2009年11月1日日曜日

俺の名は堪九郎(1)



「なにこいつ?」
挨拶もなしに女は言った。俺がその女を見たのは、そのときが初めてだ。したがって、女の言う「こいつ」とは俺のことだ。初対面の相手に向かって、なにこいつ、とはどういう了見だ。俺はその女の両目を黙って見据えた。しかし、女は俺と目を合わせる気もないらしい。ならば俺の方から声をかける必要もあるまい。それにしたって、どなた? くらいの言いようがあろう。どちら様?と言えればまあ合格だが、そこまでは期待していない。どうせ山崎が連れてきた女だ。上品な人間じゃないことは確かだろう。山崎というのは、俺の目の前にいる色白で痩せぎすの男だ。裸になれば、28歳の男にふさわしい筋肉が少しはついているのだが、それにしたって、どうみてもやさ男だ。人間の中に芯てものがない。心根の優しいやつではある。優しいから女にはもてる。女には多少もてるのかもしれないが、俺から見れば、ただの甘ちゃんだ。甘ちゃんの3流サラリーマンだ。
山崎は俺の方をちらっと見てから、女に言った。
「こいつはね、堪九郎っていうんだ。けど歌舞伎はやらないぜ」
くだらない冗談で、山崎は俺のことを女に紹介した。
「うまいこというわねえ。堪九郎だけに、歌舞伎ときちゃった」
本気か? 本気で笑ったのか? まあいい。どうせ山崎の連れだ。頭の程度だってしれている。
「ちょっと気味が悪いかもしれないけど、慣れれば平気だから。それにびっくりするくらい頭がいいんだぜ」
気味が悪いと思うか、カッコいいと思うかは、主観の問題だ。頭がよさそうなことくらい、この女にも想像がつくだろう。しかし、山崎はいつまでこの女をここに置いておくつもりなのだ。キャスター付きのド派手なピンクのスーツケースを、女は山崎に運ばせた。そして山崎は、俺に断りもなく、その目障りなスーツケースを俺の足元に置いた。しかも、縦に置いたスーツケースの上には、その女が連れてきたネコが乗っている。茶色地に黒縞模様のキジトラ猫だ。あまり太ってはいない。


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