2008年12月12日金曜日

いきている言葉

心理学の本に「イド」「エゴ」「スーパーエゴ」という言葉がありました。精神分析学者のフロイトが心の構造を表現するために使った言葉です。
イ ド :本能的欲望や原始的衝動の集まりで、快感や欲求充足を求める強いエネルギーの塊。
エゴ(自我) : イドの衝動性をコントロールするもの。正気を保ち知恵を働かせること。
スーパーエゴ(超自我):道徳的良心。
3つを簡単にまとめるとこのように書いてあります。
イドという言葉になじみはありませんでしたが、イドとエゴを反対に理解していたようです。
「スーパーエゴ」は、「ものすごく身勝手な人」だと思いこんでいました。

ところで、「エゴイスト」を辞書で調べると、「利己主義者」と書いてあります。この認識は間違っていなかったようです。「スーパーエゴ」を調べると、「フロイトが用いた言葉で道徳的良心」とあります。
「スーパーエゴイスト」は、辞書には載っていませんでした。そんな言葉はなかったのでしょう。

イドとエゴがどこかで反対の意味に使用され、エゴイスト=利己主義者として広まったのかもしれません。
誤用が広がり慣用的に使用されると、やがて一般的な言葉になります。自分は正しい用法を使い続けているのに、誤用が普及して一般化されていくと不機嫌な気持ちになることがあります。「言葉は変態する生もの」だと思っているので、柔軟に対応すべきだと考えています。それでも、書き言葉としての「ら」抜き言葉は許せん、などと思っているぼくはやっぱり「旧守派」なのかもしれません。

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