2009年1月31日土曜日

再びバーレーン戦について

少し前に、高額なテレビ中継の放映権を購入しない日本サッカー協会を支持すると書きましたが、中継がないとやはり寂しいものです。それでも今回は、文句をいうのはやめましょう。30日の朝日新聞『自由自在』というコーナーによると、バーレーン協会は、スポーツ専門チャンネルのアルジャジーラスポーツに4500万円以下で権利を売却し、日本側と最終的に交渉した「MP&シルバ」という代理店は、約1億円で放映権を売ろうとしたそうです。単なるぼったくりプライスなのか、転売を重ねた結果なのか不明ですが、「買わない」という判断の根拠が示されて、納得できました。シルバ社は、インターネットによる有料放送は行ったそうです。
さて、ネット放送でシルバ社が利益をあげられたのか分かりませんが、1億円という数字をみて不安になりました。10,000円×10,000人=1億円になります。1万円支払ってでもその試合を見たいという人が1万人くらいなら、いるような気もします。だとすると日本のテレビ局が買わなくても、シルバ社には問題がありません。スポーツ全般について同じ原理が成立すると、お金持ちで熱狂的なファンしか中継を見られなくなってしまいます。スポーツ中継が裕福なマニアだけのものになってほしくないというのうは前に書いたとおりです。バーレーン戦のケースがパンドラの箱ではないことを祈るばかりです。
ところで、『自由自在』の最後に、「テレビ中継がなく、一番被害を受けたのはサポーターだろう。彼らに支えられているはずの岡田監督が“生中継があってもなくてもチームにとっては変わらない”と言ったのは寂しかった」とあります。確かにサポーターが聞けば寂しい言葉かもしれません。しかし、「生中継がなかったので、やる気がでなかった」と発言したら、解任間近でしょう。

2009年1月29日木曜日

クラブと学校~トルシエ氏の視点~

朝日新聞の「私の視点」(1月29日付け)に、元サッカー日本代表監督トルシエ氏の選手育成論が掲載されていました。前半部分の趣旨をまとめてみます。
・日本にはジュニア向けのクラブが少なく、学校中心の育成システムに限界がある。
・欧州ではいい子供がいれば、ビッグクラブが連れて行き、高いレベルで日々切磋琢磨させる。
・14~15歳ではリーグ戦を通し、毎週一定のリズムで練習と試合を繰り返す必要がある。
・日本人のサッカーに関する常識を変えるのは、日本に来た外国人か、変革を求めて海外に出て行った日本人のいずれかだろう。
というもので、後半は、自身が総監督を務めるFC琉球の挑戦について書かれています。

子供の頃から優秀な選手を選抜して整った環境の中で育成することは、スポーツを強化するために絶対に必要なシステムだと思います。有名なスポーツ選手には、3歳からラケットを振っていた、5歳で水泳を始めた、放課後に合わせて仕事を切り上た父親にバッティングセンターに連れていかれた、などのエピソードがあります。
学校システムとは切り離したクラブでのエリート育成は成果を生むと思います。しかし、なぜか気持ちよく「全面的に賛成」と言えない心情的な引っかかりがあります。エリート選抜から洩れたその他大勢の子供たちに、「残念ながらあなたたちには期待してませんが、これからも頑張りましょう」と言っているような気がするからです。
マラソンの高橋尚子さんや、野球の上原浩治選手、サッカーの中村憲剛選手は、中学・高校時代は有名選手ではありませんでしたが、その後大活躍しています。上原選手は「雑草魂」という言葉で、自分を鼓舞しているそうです。
エリート育成にも賛成ですが、そこに選ばれなかった人もチャンスを見いだせる未来があること、それがスポーツ分野に限らず活力を維持できる社会なのだと思います。

2009年1月27日火曜日

ニュースに疑問?

