2009年12月4日金曜日

俺の名は勘九郎(11)



自殺した浅野の遺品である私が、山崎などという小者の手に渡ってしまったのは、誠に遺憾としか言いようがない。私が生まれたのは、1986年の春のことだ。ペン先の金が、金山から掘り出されたのは、もう何百年も前のことだが、そんな昔語りは、今は必要ないだろう。万年筆として文具売り場のショーケースに並んだ私は、主と恃むにふさわしい人物の来訪を静かに待っていた。いわゆる「バブル景気」の走りのころだったが、百貨店で3万8千円の筆記用具を買う人間には、それなりの覚悟を持っていてもらいたい。地上げ成金のような人間がショーケースの前に立つとき、私は目立たぬように気配を消した。気配を殺してしまえば、たいていその人間に体を持ち上げられることはない。逆にこの人物こそ、と思う人間がやってくれば一心に念ずる。するとその人間は、必ず私を手にとった。
「ショーケースの中の物が、ぼくを呼んだような気がしたんです」
そう言って何かを買う人間には、なかなか見どころがある。普通の人間が失ってしまった感受性をかろうじて残している証拠だからだ。浅野が売り場に来たときもそうだった。その時の浅野の背中には、あけぼのの光が指していた。《あなたのような人こそ、私の主となるべき人間である》私はそう念じた。私もまた、この世において新しい使命を与えられたばかりだった。
「贈り物ですか?」
と売り子に聞かれた浅野は
「いいえ。今日、ぼく、自分の会社を設立したんです。これから沢山のお客様と契約を結べる会社にしたいと思ってるんです。だから、契約書にサインするのにふさわしい万年筆を買っておこうと思って」
売り子は、おめでとうございます、と言いながら、白いガーゼの手袋をはめて、私を持ち上げた。
「お試しになりますか?」
私の体が浅野の右手の3本の指に収まったとき、私は働き口を得たことを確信した。試し書き用の白い紙の上に「浅野辰己」と一度だけ書いて、浅野はニッコリ笑いながら、これを下さい、と売り子に言った。以来私は、浅野の身の回りから離れたことは一度もなかった。浅野の成長と成功、そして無念の最期までを、私はこの目で見届けることになった。


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