2012年12月16日日曜日

俺の名は勘九郎(100)


誰かが降りたばかりなのだろう。公園のブランコが、小さく揺れていた。ブランコの後ろにある古びた木製のベンチの上で、キトは丸くなって眠っていた。山崎の家からすぐの場所にあり、南中する前の日光を浴びながら居眠りするのが、キトの午前の日課だった。キトを連れて山崎の部屋にやってきた雪乃は、山崎と一緒に朝食をとることもあったし、山崎が出かける時間になってもベッドから出てこないこともあった。
猫の視線はセックスの邪魔にはならないらしく、山崎と雪乃は3日に一度は体を重ね合わせていた。170cmの山崎より少しだけ上背のある雪乃は、ひょろりと痩せていたが、胸と尻の辺りだけは肉づきのいい女だった。整った目鼻立ちを見るにつけ、顎の骨があと1センチ短ければ、2流のテレビタレントくらいにはなれるだろうと俺はいつも思うのだが、山崎は、彼女の容姿に十分満足していたようだ。雪乃はシフト制のアルバイトをしていると言っていたが、勤務時間はかなり不規則だった。一度俺はキトに、雪乃がどんな女なのか聞いてみたが、キトは、答えたくないようだった。
《キトさん、キトさん、キトさーん!》
ベンチに着く前から、コタローは、3度もキトの名を叫んだ。コタローがその日公園を訪れることは知らせてあったので、キトは別段驚いた風もなかった。薄くまぶたを持ち上げてコタローの姿を認めると、危うくまた眠り込みそうになった。
《それはないぜ、キト》
俺が言うと、キトは少し面倒くさそうに、久しぶりね、とコタローの方を見て、念を送った。


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2012年12月1日土曜日

俺の名は勘九郎(99)


《団体の名前は?》
《「名前のない市民団」》
《名前のない市民団…か。薄気味の悪い名前だな。それとも正義の味方は、問われても名乗らないのかな》
《市民団の人たちは、自分たちの活動を正義の執行だと思っているようです。堀田さんも、彼らの主義や主張が正論であることは分かっているのですが、初めは強い違和感を持っていました。けれど、最近は「違う」という感覚が薄れ始めています。ぼくの不安は、それと反比例するように強くなってきました》
《正義の執行者…。ますますもって近づきたくないタイプだね。その団体と堀田は、どう関係しているんだい?》
《市民団は、徳原エナジルがリストラした社員を、不当解雇だと訴えて裁判を起こすつもりでした》
《エナジルが行ったのは、希望退職だったはずだ。堀田だってそのくらい知っていると思うが》
《自分の意思で退職した人がほとんどですが、なかには強引に希望させられた人もいるようです。ただ、強引さを証明する手だてがなくて、市民団は証言を集めようとしていました》
《強制的に希望退職させた証拠がいるというわけか》
《はい。堀田さんは当事者からヒアリングして、証拠となる記録を作る役割ですが、本人の発言にも曖昧なところがあるそうです》
《そんなことじゃ、裁判にもならないだろう》
《ええ。市民団の牧野という団長は、この件で不当解雇の裁判を起こすのは難しいと判断しているようです。しかし、組織のなかに徳原建設の談合事件を追及していた幹部がいて、彼らは建設の代わりにエナジルを懲らしめようとしています》
《談合で、徳原建設を告発できなかったからか?》
《はい。率先して「脱・談合宣言」したことがマスコミでも話題になりました。徳原建設は、かえって株を上げたようなところがあります。市民団の幹部には、自分たちが徳原を追い詰めたのに、だれにも評価されなかったことを、不満に思っている人たちがいるようです》
《「名前のない市民団」の名前を売る絶好の機会を失ったってわけか》
《そうみたいです。市民団の目的は、営利ではありません。元々は、公正な市民社会を実現することを目的とした、無名の人たちの集まりだったようです。けれど、利益を求めない分、名誉を欲しがる人が出てきたそうです》
《究極の利他精神なんて、動物には無理なんだよ。しょせん俺たちは、生きるために生きてるだけなんだ。人間だって同じさ》
《生きるために、生きてるだけ…、ですか。なんだか難しいですね》
《考えすぎないことさ》
コタローはしばらく黙って歩いたが、遠くにいるキトの匂いを嗅ぎとったようで、早稲田通りを超えると急に元気になって走りだした。どうやらもう、俺の道案内はいらないようだ。


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2012年11月21日水曜日

俺の名は勘九郎(98)