「うーん」分からんと思った最近のニュースです。
(1)スピーチライターとゴーストライター
オバマ大統領の演説に優秀なスピーチライターが存在していることは有名です。大統領の信頼が最も厚いスピーチライターは27歳の若さと評判です。オバマ大統領が、基本理念と思想をライターに伝え、二人は言葉のキャッチボールを交わしながら、スピーチライターが原稿を完成させるそうです。 オバマ大統領の演説もスピーチライターの原稿も高い評価を得ています。 一方、日本の国会では、民主党の議員が総理大臣に質問しました。「麻生総理が発表した論文に難しい漢字がたくさん出ている。『中就(なかんずく)、畢竟(ひっきょう)、唯々諾々(いいだくだく)・・・』もっと簡単な漢字の読めないあなたが、こんな難しい漢字の論文を書けるはずがなかい。この論文はだれか別人が書いて、あなたは承認しただけでしょう」という趣旨でした。なかなか説得力のある指摘です。自分で書いたと主張する総理は、『窶す(やつす)』以外はみなさん読めるでしょうと答弁し、国会内にどよめきが起こりました。ここはひとつ米国流に、自分の主義主張を信頼できるライターと言葉のキャッチボールを重ねて練り上げて作ったれっきとした私の論文ですと回答していれば・・・。 「麻生総理、ゴーストライターの存在を認める」という見出しで報道されてしまうでしょうね。残念。

(2)農業予算増加で「温かい県政」 山形県知事に民主・共産・社民党が支援した無所属の吉村氏が当選しました。現職で2期目を目指した斎藤氏の落選は自民党の衰えを鮮明にしていると朝日新聞にあります。社説のタイトルは「『温かさ』が勝った意味」です。 麻生内閣の不人気のせいか、いわゆる「加藤の乱」のしこりで自民党の斎藤氏支援が分裂したためなのか、自民党サイドにも減点理由はあるでしょう。また、吉村氏の政策や人柄が支持されたことも勝因かもしれません。現職の斎藤氏は、県の財政改革や行政変革での実績を訴えたそうです。県職員の人件費を累積で200億円削減するなど、痛みをともなう改革だったようです。一方で、吉井氏は公共事業予算の増額を掲げ、「温かい県政」を訴えて当選しました。 行政の無駄を排除し、必要な分野に限定した公共事業推進を目指した人を支援したのが自民党。 農業や公共事業が暮らしに重大な影響を与えるとして、その予算拡大を公約した人を支援したのが民主党。 いつもの構造と反対のような気まします。麻生内閣が、「温かい国政」を掲げて公共予算の大幅増額を公約に挙げたら、自民党と民主党の主張が一致して大連立政権を樹立する? などということはないでしょう。

2009年1月25日日曜日

ヒール朝青龍 と “ヒーロー” 白鵬

大相撲初場所の優勝決定戦では、力強い相撲で朝青龍が勝ちました。序盤の勝ち方と終盤の勝ち方では別人のような取り口でした。朝青龍が「人気者」なのかそうでないのかは不明ですが、いないと大相撲が盛り上がらないことは確かです。場所前は、引退危機が大々的に報道されました。初日に白星を挙げた時の観衆の拍手は、温かみもあり、同情的であり、真に応援する気持ちが表れていたようでした。翌日のファンのコメントにも、「強すぎたときの憎らしさはなくなり、痛々しさに応援したくなる気持ち」というものがありました。それが千秋楽になると、結びの一番の前には場内に「白鵬・白鵬」のコールが起こっていました。わずか2週間で強すぎる朝青龍が復活したことを証明するコールでした。
“ヒール”という言葉がこれほどぴったりするスポーツ選手は珍しいものです。朝青龍の実際の人となりは分かりませんが、普段の言動がつくるイメージはまさに“ヒール”です。貴乃花が横綱だったころ、曙は相対的な“ヒール”でした。横綱時代の曙に悪役的な言動はありませんでしたが、貴乃花の「かたき役」として“ヒール”でした。今の白鵬はヒーローの位置にいますが、強い朝青龍がいるときにだけ成立する基盤脆弱な“ヒーロー”です。朝青龍が引退してしまうと、一人強すぎる外国人横綱という微妙な立場に立ち、次代の日本人ヒーローが現れたときには、相対的な“ヒール”にされてしまうような気がします。
がんばれ、青白。

