2008年12月26日金曜日

オリンピックとサッカーW杯

2016年のオリンピック開催都市に東京が立候補しています。「日本サッカー協会の犬飼会長は、東京でのオリンピック開催がワールドカップ2018年日本招致立候補の条件になるという考えを示した」(26日朝日新聞朝刊)そうです。オリンピックがないとスタジアムの整備が進まないことを理由にあげています。

オリンピックとサッカーのW杯は運営組織の違う全く別な大会ですが、東京でオリンピックが開催された2年後にW杯が開催されるということがありえるのだろうかと疑問に感じました。オリンピックにもW杯にも大きな経済効果があるといわれています。大会の開催には競技施設やインフラ整備などのために莫大な費用もかかり、経済的なメリットだけを追及した場合にどれだけの利益見込みがあるのかは不明です。オリンピックの招致については無関心な東京都民が多いとも言われていますが、一般的にはオリンピックやW杯の開催都市には大きな栄誉が与えられたと考えられています。少なくともIOCやFIFAからみれば、開催地に決定した都市は「大喜びしている」ことになるでしょう。オリンピックが東京に決定した場合、2年後にもう一つの国際的な超ビッグイベントのW杯も日本で行われることが、FIFAの判断に影響を与えないのだろうかと素朴に思いました。

個人的には、オリンピック種目でもサッカーでも世界最高レベルのプレーをスタジアムで見られる可能性が高まることには賛成です。価値観が多様化するなか、2016年や2018年の日本社会に「オリンピックへの憧憬」や「ワールドカップでの熱狂」というものが生まれるのか分かりませんが、大会が終わって10年くらい経ったときに、意義のある大会だったと振り返れるようなオリンピックやW杯であってほしいと思います。そんな期待の持てる大会なら、多くの人が招致に賛成するでしょう。

2008年12月24日水曜日

今日はなんの日

昨日は、天皇誕生日でした。ニュースをみて、「あー、今日は天皇誕生日だったか」と思った人もいるかもしれません。この人にとって、「天皇誕生日」は「敬老の日」や「勤労感謝の日」くらいの重みしかありません。ニュースを見る前に「今日は、天皇陛下の75歳の誕生日だな」と知っていた人もいるでしょう。その人にとっては、他の祝日より重みのある一日だったかもしれません。
ところで、明日はイエス=キリストの誕生日です。「キリストが生きていれば、かぞえで来年は2009歳か。西暦元年は、たった一週間でおわり、1月1日には西暦2年になってしまったのかなー」なんて考えている人はいないと思います。(西暦1年とキリストの生まれた年の関係については諸説あるようです)
日本では天皇誕生日とキリストの誕生日に挟まれた今日が、一番盛り上がる日のようです。いつ頃からそうなったのかは知りませんが、仕事と恋人のどちらをとるかを迫られる踏み絵のような一日です。「どんなに仕事が忙しくても、クリスマスイブだけは残業しない」と宣言していた友人がいます。たとえ彼女がいない年でも絶対に残業はしないそうです。「それが男の意地」だとか。
「お祝いに夕食でも」と彼女とデートするのは誕生日の当日ですが、キリストの誕生祝いは前日の夜。毎年、意味のないことを考えてしまう12月24日でした。

2008年12月22日月曜日

だれのための施設?

2008年1月に全面供用開始されたナショナルトレーニングセンター(NTC)を見学してきました。
地上3階・地下1階の屋内施設には、世界最大規模の1000畳敷きの柔道場、バスケットボール・ハンドボール・バドミントンコート、レスリングの専用練習施設などがあります。たくさんの高機能ハイビジョンカメラも設置され、パフォーマンスの分析に活用されています。基本設計から3年以上かけて完成した設備の総工費は、陸上トレーニング場などの屋外施設を含めて370億円(2008年1月21日 msn.産経ニュースより)になります。
トップアスリートが集中的に練習する環境が整い、競技者のレベルアップに資するすばらしい設備でした。

「手前から3番目がオグシオの汗をたっぷりすいこんだコートです。彼女たちはあのコートを愛用してました。ちなみにスエマエがよく使っていたのは、一番手前のコートです」
「ラウンジではいろいろな種目のトップアスリートが交流して、情報交換することができます。ちなみに、卓球の福原選手とテニスの錦織選手もここで愛をはぐくんだという噂もあります」
と施設の案内者がサービス情報を提供してくれたりします。