《何か気になることでもあるのかい?》
《勘九郎さんの感知力ってすごいんですね。ぼくは今、なるべく不安な気持ちが出ないように気をつけて、念を送ったつもりだったのですけど》
《感情のコントロールは難しいのさ。俺だって、不安や怒りを殺しながらしゃべるのは大変だよ》
《毅然と生きるには、心の制御が大切なのでしょうね。堀田さんは強い人ですが、思ったことがそのまま行動に表れてしまう人です》
《そんなタイプだな。俺も何度か、堀田が激昂するのを見たよ。堀田は、ホームレスを支援するNPOの設立に邁進している頃だと思っていたのだが》
《はい、それもやってますけど、ある人に復讐しようとしています。サラリーマン時代の恨みを晴らすそうです》
《上野のことだな。堀田がいた会社の親会社の社長さ。どうやって復讐してやろうというんだい?》
《市民団体の力を利用しようとしているみたいです》
《市民団体?》
《表向きは、消費者を守る市民運動家が集まるNPO法人として活動してますが、実態はかなり過激な組織のようです》
《ミイラ取りがミイラにならなきゃいいがな》
《えっ?》
《団体の力を利用しようとしている堀田が、その団体に染まってしまわなきゃいいってことさ》
《ああ…。その危険はあると思います。堀田さん自身、その団体と関わりあうのは、復讐が済んだら終わりにするつもりみたですけど》


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2012年10月27日土曜日

俺の名は勘九郎(97)


《何か気になることでもあるのかい?》
《勘九郎さんの感知力ってすごいんですね。ぼくは今、なるべく不安な気持ちが出ないように気をつけて、念を送ったつもりだったのですけど》
《感情のコントロールは難しいのさ。俺だって、不安や怒りを殺しながらしゃべるのは大変だよ》
《毅然と生きるには、心の制御が大切なのでしょうね。堀田さんは強い人ですが、思ったことがそのまま行動に表れてしまう人です》
《そんなタイプだな。俺も何度か、堀田が激昂するのを見たよ。堀田は、ホームレスを支援するNPOの設立に邁進している頃だと思っていたのだが》
《はい、それもやってますけど、ある人に復讐しようとしています。サラリーマン時代の恨みを晴らすそうです》
《上野のことだな。堀田がいた会社の親会社の社長さ。どうやって復讐してやろうというんだい?》
《市民団体の力を利用しようとしているみたいです》
《市民団体?》
《表向きは、消費者を守る市民運動家が集まるNPO法人として活動してますが、実態はかなり過激な組織のようです》
《ミイラ取りがミイラにならなきゃいいがな》
《えっ?》
《団体の力を利用しようとしている堀田が、その団体に染まってしまわなきゃいいってことさ》
《ああ…。その危険はあると思います。堀田さん自身、その団体と関わりあうのは、復讐が済んだら終わりにするつもりみたですけど》
《団体の名前は?》
《「名前のない市民団」》
《名前のない市民団…か。薄気味の悪い名前だな。それとも正義の味方は、問われても名乗らないのかな》
《市民団の人たちは、自分たちの活動を正義の執行だと思っているようです。堀田さんも、彼らの主義や主張が正論であることは分かっているのですが、初めは強い違和感を持っていました。けれど、最近は「違う」という感覚が薄れ始めています。ぼくの不安は、それと反比例するように強くなってきました》
《正義の執行者…。ますますもって近づきたくないタイプだね。その団体と堀田は、どう関係しているんだい?》



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2012年10月12日金曜日

俺の名は勘九郎(96)

山崎と雪乃が同棲して八ヶ月になろうとしていた。雪乃というのは、キトと一緒にこの部屋にやってきて、俺を見るなり「なにこいつ」と言ったあの女だ。コタローの話によると、雪乃がその公園にやってきたのは、堀田とコタローが一緒に住むようになる直前だと言う。それはちょうど、雪乃が山崎の前に現れたころでもあった。
雪乃はある日、宮下公園にやってきて、地べたに置いた薄汚れのスーツケースから箱入りのチョコレート菓子を取り出し、キトに食べさせたそうだ。食べても安心だとキトに言われてコタローもそれを口にした。雪乃がキトの頭をなでた瞬間、コタローには、キトの体に電気が走ったように見えた。その後のキトは普通にしゃべっていたのだが、翌日から姿を消してしまった。
何日待っても、キトは現れなかった。自分が何かして嫌われたのだろうかと不安にもなったが、コタローに思い当たる節はなかったそうだ。

《堀田は、まだあの公園に住み続けるつもりなのかい?》
コタローの上空数メートルのところから、俺は念を送った。明治通りを左にそれた小路を北に進み、コタローは山崎のマンションがある中野を目指して、歩いていた。
《公園からホームレスを追い出す前に、社会のセーフティーネットを整備しろって、区に働きかけているようです》
《堀田は、昨日が別れの日だった事を意識していたのかい?》
《ええ。ぼくにここを出るように言ったのは堀田さんでしたから。今朝出かけるときにお別れをしました》
《そうか。つらかったようだな》
《はい。たくさん泣きました。人間にもいい人はいるのですね。激情家ですが、真っすぐな人でした》
《通じ合っていたんだな》
《そうですね。ぼくは初め、人間の言葉だけを理解きたのですが、堀田さんの考えていることは心のなかまで分かるようになりました。いろんな人や動物の考えを読めるようになったのはそれからです》
《堀田が昼間、スーツで出かけるのは、区の役人と直談判するためかい?》
《それもあるみたいですが、昼間は別なことをしている日のほうが多いです。》
コタローの意識に曇がかかったように感じたので、おれはスピードを落とし、コタローがゆっくりと歩けるように飛んだ。



