2009年4月29日水曜日

世界卓球2009横浜

青森山田中の3年生・丹羽孝希(ニワ コウキ)選手が、横浜で行われている世界卓球選手権の本戦出場を決めました。世界ランク426位の丹羽選手が、予選で4連勝して32人の本戦出場枠に残ったことは快挙といえます。予選免除の選手が96人いるので、明日から128名の選手がトップを目指して試合に臨みます。

北海道・苫小牧市出身の丹羽選手は、名門と言われる青森山田中で指導を受け、めきめきと力をつけたそうです。才能を認められた選手が、優秀な指導者の下でトレーニングを積み、努力が結果につながっているのでしょう。
小学生の段階で素質を買われた野球選手が出身地以外の都道府県に進むと、「野球留学の低年齢化」と批判されるケースがあります。2007年に「特待生問題」に取り組んだ日本高校野球連盟も、「特待生は、1学年5人まで」などとするガイドラインを発表し、全面的には特待生制度を支持していません。これは、甲子園大会の盛り上がりが「郷土愛」によって成り立っているからでしょう。青森県の代表が全員関西弁をしゃべっていたのでは、「郷土愛」は冷めてしまいます。
一方、オリンピックや世界選手権などで活躍した選手やチームだけが注目される競技では、選手が中学や高校時代に有名な指導者を求めてどこへ行っても批判されることはありません。テニスの錦織圭選手は、14歳で渡米しています。この場合の「郷土愛」は、日本という郷土があればいいのであって、出身の都道府県がどこかということは、ほとんど気になりません。
日本中が注目するハイスクール世界野球選手権のような大会があったなら、エリート育成のための野球留学がもっと盛んに行われるかもしれません。

世界卓球の観戦予習をしていたのですが、いつもと同じような発想のブログになってしまいました。

2009年4月27日月曜日

自殺行為か延命か

TBSの情報番組が「国と地方の二重行政の無駄」を報じましたが、のちに国から「事実誤認」と指摘され、「誤解を与えかねない表現」として謝罪しました。
大阪府の委託をうける清掃業者は、国道と府道(大阪)がぶつかる交差点では、国道部分になると清掃車がブラシを上げて通過し、再び府の道路に戻るとブラシを下ろすという非効率的な作業を行っている、と番組で報道したそうです。実は、TBSがそのように作業するよう業者に依頼していたことが判明し、謝罪に至ったのですが、TBSの広報部は「国が管轄する道路では、本来ブラシをあげるものだと思い込み、業者に依頼した。勘違いであり、やらせではない」と説明しているそうです。
以上は読売新聞の記事を元に書いています。

ぼくはその報道番組をみたわけではありませんが、「二重行政の無駄を報じるために、やむを得ない演出だったのだろう」とは思えません。むしろ、「やらせではない」とする理由を「勘違い」としているところにある意味感心してしまいます。
番組の制作者が、交差点ではブラシを上げるものだと思い込んでしまった。「そう思い込んでしまったことが嘘である」と証明されると誰かが責任を取ることになりますが、他人の思い込みを否定する作業は困難です。
桜の枝を切ったのは私ですと正直に話し、父親にほめられたワシントン大統領のエピソードは有名ですが、社会的に問題になったことを正直に白状すると「おとがめなし」で済むケースはめったにありません。従って、反証が難しい「記憶にございません」や「勘違いでした」がまかり通って、やがてその出来事が忘れられてしまうことも多々あります。
一時的にはうまく延命できたことになるのでしょうが、不信が募れば結果的にそのメディアが衰退することにもつながり自殺行為ともいえます。

速報性や視覚的な刺激の少ない活字メディアが生き残っている理由は、信頼性や真理の探究精神にあるのではないでしょうか。
新聞にも誤報や「やらせ」的な脚色もたくさんあると思いますが、インターネットやテレビと比較すると、信頼性の高いメディアだと感じているので、ぼくは毎日、新聞を読んでいます。
本や雑誌にも、扇情的で興味本位のものがたくさんありますが、自分に必要な内容を選択して読んでいます。

ぼくの書いているものも、誰かに必要なものになったらいいなあ と思いつつ、現在修業中。

2009年4月25日土曜日

偽善人でいこう!

