2008年10月31日金曜日

季節はずれの銅メダル

北京オリンピックのハンマー投げで、銀メダルを獲得した選手と銅メダルを獲得した選手が、ともにドーピング違反でメダルをはく奪される可能性が高いようです。処分が確定すると室伏選手が繰り上げで銅メダルを獲得することになります。日本陸上競技連盟の沢木専務理事は、「『室伏がクリーンであること』が証明されたとも言えるが、複雑な心境」とコメントしたそうです。「薬物を使わない選手はクリーンである」という表現そのものが、ショッキングでした。
残念ながらどの競技もドーピングと完全には決別できていません。しかし、薬物を使う一部の選手がダーティーであり、使わない選手が当たり前のはずです。
外国人選手と比較して細身の室伏選手が、80メートル以上もハンマーを飛ばすのは驚異的なことです。しかし、薬物を使わないのが当然の環境でなければ、室伏選手に続く若手の競技者は出てこないでしょう。今年の6月に行われた日本陸上競技選手権をスタンドで観戦しました。室伏選手の投てき姿は、芸術的な美しささえ兼ね備えていました。国内で室伏選手を脅かす若きハンマースローアーの出現にも期待したいところです。

2008年10月30日木曜日

孤独の港

どこの国の地図にもなく、どの海図にも海岸線さえのっていない。
やがて鉄くずになるばかりの老船が、ときおり島を思い出す。

島の浜辺に打ち上げられたのか、砂を盛って築いた島だったのか。
いまでは気にすることもない。
島につくった孤独の港。
船が来るのを待つでもなく、ひとり潮風をはむ。

ランボーの詩「地獄の季節」の一節を読んだ後なので、影響されています。
このブログは、ただ「書く」ために開設したブログです。もちろん誰かが読むことを意識して書いています。アメリカのノンフィクション作家が、「本気でノンフィクションを書きたいのなら、毎日原稿を書け。メモ書きや下書きでなく、読者がいることを前提とした原稿を書け。」と指南していました。それを読んでブログの開設を思い立ったわけです。
世界につながるインターネットの波の中で、誰も訪れないサイトを思いつつ、本日はこれまで。
(タイトルは詩中の“悲惨の港”にヒントを得て。)

2008年10月29日水曜日

Qちゃんの引退

マラソンの高橋尚子選手が引退を表明しました。かつて高橋選手を指導した小出氏は「40歳前後まで第一線で走れる選手なのにもったいない」と発言しています。これが本音かもしれませんが、高橋選手と出会えたことに感謝し、ねぎらいの言葉をかけているところは、さすが名伯楽です。
引退の日は、すべての選手に必ずやってきます。余力を残してスパっと辞めてしまう「引き際の美学」もあれば、ボロボロになるまで闘って果てる「もがきの美学」もあります。じたばたともだえ苦しむ様は、「美」ではなく「醜」だという人も沢山います。「トップを極めた選手が、いつまでもしがみつくのはかっこわるい」との考え方です。
一方、「もがき派」は、自分の可能性を信じて闘い続けます。純粋な体力だけなら、どんな選手でもピークを越えた時期を意識できます。しかし、経験により得た技術力とメンタルコントロールの力で、自分より体力的に上回る相手に打ち勝つことが出来るのがスポーツです。「ピークを越えても80%くらいの体力を維持できれば、総合力ではまだまだ負けない。」そんな風に考えて、勝負にこだわる選手もいます。その可能性を信じて、もがき続ける姿にぼくは美学を感じます。“プライド”をどこに見出すかの価値観によるものでしょう。
どんな形であれ、引退が話題になるのはトップアスリートの証です。アマチュア選手の場合、第一線に到達していなければ、引退のしようがありません。公的な大会のマスター部門やシニア部門に出場し続けることも可能です。
Qちゃんは、「50歳、60歳になってもジョガーとして走り続けたい」と宣言しました。ジョガー高橋に引退はないのでしょうね。

