2011年12月17日土曜日

俺の名は勘九郎(79)

「『倹約と変革』が鷹山の改革なんだ。それがうちの社訓にもなっているくらいでね」
「そう言えば『お客様は神様だが、王様ではない』と書いた張り紙がありましたけど、あれも社訓なんですか」
職場の壁に貼ってあったという紙に山崎は気づかなかったが、野々村が尋ねた。
「気づいたかい。あれは先代の社長の言葉でね。浅野さんの人は違うけど、下請けイジメを生きがいにしているような人も結構いるから。先代は、お客様をとても大切にする人だったんだ。けど、下請けをバカにする客がいたら、そんな人を王様のように扱う必要はないって言ってたよ」
「神様ではあるんですか?」
「試練を与えて下さるからね」
「面白い考え方ですね」
「うちの会社じゃないけど、世の中には、元請け企業のことを『代理店さん』って呼んでる会社もあるそうだよ」
「代理店さん?」
「そう。自社商品の販売窓口になってくれる代理店さんと思えば、無理なことを言われても、上から目線でいられるんだとさ」
「へえー、俺もこっそりそう思うことにしよ。これだけでも、研修に来た甲斐があります」
山崎は、ちゃめっけのある目をして笑った。


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2011年12月3日土曜日

俺の名は勘九郎(78)

「専務なんて呼ぶ人はいないよ。社長と社員の間にいるただの工場長さ。尾藤さんと呼んでくれればいい」
尾藤さん、と呼び直した野々村は、ヨウザンの売上高や売上高に占める浅野ソーラーの割合などを聞いた。こいつは、やっぱり経理っぽいな、と思った山崎は、
「ところで、なんでヨウザンってゆう名前なんですか?」
と素朴な疑問を口にした。
「溶接で山も作ってしまう会社、って意味もあるんだけど、本当の由来は、上杉鷹山から来てるんだ」
「上杉ヨウザン? 謙信の子供か誰かっすか?」
「なんだ、大学を出た学士様のくせして、上杉鷹山もしらないのか」
尾藤の目は、山崎から隣の野々村に移っていったが、野々村も照れくさそうに下を向いた。
「全然しりません」
と山崎は元気よく答える。
「最近の若いのは、日本史なんか勉強しないのかね、なんてな。俺だってこの会社に来るまでは、鷹山なんて知らなかったよ。米沢藩の藩主に、上杉鷹山っていう偉い殿さまがいたんだ」
「えっ。上杉って、越後とか新潟とかあっちの方じゃないんすか?」
山崎は、更なる無知を露わにした。
「関ヶ原のあと、いろいろあって、上杉家は米沢に行ったんだな。そこの9代目に鷹山が現れて、藩政を改革したんだよ」
「詳しいですね」
野々村が言うと、社長に聞かされてるから、と答えて尾藤は続けた。


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2011年11月18日金曜日

俺の名は勘九郎(77)

浅野ソーラーは元々、太陽光パネルも街路灯を支えるポールも自前で作っていたが、何年かすると自社でつくるのはパネルだけに切り替えていた。パイプを切断し、溶接してポールを作るのは、小田原に工場のあるヨウザンという名の会社に任せていたのだが、徳原エナジルの傘下に入ってからは、徳原グループと関係の深い業者を使うように指導されていた。ヨウザンと比べると格段に規模の大きいその会社は、コスト面でヨウザンに劣っていた。
F市の発注した街路灯は、ポールのデザインも特殊だったが、街路灯や道路標識のポールを専門に作っているヨウザンには、そのタイプのポールを何度も作った実績があることを、山崎はよく知っていた。
「分かった。どこを使ってもいいが、必ず安くしろ」
グループと関係の深い業者を潤わせるよりも、この仕事をとる方が先だと猪俣は考えた。
翌朝、山崎はヨウザンの小田原工場に出向いた。
額から吹き出す汗を作業服の袖で拭うと、ちょっと失礼と言って工場長の尾藤はテーブルのコップを取り上げた。立ったまま二口ほどで冷たい麦茶を飲み干すと、尾藤は再び「いやいや失礼」と言って山崎の前に座った。シャツからプンとくる油の匂いを山崎は懐かしく感じた。
山崎が初めて尾藤に会ったのは、浅野ソーラーに入社して3カ月が経つ頃だった。経理部に配属される予定の野々村と、営業への配属が決まっていた山崎は、新人研修の一環でヨウザンの工場に派遣された。浅野ソーラーや信号機のメーカーなどから、支柱の製作を請け負うヨウザンは、本社と工場が同じ敷地内にある従業員40人ほどの小さな会社だった。尾藤は、専務取締役の工場長で、両肩の筋肉がバレーボールのように張り出していた。シャツのボタンをはじきそうな胸板は、弾丸を防御する服でも下に来ているのかと思わせるほどだった。自己紹介が終わるとすぐに現場研修がはじまり、よく整頓された工場の通路を歩きながら、野々村が尾藤に向かって、「専務」と呼びかけた。


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2011年11月3日木曜日

俺の名は勘九郎(76)