2009年1月24日土曜日

バーレーン戦の生中継

サッカーのアジアカップ最終予選・バーレーン対日本(日本時間 29日 午前0:15開始)が国内で生中継されないことが決まりました。バーレーン協会が代理店に販売した放映権が高額すぎて、日本側との交渉がまとまらなかったそうです。日本側の交渉主体がどこか記事(23日 朝日新聞)にはありませんでしたが、その決断を支持したいと思います。
2002年の日韓ワールドカップの放映権料は、約1400億円で、98年のフランス大会の10倍近い金額になった(週刊ダイヤモンド08年8月2日号)そうです。サッカーに限らず、スポーツ・ビッグイベントのTV放映権料が高騰しつづけることに疑問を感じます。放映権料の値上がりは、競技団体の財政をうるおし、競技の発展に必要な資金源を確保できるという面もあるでしょう。しかし転売される放映権料は、最終的には広告スポンサー料やNHKの受信料として支払われることになります。スポンサーは支出する費用に対して宣伝効果が少ないと判断すれば広告主にならないでしょうし、NHKがワールドカップを理由に受信料を引き上げることもないでしょう。放映権料が極端に高騰するとTV中継できないという事態が起こるのではないかと思っていますが、今回の「バーレーン戦生中継なし」はそれと同じ原理なのだと思います。
バーレーン協会から権利を購入した代理店は、日本側が最終的には「必ず買う」という予測のもとに強気の交渉をしたのでしょう。バーレーン戦の生中継が見られないことは残念ですが、たまにこのような決断があると放映権料の高騰にも歯止めがかかるかもしれません。
もしワールドカップ本戦でも同じようなことが起こると、お金を払っても中継を見たいという人がたくさん出てくるでしょう。そうなると地上波では中継されず、ペイ パー ビュー方式でないと見られないことになってしまうかもしれません。これでは、スポーツ中継が熱狂的なファンだけのものとなり、スポーツそのものが縮小均衡に陥ってしまいます。昔はテニスの全豪オープンや全仏オープンも地上波で見られましたが、最近では地上波の中継はありません。日本のプロ野球も地上波放送が少なくなってきました。
スポーツに興味のない人には好ましい傾向かもしれませんが、スポーツファンにはさびしい状況です。

2009年1月22日木曜日

全国体力調査

文科省が「全国体力調査」の結果を公表しました。福井県・千葉県・秋田県などが上位で、東京・神奈川・大阪などの大都市を抱える都府県は下位に甘んじています。大都市には子供が運動する場所が少ないためのような気もしますが、地方の成績が押し並べてよいわけでもありません。「全国学力調査」の成績と似た傾向にあり、学力と体力に相関関係があるとみる教育委員会もあるようです。どちらも、「テスト対策」をしっかりやった県が上位に入ったような気もしますが。

朝日新聞の記事には、”一喜一憂 体力でも” の見出しと ”文科省は「過度な競争意識をあおらないようにしたい」としているが、現場の教員には、順位を上げることを目的にするような風潮が広がらないか不安視する声もある”などとあり 、大阪府橋下徹知事の ”学力も体力も低い、大阪はどないすんねん”というコメントも載せられています。しかし、この手の調査を実施して、一喜一憂せずに泰然自若としている姿が模範なら、そもそも調査する意味があるのでしょうか?調査の背景には、「学力も体力も、低いよりは高い方がいい」という思想があるはずです。学業成績が悪くても体力がなくても、教育現場や子供にプレッシャーを与えず、のびやかに成長することが第一であるなら調査は必要ありません。学業にしてもスポーツにしても成果を発表する場があった方がやる気がでます。テストやスポーツ大会がなくても、自発的に勉強したり運動することで自分を成長させることができれば理想ですが、お尻に火がつかないとやる気が出ない人の方が多数派です。調査項目だけを徹底訓練し、テストの点数UPだけが最終目的となってしまう成績至上主義はあきらかな誤りです。しかし、学力や体力の向上を、精神的にも健康的にも豊かな社会の実現につなげる手段として利用することは必要であり、そのためにある程度の競争原理を取り入れることはやむを得ません。

さて、毎日朝食を食べる子供は、学力調査でも体力調査でも成績がよい傾向にあったそうです。個人的な経験においても、朝食抜きの時代と朝食ありの時代では、午前中のパフォーマンスに大きな差を感じました。朝食の重要性が判明しただけも、調査を実施した甲斐がありそうです。