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2012年9月29日土曜日

俺の名は勘九郎(95)

《えっ!勘九郎さんは、堀田さんを知っているのですか?》
コタローも声にだして答えた。
《堀田は、俺の同居人と同じ会社にいたんだ。しばらく前に堀田は辞めてしまったけどな。まさか本当にホームレスになっているとは》
《家はありませんけど、生活はちゃんとしてますよ。毎日決まった時間にスーツを着て出かけていきます。3日に一度は銭湯にも行ってるんですよ》
《毎日スーツを着てどこに行ってるんだい?》
《区役所や図書館や、その他にもいろんなところに行っています》
俺たちがそんなやりとりをしていると、堀田がコタローに話しかけてきた。
「カラスとケンカしても、コタローじゃ勝てねえぞ」
しかし、堀田はすぐに俺たちがケンカしている様子ではないことに気づいた。
何だか話をしているみたいだ、堀田はちらりとそんなことを思ったが「飯にするか」とコタローに言って、段ボール箱から取り出したジャージに着替え始めた。


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2012年9月22日土曜日

俺の名は勘九郎(94)

《どうして勘九郎さんは、人間に飼われているんですか?》
《晩飯を調達する手間が省けるから、かな。どちらかといえば、成り行きさ。飼われているというより、ねぐらをそこにしているだけだ。鳥かごはベランダにあって、出入りは自由だ。雨の夜は、部屋に取り込んでもらえるから、まあ快適でもある》
《飼い主は、いい人なんですか?》
《飼い主、と言われると抵抗があるが、イヤなやつではない。少なくとも犬に服を着せたりはしないタイプだ》
《自然な人なのでしょうね。じゃなきゃ、勘九郎さんが一緒に住むことなんてなさそうです》
《なかなかいい観察だよ。よく見て推理するのは大切なことだ。将来は「犬の探偵さん」か》
《バカにしないで下さい》
傾きはじめたと思った太陽はもう沈みかけていたが、それでも西の彼方に残る朱色の空は、昨日よりもゆっくりと暮れていくようだった。春の訪れは先だが、梅の木を見れば、小さな芽が枝先で棘のような角を出し、息吹きの日を待っていた。
俺はコタローに、いつまでこの公園にいるのかを聞いてから、山崎の家に帰ろうとした。コタローは、今夜ここの人に別れを告げたら、明日には出ると言うので、俺は次の日もこの公園に来ることにした。
じゃあな、と声をかけ、飛び立とうとしたとき、街灯の薄明りを背中に受けて、スーツ姿と分かる黒いシルエットが俺たちの方に近づいてきた。どこかで見た歩き方だと思っていると、コタローが尻尾を振って嬉しそうに走り出し、ワン・ワンと鳴いた。コタローは、《お帰り!堀田さん》と元気よく言ったのだ。
見覚えのある歩き方の主は堀田だった。堀田がぶら下げている透明のビニール袋からはドッグフードと1リットルサイズの牛乳パックが見え、その他に缶ビールとワンカップの酒が何本か入っていた。
《コタローが堀田といるとは驚きだ》
念を送るだけではなく、声に出して俺は言った。


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2012年8月30日木曜日

俺の名は勘九郎(93)

《本当ですか?その森に連れて行って下さい》
《森にねぐらがあるわけじゃなんだ》
《どこかの公園ですか?どこへでも行きます。キトさんのところまで案内して下さい》
《公園でもなくて、俺は今、鳥かごに住んでいるんだ》
《鳥かご!?》
《小型のサルも飼えるってのがウリの、ちょっとした広さだぜ》
《広さの問題っていうか、人間に飼われているカラスなんて初めて聞きました》
《ひょんなことから、そこに住むことになってな。まあ生き方いろいろってことだ》
《今度、連れて行ってくれませんか?どうしてもキトさんに会いたいんです》
《ネコに恋する仔犬ってとこか》
《そんなんじゃありません!ただ会って、いろんなことが出来るようになったぼくを見てもらいたいのです》
《冗談だよ。すぐ本気にするところは、やっぱり子どもだな。これから来たって構わないけど、キトも昼間はいないかもしれないな》
《ぼくもここの人に挨拶していきたいので、また今度にします》
《おいおい、連れて行っても一緒に住めるとは限らないぜ。あの狭いマンションにカラスと猫と、犬までは無理だろうな》
《いいえ、そういうつもりじゃないんです。ここにいると危険なので、ぼくはいずれ出なきゃいけないんです》
《それほど危険な公園には見えないけどな。きれいに整備されているじゃないか》
《それがいけないのです。人間はこの公園から汚いものを一掃しようとしているのです。野良犬もホームレスも、ここから追い出されそうです》
《そう言えば、最近、都会の公園じゃあ、人間に飼われた犬しかみたことがないな》
《ぼくらは、捕まったら保健所で殺されてしまいます。ぼくにも翼があったらいいのに》
《羽が生えたら、ハトにでもなることだな。真っ黒いと人間には嫌われるぜ。犬の方がよっぽど優遇されてると思うがね》
《飼い犬だけですよ。でもぼくは首輪をされたり、服を着せられたりなんて、まっぴらです》
《それが自然さ。鳥かごに住んでる俺が言うのもなんだがな》
《どうして…、えーと、そういえばまだ名前を聞いてませんでしたね。ぼくはコタローです》
《俺の名は勘九郎。よろしくな》