十一
スージーがミカリン日記に「やっぱり自由行動でいいわ」と書き込みしたのは、入札が行われる1カ月ほど前のことだった。猪俣はそれを鳥海ウィンドパワーの敗北宣言だと理解した。技術力が足りなかったということなのだろう。
F市の件は価格勝負になると猪俣から聞いて、山崎は「えっ」と思わず声に出してしまった。
「うちがとる番じゃないんですか?」
「どこが仕事をとるかなんて、決まっているわけがないだろう」
わざとらしい猪俣の答えを無視して山崎は続けた。
「技術には、ウチがとる順番なのだろう、と言って原価を準備させています。このままじゃ、安い原価にはなりません」
「なに!」
今度は猪俣が色をなした。談合で取れる仕事なら、ギリギリと絞り上げた原価で入札する必要はないのだが、技術部が早くもそんな体質になってしまっているとは思わなかった。
「徹底的に安くしろ。この仕事は必ず取れ!」
猪俣の唇はねじれていた。それは上野からの厳命でもあったのだ。大型工事の受注に失敗したばかりの徳原エナジルが、子会社の受注もかき集めて、なんとか穴埋めしようと躍起になっていたからだ。
「ポールの業者を、変えてもいいですか?」
山崎の質問に、猪俣は怪訝な顔をした。猪俣に昔の話は分からない。
「以前はヨウザンという会社を使っていました。エナジルの指定業者より、安くていいものが出来ると思います」



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2011年10月22日土曜日

俺の名は勘九郎(75)

「やる気のないオッサンって感じの声だったな。上野のセクハラって、エナジルの人事や建設の人権啓発課でも問題になってるらしいんだ。『でも、だれも鈴をつける人がいないんですよー。もう一度、人権の方に頼んでみますから、何かあったらまた電話して下さい』で終わり。ありゃあ、なんにもしないな」
「意味ないっすね」
「全然ない」
「そうだ、探偵とか雇ったらいいんじゃないですか?談合を仕切るフィクサーと会ってるとこの写真とか撮れますよ。それ見せて脅したら、談合やめるんじゃないっすかね」
「フィクサーなんていると思う。鳥海と村上の営業に電話して、それで終わりじゃねえの。メールとかFAXなんて絶対使わないだろ。会社の携帯も使わないよな。それに実行犯は猪俣だぜ。上野を追いかけても、不倫の現場写真くらいしか撮れねえよ」
「それはそれで、痛いじゃないっすか」
「まあな。でも何かみみっちいんだよ。それに不倫写真じゃ、ちょっと注意されて終わりだろ。エナジルの社長ぐらいじゃ、週刊誌ネタにもならねえしな」
「外に出すのは、やめましょうって」
冗談だよ、と再び言った堀田は、頬の下に左の手を当て、山崎の座る向うの扉から入って来る客をぼんやりと眺めた。
それから一ヶ月後、堀田は7年間勤めた浅野ソーラーを去っていった。


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2011年10月7日金曜日

俺の名は勘九郎(74)

「あんなとこに電話したら、会社のブラックリストに載せられるだけだろ」
「そうですよねえ。文句言ったやつが、人事部とかに目つけられるだけですよね」
「実は俺、あれに電話したんだよ」
「ええっ! いつですか?」
「辞めるって決める少し前。ああいう制度が機能してるんなら、徳原グループもまだ見込みあるかもって。思った俺がバカだった」
「談合のこと、内部告発したんですか?」
「証拠もねえのに言えねよ。それに、コンプライアンス委員会が信用できるとこかも分かんなかったしな」
「じゃあ、何て電話したんですか」
「上野社長のセクハラで困ってる女性がたくさんいますって、公衆電話からかけてみた。匿名でな」
「意外と慎重ですね」
「うるせえな。こう見えても小心者なんだよ」
「どんな人が電話に出たんですか?」


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2011年9月14日水曜日

俺の名は勘九郎(73)

「体験してみないと分からないことってあると思うんだよ」
「どれくらいやるつもりなんですか?」
「分かんねえ。3カ月間、なんて決めてたらインチキだと思うんだよな。通帳に金があるうちは、結局インチキなんだろうけど、それでも体験しないよりはマシだと思うんだよ」
「だいじょぶっすか?インドとかネパールとかでヒッピーやってると、そのうち帰れなくなっちゃうっていうじゃないですか。ホームレスから戻れなくなったら、ヤバいっすよ」
「ホームレスになりきれたら、本物の気持ちが分かるよ。支援する側じゃなくて、される側になっちゃったりしてな」
「意味ないじゃないですか」
「そうなる前にちゃんと止めるさ。それに、NPOの前にやりたいこともあるんだ」
「なんすか?」
「上野にひと泡吹かせてやるんだよ」
「エナジルの上野社長ですか」
「他にいねえだろ。山崎もちょっと力貸してくれよ」
「ムリっすよ。いや…、ムリな気がしますけど、どうやってやるんですか」
「あのオッサン、談合の黒幕だろ。猪俣にやらせてるけど、主犯は上野だよな」
「そうだとは思いますけど、俺たちにできることなんてありますか」
「マスコミにリークして、どかっと叩いてもらうか。そうすり公取だって動くかもしれないぜ」
「堀田さんはいいですけど、会社が潰れたらヤバいじゃないっすか」
「冗談だよ。俺だって、浅野ソーラーを潰したいと思ってるわけじゃないんだから。上野を失脚させる方法とかねえかなあ」
「コンプライアンス・ホットラインって、グループ会社にも共通でしたよね。あそこに通報したらどうっすか」


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2011年9月3日土曜日

俺の名は勘九郎(72)



二日酔いになるまで飲んで翌日の午前中を棒に振る、というのは山崎の得意技だったが、さすがにその夜は、グラスを空けるペースが遅かった。F市の入札が近づき、酒を飲む暇もないほど山崎は忙しかったが、その日の誘いを断るわけにはいかなかった。
きめの細かい泡の下に金色の液体が入ったジョッキの写真に「ちゅう生1杯180円」と書かれたチラシを見て、これって第3のビールですか、と今さらのように聞いたのは堀田という男だった。堀田は、浅野ソーラーに勤める営業マンで、山崎より三つ年上の先輩社員だ。元気よく「チュウナマです」と答える店員に、どっちでもいいか、と言いながら、堀田はそれを二つ注文した。

