2009年7月26日日曜日

Nothing lasts forever

近所の公園内にある野球場で高校野球の予選大会が開かれているので、ときどき足を運んでいます。全国で最多の189チームが参加した神奈川県大会は今日でベスト4が出そろいました。
桐光学園、横浜隼人、桐蔭学園、横浜創学館の私立4校に甲子園への道が残されています。

試合が終了し、球場の通用口から出てくる勝ったチームの選手は、応援団に向かって雄たけびをあげたり、胸をなでおろすしぐさを見せたり、明るい表情でしばし勝利の味をかみしめます。監督はチームの手綱を引き締めるために、戒めのことばを選手に与えてから球場を後にするパターンが多いようです。

一方、負けたチームの出口では、選手・ベンチ外の部員・応援団の区別なく、泣きじゃくる人がいたり、絶句してうつむいたままの人が沢山いたりして、いつまでもその場所に居続けようとするような雰囲気が漂います。3年生にとっては、最後の夏だからなのでしょう。
小学校、中学校、高校と成長するにつれ、打ち込んだものに注ぎ込むエネルギーは徐々に大きくなっていきます。プレーヤーにせよ、チアリーダーにせよ、この夏が永遠に続くわけではないことを誰もが知っているはずです。それでも最後の打者がバッターボックスに入る瞬間は、どんなに負けているチームでも応援するスタンドのブラスバンドの音や歓声がひときわ大きくなります。
それは逆転を願う大声援というよりは、「終わらないで」と叫ぶ祈りのようでした。

2009年7月22日水曜日

日食と月の関係の?

残念ながら、横浜では日食を観測することはできませんでした。以下は、日食のメカニズムについて、国立天文台サイトからの引用です。

“日食とは、月が太陽の前を横切るために、月によって太陽の一部(または全部)が隠される現象です。太陽が月によって全部隠されるときには「皆既日食」と呼ばれます。今回は一部の地域でこの「皆既日食」が見られます。また、太陽のほうが月より大きく見えるために月のまわりから太陽がはみ出して見えるときには「金環日食(または金環食)」と呼ばれます。太陽の一部しか隠されないときには「部分日食」と呼ばれます。 日食は、見る場所によって、どのくらい深く欠けるかも違いますし、日食が始まる時刻や一番大きく欠ける時刻・日食が終わる時刻も違います。”

ここで、日食に関する長年の疑問です。月が太陽の前を横切るわけですから、黒い部分=月そのものだと思います。太陽の光が強いので、月が黒く見えることは理解できるのですが、日食が始まる直前や日食が終わった直後の月が太陽のとなりに見えることはないのでしょうか? 昼間の月は、白く見えることがあります。その白い月がだんだんと太陽に近づき、太陽と重なった部分から黒く見えていくという現象にならないのはなぜなのでしょう?

TVのニュースでは、皆既日食の間、金星が見える映像が流れていました。また、冬の星座であるオリオン座の一部も姿を現したそうです。「昼間も星は出ているけれど、太陽の明るさで見えないだけ」ということも理解出来ているつもりですが、「部分日食」の時の太陽と重なっていない部分の月もまったく見えないのは不思議な気がします。

そもそも、メカニズムについての理解が根本的に間違っているのかもしれません。
???

2009年7月16日木曜日

クサくない「青春」

高校野球の神奈川県予選大会を観戦してきました。取材でお世話になったことのある学校の野球部の応援です。結果は9-6で応援していたチームが勝ちました。そのチームは公立高校ですが、練習は365日休みなしという部活動です。監督とコーチが部員の体調を管理して、休ませるべき部員には交代で休みを与えながらも部活動そのものがOFFになることはないそうです。昨年の夏はベスト8に進んだ学校ですが、横浜高校や慶応高校などの強豪私立の壁を崩すことがなかなか出来ないということでした。それでも彼らは、もちろん甲子園を目指しています。
打撃戦のゲームは最後までもつれ、9回の表にも反撃されてハラハラしながら見ていました。高校野球の場合、一つのミスでゲームの流れがガラッと変わり、簡単に大量失点してしまうことがしばしばあります。一つのプレーがゲームの流れを変えてしまうことがあるのは、プロ野球でも他のスポーツでも同じですが、高校生のレベルだと「エラーしたらどうしよう」という心に支配されて、実際にエラーしてしまうことが多いものです。
ゲームが終了し、選手たちが応援団のいるスタンドの方に駆け寄ってくるとき、みんなが「ワー」「オー」と叫んでいました。