2009年1月21日水曜日

新大統領と新社長

オバマ氏がアメリカの大統領に就任しました。初の黒人大統領であることや47歳という若さ、さわやかで意思の強さを感じさせるスピーチなど、アメリカ国民ならずとも期待したくなる気持ちは理解できます。
”「地球市民の大統領」と呼んでもいいくらいだ”と称賛するジャーナリストもいました。一方、ワイドショーでは「それにくらべて、この国の総理大臣は・・・」という論調です。「オバマはよくて、アソウだめ」をもっともらしく解説できる人が、今週はマスコミで重宝されるのでしょう。

トヨタ自動車は、豊田章男副社長が社長に昇格する人事を発表しました。創業家への「大政奉還」で難局を乗り切る方針と報道されています。こちらは、日本経済のみならず世界経済にも影響する出来事の一つかもしれません。

昨日(20日)は、「西松建設 国沢前社長を逮捕」というニュースもありました。オバマ氏の大統領就任がなければ、今日の一面のトップだったかもしれません。裏金問題に絡む外為法違反の容疑で逮捕されたそうです。「前社長」と書いてあると、今の社長とは別で、過去に会社のトップだった人が逮捕されたように感じます。実際には国沢社長が20日付けで辞任し、副社長が新社長に就任する人事が行われていました。逮捕された「前」社長は、逮捕の直前まで現職の社長だったわけです。
姑息な感じですが、企業としてはイメージダウンを少しでも低下させるリスクヘッジも狙ったのでしょう。他の大きなニュースの陰に隠れましたが、マスコミが暇な時期ならバッシングされているかもしれません。

ニュースバリューによる報道量の差とマスコミが社会へ与える影響というものについて、少し考えました。

2009年1月19日月曜日

オリンピック招致の支持率

2016年のオリンピック開催地として東京・マドリード・シカゴ・リオデジャネイロの4都市が立候補しています。今年10月にデンマークのコペンハーゲンで開かれるIOCの総会で、開催都市が決定します。東京オリンピック招致委員会は、東京開催についての国内の支持率が、70.2%だったと公表しました。1月7日~9日に、調査会社のモニターとなっている全国の15歳から69歳までの男女3000人が回答し、①希望する(70.2%) ②希望しない(20.4%) ③どちらでもない(9.4%)という結果で、07年12月時点では、62%が賛成だったそうです。(1/16の朝日新聞より)
「7割も支持があるの?」と感じましたが、「調査会社のモニターとなっている3000人」が回答しているためかもしれません。オリンピックやスポーツに全く興味のない人は、モニターにはならないでしょう。そう考えると興味を持っている人の7割が賛成で、2割が反対と読むこともできます。

08年6月にIOCが実施した支持率調査によると、東京の支持率は59%で候補4都市の中では最下位です。IOCの調査方法は不明ですが、調査を拒否する人はどの都市にもいるはずですから、「無回答」の扱いは平等なのでしょう。IOC評価では、環境対策や安全対策など他の項目も含めた総合評価では東京が1位で、2位がマドリード、以下シカゴ、リオデジャネイロと続きます。東京への招致には支持率のアップも大きなカギとなるようです。

東京オリンピック招致委員会の人と話をしたことがありますが、「支持でも、不支持もで意見を持つ人が増えてほしい。無関心層の多いことが一番問題」とのことでした。
東京へのオリンピック招致に個人的には賛成です。
賛成するにも反対するにも、概要を知りたいと思う方は、下記のURLへ。
http://www.tokyo2016.or.jp/jp/

上記は招致委員会の公式サイトですが、招致に反対の個人や団体のサイトもたくさんあることを付記しておきます。

2009年1月16日金曜日

プロ野球の球団説明会

「へつらう」:自分より上のものに気に入られるように、お世辞を言ったり気に入られるよう振る舞う。
「媚びる」:自分より下のものに気に入られるよう振る舞う。相手の機嫌をとる。

