2010年1月31日日曜日

俺の名は勘九郎(20)



浅野という男の恨みを晴らしてやりたい、すぐに俺がそう思ったわけじゃあない。ハンが切々と訴えるのを聞いて、ヤツの意思の力が半端なものじゃないことを、俺は感じた。ハンは自分の力に気づいてないようだったが、山崎の机の隅で、埃をかぶった万年筆にしておくのはもったいなかった。
山崎の住むマンションから3ブロックほど離れた公園に、枝ぶりがキノコ雲のような形をした大きな椎の木があって、しばらくの間、俺はそこをねぐらにしていた。昼間、山崎は部屋にいなかったが、俺は毎日ベランダまで行って、ハンと話した。山崎が昼過ぎまでベッドで寝息をたてていた土曜日の午前中も、おれは構わずにハンの話を聞いていた。ようやく起きた山崎は、目が覚めるとすぐに湯を沸かし、昼飯をカップラーメンと牛乳とカロリーメイトの組合せですませた。それから顔を洗い、やっと空気の入れ替えをしようと思ったようで、ベランダにつながるサッシの窓を開けた。
「お前かあ、犯人は」
と、山崎は大仰に言った。
俺が毎日ベランダに落としている黒い羽根のことを言っているのはすぐに分かったが、俺は黙って山崎の顔を見て、ハンのことを思い出せ、と念じた。
「毎日、掃除が大変なんだよ。まったく」
まったくとは、こっちのセリフだ。俺がどれだけ念じても、全然気づく様子がなかった。
カラスがベランダの桟に留っていれば、普通の人間なら、シッと言って追い払おうとするし、たちの悪いやつになると、エア・ガンで撃ってきたりする。しかし、山崎は俺をしげしげと見て言った。
「せめて嘴が黄色で、おはよう、のひとつも言えたら、お前もそこまで嫌われずにすんだんだろうなあ」
《どアホウ!それじゃ九官鳥じゃ》
「あれ、返事したよ、こいつ。言葉が分かんのかな。九ちゃん、おはよう」
《俺の名は、堪九郎だ!》
「やっぱり、分かるんだ。しゃべらせたら、テレビでれるかなあ。九ちゃん、お・は・よ・う」
バカと言ってやりたかったが、ここで反応すると、鳴き声をまた返事だと思われそうだったので、俺は無視した。


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2010年1月28日木曜日

俺の名は勘九郎(19)

着替えを終えたその人は、段ボールとカバンの中から取り出した新品の青いビニールシートを使って、自分の家をつくりはじめた。ぼくの家の木を含めた2本の木をメインポールの代わりにして、三角のテント小屋を作った。屋根がビニールシートで、床が段ボールのその家は、雨はしのげても風には弱そうだった。シュロの木につるしたハンガーを取り込もうとしたとき、その人はぼくに気がついた。抱きかかえて頭をなでながら、
「今日が俺の公園デビューだ。よろしくな」
とぼくに言った。ホームレスになることを、公園デビューというのかぼくには分からなかったし、その人がどんな人かも分からなかったけど、蒸し暑い夕暮れどきだというのに、その人の腕の中は柔らかで心地よかった。ぼくの喉元の毛を、親指と人差し指で軽く引っ張るようになでながら、彼は言った。
「俺、ヤスベエってんだ。お前の名前は、そうだな…、コタローにしよう」
ぼくは、《やった!》と声を上げたが、ヤスベエには「にゃあ」と聞こえたはずだ。ヤスベエが名前を思い浮かべる前に、ぼくは《コタロー》という念を、ヤスベエに送っていた。彼の意識に、ぼくの念が入り込んだのだ。人間と意思の交換を出来る動物はいないらしいけど、念を送ることで、ヤスベエにメッセージが届いたということは、ある意味で、マタギができたという証拠だ。
「コタロー、俺、ある人の仇をとるために、ここで暮らすことにしたんだ」
浅野という人の仇をとるために、誰かに復讐しようとしていることが、ぼくには分かった。
ぼくの能力が少しずつ高まりはじめているような気がした。


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2010年1月15日金曜日

俺の名は勘九郎(18)