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2012年8月19日日曜日

俺の名は勘九郎(92)

《これは失礼しました。だが、あいにく、俺のしゃべり方は誰に対してもこうでね。お前が王様ライオンの息子だとしても同じさ》
《カラスの一族というのは、みなさん、そうなのですか!》
《まあ、そんなに突っかからないでくれよ。これは単に俺流だ。それにしても仔犬のうちからマタげるなんて、たいしたものじゃないか》
《ずいぶんと上から目線ですね。カラスが犬より偉いかのようです》
《その考え方は間違っているぜ。カラスと犬のどちらかが偉いなんてことはない。人間だって、草花だって、どの生きものだから偉いなんてことはないんだ。それに俺は、自分が偉いなんて思ったこともない。たまにしかな》
《共感しそうになって、損しました。それとも、てれ隠しですか》
《どっちでもいいさ。それにしても、しっかりしてるな。まだ子供だろ》
《独りで生きてると、いろいろ覚えなきゃいけないんです》
《飼い犬じゃなさそうだが、親もいないのか?》
《どこで生まれたのかは知りません。人間に飼われていたことはあります。シェットランドシープドッグだと思われていたうちは良かったのですが、血統証に偽りがあったとかで、1歳になる前に捨てられました》
《ふん、血統にしか興味のない最悪の人間だな》
《外にでたおかげで強くなれました。いっぱい勉強もしました》
《マタギも独りで覚えたのかい?》
《キトさんから教えてもらいました。キトさんというのは、この公園で知り合った猫です》
《キト?キジトラ模様のメス猫かい?》
《キトさんを知っているのですか?ぼくはもう、何カ月も会っていません。キトさんに、ぼくの成長を見てもらいたいなあ。でも、この公園には来なくなってしまいました》
《彼女なら俺のウチにいるぜ》



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2012年7月7日土曜日

俺の名は勘九郎(91)

十二
ヨウザンでポールの突貫工事が始まった春先のある日、俺は山崎の会社へは行かず、渋谷の上空を飛んでいた。宮下公園の片隅の、木と木の間で何かが光っていた。黄色と黒のトラシマ模様のロープに、針金のハンガーがぶら下がっていた。そいつを狙って、俺は急降下した。ハンガーを集めて小枝の代わりにし、巣を作っている仲間もいるほどで、人間が使う道具の中には、俺たちの生活に都合のいい建材がときどきある。二本の木を結ぶ古いトラロープには、薄汚れたタオルの他に、しっかりとしたナイロン生地のスーツケースも吊るされていた。ロープにたるみがないところを見ると、ケースの中にスーツは入っていないのかもしれない。嘴でハンガーを咥えてはみたものの、俺は目下、巣を作る必要がない。地上からキラリと光ったハンガーに遊び心を誘われただけで、それを咥えて家に帰るつもりはなかった。
ハンガーをポイと捨てると、キャンと小さな犬の泣き声が聞こえた。落ちた針金が、仔犬の鼻先にぶつかったようだが、謝るのも面倒くさかったので、俺は黙ってその場を去ろうとした。
《痛いじゃないですか!》
意外なことに、そいつは俺に強い念を送ってきた。
《おっと、すまなかった》
《もう少し丁寧に謝ってもらいたいですね。子供だと思ってバカにしないで下さい》
キャンキャンと鳴きながらしゃべっている声は、まだ黄色く甲高いものだったが、気丈なヤツであることは間違いないらしい。


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2012年6月24日日曜日

俺の名は勘九郎(90)

「今回の件はね、俺も悪いんだよ。プロが一度引き受けたら、責任を持たなきゃいけないんだ。山崎さんを悪者にして、一週間納期を遅らせてくれ、なんて言うのはアマチュアのやることですよ」
きょとんとする山崎を見ながら、尾藤が続けた。
「このところ、だいぶ忙しくってね。永野さんに送った図面が帰ってきてないことに、一度は気づいたんです。承認図が戻ってこなければ、督促して返してもらわなきゃいけないんですよ。『お客さんが返してくれないから仕方がない。その分、納期を遅らせてもらおう』なんて発想じゃ、プロとは言えませんよ」
《やっぱ、尾藤さんはすげえや》
山崎はそう思ったが、口では別なことを言った。
「そう言って頂くと本当に助かりますが、私にできることがあったら、なんでも手伝わせて下さい」
「人手が足りなくなったら、応援にきてもうらおうか」
朗らかに笑いながら尾藤は言った。しかし、やがて本当に山崎の手まで借りる事態になるとは、思いもよらなかった。