“ 「クン」をつけずにはいられない清潔感と温かい人柄がにおう人 ” 読売新聞の「編集手帳」では、SMAPの草なぎ「クン」をそう評しています。

草なぎ クン が主演していた「いいひと。」というドラマがありました。ドラマはほとんど見ませんでしたが、原作のマンガはよく読んでいました。もう10年以上前のことです。主人公の「ゆーじ」という青年の行動基準は、「自分のまわりにいる人に幸せになってもらいたい」というもので、それを実践する本当に “いいひと” でした。いい人がいい事をするだけのつまらない話でなく、人間の本質を考えさせるようなマンガだったから、好評で長く連載されたように記憶しています。

20代だったぼくは、マンガの主人公のように生きられたらいいのだろうけど、現実の人間が全く同じように行動したら「偽善者」といわれてしまうのだろうな、と考えていました。
「 『いいひと』 宣言する必要はないけれど、心ひそかにいい人でいよう」とか、
「結局、それだって、他人からいい人っぽく見られたいだけの偽善なんだよな」など
若いなりの悩みをもったものでした。そして、「偽善でも、なにもしないよりマシ。でも“偽善者”は響きが悪いから、“偽善人”でいこう」と考えました。
結果として日々善行に励むことができた・・・、わけではなく、毎日普通に暮らしてきました。
考えてみると「偽善人でいこう」と高らかに宣言すること自体、予防線を張っているようでかなり偽善的な行為です。

昨年亡くなった永井陽之助という政治学者は、「政治というものは、『悪徳』よりも『偽善』が優越する不正儀の秩序である」と言ったそうです。
心の問題として考えるより、社会秩序の問題として割り切った方が、実践しやすいのかもしれません。

さて、「いいひと。」の主人公のイメージとぴったりだった草なぎ クン 。20年以上「いいひとカラー」の服を着ることを義務づけられていたのかもしれません。仙人でもなければ完璧な善人ではいられないのですから、たまには脱いじゃってもいいんじゃない。

2009年4月23日木曜日

イチロー と 琢朗

もしも・・・
メジャーリーグ新記録の9年連続200本安打達成にあと1本とせまったイチロー選手が、10試合連続無安打のスランプに陥った状態で、マリナーズがワールドシリーズ進出をかけた最終戦に臨むということになったら・・・

日本のファンは、イチローを出せというでしょう。マリナーズのファンは、別な選手を使えというかもしれません。
日本人がMLBの記録保持者になるのはいやだから、イチローを出すなというアメリカ人は少ないような気がします。
一方、同じような状況でNPBの記録を韓国選手が塗り替えつつあったら、その選手を使うなという声が大きくなりそうです。

仮定の話を感覚的に論じても意味がありませんが、ひさしぶりにプロ野球のナイトゲームを観戦して思いました。
横浜ベイスターズで20年間活躍した石井琢朗選手は、今年から広島カープに在籍しています。今シーズン、カープが横浜スタジアムでゲームするのは昨日が初めてでした。
3-3の同点、ツーアウト・2、3塁の横浜のピンチの場面で、「代打 石井琢朗」が告げられました。個人的には「琢朗ファン度」>「横浜ファン度」なので、ぼくの中ではこの場面、石井選手の応援です。広島ファンが石井選手の応援テーマを演奏すると、ベイスターズファンまでが「かっとばせー タクロー!」と大声援を送っているのに驚きました。もちろん、「冗談じゃねーよ」と怒っているファンもいるのですが、タクローへの声援が圧倒的であることに、なぜか嬉しくなってしまいます。結果的に、その場面で石井選手は凡退しましたが、ゲームは横浜が破れました。
「チームにつく」か「人につく」かで、ゲームの楽しみ方がまったく違うのだなあと感じながら帰途についたのですが、メジャーリーグの情報を気にするとき、まったく「チームについていない」ということを再認識しました。

