2009年6月30日火曜日

コンテンツとしてのスポーツ

プロ野球も大相撲も、かつては日本中で絶大な支持を集めていました。好きなものを問われて「巨人・大鵬・卵焼き」と子供たちが回答したのは、1960年代だそうです。
ボクシングもプロレスも昔はゴールデンタイムにテレビ中継されていました。人気低迷と視聴率低下が連動し、やがて中継されなくなったのでしょう。
熱烈なジャイアンツファンの知り合いが「テレビ中継しないから余計にファンが減るんだ!」としょっちゅう怒っています。スポーツ観戦好きのぼくも同調して文句を言っています。ただ大相撲人気の凋落ぶりをみると、テレビ中継さえしていれば人気が維持できるものでもないようです。NHKが中継を続けるということは、国技としての相撲に文化的な価値があることを、建前としては、国民が認めているということになるのでしょう。
Jリーグ発足当初や日韓ワールドカップの頃のサッカーは大いに盛り上がりました。国民的な人気のピークが2000年前後にあったスポーツはサッカーだけでしょう。それでも日韓W杯のあった年の冬、
「日本人は、サッカーを忘れてしまったのか?」
というCMコピーがありました。そのコピーをぼくは忘れることができません。熱しやすく冷めやすいのは、たぶん日本人だけでなく人間の特徴なのでしょう。

サッカーのW杯やオリンピックなら見たいけど、巨人対ヤクルトの試合なら、ゲームをしているか携帯でチャットでもしていた方が楽しいということなのかもしれません。

スポーツ中継そのものよりも、人気アスリートが出演するトーク番組の方が受ける理由ってなんなのだろうと思いつつ考えたことでした。

2009年6月28日日曜日

アナザーワールド

陸上の日本選手権、ハンマー投げでは室伏選手が15連覇を達成しました。自身がもつ日本記録を11m60下回る73m26の記録でした。10月で35歳になるベテラン選手にとって、北京オリンピック後の肉体的な疲労と外国選手のドーピング違反による銅メダル獲得経緯は、精神的なストレスにつながったのかもしれません。故障の影響で1月から4カ月間は練習もできない状況だったそうです。不本意な記録かもしれませんが、ハタチのときから15年間この大会で負け知らずという快挙です。

朝日新聞の見出しには「孤高の15連覇 記録低調 ライバル不在」とありました。
ハンマー投げの土井宏昭選手が「室伏のライバル」と呼ばれることは、ほとんどありません。土井選手は2002年から2008年まで日本選手権2位の成績を納めています。74m06の自己ベストをもち、今回は室伏選手の連覇を阻むチャンスだったのかもしれません。しかし結果は69m90で、今年も2位に終わりました。
「室伏広治のいない世界」を土井選手が想像したことがあるかどうかは分かりません。日本選手権8連覇となれば、国内ではもっと注目される選手になっているでしょう。しかし、外国選手との差が大きいのも事実です。アジア大会で活躍することができても、オリンピックでのメダル獲得に縁がなければ、ハンマー投げ自体が注目されないかもしれません。砲丸投げや円盤投げがニュース番組で取り上げられないのと同じ状況になるでしょう。
オリンピックのメダルがもつ絶大な力を改めて感じてしまいます。

「どんな手を使っても勝ちたい」と考える選手がいる限り、ドーピングとの戦いは続きます。

それは社会の縮図かもしれません。

2009年6月26日金曜日

日本選手権ただいま開催中

陸上の日本選手権が開催されています。(25日~28日・広島)
100mの朝原氏が引退し、200mの末續選手・400mHの為末選手は、この大会には参加していません。短距離界を引っ張ってきた名選手が出場していないのはさびしい限りですが、若手にとってはチャンスといえるでしょう。もっとも若い選手たちは、同じトラックに立って勝ちたいのが本音だと思いますが。

女子200mでは福島選手が日本新記録で優勝しました。23秒00の記録は、ベルリンの世界選手権代表に内定するために必要な記録(A標準)と同タイムでした。明日が21歳の誕生日という福島選手なら、世界選手権までにさらなる成長も期待できそうです。

男子の100mに朝原・末續の名前はありませんが、北京オリンピック400mリレーで彼らとメンバーを組んだ高平選手と塚原選手がエントリーしています。今日200mで優勝した高平選手と昨年の100mチャンピオン塚原選手の争いになりそうですが、ぼくの注目は城西大学1年の本塩遼(もとしお・りょう)選手です。昨年の高校総体で100m・200mを制したランナーで、独特の深い前傾姿勢で走る姿が印象的な選手でした。未完成なイメージの彼の走法は、やがて「進化し続けるライナー特急」と呼ばれることになるでしょう。
ぼくが生まれ育った町で彼も生まれという理由で応援しています。まだ、優勝はむずかしそうなので、今回は決勝に残って少しでも上位に入ってくれればと思います。
7年後の2016年でも、26歳。東京でのメダルに期待です。 リオ かな ???