2008年10月28日火曜日

原ジャパンが決まって

イチロー選手の発言が、WBC監督人事の流れを変えたと言われています。
「WBCは北京オリンピックのリベンジの場ではない」
ディフェンディングチャンピオンとしては、当然の発言ですね。北京オリンピックに出場していない選手にとって、WBCはリベンジの場にはなりえません。自分の発言が星野氏のWBC監督就任に大きな影響を与えることを、イチロー選手は当然予想したと思います。しかし、星野氏の指導力について言及したわけではありません。
一方、星野氏にとって、WBCでの優勝は北京の雪辱に値します。「メジャーリーガーも含めた最強メンバーで戦えば、日本がこんなに強いことを証明できた」といえるでしょう。星野氏が雪辱に燃える気持ちもよく分かります。ただ、星野氏には「リベンジのチャンスを与えてくれ!」または「敗軍の将は兵を語らず。何があってもWBCの監督には就任しない」と最初に言ってほしかった。今回の固辞の仕方は、「県民が国政で汗をかけというなら、衆議院選挙に出てもいい」と発言した知事のように見えてしまいす。
オリンピックで敗れた多くの選手は「オリンピックの借りはオリンピックでしか返せない」と言います。4年後のロンドンオリンピックという雪辱の場がないのが、星野氏にとって一番つらいのかもしれません。

2008年10月26日日曜日

プロ野球の“格” ~リアル・チャンピオンという称号~

セ・リーグのクライマックスシリーズはジャイアンツが制しました。日本シリーズはジャイアンツ対ライオンズの対戦です。ともにペナントレースで優勝したチームです。なんとなく気持ちよく日本シリーズを観ることが出来そうです。レギュラーシーズン2位のチームが日本一になってしまうシステムに100%は賛成できていません。それでも、オリックスや広島の選手が最後まで日本一を目指す意気込みでプレーしていた姿を、興味深く観ていました。
クライマックスシリーズが定着するなら、今年の日本シリーズ覇者を「リアル・チャンピン」と称し、“格”を持たせてはどうでしょうか。「リアル・チャンピオン」はリーグ優勝して、日本シリーズを制したチームにのみ与えられる称号とします。
「多くのチームに最後まで優勝する可能性がある」というのはエンターテイメントとして重要な要素です。しかし、「最終問題の点数は100点です。この問題に正解すれば、最下位のチームにも大逆転のチャンスがあります」というクイズ番組には“安っぽさ”が漂います。

“格”を持つことは重要です。「リアル・チャンピオン」という“格”を多くの人が認めることにより、プロ野球が持つ“おごそかさ”を再構築できるのではないでしょうか。

仮の話です。原ジャイアンツが今年から9年連続で日本一になったとしましょう。途中1年だけ、レギュラーシーズンを2位で通過しながらも日本一になれた年があるとします。V9を達成した原監督は優勝インタビューに答えます。
「リアル・チャンピオンとして達成したV9ではありませんから、真の意味で『川上ジャイアンツ』と肩をならべたとは言えません」