2009年4月22日水曜日

世襲できる職業

読売新聞の記事によると、自民党の選挙公約に「世襲制限」を盛り込むべきか党内でも賛否両論があり、森法務大臣は、閣議後の記者会見で「大正13年(1924年)から、ずっと私の一族で議席を頂いてきた」と発言したそうです。
「職業野球リーグが始まった1936年から、ずっと私の一族でレギュラーの座を頂いてきた」というプロ野球一家はいません。

世襲的な職業とそうでない職業を思いつくまま書いてみます。
○親子が同じ職業につきやすいグループ(世襲組)
歌舞伎・落語・政治家・医者・老舗商店の経営者など
○親子で同じ職業につくことがめずらしいグループ(非世襲組)
プロ野球やJリーグなどのプロスポーツ選手・映画監督・弁護士・小説家など

顧客を獲得するために看板(人気・ブランド・安心感)の重要度が高い職業が、世襲組には多いようです。一方、非世襲組は、実力が先にあって、あとから人気がでるタイプの職業ではないでしょうか。
どんな職業にもプロとしてお客さんを満足させるための合格ラインというものがあります。
世襲組の仕事は、親の教育と本人の努力や情熱である程度なんとかなりそうな仕事、非世襲組はそれだけではどうにもならない仕事と言えそうです。

さて、世襲批判の根底には、「楽しておいしい仕事についている」というやっかみがあるような気もします。
看板にあぐらをかいているのか、必死で働らいているのか。 選挙の場合は、それを判断基準の一つにしてみます。

2009年4月20日月曜日

大道芸

「大道芸」は横浜の春の風物詩のひとつになっているようです。桜木町近くの野毛地区では昔から盛んだったようですが、最近では、伊勢佐木町やみなとみらい地区でもたくさんの大道芸をみかけます。
読売新聞の地域面によると、「みなとみらい21大道芸」には世界各国から、52組210人の大道芸人があつまり、一日で64万人が見物したそうです。昨日、みなとみらい地区に行きましたが、いろいろなところで多彩な芸が繰り広げられていました。軽妙なトークで見物人を楽しませるマジシャンのところには、あっというまに人だかりができます。植木鉢のような容器を空中にいくつも放り投げ、頭のてっぺんで次々にキャッチしていくおじさんは、上半身はだかで胸に紅葉マークを付けていました。老齢ではないと思いますが、かなりのベテランのようです。

黄色いシャツの下に真っ赤なパンツをはいた青年の自転車曲乗り芸が終わると、右の眼に眼帯をした、車いすのおばあさんが真っ先に男性に近寄り、青年が用意していた箱にチップを入れました。両親に小銭を渡してもらった子供たちがそれに続き、ひとときの芸を楽しんだ見物人が「お代」を箱に入れて、その場所を去っていきます。
小一時間して同じ場を歩いていると、先ほどの自転車芸人と車いすのおばあさんが何やら会話していました。遠目からみただけなので、どんな話をしているのかは分かりません。
春の暖かな日差しに誘われて街にでた薄幸のおばあさんが、自転車芸でひとときのなぐさみを与えてくれた若者に、わずかな金額のお礼を箱に入れた。
という勝手な想像が、「サクラだったの?」という疑念に変わります。余計なシーンを見てしまったような気がして、その場を通り過ぎました。
それからしばらくして、ショッピングモールの中のおもちゃ屋で、再び車いすのおばあさんとすれ違いました。孫と一緒に来ているようでした。「サクラじゃなかったんだ。よかった」という心理になります。そして今度は、「あーなんで、おれって、すぐにうがった見方をしてしまうのだろう」とまたまた考えてしまいます。

快晴でさわやかな日曜日なのに、自分だけ晴れたり曇ったりの一日でした。

2009年4月17日金曜日

27番に気をつけろ!

