2012年5月12日土曜日

俺の名は勘九郎(86)

尾藤と杉本が何度やりあっても、議論は平行線だったが、時間が立つほど、焦りだしたのは、杉本の方だった。ヨウザンの他にも、金額の妥結しない交渉をいくつも抱え、杉本は技術部に突き上げられだした。 「金は後で決める事にして、先に走らせてくれ」 社長の田中にまで頼まれて、仕方なく杉本はいくつかの業者に打診した。 「足りない分は次の仕事で返すから、まずはこの仕事を始めてくれないか」 そんな風にして、プロジェクトはスタートしたのだが、頑なにそれを拒んだのが、尾藤だった。 「仕事が終わってから『払えません』と言われたら、どうしようもないじゃありませんか」 尾藤の言うことは正論だった。しかし、時は徒に過ぎていく。杉本は田中に「エナジルの上野社長からヨウザンに圧力をかけてもらえないでしょうか?」と頼んだ。田中はなにも考えず、杉本が言った事を上野にお願いした。 「そんなくだらないことに俺を使うな!」 田中の頭にカミナリが落ちた。 「ヨウザンだかなんだかしらんが、そこを使いたいと言ってきたのはお前たちじゃないか。てめえらで何とかしろ!それとこの仕事、絶対赤字にするなよ」 田中は余計なことを頼みに来てしまったと後悔した。
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2012年4月14日土曜日

俺の名は勘九郎(85)

プロジェクトが始まってしばらくすると、あちらこちらで、悲鳴が上がった。見積時の予算が厳しすぎて、想定した値段では物が買えないというのだ。中でも深刻だったのは、パネルを構成する主要部品のソーラーセルだった。黒くて細長いセルは、シリコンで出来ている。太陽光発電にブームの兆しがあり、シリコンの値段がじりじりと上がり始めていた。セルを作るメーカーは、シリコンの値上がりを理由に、見積金額を下げようとはしなかった。何度もセルを購入している調達の担当者は、最初の見積を10%はカットできると言って、技術部の担当者に金額を伝えていた。その金額からさらに一律一割の削減があったので、見積金額の81%でプロジェクト予算が組まれてしまったことになる。81円で買えると踏んだものが、100円でしか買えなければ、プロジェクトは赤字を抱えてしまう。同じようなことがあちこちで起こっていた。
「初めに言ったように、一円もまけられない金額なんです。それを一割も下げろと言われたのでは、仕事を請けられません」
調達課長の杉本に呼ばれた尾藤は、頑として値段を下げようとはしなかった。

「それなら、他の業者を使うしかありませんな」
細いフレームの眼鏡の奥に、苦しい胸の内を隠して、杉本は冷静を装った。
「その値段で出来るところがあるなら、仕方ありません」
尾藤の態度はけっして不遜なものではなかったが、動じる様子もなく席を立ち、踵を返して杉本の前から去っていった。尾藤の大きな背中に意地の悪い視線を投げつける杉本を見て、山崎はひやひやしていた。杉本が他の業者を使うと言いださないだろうか。「ダメなものはダメ」ときっぱり言ったときの尾藤の顔を思い出し、それが裏目に出なければいいと考えながらも、山崎にできることは何もなかった。


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2012年3月17日土曜日

俺の名は勘九郎(84)

調達課で集約した見積と自社の工場でかかる費用を合算してコストを作るのは技術部の仕事だが、技術課長は、最後に出来上がったコストを、一律で10%カットした。過去のデータから類推した村上製作所の想定価格を下回る予算を作るにはそうするしかなかったのだ。
猪俣はそれを入札金額にした。通常なら、技術部のコストに利益を上乗せして見積書を完成させるのだか、仕事をとることを優先したのだ。ギリギリと絞ったコストをさらにカットした数字にまったく利益を乗せず見積書は出来上がった。それでも、村上に勝てる保証はないというのが、上層部の認識だった。利益よりも受注の確保に走ったのは、上野が鬼に形相でグループ会社の社長たちに檄を飛ばしたからだ。エナジルはもちろん、傘下の会社は、利益度外視の受注戦略を立てた。それは戦略というよりは、玉砕覚悟の特攻だったが、天皇と呼ばれるようになっていた上野に忠告できる者はいなかった。徳原グループの総帥である綱川に対しては「エナジルは今年も受注を伸ばす」と豪語するだけで、それ以上の報告はしなかった。
F市の神田が「落札者は、浅野ソーラーさんです」と入札結果を発表したとき、山崎はパっと明るい表情になり、思い入れの深いプロジェクトを手に入れた喜びをかみしめた。と同時に、尾藤があの見積から金額を下げてくれるだろうか、という不安が頭をよぎった。しかしそれでもやはり、受注した喜びの方が遥かに大きかった。