歴史への挑戦は品格も築いていきます。

2008年10月25日土曜日

意味のない守り ~20年の時を経て~

昨日(24日)のクライマックスシリーズ、ジャイアンツ対ドラゴンズ戦は引き分けに終わりました。アドバンテージを含めて、ジャイアンツの2勝1敗1分けです。最終的に3勝3敗1分けならシーズン優勝のジャイアンツが日本シリーズに進むため、王手がかかりました。ジャイアンツにとって「勝ちに等しい引き分け」に違いありません。TV中継の地上波放送が終了したとき、ラジオ中継に切り替えました。車の運転中以にラジオを聴くのは久しぶりで、なんだか新鮮です。
ドラゴンズの勝利がなくなった12回裏のジャイアンツの攻撃では、「やる意味がないですねー」と解説者も脱力ぎみです。聴く方もクライマックスからリラックスモードへ。でも、最終的にジャイアンツ2勝・ドラゴンズ3勝、2つの引き分けというケースもあります。そう考えると、中日が昨日の12回裏をきっちり守った意味も少しはありそうです。
さて、20年も前の話です。意味のない最終回の守りが、すべてのプロ野球ファンを熱くしたことがあります。1988年のペナントレース終盤、常勝チームの西武ライオンズを近鉄バファローズが驚異的なペースで追い上げていました。シーズンの最終日、近鉄はロッテとのダブルヘッダーに連勝すれば逆転優勝という局面です。結果は2試合目が引き分けに終わり、西武の優勝が決まりました。勝利の可能性がなくなった最終回裏のロッテの攻撃、近鉄ナインは泣きながら守備につきました。満員のスタジアムもTVの前の観衆も、近鉄ナインをやさしく見守っていたのだと思います。ペナントレース最後の場面に心が震えました。
クライマックスシリーズで、意味のない最終回の守りがドラゴンズにやってきても、誰も泣かないでしょう。「もともと3位だし」という気持ちが先に立ってしまいます。
10年に一度くらい、魂をゆさぶられるようなシーンに出会いたいのか? 毎年確かにやってくるそれなりの興奮に満足すべきなのか?けっこう大きな問題です。

2008年10月24日金曜日

速読法

レポートを作成するには、下調べの資料が必要です。準備のない仕事は、いい仕事になりません。サラリーマンの中には、レポートを作成するために一日中インターネットや本と格闘している人がいます。立派なレポートに仕上げて上司に報告すると、「パソコンばかり見てないで、現場に行け」と一喝されます。翌日は作戦変更です。“論より証拠”、“巧遅は拙速に如かず”とばかり、現場で見たことをそのままレポートにまとめて提出しました。
「これじゃあ、背景がわからない。せっかく昨日作った立派な資料があるのだから、それを使いなさい」

何ごともバランスが重要です。

図書館には沢山の本があります。ネット注文すれば、すぐに本が届きます。パソコンはあらゆる情報につながっていきます。すこしでも多くの情報をインプットしておきたいのは山々ですが、それではいくら時間があっても足りません。

「5分で一冊の本が読める」という本を5時間かけて読みました。積ん読になっていた「本能寺」を手に取ると、5分で読めました。織田信長が明智光秀に殺されるまでの様が、ドラマチックに描かれているようです。速読法は、すべての内容を正確に理解するためのものではありません。読む人に必要な情報がインプットされればいいのです。同じ方法で「新約聖書」を読めば、キリストの奇跡について書かれた本だということが分かるはずです。「百科事典」を速読したらどうでしょう?・・・速読マエストロへの道は遠いかもしれません・・・。

一字一句を正確に読むのはムダという話をよく聞きます。1年に数百冊も読める読書家は、なんらかの速読ができているのでしょう。イメージが脳にちく積され必要なときに取り出せれば、バランスのよいレポートが完成するのかもしれません。

さて、読書ばかりではなく、書く作業を始めましょう。

2008年10月23日木曜日

10月23日(初回) ブログのタイトルについて

ブログを更新するのは、けっこう、めんどくさいことだと思います。
でも、何かをめんどうだと思ったとき、「めんどくさいは体にいい!」と念じて、なるべくめんどくさいことを片づけてしまうように努めています。

テレビを消すのに、リモコンを取りに行くのがめんどくさい。
宿題を済ませるのがめんどくさい。
買い物に行くのがめんどくさい。
日曜日なのに、仕事の準備をするのがめんどくさい。

身の回りには、めんどくさいことがいっぱいです。
でも、「めんどくさい」ことをするときには、必ず脳か筋肉を使っています。脳も筋肉も使わないと、どんどん劣化していくそうです。つまり、「めんどくさい」ことをするのは、頭か体にいい刺激を与えていることになります。
なので、ぼくは「あー、めんどくさい」と感じたときに、「めんどくさいは体にいい」と念じます。そして、めんどくさいことを先に片づけると意外とさわやかだったり、翌日後悔しなくてすんだりします。
ちょっとだけやる気が出るぼくの「おまじない」をこのブログのタイトルにしました。
さて、いつまで更新できることやら・・・。