イチロー選手が日米通算で3085本のヒットを放ち、張本氏の記録に並びました。ものすごい記録です。しかし、イチロー選手には申し訳ないのですが、彼のスゴサになれてしまい、日本人が持つ記録を更新しても当り前のように感じてしまいます。
「ルーチンワーク」とは、「きまりきった作業」や「日々繰り返される当たり前の作業」と訳されますが、イチロー選手が、念入りな準備をルーチン化して試合の結果に結びつけていることは有名です。イチロー選手にとっては、準備もゲームも同じルーチンであり、どちらの重要性も同じであることを理解して、行動しているのだろうと思います。
さて、昨日のイチロー選手は42番を背中につけていました。メジャーリーグ最初の黒人プレーヤー・ジャッキー=ロビンソン選手がデビューした日を記念して、昨日はメジャーリーガー全員が42番をつけて試合に臨んだそうです。
野球でもサッカーでも、プロの最高レベルでは、機能としての背番号にあまり意味がないのかもしれません。オリックスのローズ選手がバッターボックスに立てば、ピッチャーはホームランを警戒し、ジェフの巻選手がゴール前に迫れば、ディフェンダーはヘディングに注意します。
一方サッカーの試合でお互いが対戦相手を知らない場合、背番号がないとちょっと困ることになります。
「7番のドリブル突破に注意しろ」や「10番はロングシュートを打ってくるから、中盤でもフリーでボールを持たせるな」などゲームの途中で、プレーヤーが共通認識を持つためには背番号が必要です。野球の場合、6番バッターとか3塁手など背番号がなくても認識できるので、全員が42番をつけても成り立つスポーツかもしれません。

ぼくは、フライングディスク(フリスビー)を使ったチーム・スポーツをやっていて、背番号は27番をつけています。ある日の試合で、ぼくのマークについたディフェンスの選手が、彼のチームメイトに言いました。
「おれ、27番につきたくねーよ」
どうやら警戒されてしまったようです。

彼は続けて言いました。
「あいつ、酒くせー」

二日酔いで試合に出てはいけません。

2009年4月15日水曜日

武士道とカウボーイ道?

5-15と大敗しているゲームで、ニューヨーク・ヤンキースのスウィッシャー一塁手が8回裏からメジャーで初めてのマウンドに上がったというニュースがありました。高校以来の登板だったというスウィッシャー選手は、1イニングを無失点に抑えたそうです。アメリカでどう受けとめられているのか分かりませんが、日本のプロ野球の監督が同じことをすると物議を醸しそうです。
エンターテイメントの中のファンサービス、対戦相手に対して失礼な行為、試合放棄に等しい敗退行為など、賛否両論あるでしょう。

日本の高校野球の試合で、122-0という試合があり話題になったことがありました。10年以上前の夏の甲子園大会につながる青森県予選でのことです。大量リードを奪われたチームの監督は、ゲームを続けるか試合を放棄する(没収試合となり公式記録には残らない)か、部員の意思を確認したところ、一人の部員だけが最後までやりたいと応えたそうです。そして、両方のチームが全力で戦った結果が122-0という得点差になりました。

メジャーリーグには、「書かれざるルール」と呼ばれる暗黙の了解事項があります。大量リードをしているチームは盗塁をしないとか、ホームランを打った選手はガッツポーズをしないなど、相手を侮辱する行為をしないことだそうです。
どれだけ点差がついても全力を尽くすことが相手を尊敬することなのか、戦意喪失したチームを必要以上に傷つけないことが尊敬なのか。日本とアメリカの文化の違いなのかもしれません。
戦争で捕虜になったアメリカ兵は、降参しているのだから、それなりの待遇で適切に扱われることを当然と考えたそうです。投降したら命を取られることまで覚悟するかつての日本人的感覚とは違うのでしょう。