2009年6月24日水曜日

ウィンブルドンの雨

残念ながら初戦で敗退してしまいましたが、クルム伊達公子選手(38歳)がウィンブルドンに戻って来ました。世界ランク9位のウォズニアッキ選手(18歳)から第1セットを奪ったときには、13年ぶりのウィンブルドン勝利を期待してNHKの中継を見ました。しかし両脚にけいれんを起こしたという第2セットからは、ウォズニアッキ選手にゲームをコントロールされてしまいました。
今年からウィンブルドンのセンターコートに屋根がつき試合の中断もなくなるようですが、かつては雨やみを待ち、うとうとしながらテレビの画面を眺めていたものです。
地球上の別な場所で、今この瞬間に起こっている現実を見ているのだと思うと、なんとなく「コートに落ちる雨」が感傷的な気分を誘いました。
昨日見た伊達選手の試合には「LIVE」の文字がありませんでした。少し残念ですが、中継されているだけヨシとしましょう。
夕方、駅のホームで中学生くらいの男の子たちが会話していました。
「伊達、負けちゃったね」
「見た見た。途中までみて、負けそうだったから寝ちゃった」
ぼくにもそんな時期がありました。スポーツを見ることが、ひらすら「楽しい」という頃でした。あの頃は、いろいろなスポーツの国際中継が、深夜に放送されていました。今では、有料の契約を結ばないと見られないスポーツ番組がたくさんあります。ビジネスコンテンツとしての価値があるからそうなるわけですが、お小遣いで有料放送を見る子供は少ないでしょう。

ガンバレ!地上波。

2009年6月22日月曜日

見られて美しくなる

巨人の大田選手が、代打で一軍デビューを果たしました。「三球三振」がニュースになるとは、さすがジャイアンツ期待のルーキーです。高校通算65本のホームランを記録し、昨年のドラフト会議では、巨人のほかにソフトバンクも1位で指名した逸材です。それでもソフトバンクに入団していたら、ニュースとしてこれほど大きく扱われていないでしょう。「人気凋落」と言われても、巨人の選手であることにニュースバリューがあるわけです。

少し前に、バン・クライバーン国際ピアノ・コンクールで全盲の辻井伸行さんが日本人初の優勝を成し遂げました。ハンディキャップを克服しピアノの才能を開花させた努力が報われたことに、素直に「おめでとう」の気持ちが湧きました。その後の報道では、「全盲であることばかり強調せず、辻井さんのピアニストとしての素晴らしさをもっと伝えてほしい」という声も紹介されています。こう主張する人の気持ちもよく分かります。しかし、事実が淡々と報告された最後に「ちなみに辻井さんは全盲である」と記載する新聞記事では読みとばされてしまうかもしれません。
「目が見えないのに大変だったんだろうな。どんな努力があったのだろう?」と思う人が多いから、ニュースとして大きく取り上げられるのでしょう。

今日の朝日新聞の朝刊では、JALで唯一の女性パイロット・立川 円さんが紹介されていました。約600人のJALのパイロットの中で、同社史上ただ一人の女性パイロットだそうです。
「JALにパイロットがいます」では、まったくニュースになりません。
「JALに、たった一人だけ女性のパイロットがいます」と書いてあると、どんな人なのだろう?という興味がわきます。
「男性社会に切り込んでパイロットの座を勝ち取るまでにはどんな苦労があったのだろうか?」と書くと知的好奇心から記事を読み進めたように見えますが、実際はジェット機を背景にした制服姿の写真を見て「結構かわいいじゃん」というオヤジ目線が記事を読ませます。(主観ですが)

大田選手も辻井さんも立川さんも、プロとして一流の実力があることは間違いないのでしょう。今は「巨人の」、「盲目の」、「女性の」という枕ことばがつくから注目されていることも事実だと思いますが、超一流は、注目されることでさらに自分を成長させていきます。
俳優が、年を重ねてもカッコよかったり、美しかったりするのは、見られて成長する典型なのかもしれません。

2009年6月20日土曜日

メダルはみんなの宝もの?

