2009年6月8日月曜日

絶対に負けられない戦いが、かつてはあった。

サッカーの岡田ジャパンが、W杯行きを決めました。フランス・日韓・ドイツ・南アと4大会連続のW杯出場は、日本サッカーの地盤が強化されてきたことを示す事実です。

さて、テレビ朝日が日本代表戦を中継するときのキャッチフレーズは「絶対に負けられない戦いが、そこにはある」です。確かに、過去のW杯予選には一敗も出来ないという緊迫した雰囲気がありました。そういう雰囲気があるとときには、なかなかカッコいいキャッチフレーズです。たぶん、テレビ局側の「このキャッチいいでしょう」というアピールも、視聴者から支持されていたのだと思います。

ところが、ドイツ大会の頃からアジア地区予選に悲壮感がなくなっています。前回も今回もアジア予選A・B各組で、2位以内を確保すればその時点で本大会出場が決定する仕組みでした。各大陸予選のスケジュール的な事情もあり、ドイツ大会も南ア大会も日本が出場権獲得一番乗りということになりました。つまり、「絶対に負けられない」ところまで追い込まれることなく本大会の出場を決めたわけです。

日韓大会は開催国で予選免除でしたから、予選に「絶対に負けられない感」があったのは、フランス大会への出場を目指した頃でした。今から、12年も前のことになります。このときは、アジアの出場枠が3.5しかなかったので、アジア第3代表をかけたイランとの戦いを「日本中が注目した」ように記憶しています。「ドーハの悲劇」との対比で「ジョホールバルの歓喜」という言葉が残っているくらいですから、かなりの熱狂度があったわけです。
1990年代はビジネスとしてのスポーツが急速に拡大した時期でもありました。オリンピックとサッカーW杯が巨大化した背景は、ハード的に成熟した先進国の市場にスポーツというソフトが新しいニーズを提供したことにあるのかもしれません。W杯の出場チーム数増加は、そのニーズに応えるためでもあったのでしょう。ビジネス規模を最大化してコンテンツの魅力を維持するためには、32チームくらいが本戦に参加できる今の状況がベストなのでしょう。
アダム・スミスの言う「神の見えざる手」が市場経済を自動的に調節する機能というのは、こんなところにも働いているのかもしれません。ちなみに、マラドーナの神の手が、まったく別なところで働いたのは、1986年のメキシコ大会のことです。

と御託を並べつつ、岡崎のゴールに素直に感動したウズベキスタン戦でした。

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