山崎は両手を出して、カウンターの向うから二つのジョッキを受け取り、一つを堀田に渡した。山崎が神妙な顔でいると、堀田は、人生いろいろだよ、と言いながらジョッキを口へ運んだ。
「売れ残ったコンビニ弁当を貰って、ホームレスに配るNPOの法人を作ろうと思うんだ」
その日の午後、猪俣に辞表を提出してきたという堀田は、山崎にそれを伝えるために誘ったのだ。どうしようもないほど熱くなれる何かを探したい、二人で飲むたびにそう言っていた堀田が見つけた答えに山崎は驚いたが、きらきらと光る堀田の目をみて、羨ましいような気がした。
「なんか、いいっすね。今日の堀田さん」
「しばらくスサんでたからな。『やっと見つかった』って言えるほどじゃないけど、とにかくやってみるよ」
「もう具体的な計画があるんですか?」
「計画とは言えないけど、やることは決まってるよ」
「何するんですか?」
「まずはホームレスを体験してみる」
えっ!と声を上げた山崎は、次の言葉が見つからなかった。


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2011年8月13日土曜日

俺の名は勘九郎(71)

山崎は、いきあたりばったりで無計画な性格だったが、それだけにと言うべきか、突然訪れた状況に対して物怖じするタイプではなかった。しっかり準備して本番に臨むことが習慣になっていないため、大きなポカをすることもあったが、それは若者に共通の性質なのかもしれない。役員たちが集まる会議で、突然、プロジェクトの概要説明をすることになったときも、部屋に入った一瞬こそひるんだものの、すぐに平常の落ち着きを取り戻した。それは知らないことや出来ないことを取り繕おうとしない山崎の気質がそうさせているのだった。

もしそのとき、山崎の頭の中にプロジェクトの概要が入っていなければ、山崎は恥じることなく「忘れました」と言ったはずだ。忘れてしまったことや知らないという事実を、山崎はあっけらかんと白状してしまう。それで山崎を愚か者とみなす人間もいるが、相手に悟られないように注意して、知らないくせに相槌をうち、その場をやり過ごそうとする人間がどれだけ多いことだろう。俺の観察によれば、山崎のような潔さを持っている人間は少数派だ。

唐突に会議に呼び出された山崎は、資料も手帳も持たずにやってきたが、自分が力を入れて営業した案件だけあって、プロジェクトの概要や実現までの課題などは頭の中に入っていた。山崎はそれをよどみのない口調で説明した。

説明を聞いている途中で上野は一度、フンと鼻をならしたが、それから後は無表情だった。


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2011年8月7日日曜日

俺の名は勘九郎(70)

慌てて会議室を飛び出した田中は、廊下に出るとすぐに携帯を取り出して蔵島に電話した。しかし、携帯からは「電源が入っていないためかかりません」というアナウンスが返ってくるばかりだった。田中は垣内という名の秘書に電話して、蔵島がどこにいるかを調べさせると、宮崎へ向かっていて、今ごろ飛行機の中だろうということだった。
しかたがなく田中は「山崎がいたら、いそいで8階の大会議室に呼んでくれ」と垣内に頼んだ。垣内は慌てて山崎に声をかけ、山崎は徳原グループの全体会議だとも知らず、8階の会議室へ向かった。
ノックして会議室の扉を開けた山崎は、ずらりと並ぶ役員たちの顔を見て、一瞬たじろいだ。それが、徳原建設の役員やグループ会社の社長たちだとは知らなかったが、赤茶色のテーブルがコの字に型に並ぶ会議室で、神妙な顔をして座っているのが、お偉いさんたちだろうということは山崎にも想像がついた。後方のスクリーンに一番近い席で田中が手を振ったので、山崎は、スクリーンと正対して座る役員の方を見て一礼すると、田中の方へ歩きだした。
「こんな小僧を中に入れるな!」
田中と対角の位置に座っている上野が、一喝した。
「蔵島専務が出張中なので、Fプロジェクトに一番詳しい彼に説明してもらおうと思ったのですが…」
「外で聞いて、お前が報告すればいいんだ!」
上野には、自分の周りにはべるものを一定の役職者以上にすることで、カリスマ性を演出しようとするところがあった。
「まあまあ、上野さん。もうそこに来ているのですから、若い人に発表してもらうのも、たまにはいいでしょう」
トップの綱島がとりなしたので上野が黙ると、田中は山崎にプロジェクト概要を説明するように促した。


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2011年7月31日日曜日

俺の名は勘九郎(69)

2008年になると景気は一気に悪化したが、不況こそチャンスだと考える企業があった。家具の販売で業績を伸ばしたその企業は、リゾートランドになる予定だった土地を藤吉不動産から安く買った。
複合映画施設を運営する会社を巻き込んで、リゾートプランは形を変えて動き始めた。F市はその計画に相乗りし、アクセスルートや市街地の整備を決めた。そうしてハイブリッド街路灯の計画も蘇ったわけだ。