朝日新聞(20日・「時時刻刻」)にスポーツ庁設置構想についての記事がありました。政府の教育再生懇談会が、スポーツ行政を一元化するために「スポーツ庁」の設置を提言したことを受けての記事です。記事によると、自民党の主眼はトップアスリートへの支援強化で、民主党は地域レベルでのスポーツ行政を充実させ、スポーツのすそ野を広げることを重視しているそうです。

スポーツや文化を国が支援するのは、最終的にそれが国民の利益につながると期待されるからでしょう。

先ずは民主党的な視点から考えてみます。
「地域レベルでこんな取り組みをすれば、確実に住民の健康状態が良くなります」
「こんな」の部分が明確で、それに国民の同意があれば、その政策は支持されるはずです。
例えば
・全国にゲートボール施設を整備して、全国大会を運営するボランティアスタッフに、お弁当代と交通費を支給します。
という政策はどうでしょうか?具体案になると賛成派と反対派が出てきそうです。
(そういえば、最近ゲートボールを見なくなったような気がしますが、ぼくの行動パターンとの接点が少ないだけかもしれません)

続いて、自民党型のエリート支援です。遠征費用を公費で負担できるとしたら、どのケースでしょうか?
・さくらんぼの種飛ばし名人が山形の種飛ばし大会に遠征する費用。
→ ありえませんね。

・企業に所属するアマチュアスポーツ選手の海外遠征費用。
→ テレビでよくみる人気選手で、いつも会社のロゴが目立つ服を着ているような場合には、納得感が薄いかもしれません。
→ 比較的マイナー競技で会社からの金銭的な支援がなく、オリンピックのメダルを目指して自費遠征している選手の場合なら、理解が得られるかもしれません。
→ さらにマイナー競技で、オリンピックにはない競技の世界選手権参加の場合はどうでしょう。納得度は下がるかもしれません。

エリート支援の納得性は、オリンピックでのメダルの期待感に集約されるのかもしれません。

2009年6月16日火曜日

ゴルフがオリンピックに?

国際オリンピック委員会(IOC)がスイスのローザンヌで開かれ、2016年夏季五輪で実施競技入りを目指すスポーツの団体が、IOC委員に対してプレゼンテーションを実施しました。
競技入りを目指しているのは、野球・ソフトボール・ゴルフ・スカッシュ・空手・7人制ラグビー・ローラースポーツの7競技です。
朝日新聞の記事によると、ゴルフと7人制ラグビーの前評判が高いそうです。個人的に、野球は好きなスポーツです。北京オリンピックでも、見たい競技の中でかなり優先順位が高い方でした。ただ候補となっている7つの競技の中で、野球とゴルフは選ばれなくてもよいのではと感じます。両競技のプレーヤーには、オリンピック以外の国際舞台あるからです。野球の場合、現在のワールド・ベースボール・クラッシック(WBC)の位置づけはあいまいですが、この大会はサッカーのワールドカップのような大会に変わっていく可能性があります。WBCで得た利益は、アメリカを中心とした各国のプロ野球機構に還元されますが、オリンピックの場合はIOCが収支を管理します。したがって、プロの関係者は、オリンピックよりWBCを最高の舞台にしたいと考えるはずです。オリンピックに復帰しても、サッカーのように23歳以下の選手の大会になるかもしれません。
同様に、ゴルフにも全英オープンやマスターズなど最高峰の大会があります。そしてビッグタイトルのひとつである全米プロゴルフ選手権は、毎年8月の中旬に開催されています。オリンピックの年は開催時期を多少ずらすことになるかもしれませんが、グランドスラムを狙うようなトップ選手が、全米プロよりオリンピックを優先することはないと思います。もちろん中には、オリンピックを最優先に考える選手がいるでしょう。しかし、野球とゴルフ以外の5競技のアスリートは、ほとんどの場合オリンピックに全精力を傾けることになるでしょう。

CMの投資効果が高い競技ではなく、オリンピックが最高の舞台であることが明白な競技こそ採用されてほしいと思います。

2009年6月15日月曜日

韓国スポーツの強さ

朝日新聞(6/13夕刊)の記事に、“韓国が野球人気にわいている”とありました。観客動員数は過去最高を上回るペースだそうです。北京五輪で金メダルをとり、今年のワールド・ベースボール・クラッシック(WBC)でも準優勝したことで、自国のプロ野球のレベルの高さをファンが見直し、それが人気につながったようです。そして記事は、強さの背景に、韓国政府が認定する「スポーツエリート制度」があることを示しています。国際大会で好成績を残した選手には、国からの経済的な支援や兵役の免除などのメリットがあり、選抜育成されたエリートのモチベーションも高くなるようです。

