2010年4月10日土曜日

俺の名は勘九郎(28)

ダムの工事で業績を大きく伸ばした徳原建設は、ダムに付帯する水力発電機を製造したことが契機となって、エネルギー分野にも進出していました。
2005年の時点で、グループの中核企業になっていた徳原エナジルは、その10年ほど前、ドイツの発電機メーカー・ハンスロル社と包括的な技術提携をし、国内及びオセアニア地域における独占的販売権を獲得した際に発足した会社でした。
エナジーではなく、エナジルという社名になったのは、ハンスロル社に敬意を払ったためだったそうです。
徳原グループの資本を受入れることで、浅野ソーラーは新工場を建設することが出来ました。資本提携に関する契約書にサインするときも、浅野はもちろん私を使いました。そして、「浅野辰己」の署名の上の段にサインしたのが、徳原エナジルの社長である上野喜助でした。

徳原建設の下に浅野ソーラーが入るのではなく、徳原建設の子会社である徳原エナジルの下に入ってしまったことに、ほとんどの人間は何も感じませんでした。
「お前の上司は綱川じゃなくて、俺だということを忘れるなよ」
契約が成立しためでたい日に、なぜ上野が高圧的なもの言いをするのか、浅野には分かりませんでした。
上野喜助は、徳原建設の社長の綱川時雄よりも2歳年上でした。綱川が常務取締役だったころ、上野は専務取締役で、次期社長候補の筆頭と目されていた人物でした。


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