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2012年6月4日月曜日

俺の名は勘九郎(89)

作業員の時間が余ってくると、やることがなくて工場内のペンキ塗りを始めるそうだ。《忙しいんだな》と思ったとき、山崎の胸は再び締め付けられた。山崎はカバンを胸に抱えて下を向いてしまった。
「情けない顔してないで、お掛けなさいよ」
いつの間に現れたのか、尾藤に声をかけられて山崎はハッと顔を上げた。
「どうも、すいませんでした!」
山崎は反射的に謝っていた。尾藤は黙ったままパイプ椅子に座り、山崎にも座れ、と手で促した。腕組みした尾藤が何もしゃべらないので、仕方なく山崎は、神田を連れてきた日のことを話した。お客さんである神田の方にばかり気をとられ、永野から預かった図面のことをすっかり忘れてしまったことを正直に告白した。それが言い訳にもならないことは山崎にも分かっていたが、それ以外に話すことがなかった。

「永野さんから承認図を預かったとき、めんどくせえなあって思わなかったかい?」
いくぶん、責めるような調子で尾藤が口を開いた。
「思いました」
「責任が持てないなら、断れよ」
静かで低い声だったが強い口調で言われて、山崎は面食らった。すまないと思いながらも、ヨウザンに仕事をもたらしたのは自分だという甘えがあったのだ。
「と言いたいところだけど、お客様を張り倒すわけにもいかないか」
一転して、尾藤の顔は穏やかになっていた。だが、山崎がホッとして緊張を緩めたのを見ると、尾藤はすぐに険しい顔に戻った。
「安心したら忘れてしまいますよ、山崎さん。誰だって、余計な事を頼まれれば、面倒くさいと思うものです。だけど、一度引き受けたら自分の責任でケリをつけるのがプロなんです。ついでに頼まれただけの仕事だとしてもね」
それから少しの間、尾藤は遠くを見ているようだったが、山崎は真剣な目で尾藤に頷き返した。
「4月28日までに届けると約束したのは俺だ。納期は守らせてもらいますよ」
「ありがとう御座います。私のせいで一週間もロスさせてしまいました。本当に申し訳ありません」

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2012年5月26日土曜日

俺の名は勘九郎(88)

「まずいぞ、これ。尾藤さんのことだから、一週間納期を延長しろって、言ってくるぜ」 永野の額に深いしわが寄っていた。永野は、工業高校を卒業して浅野ソーラーに入社し、浅野にも可愛がられていた社員だ。浅野が死んだ年の4月に課長になった永野は五十に近づいていたが、若い社員とも気さくに会話し、山崎のことも時々酒に誘ったりしていた。
「すぐに届けてきます!」
「そうしてくれ。手元にある図面で、作業を始めるように電話しておく。納期のことも頼んでおくけど、山崎も行って、よくお願いするんだ」
「はい!」
少し震えた声で、山崎は返事した。厚木の工場では、ソーラーパネルの生産がフル回転で進んでいた。なんとか、5月の初めにポールとの組み立てができるというところまで、生産が追いついてきた。しかし、ポールの搬入が遅れたのでは、工場の努力が水の泡となってしまう。
小田原についた山崎はタクシーに乗って、ヨウザンへと急いだ。正門の脇にある受付で、尾藤の居場所を尋ねると、山崎は工場の建屋を案内された。工場の中には鉄板で仕切られた小さな打合せスペースがあって、真ん中に作業台を兼ねたスチールの机があった。「そちらにかけてお待ち下さい」と言って、山崎を案内した社員は去って行ったが、山崎はカバンの取っ手を両手で握り、立ったまま尾藤を待った。 天井の下を走るクレーンから太いパイプがぶら下がり、大きな警報音が工場全体に響いていた。鉄板を切断するためのガスバーナーの轟音やグラインダーという名の機具を使って、鋼鉄を削る音もしていた。工場の歩行通路は緑色に塗られているのだが、そこにはいくつもの作業靴の跡が残っていて、ペイントしてからかなりの期間が過ぎていることを物語っていた。
「整理整頓が出来てない工場は問題外だが、ペンキの色がいつも鮮やかな工場ってのも困りもんなんだ」 山崎は、研修中に聞いた尾藤の言葉を思いだしていた。
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2012年5月12日土曜日

俺の名は勘九郎(87)