営業部長になったばかりの猪俣は、F市のプロジェクトに、浅野ソーラーがどのように関与していたのかをまったく知らなかった。徳原グループの全体会議に田中と一緒に出席していた猪俣は、配布されたプリントに「F市のプロジェクトが再スタート」と書かれているのを見つけると「私が来る前の案件については社長からお話し下さい」と田中に言い、その件については説明する意思のないことを宣言した。徳原建設の道路建設部長が、F市が計画するアクセス道路の概要を説明し終えたとき、綱川が田中を見て聞いた。
「街路灯の方は、ハイブリッド型になりそうですか?」
徳原建設の綱川社長が、田中に尋ねると、田中は答えに窮してしまった。それを見ていた上野はイライラとして
「田中が分からないなら、猪俣が答えろ」
と命令した。
「その件については、蔵島さんから引き継ぎを受けていないので、私はなにも知りません」
猪俣は、自分の責任ではないと言わんばかりの弁明をした。田中は、次回の会議までに調べて参ります、といってその場を取り繕おうとしたが、上野は、会議が終わるまでに調べろ、と命令した。


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2011年7月18日月曜日

俺の名は勘九郎(68)

開発の主体である藤吉不動産や地元の設計コンサルタント、そして建設会社や物流会社などを歩きまわって、山崎は計画の概要をつかんだ。ウィンディーサニーを売り込むべき設計コンサルタント会社の担当者とも親しくなり、一度に100基以上の街路灯を設置できそうな大型プロジェクトに山崎は食い込んだ。

計画が詳細検討の段階に入ると、営業部長だった蔵島も熱心に動き出し、技術部からはエース格の中堅社員が投入された。リゾートランド内を走るメインストリートや周遊道路の計画が固まり、街路灯の配置や機器の概要を決める段階で、山崎は「ウィンディーサニー」と読める内容を、仕様書の原型となる資料に盛り込むことができた。

プロジェクトの概要が地元の住民に説明されたとき、アクセスルートの予定地になっている雑木林には大鷹の巣があるはずだという指摘があった。藤吉不動産の用地買収係は、土地の取得に関する交渉はまとまっているから問題ないと主張したが、自然保護団体の反発を恐れた市の責任者は、鷹の巣が見つかったら、周遊道路のルートを再検討すると約束した。

やがて大鷹の営巣が確認され、別のルート探しが始まったのだが、そうこうするうちに、景気後退がささやかれ始めた。「いざなぎ景気を超える戦後最長の好景気」と発表されていた景気は「格差景気」とも呼ばれ、浮かれた気分のまったくない好況はいつの間にか幕を閉じていた。勝ち組だった藤吉不動産の社内でも、不況に向かう時期のリゾート開発は中止すべきだという声が強くなり、結局、リゾートランドプランは、いったん凍結されることになってしまった。


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2011年7月3日日曜日

俺の名は勘九郎(67)

市役所の会議室に二人きりだったので、つい気安くなりがちだったが、それでも蔵島や部内の先輩としゃべるときよりはいくぶん気を使いながら、山崎は話した。
「はあ・・・?」
いきなり何を言い出すのかという顔の神田に、山崎はシャワールームのカーテンが尻にペタリと張り付く現象のことを説明した。
「ああ、それなら『ベルヌーイの定理』で説明できるんじゃないかな」
「エッ!もう誰かが発見しちゃってる法則なんですか?」
「スイスの人だったかな。シャワーを出すと空気の流れるスピードが変わるから、それが気圧に影響して起こる現象だと思うけど、気になるんだったら、調べてみなよ」
「そうだったんですか。世紀の大発見かと思ったのに。」
「江戸時代に生まれてたら、山崎さんの名前が物理の法則に付いてたかもしれないね」
「いや、ビジネスホテルがないと無理なんで、江戸時代じゃダメだったと思います」
「ハハハ、もっともだ」
「それより神田さん、さっき言ってたリゾートランドプランでしたっけ?それって観光地開発かなんかですか?」
「山崎さーん、営業マンなんだから、そこにすぐ食いつかないと」
「すいません。昨日の夜からずっと興奮してたもんで」
「しょうがないなあ。平成のベルヌーイに敬意を表して、教えてあげようか」
そう言って神田は、F市が計画しているリゾートランドプランのヒントを山崎に教えた。それはまだ具体化する前の段階だったが、山崎は初めて自分の手で掴みつつある都市開発の情報に、もう一度胸を震わせた。


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2011年6月22日水曜日

俺の名は勘九郎(66)

「ウィンディーサニーにシャワー機能を取りつければ、エアーダストが吸い寄せられて空気がきれいになります」
まったく売れそうにないと思った山崎は、商品化も他人に任せようと思いなおした。誰かの力を借りて、なんとか物理の法則を証明したい。それだけが偉大な人間として名を残せる道だと思い、一人でにんまりとした。
興奮の余韻があって、翌日の山崎は饒舌だった。補修費用の件を施設整備課の担当者に報告すると、前夜にチェックした「街路灯ニーズマップ」を見せて熱心に説明した。
「お金があれば、ウィンディーサニーをどんどん置きたいんだけどねえ。うちは貧乏な市だから」
坊主刈りに近い短髪の頭をなでながら、施設整備課の神田は山崎に答えた。大学院の土木科を卒業した神田は施設の維持管理をする担当者で、当時の山崎より六つ年上だった。駅前のメインストリートには、浅野ソーラーが納めた8台の街路灯がある。メンテナンス契約もあって、山崎は年に数回、F市に足を運んだ。神田とは二人で酒を飲み、2次会のスナックではコブクロを一緒に歌うこともある仲だった。業者と発注者ではなく、二人で飲むときは割り勘にする人間関係ができていた。
「ところで神田さん、昨日の夜、すごいことに気づいちゃったんですけど、ちょっと教えてもらっていいですか」
「なに?ひょっとしてリゾートランドプランの関係?」
山崎は、何のことだろうと一瞬思ったが、世紀の大発見について話さずにはいられなかった。
「新しい物理の法則を発見したんですよ。『落下中の物体には、他の物体を吸い寄せる力がある』っていう法則なんですけど、こういうのを証明するのって専門的な実験とか必要なんですよねえ」