「いいなー、青春してるなー」
声の主は、応援団かチアリーダーの生徒のお母さんなのだと思います。その声は、グラウンドでプレーしていた息子に投げかける興奮気味なものではありませんでした。でも、その「青春してるなー」には、“ちょっと羨ましいけど、今しかできないことがちゃんと出来ているじゃない”という賛美の気持ちがこもっているようでした。

「青春」という言葉が照れくさくなく、ほんと「いいなー」と感じた夏の一日でした。

2009年7月14日火曜日

脳死は人の死?

「脳死を人の死」とする法律が成立しました。この法律により本人の意思が確認できない場合でも、家族の同意があれば臓器の摘出が可能になりました。
「脳死=人の死」について国民的な合意ができたのか?議論は十分になされたのか?
という疑問も残っているようですが、どれだけ議論しても国民的な合意が形成できる問題ではないでしょう。
脳死を人の死と定義しないことには、家族の判断が本人を死なせることになってしまうので、法案の成立には必須の要件だったのでしょう。

「臓器移植が必要な幼い子は、死を待つことしかできないのか」
「脳死後も長期間心臓が動き続ける我が子に、法律が死亡宣告するのか。そして速やかに子供の臓器を誰かにあげるべきなのか」
二つの思いを同時に救うことができないのが、この問題の重いところです。

個人的には、自分の臓器は提供してもいいけど、自分の判断で家族の体を冷たくしてしまうのは避けたいというのが本音です。「脳死状態になったら、絶対誰かに自分の臓器を提供してくれ」という本人の強い意思を知っていれば別かもしれません。
重要な法案が成立したことは確かですが、本人の意思が明確にしるされたドナーカードの仕組みが変らないと実際の移植は増えないような気がします。
やがて運転免許証の裏に意思表示が義務付けられる時代がくるかもしれません。
「そこまですべきではない」という意見が主流なら、やはり「脳死は人の死」を受け入れられていないということなのでしょう。

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2009年7月13日月曜日

社員は社長を変えられない

都議選では民主党が圧勝しました。NHKの開票速報では、都連の会長でもある石原伸晃幹事長代理が苦しそうにアナウンサーからの質問に答えていました。
会話の内容はこんな感じです。
アナ:麻生総理のもとで衆院選を戦うべきだとお考えですか?
石: 現在審議中の重要法案を可決することも必要でありましたて・・・
アナ:石原さんご自身の考えでは、麻生総理のもとで衆院選を戦うべきだとお考えですか?
石:解散の時期につきましては、総理ご自身が判断することで・・・

「全然答えになっとらん」と思わずツッコミを入れてしまいましたが、考えてみるとなかなか答えにくい質問です。
飲み屋のサラリーマンなら
「今の社長、全然だめだね。このままじゃホントうちの会社ヤバいよ」
なんて言うこともできますが、これが全国に放送されていると思えば、簡単には言えません。
しかし、政治家は言葉で自分の考えを明らかにすることも仕事のうちですから、石原さんにはもう少し分かりやすい回答をしてもらいたいところでした。

同じような質問をされた民主党の岡田幹事長は「麻生総理の手で解散し、国民の審判を受けるべきだ」と回答しています。
フラフラしているピッチャーに続投してもらえれば試合に勝つ可能性が高いわけですから、民主党としては当然そうなのでしょう。

味方からは「自発的に降板してくれ」と言われ、敵チームには続投を望まれるエースというのもツライものです。
さて、どうするのでしょう?