浅野ソーラーとヨウザンの契約交渉が決着したのは、翌年の2月で、ちょうど浅野の一周忌の頃だった。 結局、尾藤は1円の値引きもしなかった。杉本だけでなく、田中もそれを聞いて、苦々しく思ったが、ヨウザンより安い見積を出した業者は他に一社しかなかった。実績のないその業者に仕事を任せることは出来ないと判断した田中は、尾藤の言い値で契約することを杉本に認めた。 たっぷりとあったはずの納期にも危険信号が出ていた。 「納期は、契約後3カ月の約束ですから、5月の中旬になります」 尾藤は、そこでも正論を主張した。 「ばかな。それじゃあ、うちで組み立てる時間がない。連休前には、納めて下さい。うちは、連休返上でやっても、ぎりぎりだ」 杉本は今度こそ、強硬に主張した。価格交渉で突っ張り過ぎたかもしれないと感じていた尾藤は、杉本の机に広げた工程表の向きをかえ、しばらくそれを睨めていた。 「分かりました。4月の28日にお届けしましょう」 尾藤は、短縮できそうな工程を皮算用して、杉本にそう約束した。 >
カバンの中に眠らせてしまった図面を発見して、山崎は「やっべえ!」と思わず声を上げた。山崎の机と向かい合わせに座っていた女子社員が、どうしたの?と驚いた顔で尋ねたが、山崎は答える前に席を立っていた。技術課長の永野の所へ飛んで行った山崎は「すいません、承認図、返し忘れてました」と失態を告白した。 図面の承認というのは、発注者が、業者の作った図面を承認する行為で、業者は承認された図面の内容に従って製作を開始する。 F市の神田がヨウザンの工場を見たいというので、尾藤のところへ連れていく前の日のことだった。案内役の山崎は「承認図を尾藤さんに渡してくれ」と永野から頼まれていたのだが、ヨウザンの工場につくと、承認図のことをすっかり忘れてしまった。それから一週間が経って、山崎はようやくカバンのポケットにしまってあった図面に気がついた。 >
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俺の名は勘九郎(86)

尾藤と杉本が何度やりあっても、議論は平行線だったが、時間が立つほど、焦りだしたのは、杉本の方だった。ヨウザンの他にも、金額の妥結しない交渉をいくつも抱え、杉本は技術部に突き上げられだした。 「金は後で決める事にして、先に走らせてくれ」 社長の田中にまで頼まれて、仕方なく杉本はいくつかの業者に打診した。 「足りない分は次の仕事で返すから、まずはこの仕事を始めてくれないか」 そんな風にして、プロジェクトはスタートしたのだが、頑なにそれを拒んだのが、尾藤だった。 「仕事が終わってから『払えません』と言われたら、どうしようもないじゃありませんか」 尾藤の言うことは正論だった。しかし、時は徒に過ぎていく。杉本は田中に「エナジルの上野社長からヨウザンに圧力をかけてもらえないでしょうか?」と頼んだ。田中はなにも考えず、杉本が言った事を上野にお願いした。 「そんなくだらないことに俺を使うな!」 田中の頭にカミナリが落ちた。 「ヨウザンだかなんだかしらんが、そこを使いたいと言ってきたのはお前たちじゃないか。てめえらで何とかしろ!それとこの仕事、絶対赤字にするなよ」 田中は余計なことを頼みに来てしまったと後悔した。
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2012年4月14日土曜日

俺の名は勘九郎(85)

プロジェクトが始まってしばらくすると、あちらこちらで、悲鳴が上がった。見積時の予算が厳しすぎて、想定した値段では物が買えないというのだ。中でも深刻だったのは、パネルを構成する主要部品のソーラーセルだった。黒くて細長いセルは、シリコンで出来ている。太陽光発電にブームの兆しがあり、シリコンの値段がじりじりと上がり始めていた。セルを作るメーカーは、シリコンの値上がりを理由に、見積金額を下げようとはしなかった。何度もセルを購入している調達の担当者は、最初の見積を10%はカットできると言って、技術部の担当者に金額を伝えていた。その金額からさらに一律一割の削減があったので、見積金額の81%でプロジェクト予算が組まれてしまったことになる。81円で買えると踏んだものが、100円でしか買えなければ、プロジェクトは赤字を抱えてしまう。同じようなことがあちこちで起こっていた。
「初めに言ったように、一円もまけられない金額なんです。それを一割も下げろと言われたのでは、仕事を請けられません」
調達課長の杉本に呼ばれた尾藤は、頑として値段を下げようとはしなかった。

「それなら、他の業者を使うしかありませんな」
細いフレームの眼鏡の奥に、苦しい胸の内を隠して、杉本は冷静を装った。
「その値段で出来るところがあるなら、仕方ありません」
尾藤の態度はけっして不遜なものではなかったが、動じる様子もなく席を立ち、踵を返して杉本の前から去っていった。尾藤の大きな背中に意地の悪い視線を投げつける杉本を見て、山崎はひやひやしていた。杉本が他の業者を使うと言いださないだろうか。「ダメなものはダメ」ときっぱり言ったときの尾藤の顔を思い出し、それが裏目に出なければいいと考えながらも、山崎にできることは何もなかった。


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2012年3月17日土曜日

俺の名は勘九郎(84)