トップアスリートの育成に国が関与することや、いわゆる「箱もの行政」を嫌う意見もあります。
「オリンピックのメダルを税金で買う必要があるのか」という批判もあるかもしれません。
湯水のごとく金をかけるべきだとはいいませんが、競技力の向上にある程度国が力をいれるのは賛成です。どんな種目でも最高のパフォーマンスをみるとワクワクします。その結果を残した人が日本人であれば、うれしく感じたり誇らしげな気分になります。他人のやっていることを自分のことのように喜び、競技に望むまでのプロセスを知って感動したりします。
怒りがこみあげたり、悲しみにくれるばかりのニュースが多い現実社会の中で、泣いたり笑ったりできるスポーツシーンはひと時のやすらぎを与えてくれます。映画や音楽でいやされることもありますが、なにが起こるか分からないスポーツのドキドキハラハラ感が僕は一番好きです。

ところで、NTCを紹介するビデオの最後が「すべては、トップアスリートのために」という言葉で締めくくられていました。カッコよく仕上がったそのビデオにぴったりとはまる言葉ではあります。たしかに施設の大部分はトップアスリートしか使えないし、彼らの技術力UPやメンタル面を支援する設備です。
それでも、「すべては、日本の元気のために」と言ってほしかった。

2008年12月18日木曜日

ボクシングの日本代表

あるパーティーで、北京オリンピック ボクシング日本代表の清水選手と食事をする機会がありました。彼は自己紹介で、開口一番「北京では、メダル狙ってました」と言い切りました。
自意識過剰な若者の強がりでもなく、自己顕示欲が強いものの負け惜しみでもなく、さらりとさわやかに語った言葉に、清水選手の自信と自負が表れていました。
清水選手は、駒沢大学の学生で北京五輪ではフェザー級(57kg)の試合に出場しました。この階級には世界中から28人の選手がエントリーしています。2回戦から登場した清水選手は、初戦に勝てばベスト8進出です。昨年の世界選手権で3位となったトルコのキリク選手と対戦。惜しくも、9-12の判定で破れてしまいました。
試合の模様をユーチューブの動画で確認しましたが、客観的に見てこの判定は明らかな誤審です、
とぼくが断定することはできません。主観的には清水選手有利のように見えますが、アマチュアボクシングの採点基準も知らずに勝手なことをいうのは控えます。
最終的にトルコのキリク選手は銅メダルを獲得しました。清水選手には悔しさも残っていますが、世界と十分に戦えるという確かな手応えも得ました。
現在大学4年生の清水選手は、悩んだ末にロンドンを目指すことを決意したそうです。アマチュアボクシングを続けながら社会人として生活するのは大変でしょうが、自分で決めた道を突き進み、納得できる結果を残してほしいと思います。

パーティーの席で、自分のことを語る清水選手には堂々とした落ち着きがありました。他の人の話を謙虚に聞く耳も持ち、その時の様子を自身のブログで「かなり勉強になった」と書いています。
トップアスリートに必要な自信と向学心をもった清水選手のこれからに期待し、応援していきます。