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2011年6月12日日曜日

俺の名は勘九郎(65)

山梨県にあるF市の市街地から郊外のレジャー施設をつなぐ新しい道路ができることを真っ先に聞きつけたのが山崎で、それは当時の浅野ソーラーにとって、久しぶりの大型案件になるはずだった。
最初山崎は、新しい道路の話を聞くためにF市に出張したのではなかった。別な道路にあったウィンディーサニーがトラックとの接触により損傷したので、山崎は補修の費用を説明するために、F市へ出向いたのだ。市の担当者とのアポイントは、朝の11時だったが、山崎は前の晩、市に入り、夜のうちに街の灯りを調べて歩いた。人通りがあるわりに、明かりの少ない場所をチェックしては、用意していた地図にマークを書き込んだ。単独で出張する機会の少ない山崎だったが、上司がいなくても、生真面目に仕事をした。

ひと通り調査を終えると夜の10時を過ぎていて、ホテルのレストランが終了していることを心配した山崎は、コンビニで弁当とビールを1本買って、チェックインした。部屋に入りカバンを机に置くと、すぐに服を脱いだ。ビジネスホテルの狭いユニットバスでシャワーを勢いよく流すと、浴槽の内側に落としたビニールの薄いカーテンが、尻にピタっとくっついて、うっとうしいな、といつものように思った。うっとうしいと思うだけならいつもと変わりないのだが、そのときの山崎には「なぜ」という疑問があった。シャワーの水流が弱いとカーテンはレールから真下に垂れるのに、勢いよくお湯を出すとその薄いビニールは尻のあたりにへばりつく。何度繰り返しても同じ現象が起こった。
山崎は「万有引力」という言葉を思い出した。「落下中の物体は、それ自体が引力を持つ」山崎はそんな仮説を思いつき、風呂の中で興奮した。地面に落ちるリンゴを見てニュートンが万有引力の法則を発見したように、尻につくカーテンを見て、「落下物に生じる一時的な引力の法則」を発見したのかもしれない。山崎は、偉大な物理学者になったような気がして、どうすればその法則を証明できるだろうと考えた。弁当を平らげ、ビールを飲み干したとき、何を食ったのか分からないほど真剣だった。しかし、いくら考えても法学部出身の山崎には、証明の方法が分からなかった。しかたがないので、山崎はその法則を利用して実用品を発明しようと頭を切り替えた。


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2011年5月31日火曜日

俺の名は勘九郎(64)

「私のブログでケンカしないで。だいたい、授業中はカキコしない約束でしょ」と千葉が書いたのは、その日の夜のことだ。スージーにはムリと、猪俣が書いたのが、11:03で、30分後には川田が「決めつけないでよ」とコメントしていた。千葉だけが、自宅に帰るまで、そのページにアクセスしなかったのだ。
それを見た猪俣は、ルール違反を承知で千葉の携帯に電話をかけた。3人で集まることを提案したが、千葉は承服しなかった。千葉の社内で、談合が問題になりだしたというのだ。




俺はハンの能力に舌を巻いた。山崎の机から蔵島のポケットに移りたったの3ヶ月で、ハンはあらゆる物質の潜在的な記憶を探っていた。そうやって浅野が死んだ後のことを丹念に調べた。
ハンは過去の出来事もよく覚えていて、F市のプロジェクトというやつに山崎が入れ込んでいた理由についてもよく知っていた。その仕事に関しては、ずいぶんと山崎が熱心なことを俺は不思議に思っていたのだが、ハンの話を聞いて納得した。
F市のプロジェクトが再始動する、と山崎が聞いたのは、猪俣による談合が始まってしばらく経ってからのことだ。山崎は久しぶりに奮い立つ気持ちになった。その仕事は、山崎の情報がきっかけとなって、浅野ソーラーが食い込んだ案件で、建設予定のリゾートランドから市街地エリアまで、130基もの街路灯が整備されるビッグプロジェクトだった。
プロジェクトの計画が最初に持ち上がったのは、山崎が入社して3年目になる春のことだった。


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2011年5月8日日曜日

俺の名は勘九郎(63)

F市が現場説明会を行ったのは9月10日のことで、朝夕に虫の音が聞こえ始めた頃だが、猛威をふるった夏の勢いが少しも衰えない夏の終わりのことだった。「現説」と呼ばれるその説明会に出席したのは山崎で、猪俣が入札仕様書に眼を通したのは翌日だった。
「うちの技術で対応できるのか?」
部長席の隣にある小さな会議テーブルの向かいに座る山崎に、猪俣が聞いた。
「問題ありません」
「技術に言って、すぐにコストをはじかせろ」
「昨日、頼みました。ですけど、やる意味あるのかって聞かれました」
談合で他社が取ることに決まっているのなら、技術部としては余計な手間をかけたくないのだ。
「黙ってやらせろ」
山崎は素直にうなずいた。談合の仕組みを知らない山崎は、浅野ソーラーが仕事をとる順番なのだと理解してほっとした。そのプロジェクトは山崎にとっても思い入れの深い仕事だったからだ。
猪俣はすぐにデスクトップのキーボードを叩き、ミカりん日記を開いた。最新投稿を見ると、タイトルには「自由行動」とあって、コメントには「次の日曜日は、自由行動にしよう!」と書かれていた。日曜日とは「入札」を示す隠語で、千葉は、その案件を談合の対象から外そうと提案しているのだ。しかし、そのすぐ下にスージーのコメントがあり「私は予定通りがいいな。それが友情じゃない?」と書かれていた。猪俣はコメントの時間が記録されてしまうことを少しためらったが、「私は、ミカリンに賛成。スージーにはムリだと思う」と書いた。すると今度は「勝手に決めつけないでよ」と、川田がすぐに書き込んだ。