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2012年3月4日日曜日

俺の名は勘九郎(83)

それから、1年後に徳原グループ入りした浅野ソーラーはヨウザンとの付き合いを打ち切らざるを得なくなった。
そしてさらに1年が経ち、山崎は、久しぶりに尾藤と対峙したのだ。
「ご無沙汰しております」
飲み干した麦茶が、すぐさま汗となって落ちてくる尾藤の額を見ながら、山崎は挨拶した。
「ずいぶんと、社会人らしくなりましたね。『しております』なんて、言われると調子が狂うなあ。2年前の山崎さんだったら『久しぶりっす』だったでしょう」
言われて、山崎は照れくさそうにほおを緩めた。尾藤が、ですます調でしゃべるので、こっちこそ調子が狂うと思った山崎だが、そんなものかなと思いながら本題に入った。
「山梨県のF市で大きなプロジェクトがあるんですけど、手伝ってもらえないでしょうか」
「もちろん、やらせてもらいます。久しぶりの浅野さんからの仕事だ。もう浮気されないようにね」
それから1週間で見積をまとめた尾藤は、初めからベストプライスを持ってきた。見積書の提出先は、調達課だったが、尾藤は調達課へ行く前に山崎のところへ寄った。
「これ以上は、1円も安くなりませんよ。」
真剣な尾藤の目を見て、本当にそうなのだろと山崎は思った。尾藤は、技術部の机が並ぶ島にも寄ってから、フロアの一番奥にある調達課長のところへ行った。山崎に言ったことと同じことを調達課長に宣言してから、尾藤は見積書を提出し、小田原へ帰っていった。


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2012年2月25日土曜日

俺の名は勘九郎(82)

「おーい、飯にしようや」
少し離れた所で別な作業していた尾藤から声をかけられたが、山崎は、「すいませーん」と大きな声を出し、手を振った。
歩み寄ってくる尾藤に「ほんの少し足りないんですけど」と山崎は、報告した。
「狙いすぎなんだよ」
とメーカーの姿勢に文句を言った尾藤は、すぐに自分で計測し直した。同じパイプの上下を調べると、管の下側の厚みがわずかに足りなかった。
「他は?」
「他のは大丈夫でした」
聞きながら、尾藤はいくつかのパイプを自分で調べていた。大丈夫そうだな、とつぶやくと「さっきのパイプは返品だ。念のために一緒入荷したやつは全品検査してくれ」と山崎に言った。そのパイプと一緒に運ばれてきたパイプは100本以上あり、抜き取りなら6本で済むはずだった。山崎は、舌打ちしたくなる気分を抑えて
「0.01ミリ足りないだけで、事故とかにつながるんですか?」
と、疑問を口にした。

「つながるね。そのパイプを使っても、実際には問題ないだろう。けど、一度、それをやると、品質に対する感覚が、マヒしていくんだ。少しくらいいいだろう、と思ったらすぐ流されるのが人間ってもんだよ」
「分かる気がします」
「山崎さん、今日、何時に事務所についた?」
尾藤の目が少し険しくなった。
「8時ちょうどです。低血圧っぽくって、朝、苦手なんです」
「初日は、何時に来た?」
尾藤の目つきはさらに厳しくなっていた。
「7時40分頃でした」
「なら、低血圧のせいじゃないだろう。遅刻したわけじゃないから、文句は言わないけど、あと5分寝てても大丈夫だって、毎朝思ってないかい?」
「すいません」
「うるさいオヤジで悪いけど、これもあんたのためだ。それと、正直言えば、うちのためでもある。浅野さんの社員に、ヨウザンを分かってもらいたいからな」
「正直言うと、うちの蔵島にも言われたことがあります」
「あの人なら、ちゃんと教えてくれるだろうな」
「やっぱ、そいう感じですか?」
「蔵島さんは、うちのこともパートナーとして扱ってくれる人だよ。一緒に仕事してて気持ちのいい人だね。だけど、山崎さん、同じことを3度言われたらアウトだぞ。遅刻だけの問題じゃない。安きに流されるなってことさ」
「ハイ」
山崎は、反省しながら返事した。
一台の軽トラックが、寸法の足りない一本のパイプを載せて、ヨウザンの工場を後にした。
「ダメなものはダメ。たった一本でも、0.01ミリでもな」
尾藤の言葉を思い出しながら、山崎は白いトラックを見送った。


