2009年7月3日金曜日

「どっちでもいい」決議

「さすが江川さん、『だいぶたい』ではなく『おおぶたい』といいましたね」
10数年前のテレビ番組で、アナウンサーの徳光さんが、プロ野球解説者の江川さんに言った言葉を今でもよく覚えています。

「大舞台」は「おおぶたい」とも「だいぶたい」とも読みます。NHKでの使い方は、歌舞伎などの古典芸能で使うときは「おおぶたい」、そのほかの場合は「おおぶたい」も「だいぶたい」もOKとしているようです。
小学生のときだったか中学生の頃か、学校の先生が「『おおぶたい』が正で、『だいぶいたい』は誤った使い方です」と言ったのを聞いて、「おおぶたい」が正なのだとぼくの脳にはインプットされました。子供にとって、先生の言葉の影響力は大きいものです。やがて教師の言葉がすべて真実ではないと気づき、誤用が広まり市民権を得た言葉も否定すべきものではないと知りました。
それでも上記の徳光さんのような発言を聞くと、旧来からある「正しい言葉づかい」を守りたいと思う人もたくさんいることを知り、それも理解できます。

今日の朝日新聞・天声人語に “ 「ニホン」なのか「ニッポン」なのか。古くて新しい難問に、政府が「どちらでもよろしい 」と答えをだした。 ~(中略)~ 麻生内閣の、歴史に残る閣議決定になるかもしれない” とありました。「麻生内閣の歴史に残る」なら茶化しているだけかもしれませんが、「麻生内閣の、歴史に残る」と読点があるので、歴史的な意義を認めていることが分かります。天声人語ではめずらしく「麻生内閣の」閣議決定を評価していました。
「『ニホン』でも『ニッポン』でもいいと閣議決定した」というニュースを最初に聞いたとき、読み方じゃなくて閣議決定すること自体が「どっちでもいい」と思ったのですが、新聞記者やアナウンサーにとっては重要な問題だったのかもしれません。

ぼくの場合、明らかに間違っている言葉の使い方をして、後から気づいて恥ずかしくなることが今でもあります。慙愧、ざんき。
「慙愧」が「残念」に近いニュアンスの言葉だと思っていたのは、とても若かったころの話です。
ということにしておきましょう。

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