プロ野球とアマチュア野球の首脳が、ドラフト候補選手に対して球団や親会社の概要を伝える説明会ができるかを検討したそうです。このニュースを読んで、そういえば「媚びる」と「へつらう」の違いってなんだったろうと思い辞書を引いてみました。
プロ側がアマチュア側に媚びているわけではありませんが、日本のプロ野球を経ずに大リーグに挑戦する選手が増えてきていることに対する危機感の表れでしょう。優秀な選手を獲得するために、球団や会社の概要を説明するという当たり前の行為を日本の球団がようやく始めようとしているというニュースだと思います。
マスコミ的なイメージや短期的な企業業績に影響され、学生からみた人気企業ランキングは毎年変化します。今年の現段階では、自動車業界が大きく人気を落としているようです。人気企業というのは確かにありますが、すべての優秀な学生が人気企業を第一志望にしているわけではありません。はじめは興味が薄かった企業に対して、会社説明会に参加することで印象が大きく変わることがあります。球団説明会がアマチュア選手に与える影響は大きいと思います。
学生が企業を選ぶポイントで、会社説明会よりも重視するのが、実際にその企業で働く人のナマの声です。先輩社員がイキイキと仕事の内容ややりがいを語る企業なら、自分もそこで働いてみたいと思うものです。残念ながら野球界では、プロ選手とアマチュア選手が気軽に交流することができません。青田刈りや契約金額の高騰など、ドラフト制度の根幹にかかわる問題が選手間の交流を規制しているのですが、時代に即した制度改革や運用ルールの見直しを期待したいものです。

2009年1月14日水曜日

時代の空気

先ず、今週の「週刊朝日」中吊り広告の見出を引用します。
「改革が日本を不幸にした(中略) 新自由主義の正体はエリートに都合のよい大衆搾取のツール」
こちらは、先ほど読んだ本からの引用です。
「ようやく生存ができても、最低の文化生活を享受できぬ貧民は依然として跡を絶たないではないか。一方で富めるものの生活がつぎつぎに高められるとすると、相対的な貧しさはますます大きくなるではないか」

とあります。本のタイトルは「現代のヒューマニズム」(務台理作 著)で、1961年に書かれたものです。週刊朝日の中身は読んでいませんが、今週の週刊誌のタイトルと50年近く前に書かれた本の内容がマッチしているようで驚きました。
小林多喜二の「蟹工船」は読んだことがありませんが、1929年に刊行された本です。

不況のときに鬱屈した空気が流れるのは、いつの時代もかわらないのでしょう。

ところで、「規制緩和」が声高に叫ばれていたとき、「”セーフティーネット”の整備も同時に行うので心配はない」と説明されていたような気がします。結果的に、その”安全網”が機能しなかったのか”安全網”の整備が行われなかったのかは不明です。

すべての人に文化的な生活が保障され、才能に恵まれ努力を惜しまない人はそれだけのリターンが得られる社会。バブル的経済に気づいていないときだけが、そんな気分に浸れる時代なのかもしれません。

2009年1月12日月曜日

成人式と出身地

マー君は大阪で、ハンカチ王子は群馬で、成人式に出席したそうです。
マー君は北海道の、ハンカチ王子は東京の高校を卒業しています。

高校スポーツにおける特待生制度の議論を思い出しました。野球以外のスポーツでは一般的だった特待生制度について、高野連は「1学年5人まで」というガイドラインを示しています。私学の経営権にも関連する問題なので法律的な拘束力はないようですが、高野連が違反事実を確認した場合は、出場停止などの措置がとられるのでしょうか?別途確認したいと思います。
5人まではOKで6人目からはダメとういのは、中途半端で玉虫色の解決策のようにも感じますが、全面的な禁止や解禁という意見には賛成できないので、妥当な線だと思います。
「地元選手がほとんどいない高校の野球部を郷土の代表として応援できない」という気持ちは心情的によく理解できます。しかし、すぐれた資質を持った高校生が優秀な指導者の下で、その才能を開花させる事例もたくさんあります。マラソンの高橋尚子さんは、学生時代は有名な選手ではありませんでした。小出監督(当時リクルート)の指導を熱望した高橋さんは、大卒の陸上部員は採らない方針だったリクルートになんとか契約社員として採用してもらったそうです。ほめて選手を伸ばす小出監督の指導が高橋選手にマッチして、シドニーオリンピックでの金メダルにつながります。
苦労しながらも自分で道を切り開ける社会人なら高橋さんのような例もありますが、高校進学時点で優秀な指導者と巡り合うためには、周囲の大人の力も必要になってきます。特待生制度がなければ、金銭的な余裕のある家庭に生まれた子供だけが、高名な指導者の下に「留学」できることになってしまいます。スポーツに限らず優秀な才能に「奨学金」はあってしかるべきです。