草の上に転がしたバックパックから、プラスチックのハンガーを取り出して、シュロの木の枝にそれをぶら下げた。その人は、脱いだ上着を丁寧に畳んで、バックパックの上に乗せた。それからネクタイを外し、ワイシャツとズボンを脱いだ。靴を脱いだその人は、片足ケンケンで靴下も脱ごうとしたが、そこで動作を止めて、シルクソックスの足を、そのまま革靴に戻した。茶色の革靴にスケスケの靴下、白のランニングシャツにボクサーパンツという格好で、その人はカバンの上の服をハンガーにかけた。
彼は、着ていたもの一式をシュロの木にぶら下げると、たわんだ枝からハンガーが落ちないことを確認した。バックパックからオレンジ色のTシャツを出して、ランニングを脱ぐと、6枚に割れた腹筋が現れた。パンツ一丁に白いランニングシャツでは、中年のおじさんだったが、サイの横顔が大きく描かれたTシャツとジャージのズボンに着替えると、ずいぶんと若くみえた。足首をマジックテープで固定するタイプのサンダルをはくと、やっとその人の着替えが終わり、ようやくぼくも落ちついた。


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2010年1月14日木曜日

俺の名は勘九郎(17)

この前の無差別テロといのうは、公園のベンチや木陰にあった弁当の残り物を食べたネコやカラスが死んでしまった事件のことだ。キトさんが教えてくれたそのニュースによると、弁当に毒物を混ぜた人間がいるらしい。無差別テロ事件として広まったそのニュースは、公園中の動物たちを震撼させた。だから、キトさんのように、心が読める仲間の様子をみてからじゃなきゃ、人間から食べ物をもらうことができなくなった。
どうしてキトさんは、ピンクのスーツケースの人について行ってしまったのだろう。
年老いたシュロの木の根元にできた窪みがぼくの家だ。キトさんが、あの女の人と一緒に公園を出たのと入れ替わるようにその男の人は、ぼくの家の隣に越してきた。夏の暑さの残る、からりと晴れた日の夕方のことで、その人は、紺のスーツの背中にに黒い大きなバックパックを背負っていた。
「この辺にするか」
何枚かの大きな段ボールをシュロの木に立てかけると、その人はズボンのポケットからタオル地のハンカチを取り出して、額の汗を拭った。


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2010年1月6日水曜日

俺の名は勘九郎(16)



キトさんが、ぼくの前から姿を消して、もう3カ月になる。ぼくたちは渋谷の宮下公園で毎日のように遊んでいた。宮下公園のフットサル広場の隣がぼくたちの遊び場だった。ある日、その公園に、一人の女の人がピンクのスーツケースを引きずりながら歩いてきた。屋根と柱だけの東屋のベンチに座り、ぼくたちをぼんやりと眺めていた女の人は、土ぼこりでよごれたコンクリートの上に、スーツケースをべったりと横置きにした。彼女はそこから、お菓子の箱をとり出した。ぺりぺりっと音をたて、箱を開けると、タケノコの形をしたチョコレート菓子を口に入れた。ぼくとキトさんは、その様子をじっと見つめた。すると彼女は、箱の中から二つの菓子を一度につまむと、それを自分の足元に置いた。つま先に穴のあきそうな色の褪せた茶色いスニーカーの近くまで寄って、キトさんは黙ってそれを食べた。
《心配ないから、コタローも食べなよ》
キトさんが言うので、ぼくも安心して口に入れた。
キトさんは、ぼくにとってマタギの師匠だ。キトさんと出会う前のぼくは、仲間うちのネコの言葉しか理解できなかった。キトさんが訓練してくれたおかげで、ぼくは人間が話す言葉を理解できるようになった。しかしぼくは、人間の心を読むことはできない。
《あんた変わってるよね》
《そうですか?》
《普通は、あけっぴろげな人間の心が読めるようになって、それからしゃべり言葉が分かるようになるもんだよ》
《でも、ぼくの場合、話してる言葉しか理解できないみたいなんです》
《マタギっていうのはさ、開いてる状態の心を読む能力なわけ。私も人間の話す言葉が理解できるようになったのは最近だよ。コタローってもしかして犬の鳴き声とかも理解してんの》
《ワンワン、としか聞こえません》
《じゃあ、人間の言葉だけ理解できるんだ》
《そうみたいです》
《人間の言葉なんて嘘ばっかりだからね。気をつけた方がいいよ》
《キトさんは、嘘なんかついたことないですよね》
《当たり前じゃない。あたしらは、心を開くか、閉じるかしかないんだから》
《でも、嘘の心を相手に送りこめる動物っているんですか?》
《さあね。あたしは会ったことないけど。ひょっとしたら、いるのかしら。考えたこともなかったわ》
《ぼくが理解しているつもりの人間の言葉も、みんな嘘なんですか?》
《すくなくとも、コタローに話しかけてるときは、嘘じゃないと思うよ。人間どうしで会話するときに、嘘が多いみたいだからね》
《でも、この前の無差別テロみたいなこともあるから、怖いですよね。人間て》
《そうね。あれは、誰かが死ぬのを面白がってるヤツの仕業だものね》


