2009年11月28日土曜日

俺の名は勘九郎(8)

キトの飼い主である女は、山崎がこの部屋に連れてきた4人目の女だ。半年で4人の女と同棲まがいのことをするというのは、以前の山崎なら、ちょっとありえないことだ。しかし、山崎の生活がすさんでしまった理由を分かってやれないでもない。
俺が初めて山崎を見たのは、6年も前のことになる。上野動物園のサル山の前だった。山には40頭ほどのサルがいた。
「サル山のサルを観察するときは、これだと思う一頭を決めて、そのサルになりきってみて下さい。きっとそのサルの性格まで見えてきますよ」
動物園のガイドの言葉を聞いた山崎は、パートナーのメスザルに死なれたばかりだという一頭のオスザルに注目した。近くでじゃれあう2頭の子ザルは、そのサルの子どもたちなのだろう。子ザルがいくら父親にちょっかいを出しても、オスザルはピクリとも動かなかった。ただ、ぼうっとした様子で、一点を見つめるばかりだ。そして山崎も、初夏の陽ざしをもろともせず、ひたすらまんじりとそのオスザルを見続けた。サル山の後ろの壁の向うから生えたクスノキは、こんもりとした枝を山の裾野の真上まで伸ばしている。生い茂った葉がほどよく日光をさえぎり、俺は1時間ほど、その木の枝で居眠りをした。目を覚ましても、まだ山崎は最前と同じ所にいて、その視線の先には、これもまた最前のサルが同じ格好をしていた。ガイドの言葉ではないが、おれは山崎になりきったつもりで、この一人の人間を観察して見ようと思った。山崎がひとりでサルを眺めていたのは、昔の女と初めてデートした場所を訪れて、くだらない感傷にひたるというありきたりの理由からだった。暇つぶしのつもりの人間観察が、それから6年も続くことになるとは、さすがの俺も、そのときは想像できなかった。太陽が西の空にかかり、サル山の尖ったてっぺんの影が長く伸びたころ、山崎は動物園の出口の方へ向かった。その山崎をなんとなくつけてみようと思ったのは、ただの気まぐれだったのか、巡りあわせの必然だったのか。それはいまもって分からない。ただ、ねぐらの森を捨てたばかりの俺が、サルを見て一日を過ごす孤独な人間の心に妙に反応してしまったのだとは言えるかもしれない。


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