2009年7月10日金曜日

レーザーレーサーは正統派?

競泳の全米選手権でマイケル・フェルプス選手が世界新記録を出しました。100mバタフライで、50秒22の記録です。フェルプス選手が着用していた水着はレーザーレーサーだったそうです。北京オリンピックの少し前、水着メーカーとの契約の関係で、日本人選手はスピード社のレーザーレーサーを着ることができないという状況がありました。この段階では、レーザーレーサーを着ている外国人選手が好記録を出しても「水着に助けられてる部分もあるわけね」と冷ややかな目で見ていました。レーザーレーサーを着た北島選手が北京で2冠を達成すると、「水着が泳いでいるわけじゃなく、北島が強いのだ」とすっかり満足していました。我ながら現金なものです。スポンサーとして長年北島選手を支援してきたミズノ社にとっては屈辱だったかもしれませんが、レーザーレーサーの着用を認めたことは英断だったと思います。
その後日本の水着メーカーも開発競争で巻き返しをはかり、4月の日本選手権では国内メーカー製の水着をきた選手が好記録を連発しました。5月の日豪対抗で入江選手が出した記録が世界新記録として公認されなかったことは記憶に新しいところです。
新型やその改良型の水着が次々に登場しているので、レーザーレーサーが早くも「古い」水着のように感じてしまいます。フェルプス選手の世界新記録の記事に「水着はレーザーレーサーだった」とあるので、後で記録が取り消されるようなことはないのだなと分かります。1年前とは大違いで、レーザーレーサーに正統派のイメージが出来上がっていました。

水着は泳がないし、シューズは走りません。記録向上の主役が人間であることに間違いありませんが、道具の改良に真剣に取り組んでいるのも人間です。選手にも開発者にも拍手を!

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2009年7月7日火曜日

審判もチャレンジを!

プロ野球のセントラル・リーグは、本塁打のビデオ判定導入に向けたテストを8月から実施することになりました。責任審判が必要と認めたときにビデオ映像を確認するのですが、現状ではそれをもとに判定をするのではなく、問題点を洗い出すための試行だそうです。
人間のやることですから、審判だって間違うことはあります。ときに「誤審」がゲームを大きく動かすことがあり、それもひとつの「ドラマ」である、という人もいます。確かに、「誤審」によって心に残る「ドラマ」が生まれることもあります。シドニーオリンピックの柔道100Kg超級決勝戦で篠原選手(現・代表監督)がフランスのドゥイエ選手に敗れた試合は、日本柔道の敗戦のうちでもっとも印象に残るものでしょう。しかし、誤審によって生まれるドラマは必ず「悲劇」です。
第1回ワールドベースボールクラッシックの日本 対 アメリカの試合では、日本選手のタッチアップが認められないという(確信犯的な?)誤審があって、日本は敗れました。最終的にこの大会で日本が優勝したので、この小さな悲劇は「世紀の誤審」とまでは呼ばれません。つまり、悲劇の度合いが大きいほど「ドラマ」として記憶に残るわけです。
「あってはならないこと」があった方が「おもしろい」というのは矛盾ですが、それも人間の心理かもしれません。

テニスの大きな大会では、数年前から「チャレンジ」という制度を導入しています。微妙な判定に対して、選手が「チャレンジ」を要求する権利をもち、ビデオ映像を解析したCG画像が即座にスクリーンに映し出されます。審判の判定と違う結果なら、ポイントは修正されます。プレーヤーは決められた回数の「チャレンジ」しかできませんが、誤審の場合はチャレンジを要求できる回数は減らない仕組みです。
最初の頃は人間味がないようにも感じましたが、「チャレンジ」できる回数を制限しているところに駆け引きもあり、見せる視点と公平性のバランスがとれた面白いシステムになっています。