「リスペクト」だけの問題なら、一塁手がマウンドに上がることは理解できません。もっともイチローがマウンドに上がるシーンを見てみたいというファン心理は別にありますが。

2009年4月11日土曜日

横浜

ぼくが現在横浜市民であることと、横浜ベイスターズファンであることに関連性はありません。ぼくのベイスターズファン歴は、横浜市民歴よりも圧倒的に長く、ベイスターズのファンだから、横浜市に移住してきたわけでもありません。また、ここ数年ベイスターズファンとしての熱狂度は低下しています。しかし、長年の習性から、生活の中で聞こえてくるベイスターズネタには自然と反応してしまいます。

「三浦と寺原で11勝33敗はいけると思うんですよね。その他のピッチャーで、10勝90敗。もう少し勝つとしても、よくて30勝114敗ですね」
ファンのつらい声を、電車の中で耳にしました。

ペナントレースは年間144試合なので、そういう計算もあるかもしれません。現在のところ、三浦投手で1勝、その他の投手で7敗。このペースだと年間・・・。

かなりの上乗せがないと、年間30勝に到達しません。

2009年4月9日木曜日

就業規則改定のお知らせ

当社の就業規則を以下の通り改定しましたので、お知らせいたします。

1.就業時間 ; 8:30~18:15(平日の超過労働時間は、これをもとに算出。目標時間は従来通り)
2.一か月のトレーニング目標 ; 22日以上/月 (運動のメニューは従来通り)
3.アルコールの摂取単位 ; 上限45単位 /月 (複数の健康管理指標を参照し、現実に鑑み上限単位を緩和)

???
個人事業者なので、就業規則はありませんが自分なりのルールです。
個人事業者なので、体が資本。というわけで、健康管理もルールに明記しています。
個人事業者なので、ルールから逸脱しても誰にも文句は言われません。
ただし、ブログに書くことで少しだけ強制力が強まるような気がするので、書いてみました。

この他にもいくつかのルールを作ってあります。自分との契約に違反のない月は、アウトプットのボリュームが増えます。
「能力 × 時間 × やる気 = 仕事量」 のうち、ルールを守ると「時間」と「やる気」の要素がアップするようです。
あとは能力・・・か。

2009年4月8日水曜日

松井秀と秀喜

MLBが開幕しました。ヤンキースの松井秀選手が開幕戦でホームランを打ち、長嶋茂雄氏のホームラン記録を超えました。読売新聞のスポーツ面は、「秀喜 『まだ通過点』」という見出しです。アストロズの松井稼選手と区別するために、読売新聞では松井秀喜選手を表記する際に、松井秀と秀喜の両方を使っています。朝日新聞では、「秀喜」はなかったような気がします。
新聞では、スポーツ選手の愛称が見出しに使われることが時々あります。「イチロー」のような登録名の場合は別ですが、事実を伝える報道記事の本文に愛称が使われることはありません。
「楽天のマー君は7回3分の1を投げて、被安打3、1失点と好投した」では違和感があります。
事実は確かなもの → 確かなものは固いもの → 「田中」と「マー君」では「田中」の方が固いから報道記事では「田中」を使いましょう
という理由かどうかは分かりませんが、現役選手に敬称はつけず、引退後は「氏」や「さん」をつけるなど、報道記事にはルールがあるようです。
ところで、秀喜です。世代的に「ヒデキ」と言われるとすぐに「カンゲキ」してしまうのですが、読売新聞が松井選手を「秀喜」と表現すると、「本当はジャイアンツの松井だけど、ヤンキースに貸出してるだけなんですよー」と言いたい気持ちがあるのかな、と勘繰ってしまいます。もちろんジャイアンツ出身の選手に親しみをこめて「秀喜」と呼んでいるだけだと思いますが。
卓球の「愛ちゃん」、ゴルフの「さくら」・「遼くん」など、愛称には親しみがこもっていますが、なんとなく「みんなのもの」感があるときに使っているようです。「うちの○○ちゃん」という意識。
主観ですが、楽天の田中選手は、「マー君」度が下がっています。いつまでも、「マー君」じゃないだろうという感じ。ところが、野村監督が、「今日はマー君に尽きる」とコメントしても違和感がありません。
たぶん、野村監督にとっては、まだまだ、うちの「マー君」なのでしょう。