清水選手のブログはこちら。
http://boxing.sportsbuaka.com/?p=169

2008年12月16日火曜日

カーボン・オフセットの年賀ハガキ

温暖化対策の一つにカーボン・オフセットという手法があります。生活したり商品を購入すると、その過程で二酸化炭素を排出します。排出した二酸化炭素を打ち消すために必要な費用を、受益者が負担する仕組みです。例えば、快適に生活するためにエアコンで暖房したとしましょう。厚着して我慢すれば二酸化炭素は発生しませんが、暖房器具なしで冬は過ごせません。やむを得ず発生した二酸化炭素を打ち消すために、通常の電気料金に二酸化炭素の吸収に必要な料金(植林に必要な費用の一部など)を上乗せして支払うのがカーボン・オフセットの考え方です。
年賀ハガキにもカーボン・オフセットタイプと通常タイプがありました。カーボン・オフセットタイプは通常タイプより1枚あたり5円高く設定されています。環境意識が高い人はこちらを買いますが、そうでない人は通常タイプを買います。1枚あたり5円の費用で、排出した二酸化炭素と吸収する二酸化炭素が同量になるのがカーボン・オフセットの建前です。しかし、50円のハガキに対して5円くらいの上乗せがちょうどいいので、その価格に設定したようにも感じます。実際に計算すると1枚あたり4.3円かもしれませんし、5.7円かもしれません。もちろんちょうど5.0円という可能性もあります。「5.7円なら許せるが、4.3円だったらけしからん」と思うくらいなら、最初から通常タイプを買えばいいのですが、いまいち納得できません。環境のために必要なのだからすべてをカーボン・オフセットタイプにすべきだという別な議論もあります。この論理だとすべての商品をカーボン・オフセットタイプにすべきだということになるのですが、それなら消費税の一部を環境税にすべきです。ゴミ焼却設備や下水道設備を環境意識の高い人たちだけのお金で賄うことはできません。カーボン削減が社会生活に必要なものであるなら、やはり税金として徴収すべきでしょう。
年賀ハガキ売り場の前でしばし考えていると、「日本郵便」のはっぴを着た売り子さんに「どのタイプにされますか?」と聞かれたので質問してみました。
「このカーボン・オフセットタイプというのはなんですか?」
「あ、これは環境のため寄付金つきのハガキです」
寄付なんだ! それなら5円でも10円でも設定は自由です。うーん、それならカーボン・オフセットと言わずに環境保護の寄付金つき年賀ハガキと書いておけばいいのに。
頭のなかで屁理屈をぐるぐるめぐらせながら、インクジェットタイプ(通常料金)を買って帰りました。

※環境省のHPに記載されているカーボン・オフセットの定義
カーボン・オフセットとは、日常生活や経済活動において避けることができないCO2等の温室効果ガスの排出について、[1]まずできるだけ排出量が減るよう削減努力を行い、[2]どうしても排出される温室効果ガスについてその排出量を見積り、[3]排出量に見合った温室効果ガスの削減活動に投資すること等により、排出される温室効果ガスを埋め合わせるという考え方です。

2008年12月13日土曜日

攻めるような防御の気持ち

「最後まで攻めの気持ちで戦います」スポーツ選手のコメントに多い重要な心構えですが、実践が難しいことも確かです。Jリーグでは、磐田VS仙田の入れ替え戦がありました。2対0とリードされてロスタイムに入った仙台は必死のプレーで1点を返し、なおも怒涛の攻撃を続けます。あと1点でJ1昇格、入れられなければ磐田にJ1残留を許してしまいます。残りわずかな時間ながら、仙台の激しい攻撃が止まりません。結局2-1で仙台が破れましたが、ロスタイムのような勢いで試合の序盤から攻めていれば負けることはなかったようにも感じます。しかし、ロスタイムに入ってからの運動量では1試合は持たないでしょうし、守備面のほころびからもっと失点していたかもしれません。
柔道では嘉納杯東京国際大会が開催されていましたが、こちらも、終盤にリードを許している選手は必死に攻め、ポイントで優っている選手が守勢に回っていました。
攻め続けることだけが何かを得る唯一の方法となったものの戦いぶりは観ている人を興奮させます。
最後まで攻め続ければ必ず勝てるわけではなく、守り切る戦術も必要です。早く時間が経って欲しいと逃げる気持ちではなく、城を襲ってくる敵を蹴散らすような気持ちも「最後まで攻める気持ち」のひとつです。
やはり、攻める気持ちの強いことが勝利を手にする条件なのでしょう。

2008年12月12日金曜日

いきている言葉

心理学の本に「イド」「エゴ」「スーパーエゴ」という言葉がありました。精神分析学者のフロイトが心の構造を表現するために使った言葉です。
イ ド :本能的欲望や原始的衝動の集まりで、快感や欲求充足を求める強いエネルギーの塊。
エゴ(自我) : イドの衝動性をコントロールするもの。正気を保ち知恵を働かせること。
スーパーエゴ(超自我):道徳的良心。
3つを簡単にまとめるとこのように書いてあります。
イドという言葉になじみはありませんでしたが、イドとエゴを反対に理解していたようです。
「スーパーエゴ」は、「ものすごく身勝手な人」だと思いこんでいました。