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2010年1月3日日曜日

俺の名は勘九郎(15)

発注仕様書に「照度保証」の文言が入っても、浅野はウィンディーサニーの価格を吊り上げるようなことはしなかった。製造コストにわずかばかりの利益を乗せて入札金額とした。売上金額の堅調な伸びと比例して会社の利益も増えたが、浅野は大きな利益を上げることをよしとしなかった。どれだけ売上が伸びても、会社の経常利益率は3%程度で一定していた。
「我が社は、もっと利益を重視すべきです」
浅野に面と向かってそう主張したのは、古参のひとりである田中貞義だった。浅野ソーラー3人目の社員として入社した田中は、技術部長を兼務する専務取締役になっていた。財務基盤を強化したい蔵島は、本心では田中と同じ意見だった。しかし、浅野がなんと答えるかは、聞かなくても分かっている。
「独占的な立場を利用して、税金泥棒のようなことをするつもりはない。役所がうちに有利な仕様書を作ってくれるのは、浅野ソーラーの経営姿勢を高く評価してくれているからだ」
予想通りの答えだが、蔵島はそれもまた真なり、と納得している。しかし、田中の内心はそうではなかった。


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2010年1月2日土曜日

俺の名は勘九郎(14)

ウィンディーサニーの最大の強みは、365日、夜の明るさを保証できたところにあった。浅野は全国各地の気象データを集め、太陽光と風力による電力生成バランスを綿密に計算した。そして街路灯の設置ポイント毎に、陽光と風力による発電効率とバッテリー能力を見極め、雨の夜も一定照度の明るさを保証出来るハイブリッド街路灯を完成させた。他社のハイブリッド街路灯は型式ごとの既製品である。雨が続けば電気は消える。

それに対して、ウィンディーサニーは、設置場所毎のオーダーメードだ。製造コストは少し高くついたが「365日、明るい街路」をうたい文句にしている。もちろん想定以上に雨が続けば、ウィンディーサニーにもバッテリー切れは起こる。しかし、初号機を出荷してから10年以上、浅野ソーラー製の街路灯が消えていたという報告は、全国のどこからもこなかった。土地ごとの気象データと街路灯の照度のバランスに関するノウハウは、浅野ソーラーのトップシークレットになり、その情報に接することができるのは、浅野と蔵島の二人だけだった。

街路灯を注文するのは、一般的に市町村などの自治体であることが多い。役所が街路灯を発注する場合、通常は複数の会社による競争入札が行われる。発注仕様書と呼ばれる書類には、本体の高さ、風車の型式、起動に必要な風速などが示されている。街路灯のメーカーは、仕様書を満足する製品を設置しなければならない。その上で、もっとも安い金額を提示した会社が落札業者となる。仕様書の中に「日没から日の出まで、365日、常に45ルクス以上の照度を保証すること」というような文言があれば、それはウィンディーサニーが欲しいという意味になる。その条件を満たせる街路灯メーカーは浅野ソーラー以外になかったからだ。地方の公共事業を監視する目が大らかだったころには、「浅野ソーラー社製のウィンディーサニーと同程度の性能を保証できるもの」という大胆な仕様書さえあった。結果的に他社は、入札を辞退せざるを得ず、浅野ソーラーの売り上げは確実に伸びていった。


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