韓国プロ野球のレベルの高さはWBCや北京オリンピックをみて感じましたが、その他のスポーツはどれくらい強いのでしょう?
北京オリンピックの結果をネットで調べてみると、金:13個 ・ 銀:10個 ・ 銅:8個のメダルを獲得したようです。日本は、金:9 ・ 銀:6 ・ 銅:11という結果でした。韓国の人口は約5千万人で、日本の人口(約1億3千万人)の半分以下です。この数字を使って遊んでみると次のような計算もできます。
もし韓国に1億3千万の人がいるとすると、あと2.6倍のメダル数を期待できるかもしれません。そうすると、金メダルの数は33.8個ということになります。

「宿敵韓国に負けるな!」と言いたいわけではありませんし、メダルを取ることだけが大切なのかという議論は別にあると思いますが、国が支援するエリート育成には、それなりの効果がありそうです。

2009年6月13日土曜日

ルーヴルの価値

国立西洋美術館が展示する「ルーヴル美術館展」を見に行きました。上野駅の公園口改札を出ると、徒歩2分くらいで美術館に到着します。開館時間の9:30を目指しましたが、到着したのは10時過ぎでした。明日の日曜日が最終日なので、混雑していることは予測していましたが、2時間待ちでした。最近の行列予想は、実際に並んでみると想定よりも早いことがときどきあります。13時にその近くで用事があったので、どこかで時間をつぶすのも一緒だと思い、読書しならが列に加わることにしました。
結局、きっちり2時間待って入場し、20分だけ鑑賞して帰りました。
それでも、地中海を臨むイタリアの港に帆船が帰港した様子を描いた「クリュセイスを父親のもとに返すオデェッセウス」という名の絵画の前に来ると、その絵につかまってしまったかのように、10分近くも見入ってしまいました。たぶん、この絵がぼくを呼んでいたから、2時間待つことを決意させたのでしょう。クロード・ロランという人の作品でした。

なんてことをここに書くために、作品と作者の名前をメモしてきたわけです。今日みた中で、ぼくが一番「好きだな」と思った絵だったことに偽りはありません。そして、その絵が記念品売り場で、絵ハガキになっているのを見ると「おれが気にいっただけのことはある」と自己満足します。

美術展に行けば、絶対的な尺度にしろ、相対的な比較にしろ「いいな」と思う絵は必ずあります。自分の審美眼がすぐれているかどうかはどうでもよく、気に入った絵の前で足をとめます。それなのに、ギャラリーが主催する展示会などで「いいな」と感じた絵に、高い値段がついていたりすると、なぜか得意げな気持ちになってしまいます。もちろん、自分の感覚と絵画の値段に相関関係はありません。自分がいいと思った絵を、じっくり眺めればそれでいいわけです。
そう達観したつもりで値段の安い絵を見ているのですが、その作品を書いた画家を解説する言葉に「若手だが将来を嘱望されている」なんてコメントを見つけると「さもありなん」と納得します。

自分のアホさにイヤ気がさしますが、ここでザンゲ的に宣言を。絵を見るのは嫌いではありません。たまに「好き」な絵があります。でも、絵画の価値はまったく分かっていません。

2009年6月11日木曜日

エコとエゴ

日本の温室効果ガスの削減量を2005年比で15%減とする中期目標を、政府が表明しました。1990年比だと、8%減になります。

朝日新聞のコラム「CM天気図」の天野さんは、“ 電気をこまめに消したり、レジ袋の代わりにエコバッグを買ったりしているぼくらは、いったいなんなんだ ” と言って怒っています。産業界がもっと抑制すべきなのに、その分のツケが一般家庭にまわされることに憤りを感じて、そう主張されています。
エコロジカルな生活を実践している人ほど、怒りが大きくなるのはわかります。
5月31日の朝日新聞の記事では、セメントや鉄鋼業界が生産量を減らすことを考えずに、現状維持を前提としていることを問題視していました。かつて鉄鋼会社にいたぼくとしては、この意見には賛成できません。たとえば、日本の鉄鋼メーカーが生産量を半分にすると、その分を海外の鉄鋼メーカーが増産してニーズを満たすかもしれません。環境対策装置の性能は日本メーカーの方が進んでいるケースが多いので、結果的に、地球に排出される温室効果ガスの総量は増えてしまいます。
すると、世界中の鉄鋼生産量を減らせばよい → 世界中の車の数を減らせばよい → 石油も使わずにすむ、 ということになります。

