2010年4月4日日曜日

俺の名は勘九郎(27)

日記を書き終えた浅野は、居間のチェストに置いてあった腕時計を持つと、書斎に戻ってきました。そしてそれを左の手首にはめ、右の掌で私の体をぎゅっと握りしめました。
「長い間、ありがとう」
浅野は、私たちにそう言ってくれたのです。銀色の盤面の右端で金のリューズが輝く腕時計は、私よりも長い浅野との付き合いでした。私が浅野のところに来てからも、22年の時が経っていました。
閉じた日記帳の上に、私と腕時計を丁寧に置くと、浅野は小さなあくびをひとつしました。そして、一粒の涙をこぼしながら、フフッと鼻で笑ったのです。
《こんな時でも眠くなるなんて、大発見じゃないか》
心の中でそうつぶやくと、浅野は大量の睡眠薬を、ストレートのウィスキーと一緒に飲みました。浅野の意識が朦朧とし、やがて消えていくのを、ただ感じることしか私にはできませんでした。

浅野ソーラーの売上金額が40億円を超えた頃、ハイブリッド街路灯の受注増加率が急停止しました。基幹部品のソーラーパネルを製造する工場の能力が限界に達してしまったからです。市場にはウィンディーサニーを求める声が沢山ありました。しかし、浅野は、借金をして新しい工場を建設することに躊躇しました。投資を回収できなければ、会社を倒産させてしまうこともあります。浅野はむしろ、新商品の開発に資金をつぎ込みたいと考えていました。
ゼネコン大手の徳原建設から、浅野に対してグループ入りの打診があったのは、その頃のことでした。
「ウィンディーサニーは、市場を席巻する力をもった商品です。うちの資本を有効に活用してもらえれば、浅野ソーラーも躍進することは間違いないと思いますが、どうですか?もちろん、浅野ソーラーの社名も経営体制も今のままで結構です」
徳原建設社長の綱川時雄から話があったのは、2005年の春のことでした。



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