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2011年5月3日火曜日

俺の名は勘九郎(62)

「談合していることは社内でも極秘にしておけ」
「無駄ですよ。技術部がつくったコストを無視して入札することだってあるんですから。100万で作れるものを200万円で入札したら、仕事は取れません。そんなことが続けば、誰でも談合していると思うでしょう」
「解説されなくても分かっとる。田中は俺が抑えてやるから、あとのヤツには四の五の言わせるな」
「出来るだけやってみます」
猪俣はそう答えたが、やがて談合は公然の秘密になっていった。
初めのうち、談合のシステムは村上製作所の千葉が描いたとおりに進行した。浅野、村上、鳥海の順で一巡目を受注したあとは、累計受注金額の一番少ない会社が次の受注者となるルールで、議論の必要はなかった。ところが7回目となる入札の仕様書を読んだとき、猪俣は首をひねってしまった。山梨県のF市が用意した発注仕様書は、開発要素の多い内容で、標準品のどのタイプにも該当しないものだった。また、合計130基の街灯を一度に整備する大規模プロジェクトで、どの会社にとっても魅力的な案件だった。談合の順番から言えば、それは鳥海ウィンドパワーが受注するはずなのだが、鳥海の技術力では対応が難しいだろうと猪俣は思った。


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2011年4月20日水曜日

俺の名は勘九郎(61)

談合慣れした猪俣は、すぐに千葉と鳥海の営業マンである川田に声をかけ、ルールの調整をした。千葉は特殊事情を勘案することに最後まで反対し、結局は猪俣も折れざるを得なかった。係数の確認方法につても、千葉はそれぞれの営業マンが独自のブログを使って意思表示する方法にこだわったが、それには猪俣も川田も反対だった。一枚の紙で管理する代わりに、千葉が立ち上げたブログを使って共通認識を持つことになった。そうして『ミカりん日記』の登場人物に、ランとスージーが加わることになった。猪俣がランで、川田がスージーだ。かつてキャンディーズのファンだった川田によるネーミングだそうだ。
ラン、スージー、ミカりん…、はやく普通のオジサンに戻ってほしい。

千葉は、ミカりん日記を3人で使うことを認めたが、会社のパソコンからはアクセスしないことを条件にした。猪俣も川田もそれを承諾したが、実際に入札が始まれば、すぐになし崩しになってしまうだろうと猪俣はたかをくくっていた。
談合のルールが成立した直後、上野は猪俣を8階の応接室に呼んだ。
「何があっても、俺の名前は絶対に出すな。万が一、お前が逮捕されても、サラリーマンとして、骨は拾ってやる」
「逮捕された社員が、会社にいられますか?」
「懲戒解雇は免れないだろう。だが、ほとぼりが冷めたらグループ会社で雇ってやる。給料も保証する。それに公取は、大企業の摘発で名を上げたいのさ。街路灯メーカーなんか見ちゃいよ」
「ヘタをするつもりはありませんが、世の中が、だいぶ変わってきました。内部告発をする者が出るかもしれません」
「そんなヤツがいるのか?」
「ちょっと危ないのがいるので、様子を見ておきます」
猪俣は、堀田という名前の社員のことを思い浮かべていた。


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2011年4月7日木曜日

俺の名は勘九郎(60)

「こんな小さな業界に公取が入るわけねえよ」
上野にそう言われたとき、田中はそんなものかと思って、指示に従った。千葉にリスクを聞かされると、今度は不安になった。万が一、逮捕されるようなことになれば、上野はあっさりと自分を切り捨てるだろう。そう思うと、不安がいや増した。むしろ、上野には千葉が談合を拒否したと報告して、この話を取り下げてしまおうかとさえ考えた。しかし、嘘がばれれば、社長の椅子を失うどころか、会社にいられなくなってしまうだろう。
田中は逡巡したが、結局のところ千葉の案を了解することしかできなかった。
話を終えて、テーブルの伝票を田中が手にとると、千葉はすかさず千円札を田中に渡した。
「領収書はダメですよ」
証拠を残すまいとする千葉の徹底ぶりに舌を巻き、自腹ならもっと安いところでよかったと田中は思ったが、黙って割り勘にすることにした。
田中から報告を受けた上野は、予想通りの反応を示した。特殊事情が勘案されないことにも腹を立てたが、千葉という男のいいなりになっていることが我慢ならなかった。田中に任せておいたら、やられっぱなしになる、上野はそう思って、猪俣を呼ぶことにした。5月になって猪俣がやってきたのは、そういうわけだった。


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2011年3月26日土曜日

俺の名は勘九郎(59)

特殊事情のことより、談合そのものに対する不安の方が、田中の胸では大きくなっていった。
「分かりました。ブログというのは、誰でも作れるのですか?」
「パソコンさえあれば、誰にでもできます。ですが、ブログに書くのは係数だけにして下さい。係数を記載するのは、入札の前日ということにしましょう。受注予定者が、入札の前日にブログを更新する。他の2社は係数を使って、チャンピオンの入札金額を計算して、自社の価格を決めるのです。累計受注金額の管理は各社でお願いします。但し、こんなふうにパソコンで表を作るのはよした方がいい」
千葉は、田中がつくったシミュレーションの表を示して言った。
「分かりました。ですが、一枚の紙で管理しなければ、間違いが起こらないでしょうか」
「単純な足し算ですからね。何度も確認すれば、間違いませんよ。入札の前日に、二つの会社がブログに係数を乗せるようなことがあったら、この談合はやめましょう。累計金額の足し算を間違えたのか、間違えたふりをして、話し合いに持ち込もうとしているかのどちらかということです。私はどんな場合にだって、特殊事情を話し合う気はありません。単純な計算ミスという可能性もあるでしょう。だけど、この足し算を間違うような不注意は許されません。それが出来ない人と心中しようという気にはなれません」
千葉の言葉がすべて正しいように田中は感じた。千葉の要求をすべて飲んだ、と上野に報告すればドヤされることは分かっていたが、田中は談合そのものに対して臆病になっていた。しかし「やっぱり談合はやめましょう」と言えば、殴られんばかりの言葉を浴びせられることも分かっていた。話を反故にできないのなら、千葉の言う通り少しでもリスクを減らすことを考えるしかなかった。千葉のような覚悟が、田中にはこれっぽっちもなかった。