調達課で集約した見積と自社の工場でかかる費用を合算してコストを作るのは技術部の仕事だが、技術課長は、最後に出来上がったコストを、一律で10%カットした。過去のデータから類推した村上製作所の想定価格を下回る予算を作るにはそうするしかなかったのだ。
猪俣はそれを入札金額にした。通常なら、技術部のコストに利益を上乗せして見積書を完成させるのだか、仕事をとることを優先したのだ。ギリギリと絞ったコストをさらにカットした数字にまったく利益を乗せず見積書は出来上がった。それでも、村上に勝てる保証はないというのが、上層部の認識だった。利益よりも受注の確保に走ったのは、上野が鬼に形相でグループ会社の社長たちに檄を飛ばしたからだ。エナジルはもちろん、傘下の会社は、利益度外視の受注戦略を立てた。それは戦略というよりは、玉砕覚悟の特攻だったが、天皇と呼ばれるようになっていた上野に忠告できる者はいなかった。徳原グループの総帥である綱川に対しては「エナジルは今年も受注を伸ばす」と豪語するだけで、それ以上の報告はしなかった。
F市の神田が「落札者は、浅野ソーラーさんです」と入札結果を発表したとき、山崎はパっと明るい表情になり、思い入れの深いプロジェクトを手に入れた喜びをかみしめた。と同時に、尾藤があの見積から金額を下げてくれるだろうか、という不安が頭をよぎった。しかしそれでもやはり、受注した喜びの方が遥かに大きかった。


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2012年3月4日日曜日

俺の名は勘九郎(83)

それから、1年後に徳原グループ入りした浅野ソーラーはヨウザンとの付き合いを打ち切らざるを得なくなった。
そしてさらに1年が経ち、山崎は、久しぶりに尾藤と対峙したのだ。
「ご無沙汰しております」
飲み干した麦茶が、すぐさま汗となって落ちてくる尾藤の額を見ながら、山崎は挨拶した。
「ずいぶんと、社会人らしくなりましたね。『しております』なんて、言われると調子が狂うなあ。2年前の山崎さんだったら『久しぶりっす』だったでしょう」
言われて、山崎は照れくさそうにほおを緩めた。尾藤が、ですます調でしゃべるので、こっちこそ調子が狂うと思った山崎だが、そんなものかなと思いながら本題に入った。
「山梨県のF市で大きなプロジェクトがあるんですけど、手伝ってもらえないでしょうか」
「もちろん、やらせてもらいます。久しぶりの浅野さんからの仕事だ。もう浮気されないようにね」
それから1週間で見積をまとめた尾藤は、初めからベストプライスを持ってきた。見積書の提出先は、調達課だったが、尾藤は調達課へ行く前に山崎のところへ寄った。
「これ以上は、1円も安くなりませんよ。」
真剣な尾藤の目を見て、本当にそうなのだろと山崎は思った。尾藤は、技術部の机が並ぶ島にも寄ってから、フロアの一番奥にある調達課長のところへ行った。山崎に言ったことと同じことを調達課長に宣言してから、尾藤は見積書を提出し、小田原へ帰っていった。


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2012年2月25日土曜日

俺の名は勘九郎(82)

「おーい、飯にしようや」
少し離れた所で別な作業していた尾藤から声をかけられたが、山崎は、「すいませーん」と大きな声を出し、手を振った。
歩み寄ってくる尾藤に「ほんの少し足りないんですけど」と山崎は、報告した。
「狙いすぎなんだよ」
とメーカーの姿勢に文句を言った尾藤は、すぐに自分で計測し直した。同じパイプの上下を調べると、管の下側の厚みがわずかに足りなかった。
「他は?」
「他のは大丈夫でした」
聞きながら、尾藤はいくつかのパイプを自分で調べていた。大丈夫そうだな、とつぶやくと「さっきのパイプは返品だ。念のために一緒入荷したやつは全品検査してくれ」と山崎に言った。そのパイプと一緒に運ばれてきたパイプは100本以上あり、抜き取りなら6本で済むはずだった。山崎は、舌打ちしたくなる気分を抑えて
「0.01ミリ足りないだけで、事故とかにつながるんですか?」
と、疑問を口にした。

