2009年4月27日月曜日

自殺行為か延命か

TBSの情報番組が「国と地方の二重行政の無駄」を報じましたが、のちに国から「事実誤認」と指摘され、「誤解を与えかねない表現」として謝罪しました。
大阪府の委託をうける清掃業者は、国道と府道(大阪)がぶつかる交差点では、国道部分になると清掃車がブラシを上げて通過し、再び府の道路に戻るとブラシを下ろすという非効率的な作業を行っている、と番組で報道したそうです。実は、TBSがそのように作業するよう業者に依頼していたことが判明し、謝罪に至ったのですが、TBSの広報部は「国が管轄する道路では、本来ブラシをあげるものだと思い込み、業者に依頼した。勘違いであり、やらせではない」と説明しているそうです。
以上は読売新聞の記事を元に書いています。

ぼくはその報道番組をみたわけではありませんが、「二重行政の無駄を報じるために、やむを得ない演出だったのだろう」とは思えません。むしろ、「やらせではない」とする理由を「勘違い」としているところにある意味感心してしまいます。
番組の制作者が、交差点ではブラシを上げるものだと思い込んでしまった。「そう思い込んでしまったことが嘘である」と証明されると誰かが責任を取ることになりますが、他人の思い込みを否定する作業は困難です。
桜の枝を切ったのは私ですと正直に話し、父親にほめられたワシントン大統領のエピソードは有名ですが、社会的に問題になったことを正直に白状すると「おとがめなし」で済むケースはめったにありません。従って、反証が難しい「記憶にございません」や「勘違いでした」がまかり通って、やがてその出来事が忘れられてしまうことも多々あります。
一時的にはうまく延命できたことになるのでしょうが、不信が募れば結果的にそのメディアが衰退することにもつながり自殺行為ともいえます。

速報性や視覚的な刺激の少ない活字メディアが生き残っている理由は、信頼性や真理の探究精神にあるのではないでしょうか。
新聞にも誤報や「やらせ」的な脚色もたくさんあると思いますが、インターネットやテレビと比較すると、信頼性の高いメディアだと感じているので、ぼくは毎日、新聞を読んでいます。
本や雑誌にも、扇情的で興味本位のものがたくさんありますが、自分に必要な内容を選択して読んでいます。

ぼくの書いているものも、誰かに必要なものになったらいいなあ と思いつつ、現在修業中。

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