ところで、「エゴイスト」を辞書で調べると、「利己主義者」と書いてあります。この認識は間違っていなかったようです。「スーパーエゴ」を調べると、「フロイトが用いた言葉で道徳的良心」とあります。
「スーパーエゴイスト」は、辞書には載っていませんでした。そんな言葉はなかったのでしょう。

イドとエゴがどこかで反対の意味に使用され、エゴイスト=利己主義者として広まったのかもしれません。
誤用が広がり慣用的に使用されると、やがて一般的な言葉になります。自分は正しい用法を使い続けているのに、誤用が普及して一般化されていくと不機嫌な気持ちになることがあります。「言葉は変態する生もの」だと思っているので、柔軟に対応すべきだと考えています。それでも、書き言葉としての「ら」抜き言葉は許せん、などと思っているぼくはやっぱり「旧守派」なのかもしれません。

2008年12月10日水曜日

何歳から大人?

朝日新聞の世論調査によると「民法上の成人年齢を20歳から18歳に引き下げることに反対が56%、賛成は37%」(10日朝刊)とあります。
現行の民法では、20歳から成年と規定されています。一般に「未成年」という言葉はありますが、「未成人」とは言いません。法律学上、「成年」と「成人」は区別すべき概念ですが、ひとまず「成年=成人」として扱います。未成年者は、親の同意なしに結婚したり、飲酒・喫煙をしてはいけないことになっています。
世論調査では、「選挙権を18歳に引き下げることにも57%が反対(賛成38%)」とあります。ところが、少年法の「20歳未満を少年」とする規定については、81%が「18歳未満に下げた方がよい」と回答しています。「罪を犯してはいけないことを自覚すべきだが、選挙に行ったり親の同意なしに結婚できるほどの判断力はないのが18歳である」と解釈すべきでしょうか?

○18歳の人間に、さまざまな権利を与えてしまうのはなんとなく不安だ。
○18歳の人間が罪を犯した場合、少年院で更生させるのではなく、刑務所に入るべきだ。
調査は有権者を対象に実施したそうです。大人の身勝手が調査結果に現われているような気もします。

18歳の社会人や大学生が、喫煙や飲酒で逮捕されたという話はききません。しかし未成年者喫煙禁止法と未成年者飲酒禁止法はちょっとくらい破ってもいい法律、というわけではありません。「ちょっとくらい破ってもいい法律」があると法律を守る意識が薄れていきます。「18歳でタバコをすってもつかまらないのだから、大麻をすってもつかまらないだろう」と考える人は少ないと思いますが、遵法意識を高める意味でも「18歳は成人」に賛成の一人です。

2008年12月8日月曜日

カットアンドペースト【リアル】

ほぼ毎日する作業にカットアンドペーストがあります。はさみとのりを使って新聞や雑誌を切っては、スクラップブックに貼り付けています。いまどき、リアルな切り貼りをしている人は少数派かもしれません。もちろん、パソコンをつかって情報を保管することもあります。ただ、ネット検索した情報の場合、ときどきコピペを怠ってしまいます。同じ検索ワードをいれれば、いつでもアクセスできると思ってしまうからです。
わざわざ記事をスクラップしなくても、パソコンを使えば同じ情報やさらに深い情報に出会うケースもたくさんあります。それでもスクラップするのは、パソコンで検索するより効率的な場合があるからです。パソコン上でのコピペと比較して「リアル切り貼り」は手間がかかる分、スクラップした事実だけは忘れにくいものです。大脳には体の動きをコントロールする運動野という部分がありますが、その中で手や指の動きをつかさどる部分は、足や胴体に関連する部分に比べ著しく大きいそうです。「あの記事スクラップしたはずだなー」と思い、パラパラめくるとすぐに出てきます。しかし、ネットで再検索すると似ているけれど前回みた情報と違う内容がトップに表示されることもあります。その付近の記事をいろいろと読んでしまい、必要な情報にたどりつくまでの時間が余計にかかってしまいます。
時間に余裕があればPC検索で付加的な情報を得られることもありますが、急いでいるときはダイレクトに前回読んだ記事にたどりつきたいものです。

(ネットメディアと活字メディアについて・・・を、いずれまた。)