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2011年3月7日月曜日

俺の名は勘九郎(58)

「2.5が係数ですよ」
「えっ!?」
「それは私がつくったブログです。つくったと言っても、グーグルのテンプレートに文字を入れただけですけどね」
「ミカりんもアキラも架空の人物ということですか?」
「恥ずかしながら、ミカりんというのは、うちの娘のニックネームです。アキラ君というのが、どうもボーイフレンド以上の関係のようでしてね。このブログはうちのパソコンでつくりました。万が一、自宅のパソコンが押収されても、カムフラージュになるでしょう。美香がこのブログの存在を知ったら、たぶん私は殺されますけどね」
千葉はそこで、いたずらっぽく笑った。
「談合って、そこまで慎重にやらなきゃいけないものなのですか」
田中はうなるように言った。
「やるなら、刑務所に入ることも覚悟してやるべきです」
千葉の目は、もう笑っていなかった。
「私の認識が甘かったようです」
田中が不安そうな顔をしていると、千葉が押し込むように続けた。
「この話は、浅野ソーラーの社長である田中さんが持ちかけたのですよ。あなたから電話があったとき、私は考えました。弱肉強食の世の中がいいのか、談合で安定する世の中がいいのか。都合のいい理屈に聞こえるかもしれませんけれど、自己正当化のために言っているわけではありません。談合で逮捕された社員を会社が守ってくれる時代じゃないですからね。懲戒解雇で、退職金も払われないリスクを考えたら、やってられませんよ。それでも勝ち負けだけの市場原理がすべてじゃないように私は思うのです。だから証拠が残りにくい方法を必死で考えました。特殊事情を話しあうために集まったり、携帯でやりとりするのは、まっぴら御免です」


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2011年3月1日火曜日

御礼

月に2回か3回しか更新しないにもかかわらず、いつも来て下さって本当にありがとうございます。
「続が楽しみ」をクリックしてしてもらうことが励みになり、今日まで書き続けることが出来ました。

卒業式のシーズンになりますが、このサイトを卒業するのはまだまだ先になりそうです。

これからも、よろしくお願いします。

俺の名は勘九郎(57)

「ホームページを使うのです。浅野さんだって、型式毎に標準価格を載せているでしょう。役所の仕様書を見れば、どの型式かはすぐ分かる。標準価格×台数×係数で入札金額を決めるのです」
「係数?」
「ええ。特殊な場所で工事をする場合、標準価格×台数が答えじゃないこともあるでしょう。その場合は、係数を高くします」
「係数もホームページに書くんですか?」
「そんなことをしたら、怪しまれてしまいますよ」
「それじゃあ、どうやって係数を連絡するんですか」
「ブログを使います」
「ブログ?」
「使ったことありますか?」
「ホームページと違うのですか?」
質問に答えようにも、田中には違いが分からなかった。
「似たようなものですけど、ブログは個人の日記みたいなものです」
すると千葉は、携帯を取り出して、ディスプレイをスライドさせ、小さなボタンを何度か押した。千葉が田中に携帯を渡すと、画面には『ミカりん日記』とタイトルがあり、その下には「今日のアキラとは、2.5ラブ。アキラには秘密だけど、ラブラブ指数をこっそり公表しちゃいます」と書かれていた。
「なんですか、これ?」


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2011年2月22日火曜日

俺の名は勘九郎(56)

「しかしそれでは、個別の事情を反映できなくなってしまいます。どこの業界でも、特殊事情を反映させてチャンピオンを決めてきたと聞いてますが」
「それが談合システムを崩壊させたんですよ。特殊事情をつくるために、政治家や役人に賄賂を送ってきたんでしょ。徳原建設だって、贈賄事件で叩かれて、脱談合に踏み切ったのでしょう」
「しかし、汗をかいた会社が報われなかったら、社会主義と同じになってしまうじゃないですか」
田中の力説は、上野からの請け売りだった。
「社会主義でいいんですよ。それが嫌なら、弱肉強食でやればいい。結局のところ、どちらかしかないのです」
「社会主義じゃ、だれも努力しない世の中になってしまうじゃないですか」
「資本主義だって、努力を続けられるのは、ほんの一握りの人間だけです。格差社会が定着したら、負け組は努力する気力を失ってしまったじゃないですか。弱者が飢え死にする世の中よりも、社会主義の方がマシだと思ってます」
「極端な考え方だ」
「極端に考えた方が、答えを出しやすいんですよ。今回の話は、完全な平等にするか、やらないか、そのどちらかです」
田中は反論に窮した。上野からは、談合のシステムが成立したら、特殊事情を使って他社を出しぬけ、と命じられていたから、すんなり千葉の言うことを認めてしまうわけにもいかない。田中が考え込んでいると、千葉はさらに続けた。
「特殊事情を話し合うために集まるのはリスクが高すぎます。ライバル会社の営業マンが雁首そろえているとこを見られたらまずいでしょう」
「毎回、集まろうとは思ってません」
「じゃあ、どうするんですか。メールやFAXを使うわけにはいかないし、電話だって通話記録が残ってしまう」
「それはそうですけど、じゃあ、どうやって入札金額を確認するんですか」
田中は、怪訝な顔をして聞いた。