しかし、生活のレベルは落としたくないし、大きな自己負担もしたくない。
「昔のような電気のない生活には戻れないのだから、便利をガマンせずに、地球を守るための知恵を出しましょう」というところにムリがありそうな気がします。

究極の温暖化防止対策は、少子化対策をしないことかも ・・・ 。

2009年6月9日火曜日

世界を驚かす覚悟

「覚悟しろ!」と言われれば、たいていはその後につらいことが待っていることを予想します。
「覚悟を決めた」と言えば、困難や苦労を伴う道であることを承知で進むことの意思表示です。

W杯行きを決めたウズベキスタン戦の直後、何人かの選手が着ていたTシャツの胸には「世界を驚かす覚悟がある」と書かれていました。アナウンサーが間違えて「世界を驚かす準備がある」と読んでから訂正しましたが、「準備」の方が言葉としはしっくりきます。Tシャツの言葉は「本大会でベスト4を勝ち取るための厳しい試練に耐える覚悟がある」という意味を短くまとめたわけですね。

岡田監督は「本気でベスト4を目指している選手は、最初は1、2人しかいなかった。今は7、8人いる。これから代表メンバー全員にその気になってほしい」とコメントしていました。
日本のサッカーにとって、ベスト4がかなり高い目標であることはだれしも認めるところです。冷やかな見方をしている人もたくさんいると思いますが、代表メンバーの中にもムリだと考えている人がいればチームのベクトルはバラバラになってしまいます。
ワールドカップ本大会出場が当面の目標だった間は、チームの方向性がぶれることはなかったはずですが、今後は、「本気でベスト4を目指す人」が代表メンバーに選ばれる基準になるかもしれません。
チームで仕事をする場合、全員が目的を共有して行動しないと結果的にパフォーマンスは下がります。岡田監督が目指すところを代表全員が達成可能な目標としてとらえることができるか、それが今後のメンタル面の課題になるでしょう。

1年以上先の話ですが、ベスト8まで行くと「目指した方針は正しかった」と言われ、グループ予選で敗退すると「チームの方向性が最初からひとつになっていなかった」と批判されるような気がします。

ぼくとしては、達成の可能性がほんの少しでもありそうなところを目標にすべきだと思うので、ベスト4を目指す方針に賛成です。というわけで目標の設定については
「岡田ジャパンを批判しない覚悟がある」
よく分からない日本語で、本日はおしまい。

2009年6月8日月曜日

絶対に負けられない戦いが、かつてはあった。

サッカーの岡田ジャパンが、W杯行きを決めました。フランス・日韓・ドイツ・南アと4大会連続のW杯出場は、日本サッカーの地盤が強化されてきたことを示す事実です。

さて、テレビ朝日が日本代表戦を中継するときのキャッチフレーズは「絶対に負けられない戦いが、そこにはある」です。確かに、過去のW杯予選には一敗も出来ないという緊迫した雰囲気がありました。そういう雰囲気があるとときには、なかなかカッコいいキャッチフレーズです。たぶん、テレビ局側の「このキャッチいいでしょう」というアピールも、視聴者から支持されていたのだと思います。

ところが、ドイツ大会の頃からアジア地区予選に悲壮感がなくなっています。前回も今回もアジア予選A・B各組で、2位以内を確保すればその時点で本大会出場が決定する仕組みでした。各大陸予選のスケジュール的な事情もあり、ドイツ大会も南ア大会も日本が出場権獲得一番乗りということになりました。つまり、「絶対に負けられない」ところまで追い込まれることなく本大会の出場を決めたわけです。

日韓大会は開催国で予選免除でしたから、予選に「絶対に負けられない感」があったのは、フランス大会への出場を目指した頃でした。今から、12年も前のことになります。このときは、アジアの出場枠が3.5しかなかったので、アジア第3代表をかけたイランとの戦いを「日本中が注目した」ように記憶しています。「ドーハの悲劇」との対比で「ジョホールバルの歓喜」という言葉が残っているくらいですから、かなりの熱狂度があったわけです。
1990年代はビジネスとしてのスポーツが急速に拡大した時期でもありました。オリンピックとサッカーW杯が巨大化した背景は、ハード的に成熟した先進国の市場にスポーツというソフトが新しいニーズを提供したことにあるのかもしれません。W杯の出場チーム数増加は、そのニーズに応えるためでもあったのでしょう。ビジネス規模を最大化してコンテンツの魅力を維持するためには、32チームくらいが本戦に参加できる今の状況がベストなのでしょう。
アダム・スミスの言う「神の見えざる手」が市場経済を自動的に調節する機能というのは、こんなところにも働いているのかもしれません。ちなみに、マラドーナの神の手が、まったく別なところで働いたのは、1986年のメキシコ大会のことです。