2008年12月7日日曜日

自己責任か連帯責任か

ボクシングの定年制度に関する話題が、ときどき取り上げられます。元世界王者の辰吉丈一郎(38歳)がタイで試合をしたことが契機となっているのでしょう。
ヨネクラジムに所属する西沢ヨシノリ(42歳)も海外で試合を続けています。ヨネクラジムの会長は、年齢で規定する定年制度そのものに反対しています。日本ボクシングコミッション(JBC)の既定では、原則、満37歳でライセンスが失効します。事務局長のコメントに「ボクシングは危険と隣り合わせ。どこかで線を引くしかない」とあります。(以上 12月2日 朝日新聞朝刊より)
余力があるうちに引退するも、ボロボロになるまで続けるも、スポーツ選手には自分の意思で進退を決めてほしい。個人的にはそう考えています。しかし、安全面に問題がある場合、本人の意思だけを尊重すべきと断言できません。自分の意思でやるのだから怪我しても自己責任、という意見もあると思います。選手本人が本当に命がけで戦っているケースもあるでしょう。その心意気は観ているものを感動させます。しかしプロスポーツ選手の場合、金銭的な影響が本人以外にも波及します。結果的に、周囲の思惑が選手を動かしてしまうケースもあります。
事故が起こってしまえば、関係者や監督すべき組織がやめさせるべきであったと非難される場面も出てくるでしょう。自己責任を超えた連帯責任が生じているはずです。
神戸9クルーズは、いくつかあるプロ野球の独立リーグの中で、最も有名なチームの一つでしょう。トライアウトに合格した吉田えりは、プロ野球選手としての実力に問題がないのだと思いますが、安全面を疑問視する声もあります。人気だけが先行しすぎると、実力をつける前に登板する機会が出てくるかもしれません。プロ野球選手としてマウンドに立つ本人の夢や球団の営業的要素は理解できますが、万が一の結果に対する責任は個人や監督だけが負うものではありません。球団にも責任がある。リーグにも、マスコミにも・・・。社会全体を連帯責任の装置と考えることもできます。

・険しい山の登頂に挑む。
・前人未到の地を冒険する。
・戦地を報道する。
・政情不安な国を放浪する。
・プロスポーツ選手の限界へ挑戦。
線引きは簡単ではありませんが、その人の行動を社会として止めるべきか否か、そこが自己責任と連帯責任の境界なのだと思います。

文中敬称略

2008年12月6日土曜日

ミシュラン 様

「ミシュランガイド香港・マカオ」が現地で発売ました。東京についで、アジア地区では2番目の刊行だそうです。香港で三ツ星を獲得したレストランは1店のみで東京の9店と比較すると著しく少ないことに、「欧米人に地元の味はわからない」と反発の声が上がっているとの新聞記事がありました。
昨年、東京で初めて発売された時と同様の喧噪が香港にもあるのだと思いますが、三ツ星レストランの数が少ない分だけ議論はさらにかまびすしいのかもしれません。
欧米人に地元の味は分からないと自信を持って言い切れるなら、無視すればいいだけの話ですが、反論するのは相手に権威があることを認めている証拠です。
たとえば、このブログでA店は三ツ星、B店は星なし、C店は・・・、と書いても「あなた何さまのつもり?」という反論さえないでしょう。
反論すればするほど、「ミシュラン様、違いの分かるはずのあなたが、なんで香港の店の良さを分かってくれないのですか」と訴えているように聞こえてしまいます。
媚びたくはないけど、無視もできず。権威に弱いのは、日本人ばかりではないようです。