それでも北海道や東北地方代表の選手が関西弁で話すことに違和感は残ります。成人式に出席した場所の都道府県対抗で「甲子園」を戦えば、深紅の大優勝旗は、いまだに白河の関を超えていないかもしれません。

2009年1月9日金曜日

スポーツ感動名場面

「夢をそだてるスポーツ感動名場面101」という講談社発行の本があります。1932年のロサンゼルスオリンピック・馬術大障害で金メダルを獲得した西竹一氏の話から、2007年のクラブワールドカップで3位となった浦和レッズの活躍まで幅広い年代と種目について書かれた子供向けの本です。

確かに、今でも記憶に残っている感動的なシーンだったなァと懐かしく思い出す場面がいくつもあります。
・1984年ロサンゼルスオリンピック(柔道) 山下 対 ラシュワン(エジプト)の決勝戦
・1979年夏の甲子園での箕島高校 対 星稜高校の延長戦
・1980代後半の瀬古 対 中山 のマラソン対決
個人的な感覚かもしれませんが、特に強く印象に残っているのは10代に見たものです。
最近のことはすぐに忘れても、子供もの頃のことは忘れないというのは、かなり中年チックな脳の働きだと認めざるをえません。

101の名場面は、VTR映像も含めてテレビでみたことのあるシーンがほとんどです。そして、この本にはもちろんサッカーの名場面もたくさんありますが、ペレとマラドーナの物語以外はすべて1997年「ドーハの悲劇」以降の場面です。80年代にはサッカーの中継がほとんどなかったので、思い出すことさえできません。
Jリーグ発足前の日本リーグの戦いの中にも感動的な場面はたくさんあったはずですが、「マニアでなければしらない話」として扱われ、この本には取り上げられなかったのでしょう。
テレビで話題にならなかったものは、歴史からも消えていく・・・

スポーツばかりが感動の宝庫ではありませんが、「M-1グランプリ名場面101」をみて、なつかしさを感じる時代が来るのだとしたら、ぼくはかなしい。

2009年1月8日木曜日

世界新記録の瞬間とデジタル放送

アナログ放送を見ていると、民報のTV局も画面の右上に「アナログ」と表示するようになりました。「あなた、いまだにアナログですよ」と言われているようで不快な気持になります。アナログ電波の受信状態が悪いときに、ビデオの内臓チューナーを使ってデジタル放送を見るのですが、アナログ放送とデジタル放送ではタイムラグが生じます。通信技術の制約によって、デジタル放送の方が1~2秒遅れて放送されます。

陸上の100m走なら、アナログ放送でウサイン・ボルトが世界新記録を樹立した瞬間に、デジタル放送では80m付近を走っていることになります。このことは、スポーツのライブ中継として決定的な欠点のように私は感じます。大げさかもしれませんが、自分がスタジアムで競技を見ているときに、世界新記録が出たならば、「歴史的な瞬間に立ち会えた」と感じるはずです。TVの生中継に興奮するのは、疑似的にその感覚を得られるからです。ニュース速報で結果を知ったあとに、録画のスポーツ放送を見てもちっとも面白くありません。記録が出るのか出ないのか、勝つのか負けるのか、見ている今と同時に起こっているシーンだからこそ、生放送に迫力があるのです。

2011年のプロ野球日本シリーズ、東京ドームで興奮している友人は、ご丁寧に携帯電話から実況中継してくれます。勝負を決める最後の一球、「押し出しのフォアボールでサヨナラ!」と絶叫を聞いたときに、デジタル放送では、ピッチャーが振りかぶっている、なんてことのないように、アナログ中継の終了前に技術革新が進んでいることを願います。

蛇足ですが、NHKニュースの前の時報が消えていました。いつのまに?