と御託を並べつつ、岡崎のゴールに素直に感動したウズベキスタン戦でした。

2009年6月4日木曜日

新型インフルは怖くない?

怖いのか、怖くないのか?
専門家ではないのでわかりません。今回の感染の広がりに対する危機管理については、専門家でも対応が困難なのだそうです。
朝日新聞の記事によると、6月に入ってからも都内や千葉県・神奈川県で感染が確認され、感染者の累計は400人を超えたとあります。感染が確認された人数は増え続けていますが、累計の感染者の中には既に回復している人もいるでしょうから、感染の勢いは衰え、終息に向かっているのかもしれません。

感染が広がりを見せパニック寸前のような報道がされていたとき、過剰に危機をあおらず大人の対応をせよ、という人がいました。
完全にリスクを排除できた状況ではないのだから、終息宣言にはまだ早い。報道の過熱を後から非難して、自分だけは冷静だったふりをするのは卑怯だ、と今も警鐘を鳴らし続ける人がいます。
初めから冷静だった人や今でも注意喚起している人は、どちらもブレがない人だったのでしょう。
おそらく彼らは、恐怖に対する主観が定まっているのだと思います。
「通常のインフルエンザと同様で、罹患しても過剰に恐れることはない」と思えば冷静でいられます。
「弱毒性ではあるけれど、いつ強毒性に変異するか分からない」と考えれば、常に警戒している必要があります。

恐怖の原因と対処の仕方が分からないときに、人は立ちすくんでしまいます。トンネルの中が真っ暗でも、障害物のないことが分かっていれば、転ばないようにゆっくりと歩けばいいだけです。
とはいえ、「一寸先は闇」という言葉もあります。街灯に明かりをつけてもらうのを待つか、自家発電ででもしないと、安心して前に進めない世の中です。

2009年6月2日火曜日

GMの破綻とテレビ欄

米自動車大手ゼネラルモーターズ(GM)の経営が破たんし、アメリカ政府による国有化の状態から経営再建を目指すことになりました。朝日新聞の一面に “GMといってもピンとこない人が多いだろう。では大衆車シボレー、高級車キャデラックならどうか。いずれも「アメリカ車」を代表するGMのブランドだ”
とあります。「GMにピンとこない人は、シボレー にもキャデラックにもピンとこないだろう」と軽いツッコミを入れつつ、経済面に目を移します。
破たんしたGMと業績が大幅に悪化したトヨタ自動車を取り上げ、“大量生産によるコスト削減を目指す「規模の経営」に頼った両雄の転落で、巨大化を目指してきた自動車業界は行き場を見失っている ”とあります。
今日現在の結果を見ればそのとおりですが、2000年代のはじめ、縮小均衡による健全経営をしていたヨーロッパの鉄鋼メーカーの多くは、インドを出発点にM&Aを繰り返した会社に買収されました。外資に買収されること=悪ではありません。しかし、ホンダやトヨタが外資系企業になってしまう日が来たとしたら、「それがあるべき姿なのだ」という世論にはならないでしょう。

さて、極めて主観的な感覚ですが、「巨大化して他を圧倒すればいいわけじゃない」とか「一番であることが、必ずしも正しいわけじゃない」という論調が『朝日新聞的なもの』だと勝手に解釈しています。そういう雰囲気の記事を読んだあとに、テレビ欄を見て驚きました。「我が家のともだち10チャンネル」が消滅していました。10チャンネルと我が家がどうやってともだちになったのかは定かでありませんが、テレビ朝日はTBSを追い抜いて、日本テレビのとなりの位置を占めています。「だってデジタル5チャンだもん」という声が紙面から聞こえてきました。
やっぱ、本音は10番より5番、5番より1番なのね。というか最初から、ぼくが勝手に朝日的なものを誤解していただけなのかもしれなせん。
というわけで、我が家のともだち新聞は、読売から朝日に切り替わりました。