2009年4月6日月曜日

心境のヘンゲ

昨日、近所の公園をジョギングしていたら、満開の桜の中に一本だけ、紫に近い濃い桃色の花をつけている木がありました。たくさんの桜が連なる中で、遠目にみてもその木だけひときわ濃いピンクの花をつけていたので、立ちどまって眺めるとやはりソメイヨシノの木ではありません。
Yの字に分岐した太い幹から、真横に伸びた枝の先に濃い桃色の花が咲いています。同じ一本の木の別な枝には白い花がついていて、また別な枝にはうす桃色の花もあります。その樹木につけられたプレートには、「ゲンヘモモ」と書かれていました。花の色がヘンゲするモモかと思いましたが、ヘンゲモモではなくゲンへモモ。
桜の木の中に一本だけ混じった変わり種を見つけて、今年の花見は終了です。自宅に戻り辞書やパソコンで調べても「ゲンヘモモ」はありません。「ヘンゲモモ」もありませんでした。植物にもキメラ種があり、ひとつの木に複数の色の花を咲かせるものもあるそうです。植物のキメラは、接ぎ木によって作られるものと、体細胞の突然変異によって生じるものがあるとか。

これまでの人生、ジョギング中に花や木々をみて立ちどまることはなかったのですが、年を重ねると心境も変化するのかもしれません。

そういえば、あと1年で41歳の春です。これでいいのか。

2009年4月4日土曜日

カズと北澤

読売新聞に「北澤流Jリーグの楽しみ方」というタイトルの企画広告がありました。
最初の見出しに “J1、J2は順位なら1位から36位ということ” とあります。

Jリーグ関連のニュースには、試合結果の他に「カズ最年長ゴール記録を更新」など、J2での記録が取り上げられることもあります。J1とJ2がプロ野球の1軍、2軍とは全く違うシステムであることは理解していながらも、J1で達成した記録とJ2で達成した記録に「スゴさ」の違いを微妙に感じることがありました。たとえば、横浜ベイスターズの工藤投手が「イースタンリーグでの最年長勝利投手記録を更新しました」と言われても、あまりすごいとは感じられません。

Jリーグのキャリアサポートセンターによると、選手が現役を引退するときの平均年齢は26歳だそうです。40歳を過ぎて、ゴールを決めるカズのスゴさは十分に分かっていたつもりですが、Jリーグトータルで28位の「横浜FC」に所属するカズが決めたゴール、と考えると、そこはかとなく自分の中に漂っていた“2軍感”が消えました。なんとなくすっきり。

それでも、同世代の横浜市民としては、J1に復帰した横浜FCでのカズのゴールシーンを、やっぱり見てみたい。

2009年4月2日木曜日

迷宮入り?

阿刀田 高 氏の短編小説 『修善寺にて』(文藝春秋 ・ 『ストーリーの迷宮』に収録)を読みました。
この短編の主人公である「わたし」は、志賀直哉の『城の崎にて』を読んで疑問を抱きます。
『城の崎にて』は、山手線事故で九死に一生を得た志賀直哉が、温泉養生に行ったときに目撃した内容から生まれた小説です。城崎で志賀は、蜂の死体を見たあとに川で溺れる鼠を目撃します。そして、少し自分と離れたところにいたイモリを脅かしてやろうと石を投げると、命中して死んでしまった。そこに着想を得た志賀は、小説の中で死生観を語ります。
『修善寺にて』の主人公は、「ハチ → ネズミ → イモリの死が偶然に続くなんて、志賀先生、話を作っていますね。」と疑います。ほんとに見たんですか?がキーとなって物語は続きます。

