2009年12月3日木曜日

俺の名は勘九郎(10)

《呼んだか?》
机の脇のカラーボックスの上に、水槽がある。中のミドリガメに向かってマタいでみた。しかし、カメは無反応だ。
《腹がへった。暇だ。眠い》
カメの意思はそれだけだった。俺は注意して部屋の中の小さなものにまで気を配った。禍々しさにも似た強い意思を確かに感じた。深い怨念のこもった意思が、自らを解き放とうとしているようだ。しかしそれは、邪悪なだけの怨念ではなかった。痛みと悲しみと絶望とに窒息しそうになりながら、それでも何かを超えようとする「恨(ハン)」の感情だ。それが、深みのあるマーブル調の模様をした万年筆が発しているものだと気づくまでに、しばらく時間がかかった。しかし、安物ばかりが並ぶ山崎の部屋で、そのペンだけが周囲とは異なる彩りの輝きを発していた。太くて重厚なワインレッドのボディーは、山崎のように軽薄そうな若造とは明らかに不釣り合いだった。
《あんたかい?》
目玉のようなマーブル模様の一点に意識を照射して、俺は聞いてみた。
《浅野の宿怨、忘れまじ》
そいつの意思が、俺を射すくめた。


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