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2012年2月5日日曜日

俺の名は勘九郎(81)

「寸法公差ってのがあるからな。正規の数値から外れても、決められた範囲なら問題ないんだよ」
「誤差みたいなもんすか?」
「まあそうなんだが、誤差じゃなくて公差だ。公に認められている『差』ってことだ。誤差って言うと、正規品じゃないみたいだろ。浅野さんだって、誤差なんて言葉は使わないはずだよ」
「なんか、習ったような気がします」
「しっかり、覚えていってくれよ。新人さん」
山崎は再び検査台に向かい、計測作業を続けた。
額から流れる汗を、首に巻いたタオルで拭いていると、後ろから生姜のタレで焼かれた肉の匂いが、ふんわりと漂ってきて、口の中に唾液が広がった。通りを挟んだ向かいには、小さな公園があって、少し前に幼い女の子が母親とブランコで遊んでるのが見えた。その親子が木製のベンチの上で弁当を広げ、そこから流れてくる匂いが、元々少ない山崎の集中力を完全に奪い去った。
《あと二本も測れば、昼休みだ》
そんなことを考えながらマイクロメーターのメモリを読むと6.90ミリしか厚みのないパイプがあった。本来の管厚は7.9ミリだから、正規の厚さよりだいぶ薄いのだが、公差でマイナス12.5%までは正規品として認められている。つまり、管の厚さが6.9125ミリまでは正規品となるわけで、一本のパイプが、同じ値段で売れるなら、公差の範囲で極力薄いパイプを作った方が、メーカーとしてはコストを抑えることが出来る。技術力の高いメーカーは、当然、公差の下限値を狙ってパイプをつくるため、6.92や6.93という厚さのパイプも珍しくないのだが、山崎がいくら目をこらしても、6.90としかメモリを読むことができなかった。
《6.92と書いてしまうおうか》
手元の検査表を睨みながら、一瞬そんな風に考えた。めんどくせえなあと思ってしまったからだが、それよりも《ここに6.92と書いたら、問題が起こるのだろうか》という疑問の方が強かった。このパイプが街路灯のポールに利用された場合、それによって生じる問題は何なのだろう、山崎はそれを考えた。


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2012年1月9日月曜日

俺の名は勘九郎(80)

「せっかく、研修に来てもらったんだ。ビシビシ鍛えてやるから、覚悟しておくように」
「ひょっとして、代理店から派遣された研修社員だと思ってます?」
「その通り、ってのは冗談だが、しっかり教育して、立派な神様になってもらうよ。うちにいる間は、おれの部下だ。お客様扱いもしないから、覚悟しとけよ」
「ハイ!」
山崎と野々村は、声をそろえた。
「うちの理念と厳しさを知ってもらえば、長く付き合う価値のある会社だと分かってもらえるってことさ」
3日間の座学で、ヨウザンの製品やものづくりの工程を学ぶと、4日目には、工場の安全規則を読まされ、現場で作業する際の安全衛生に関する知識も詰め込まれた。そして5日目から、山崎と野々村は、別々の作業場に配置され、実務に携わることになった。
山崎が連れていかれたのは、ストック・ヤードと呼ばれる部材の受け渡し現場で、パイプや付属の部材などが頻繁に出入りする場所だった。研修ではあったが、山崎に与えられた仕事は、ヨウザンの社員が実際に行っているものと同じで、現場に出て最初の日は、尾藤がとなりについてくれた。外部から搬入される部材は、数が正確にそろっているかを確認する必要があった。また、それらの材料が適切な大きさや形であるかを確認するのもストック・ヤードでの仕事だ。受け入れ検査と呼ばれるその確認作業は、入庫数量の20分の1を抜き取って、実際に寸法を測定する仕事だ。パイプの長さをメジャーで測り、肉厚とよばれる管の厚さは、マイクロメーターという名の特殊な工具で計測した。鉄工問屋から運ばれてくるパイプには、納品書と検査表がついていて、検査表には、一本一本の寸法が記載されていた。
「同じパイプでも、微妙にサイズが違うんですね」
山崎は、ベテランの船越という社員に話しかけた。


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