「つながるね。そのパイプを使っても、実際には問題ないだろう。けど、一度、それをやると、品質に対する感覚が、マヒしていくんだ。少しくらいいいだろう、と思ったらすぐ流されるのが人間ってもんだよ」
「分かる気がします」
「山崎さん、今日、何時に事務所についた?」
尾藤の目が少し険しくなった。
「8時ちょうどです。低血圧っぽくって、朝、苦手なんです」
「初日は、何時に来た?」
尾藤の目つきはさらに厳しくなっていた。
「7時40分頃でした」
「なら、低血圧のせいじゃないだろう。遅刻したわけじゃないから、文句は言わないけど、あと5分寝てても大丈夫だって、毎朝思ってないかい?」
「すいません」
「うるさいオヤジで悪いけど、これもあんたのためだ。それと、正直言えば、うちのためでもある。浅野さんの社員に、ヨウザンを分かってもらいたいからな」
「正直言うと、うちの蔵島にも言われたことがあります」
「あの人なら、ちゃんと教えてくれるだろうな」
「やっぱ、そいう感じですか?」
「蔵島さんは、うちのこともパートナーとして扱ってくれる人だよ。一緒に仕事してて気持ちのいい人だね。だけど、山崎さん、同じことを3度言われたらアウトだぞ。遅刻だけの問題じゃない。安きに流されるなってことさ」
「ハイ」
山崎は、反省しながら返事した。
一台の軽トラックが、寸法の足りない一本のパイプを載せて、ヨウザンの工場を後にした。
「ダメなものはダメ。たった一本でも、0.01ミリでもな」
尾藤の言葉を思い出しながら、山崎は白いトラックを見送った。


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2012年2月5日日曜日

俺の名は勘九郎(81)

「寸法公差ってのがあるからな。正規の数値から外れても、決められた範囲なら問題ないんだよ」
「誤差みたいなもんすか?」
「まあそうなんだが、誤差じゃなくて公差だ。公に認められている『差』ってことだ。誤差って言うと、正規品じゃないみたいだろ。浅野さんだって、誤差なんて言葉は使わないはずだよ」
「なんか、習ったような気がします」
「しっかり、覚えていってくれよ。新人さん」
山崎は再び検査台に向かい、計測作業を続けた。
額から流れる汗を、首に巻いたタオルで拭いていると、後ろから生姜のタレで焼かれた肉の匂いが、ふんわりと漂ってきて、口の中に唾液が広がった。通りを挟んだ向かいには、小さな公園があって、少し前に幼い女の子が母親とブランコで遊んでるのが見えた。その親子が木製のベンチの上で弁当を広げ、そこから流れてくる匂いが、元々少ない山崎の集中力を完全に奪い去った。
《あと二本も測れば、昼休みだ》
そんなことを考えながらマイクロメーターのメモリを読むと6.90ミリしか厚みのないパイプがあった。本来の管厚は7.9ミリだから、正規の厚さよりだいぶ薄いのだが、公差でマイナス12.5%までは正規品として認められている。つまり、管の厚さが6.9125ミリまでは正規品となるわけで、一本のパイプが、同じ値段で売れるなら、公差の範囲で極力薄いパイプを作った方が、メーカーとしてはコストを抑えることが出来る。技術力の高いメーカーは、当然、公差の下限値を狙ってパイプをつくるため、6.92や6.93という厚さのパイプも珍しくないのだが、山崎がいくら目をこらしても、6.90としかメモリを読むことができなかった。
《6.92と書いてしまうおうか》
手元の検査表を睨みながら、一瞬そんな風に考えた。めんどくせえなあと思ってしまったからだが、それよりも《ここに6.92と書いたら、問題が起こるのだろうか》という疑問の方が強かった。このパイプが街路灯のポールに利用された場合、それによって生じる問題は何なのだろう、山崎はそれを考えた。


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2012年1月9日月曜日

俺の名は勘九郎(80)

「せっかく、研修に来てもらったんだ。ビシビシ鍛えてやるから、覚悟しておくように」
「ひょっとして、代理店から派遣された研修社員だと思ってます?」
「その通り、ってのは冗談だが、しっかり教育して、立派な神様になってもらうよ。うちにいる間は、おれの部下だ。お客様扱いもしないから、覚悟しとけよ」
「ハイ!」
山崎と野々村は、声をそろえた。
「うちの理念と厳しさを知ってもらえば、長く付き合う価値のある会社だと分かってもらえるってことさ」
3日間の座学で、ヨウザンの製品やものづくりの工程を学ぶと、4日目には、工場の安全規則を読まされ、現場で作業する際の安全衛生に関する知識も詰め込まれた。そして5日目から、山崎と野々村は、別々の作業場に配置され、実務に携わることになった。
山崎が連れていかれたのは、ストック・ヤードと呼ばれる部材の受け渡し現場で、パイプや付属の部材などが頻繁に出入りする場所だった。研修ではあったが、山崎に与えられた仕事は、ヨウザンの社員が実際に行っているものと同じで、現場に出て最初の日は、尾藤がとなりについてくれた。外部から搬入される部材は、数が正確にそろっているかを確認する必要があった。また、それらの材料が適切な大きさや形であるかを確認するのもストック・ヤードでの仕事だ。受け入れ検査と呼ばれるその確認作業は、入庫数量の20分の1を抜き取って、実際に寸法を測定する仕事だ。パイプの長さをメジャーで測り、肉厚とよばれる管の厚さは、マイクロメーターという名の特殊な工具で計測した。鉄工問屋から運ばれてくるパイプには、納品書と検査表がついていて、検査表には、一本一本の寸法が記載されていた。
「同じパイプでも、微妙にサイズが違うんですね」
山崎は、ベテランの船越という社員に話しかけた。


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