そして最近読んだコラムを思い出しました。それは道ばたでお金を拾った経験について、筆者が心情をつづったコラムです。概要は、
・コラムの筆者は2度お金を拾った経験がある。
・50万円が入っているバッグを拾ったときは、もちろんすぐに交番に届けた。後日、落とし主のすし店主から「仕入のお金で、なくしたら大変なところでした」とお礼の電話があった。
・2度目は、2千円札を一枚拾った。面倒臭いという思いが先にたって、届けるべきか悩んだ。
純粋な道徳的観念よりも、ネコババしてもろくなことにならないという小市民的悲観が心の中にあった。 この「2千円問題」をはやく解決してしまおうと思って、交番へ急いだ。
というものです。

このコラムを読んだとき、いろいろなことを考えました。
ぼくは1000円札を拾って届けなかったことがあります。忙しいときに拾ってしまい、交番に届ける時間がありませんでした。「拾わなきゃよかったなー、めんどくさい」と思いつつも、こんどその場所に行ったときに交番に届けようという意思がありました。やがて、お金を拾ったことを忘れてしまいました。もう何年も前の経験です。が、結果的にネコババになっちゃったなーという嫌な思いが残り、ときどきチクっと痛みのようなものを感じます。ちょうど、前述のようなコラムを読んだときなど。
ネコババは、刑法254条の遺失物横領の罪にあたります。刑法の罪には原則として「故意」が必要です。拾ったときは届けるつもりだったので、その時は「故意」ではありません。長い時間が経過して、「いまさら届けても仕方ない。」と思ったとき、そこで罪として成立するはずです。たぶん。
たとえば10年前にお金を拾って、「後で届けようと思ったけどそのままになってしまったなあ」と、昨日読んだコラムで思し出したという場合はどうなるのだろう?
刑法なので公訴時効があるけれど、基準となる時期は拾ったときなのか、届ける意思を捨てたときなのか?
などと長考してしまいました。

そこへ『修善寺にて』の物語です。
「50万円もの大金を拾った経験のある人が、次に2千円札を拾った。自分の心の『2千円問題 』にけりをつけるために交番に急いだ」
出来すぎてるなー。作った話だとしたら、ずいぶんと 罪 つくり。

2009年4月1日水曜日

熱狂度

ビデオリサーチが発表する視聴率によると、WBCの決勝戦(日本 対 韓国)は平日昼間にも関わらず36.4%で、サッカーW杯アジア地区最終予選(日本 対 バーレーン)は、土曜の夜でしたが19.4%でした。
19.4 ÷ 36.4=0.5329 ということで、WBC決勝戦の熱狂度を100%とすると、W杯予選は53%ということになります。 そんな感じでした、ぼくの中でも。
個人的な熱狂度とテレビの視聴率に相関関係あると、なんとなく安心してしまいます。
個人の感覚と世間の感覚にずれがなかったことに安堵するわけですが、世間の感覚が視聴率に表れるものなのかは不明です。
「視聴率とは、わずか600世帯の視聴動向を調べて、それが日本全体を代表しているかのような・・・」
という議論もあるようですが、目安なので目くじらをたてないようにしています。

そんなわけで、ぼくのバーレーン戦に対する熱狂度は53%でした。W杯本戦に出場できる国や地域が32チームに増えてから、日本も本戦に出て当たり前のような雰囲気があります。しかし、ホームだった日韓大会を除くと、なかなか本戦で勝てないということは、世界の中での位置づけは、アメリカ大会に出場できなかった頃と変わらないのかもしれません。
「世界をあっと言わせたい」という岡田ジャパンに期待しましょう。