さな路地を明るく照らした。浅野はその街路灯に「ウィンディーサニー」という名前を付けた。

浅野ソーラーは、設立20年で年商を50億円にまで伸ばし、従業員の数は80人に増えた。中核部品のソーラーパネルを製造する工場に40人の従業員を抱え、新宿のテナントビルに移した本社には、24人のエンジニアと12人の営業マンがいた。その中の一人が、現在の私の主となってしまった山崎だ。


「続きが楽しみ」と思ったら押して下さい。

2009年12月4日金曜日

俺の名は勘九郎(11)



自殺した浅野の遺品である私が、山崎などという小者の手に渡ってしまったのは、誠に遺憾としか言いようがない。私が生まれたのは、1986年の春のことだ。ペン先の金が、金山から掘り出されたのは、もう何百年も前のことだが、そんな昔語りは、今は必要ないだろう。万年筆として文具売り場のショーケースに並んだ私は、主と恃むにふさわしい人物の来訪を静かに待っていた。いわゆる「バブル景気」の走りのころだったが、百貨店で3万8千円の筆記用具を買う人間には、それなりの覚悟を持っていてもらいたい。地上げ成金のような人間がショーケースの前に立つとき、私は目立たぬように気配を消した。気配を殺してしまえば、たいていその人間に体を持ち上げられることはない。逆にこの人物こそ、と思う人間がやってくれば一心に念ずる。するとその人間は、必ず私を手にとった。
「ショーケースの中の物が、ぼくを呼んだような気がしたんです」
そう言って何かを買う人間には、なかなか見どころがある。普通の人間が失ってしまった感受性をかろうじて残している証拠だからだ。浅野が売り場に来たときもそうだった。その時の浅野の背中には、あけぼのの光が指していた。《あなたのような人こそ、私の主となるべき人間である》私はそう念じた。私もまた、この世において新しい使命を与えられたばかりだった。
「贈り物ですか?」
と売り子に聞かれた浅野は
「いいえ。今日、ぼく、自分の会社を設立したんです。これから沢山のお客様と契約を結べる会社にしたいと思ってるんです。だから、契約書にサインするのにふさわしい万年筆を買っておこうと思って」
売り子は、おめでとうございます、と言いながら、白いガーゼの手袋をはめて、私を持ち上げた。
「お試しになりますか?」
私の体が浅野の右手の3本の指に収まったとき、私は働き口を得たことを確信した。試し書き用の白い紙の上に「浅野辰己」と一度だけ書いて、浅野はニッコリ笑いながら、これを下さい、と売り子に言った。以来私は、浅野の身の回りから離れたことは一度もなかった。浅野の成長と成功、そして無念の最期までを、私はこの目で見届けることになった。


「続きが楽しみ」と思ったら押して下さい。

2009年12月3日木曜日

俺の名は勘九郎(10)

《呼んだか?》
机の脇のカラーボックスの上に、水槽がある。中のミドリガメに向かってマタいでみた。しかし、カメは無反応だ。
《腹がへった。暇だ。眠い》
カメの意思はそれだけだった。俺は注意して部屋の中の小さなものにまで気を配った。禍々しさにも似た強い意思を確かに感じた。深い怨念のこもった意思が、自らを解き放とうとしているようだ。しかしそれは、邪悪なだけの怨念ではなかった。痛みと悲しみと絶望とに窒息しそうになりながら、それでも何かを超えようとする「恨(ハン)」の感情だ。それが、深みのあるマーブル調の模様をした万年筆が発しているものだと気づくまでに、しばらく時間がかかった。しかし、安物ばかりが並ぶ山崎の部屋で、そのペンだけが周囲とは異なる彩りの輝きを発していた。太くて重厚なワインレッドのボディーは、山崎のように軽薄そうな若造とは明らかに不釣り合いだった。
《あんたかい?》
目玉のようなマーブル模様の一点に意識を照射して、俺は聞いてみた。
《浅野の宿怨、忘れまじ》
そいつの意思が、俺を射すくめた。


「続きが楽しみ」と思ったら押して下さい。