判定する人にはツラい制度かもしれませんが、プロフェッショナルな審判には制度の導入にチャレンジしてもらいたいものです。

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2009年7月3日金曜日

「どっちでもいい」決議

「さすが江川さん、『だいぶたい』ではなく『おおぶたい』といいましたね」
10数年前のテレビ番組で、アナウンサーの徳光さんが、プロ野球解説者の江川さんに言った言葉を今でもよく覚えています。

「大舞台」は「おおぶたい」とも「だいぶたい」とも読みます。NHKでの使い方は、歌舞伎などの古典芸能で使うときは「おおぶたい」、そのほかの場合は「おおぶたい」も「だいぶたい」もOKとしているようです。
小学生のときだったか中学生の頃か、学校の先生が「『おおぶたい』が正で、『だいぶいたい』は誤った使い方です」と言ったのを聞いて、「おおぶたい」が正なのだとぼくの脳にはインプットされました。子供にとって、先生の言葉の影響力は大きいものです。やがて教師の言葉がすべて真実ではないと気づき、誤用が広まり市民権を得た言葉も否定すべきものではないと知りました。
それでも上記の徳光さんのような発言を聞くと、旧来からある「正しい言葉づかい」を守りたいと思う人もたくさんいることを知り、それも理解できます。

今日の朝日新聞・天声人語に “ 「ニホン」なのか「ニッポン」なのか。古くて新しい難問に、政府が「どちらでもよろしい 」と答えをだした。 ~(中略)~ 麻生内閣の、歴史に残る閣議決定になるかもしれない” とありました。「麻生内閣の歴史に残る」なら茶化しているだけかもしれませんが、「麻生内閣の、歴史に残る」と読点があるので、歴史的な意義を認めていることが分かります。天声人語ではめずらしく「麻生内閣の」閣議決定を評価していました。
「『ニホン』でも『ニッポン』でもいいと閣議決定した」というニュースを最初に聞いたとき、読み方じゃなくて閣議決定すること自体が「どっちでもいい」と思ったのですが、新聞記者やアナウンサーにとっては重要な問題だったのかもしれません。

ぼくの場合、明らかに間違っている言葉の使い方をして、後から気づいて恥ずかしくなることが今でもあります。慙愧、ざんき。
「慙愧」が「残念」に近いニュアンスの言葉だと思っていたのは、とても若かったころの話です。
ということにしておきましょう。

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2009年7月1日水曜日

結局、美人に弱い ?

Yahoo!のニューストピックスに「美人選手はセンターコートに!?」というタイトルがありました。職業的使命感に駆られて?誘われるようにクリックしていました。

テニスのグランドスラム大会の中で、芝のコートで行われるのはウィンブルドン大会だけです。センターコートと第1コートはこの大会以外では使われることのないコートで、センターコートはテニスプレーヤーにとってもあこがれの場所のようです。全部で19面もあるウィンブルドンのコートの割り振りは主催者が決定するわけですが、これまでのところシード上位の選手が最優先されるわけではなく、選手のルックスも影響しているようだ、というのがYahoo!ニュースの主旨でした。「真偽のほどは定かでないが、コート選定にはテレビ局の発言力」もあるように記載されています。
もしそれが本当だとしたら重大な問題です、と怒るようなニュースではありません。が、なかには怒っている人もいるかもしれません。美人選手だけを男性の決定権者が選んでいるとしたらセクハラの問題になるのかもしれませんが、男子でもイケメン選手が選ばれているのかもしれません。
でも、結局のところ、美人がセンターコートにいる方が注目が集まるのは確かでしょう。「イケメンがセンターコートに!?」というタイトルより「美人がセンターコートに!?」と書いてある方が、クリックされる可能性も高そうです。

「スポーツは、顔やスタイルやコメントの面白さで勝負する世界ではない」的なことを普段書いていますが、結局こういうタイトルにひかれてしまうのも事実です。