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2011年2月1日火曜日

俺の名は勘九郎(55)

ホテルのラウンジに入ると田中は一番奥の席を要望した。ウェイトレスがメニューを置いて、お決まりになったらお呼び下さい、と二人に言うと、千葉はすぐに「ブレンドコーヒーで」と注文した。田中が、私もそれで、と言うと、ウェイトレスは笑顔を作って、ご注文は以上でよろしいでしょうか、と確認する。千葉が黙って頷くと、彼女はメニューを取り上げ厨房へ下がっていった。
「名刺交換はよしましょう。趣旨は聞いていますから」
内ポケットから名刺入れを取り出した田中の先を制して、千葉が言った。
「お忙しいところ、時間をとって頂きまして、本日はどうも有難う御座います」
田中が用意していた口上を言うと、
「手短にいきましょう。仕組みは考えてあるのですか?」
と、千葉は単刀直入に聞いた。田中は、カバンの中から、A4の紙を取り出して「一応、各社の受注金額が均等になるようにシミュレーションしてみました」と言ってその紙を千葉に渡した。千葉は、左から右へと忙しく瞳を動かし、一番下の辺りで目の動きをとめ、黙って頷いた。田中の作ったシミュレーションは、最初に受注したのがA社なら、次はB社、その次はC社が受注するというもので、それ以降は、累計受注金額の最も少ない会社が次の仕事を取るという単純な仕組みだった。但し、表の下に※印があり、「チャンピオン決定の方法は上記を原則とするが、特殊な事情がある場合は、各社の協議によって決定できるものとする」と記載されていた。
「※印を削除して下さい。累計受注金額の一番少ないところが次のチャンピオンになればそれでいいんですよ」


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2011年1月22日土曜日

俺の名は勘九郎(54)

ハンから聞いたところによると、新設する街路灯に国の補助金がつく制度が始まったのは、浅野が死んで2カ月ほど経った4月のことだった。上野が画策しなくても、エコタイプのハイブリッド街路灯に補助金をつけることは、国も考えていたのだ。国が定めるエネルギー効率の基準は、それなりに厳しいもので、制度が始まったときに条件を満していたのは、ウィンディーサニーだけだった。すぐに、村上製作所の「ひまわり君」と鳥海ウィンドパワーの「ウォッチングバード」も、補助金対象商品として認定されたのだが、それ以降、国の基準を満足できる製品は現れなかった。
ハイブリッド型の街路灯を選んでも、旧来型の街路灯でも、自治体が負担する費用は一緒になったので、老朽化した街路灯の更新工事や新しい公園への新設工事が決まると、入札に呼ばれるのは、3社だけという状態になった。
結果的に、上野が目論んだ寡占の状態になっていたのだ。
上野の指示を受けた田中は、すぐに高校時代の友人だという村上製作所の設計部長に電話した。談合を持ちかけられた設計部長は驚いたが、「そういうことなら、営業に話してくれ。お前から連絡が行くことは伝えておくよ」と言って、田中に営業部長の個人的な連絡先を教えた。
ゴールデンウィークが明けてすぐの火曜日に、田中は村上製作所の営業部長を都心にあるホテルのロビーに呼び出した。夜のホテルで待ち合わせなどしたことのない田中は、そわそわとしながら、話の切り出し方を考えていた。
村上製作所の営業部長は千葉といって、大学時代、バスケットボールの選手としてインカレにも出場したことのある大柄な男だった。黒い髪が少しだけ残った白髪は短く刈り込まれ、ネギ坊主のような頭の下で、鋭い目が光っていた。


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2011年1月7日金曜日

俺の名は勘九郎(53)

《浅野は、何に対してもそうでした。家族旅行から帰ってくると、車のボンネットにそっと触れていました。お疲れさん、と心の中でねぎらっていたのです。一番のお気に入りはロレックスの腕時計だったのじゃないですかね。私は彼に嫉妬したことさえあります》
難儀だな、俺はそう思ったが、その念は閉じ込めておいた。人間との関係性が俺とハンとでは違うのだ。俺たちは人間に依存して生きていくことなどない。人間だって、カラスと共存したいとは思わないだろう。いつから俺たちは、こんなに悪者にされてしまったんだろう。昔は神の使いとして崇められたこともある。三本足のカラスがいて、そいつは「やたがらす」と呼ばれている。サッカー協会のマークに使われているあれだ。かわいい七つの子がいるカラスもいて、そいつは歌にも歌われていた。ちなみに、七つというのは7歳のことだ。歌の意味を知っている人間もほとんどいなくなってしまった。
《きっとまた、いい関係になれる日がきますよ》
いつのまにか俺の念を拾って、ハンが話しかけてきた。
《閉じていたつもりだがな》
《完全に閉じるというのは、全く何も考えないのと同じくらいに難しいものです》
《ハンは完璧にコントロールできているじゃないか》
《そんなことはありませんよ。ただ、浅野の気持ちを知りたくて、鍛えられた部分はありますね》
《片想いの恋みたいだな》
《片想い…。自分でもよく分からない感情です。私たちは、自分で子供をつくることはありませんから、生きものとは違った感情があるのかもしれませんね》
ハンの気持ちを理解するのは、俺には難しいようだ。


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