2009年1月7日水曜日

教育の一環

1月6日付け朝日新聞の夕刊に "高校スポーツを取材するとき、「教育の一環」というフレーズに違和感がある” という書き出だしの記事がありました。続いて、悪戦苦闘して全国大会(花園)に出場した高知中央高校ラグビー部とその指導者である大八木敦史氏の熱意が紹介されています。
高校サッカーでは、ベスト8に進出した大津高校(熊本)の平岡監督が「理不尽さが人をつくる」とコメントしていました。これに対し、キャプテンの藤本選手は、「普段の練習のおかげで、試合感覚や判断力が磨かれている」と応えています。指導方針については触れられていませんが、厳しい練習風景が想像されます。

高校スポーツの指導者と話をしていると、「のびのび派」と「厳格管理派」があるようです。選手の自主性や個性の発揮を尊重する指導者と、目標を明確にしそこに到達するための手段や技術を徹底的に教え込む指導者がいます。どちらかに極端でなはなくバランス感覚が大切なのですが、3年間という短い期間で成果をあげるためには、ある程度の管理が必要なようです。

昨年末、中日ドラゴンズ・山本昌投手の200勝達成を祝う地元の行事に参加しました。中学時代の野球部の監督との対談で、山本投手は「厳しい指導で痛い思いもしましたが、殴られるときには納得できる理由があったので、監督を恨むような気持ちは一切ありませんでした」と話しました。
中学を卒業してから20数年、毎年暮れには同級生たちとこの監督のところに顔を出しているそうです。「のびのび派」でも「厳格派」でも、心を通わせる指導なら、生徒はそれを感じとって育っていくのだと実感しました。

2009年1月4日日曜日

箱根と群馬

箱根駅伝は、東洋大学の初優勝で幕を閉じました。昨年の大会まで3年連続で東洋大のメンバーとして箱根の2区を走った黒崎という選手がいました。今年は新社会人となり、コニカミノルタのメンバーとしてニューイヤー駅伝を走っています。黒崎選手に注目していた時期があったので、今年の箱根でも東洋大学を応援していました。1年生の柏原選手が往路5区の山登りで驚異的な力を発揮し、総合優勝に大きく貢献しました。

元日のニューイヤー駅伝では、1位のチームと3位のチームのタイム差が1秒という大接戦を富士通が制しました。1月2日は新聞の休刊日のため、3日の朝刊でニューイヤー駅伝の記事を読もうとしたところ、読売新聞には記載されていないのかと思うほど小さな記事でした。朝日新聞の場合、箱根の結果よりやや少ない掲載スペースが確保されていました。読んでいませんがニューイヤー駅伝の共催者である毎日新聞なら、箱根駅伝より大きな記事になっているのかもしれません。日経新聞では、箱根駅伝の記事の10分の1ほどのスペースでした。これくらいが世間の関心度とマッチした掲載量なのかもしれません。

マスコミ的な盛り上がりや学生時代にしか走れないということが、走る選手を熱くしている大きな要因だと思います。「箱根駅伝燃え尽き症候群」という言葉があるように、故障を抱えた選手には、箱根を走れるならそれが競技人生の最後になってもかまわないと思う選手もいるようです。そのような思いがひしひしと伝わってくるところに、視聴者が惹かれるのも確かです。しかし調子が悪いのなら控えに回る勇気も学べる大会であってほしいものです。

2009年1月2日金曜日

新年の目標と旧年の反省

あけまして、おめでとうございます。

ブログを開設して4か月目になりました。毎日はムリでも、2日に1度くらいは更新したいと思ってスタートしました。昨年の更新率は4割4分3厘。厘の単位まで表わすと、4割4分3厘が好成績に見えてきます。普段はプロ野球選手の打率でしか見ることのない表記だからですね。43.3%と書くと、「不合格」のような感じがします。
そこで今年は、5割以上の更新率を目標とします。

ところで、このブログとは別に、日々の記録も付けています。日記ですね。こちらは、ほぼ毎日書いています。数行だけの日もあり、自分以外は読まない前提なのでかなり気楽です。酩酊状態でない限り、書いているので、「ほぼ毎日」が成立しています。しかし、酩酊寸前で書いているときは、文章もかなり酔っ払っています。しかも書いているときには、「すばらしいアイディアだ」とか「名文ができた」と思って書いているケースが時々あります。次の日読み返してみると、おもいっきり恥ずかしくなります。それでも日記なので、布団をかぶって隠れたくなるようなことはありません。
そのような状態でブログを書くことはほとんどないのですが、メールを送ってしまうことがたまにあります。先日、ある忘年会のあとに自分が幹事を務めた前日の忘年会の様子をメーリングリストに送信しました。100人以上が参加しているMLですが、翌日読み返してみると、それこそ穴があったら入りたくなるような恥ずかしさでした。
「すかしてんなー、こいつ」って言われても反論の余地がありません。反省。