2009年6月13日土曜日

ルーヴルの価値

国立西洋美術館が展示する「ルーヴル美術館展」を見に行きました。上野駅の公園口改札を出ると、徒歩2分くらいで美術館に到着します。開館時間の9:30を目指しましたが、到着したのは10時過ぎでした。明日の日曜日が最終日なので、混雑していることは予測していましたが、2時間待ちでした。最近の行列予想は、実際に並んでみると想定よりも早いことがときどきあります。13時にその近くで用事があったので、どこかで時間をつぶすのも一緒だと思い、読書しならが列に加わることにしました。
結局、きっちり2時間待って入場し、20分だけ鑑賞して帰りました。
それでも、地中海を臨むイタリアの港に帆船が帰港した様子を描いた「クリュセイスを父親のもとに返すオデェッセウス」という名の絵画の前に来ると、その絵につかまってしまったかのように、10分近くも見入ってしまいました。たぶん、この絵がぼくを呼んでいたから、2時間待つことを決意させたのでしょう。クロード・ロランという人の作品でした。

なんてことをここに書くために、作品と作者の名前をメモしてきたわけです。今日みた中で、ぼくが一番「好きだな」と思った絵だったことに偽りはありません。そして、その絵が記念品売り場で、絵ハガキになっているのを見ると「おれが気にいっただけのことはある」と自己満足します。

美術展に行けば、絶対的な尺度にしろ、相対的な比較にしろ「いいな」と思う絵は必ずあります。自分の審美眼がすぐれているかどうかはどうでもよく、気に入った絵の前で足をとめます。それなのに、ギャラリーが主催する展示会などで「いいな」と感じた絵に、高い値段がついていたりすると、なぜか得意げな気持ちになってしまいます。もちろん、自分の感覚と絵画の値段に相関関係はありません。自分がいいと思った絵を、じっくり眺めればそれでいいわけです。
そう達観したつもりで値段の安い絵を見ているのですが、その作品を書いた画家を解説する言葉に「若手だが将来を嘱望されている」なんてコメントを見つけると「さもありなん」と納得します。

自分のアホさにイヤ気がさしますが、ここでザンゲ的に宣言を。絵を見るのは嫌いではありません。たまに「好き」な絵があります。でも、絵画の価値はまったく分かっていません。

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