2008年12月5日金曜日

人生の短さについて ~自己啓発とダイエット~

“偉大な人物、つまり人間の犯すもろもろの過失を超絶した人物は、自己の時間から何一つ取り去られることを許さない。それゆえ、この人の人生はきわめて長い” 古代ローマの政治家であり思想家でもあるセネカの言葉です。約2000年も前にローマの人が話した言葉が、今でも世界中の人に共感を与えていることに驚きます。
同じような内容でも表現や言葉を少しづつ変えることで、自己啓発本はいくらでもつくれるそうです。著者の言葉が読者の胸に響くかどうかが、ベストセラーと埋もれてしまう本の分かれ道。
世界中でベストセラーとなった「道は開ける」を書いたD・カーネギーは、古今東西の金言・箴言や成功者が体験をつづった本を何百冊もよんで、エッセンスを一冊の本にまとめたがちっとも面白くない本が出来上がってしまったと述べています。そこでその知識を生かし、自分で見聞したことや体験したことを中心に記述したところ満足のいく本が書けたそうです。
さて、貴重な言葉をなんども聞いたり読んだりしているのに、しばらくすると忘れてしまうのが悲しいところです。とっておきのダイエット方法を学んだのに、しばらくするとダイエットしていること自体を忘れてしまうのに似ています。黒酢ダイエット・バナナダイエット・ダンベルダイエット・・・。
人間とは忘れっぽくて、飽きやすい動物です。自己啓発本やダイエット本、ビジネス指南書などが次から次に出てくるのは、このためです。
そういえば最近も関西弁をしゃべるゾウさんのような神様の本を読んで、一時的に発奮したような記憶があります。
次に読むべきは「学んだことを忘れないための脳活用術」という本かもしれません。

“ ”内の引用部分は岩波文庫 「人生の短さについて」(セネカ著)より

2008年12月4日木曜日

判官びいき

大洋ホエールズ と 読売ジャイアンツ
ケイ と ミー
ミキ と ラン と スー
曙 と 貴乃花
ホンダ と トヨタ
佐伯組 と 浅尾組

左側がぼくの応援している方でした。
フロイトの解説によると、かなり屈折しているそうです。
フロイトでもユングでもなく、自己分析しようとしましたが、考えがまとまりませんでした。
また、いつか。

2008年12月3日水曜日

女性プロ野球選手

関西独立リーグで、日本初の女性プロ野球選手が誕生します。同リーグのドラフト会議後、神戸9クルーズの中田監督は、「ナックルは本当に大きく揺れる。話題性もあるが、戦力として面白いから指名した」とコメントしました。しかし3日の朝日新聞社会面によると、安全面に対する不安として同監督は「実はピッチャーライナーが心配だ」ともコメントしています。

“日本高校野球連盟が、女子選手の公式戦出場を認めていないのも、危険性を指摘する指導者が多いため”と同じ紙面にあります。

朝日新聞の論調は「基礎体力や安全面に不安もあるが、夢の第一歩を踏み出した」というものです。

しかし、ピッチャーライナーで安全面に心配がある選手なら、本来ドラフトで指名すべきではありません。
僕自身は「女性がプロ野球をやってはいけない」とか、「やりたいなら、女性だけのリーグを作ってやるべきだ」という意見ではありません。実力が伴っていれば、最高峰のリーグが女性・男性にかかわらずプレーする機会を与えるべきだと思います。

サッカー・なでしこジャパンの最高レベルの選手がJリーグでプレーしたら、どの程度通用するのか?
彼女の活躍を見てみたい気もします。

では、陸上競技の記録面だけを調べてみると・・・

女子100m 歴代日本記録 11秒36。
男子100m 今期(6月まで) 高校生の50位 10秒87

女子5000m 歴代日本記録 14分53秒22
男子5000m 今期(6月まで) 高校生の50位 14分38秒30

女子400mハードル 歴代日本記録 55秒46
男子400mハードル 今期(6月まで) 高校生の50位 54秒64

男子の記録は、今年の1月~6月までの高校生50傑の記録と比較しました。(手元にあった「陸上競技マガジン 7月号」にて確認。)
ちなみに、上記のどの種目でも日本人高校生トップの記録が、同じ時期の日本人男子(社会人・大学生 等)30傑にランクインできていません。

女性アスリートが、男性のトッププロと互角に戦うには、歴代日本人女性の中でもずば抜けた力量や技量が必要のようです。

2008年12月1日月曜日

裁判員裁判と被害者参加制度

裁判に関する制度に変更があり、12月1日から刑事裁判において被害者参加制度が始まります。これまでは証人や傍聴人としてしか裁判に参加できなかった被害者やその家族が、被告人に質問をしたり、求刑することができるようになります。裁判報道を見ていると、裁判官が、被害者やその家族の心情からあえて距離をとっているような印象を受けることがしばしばあります。「適切な判断を下すため、法廷論争に感情論は不要」だということでしょう。

人の腕をナイフで刺すという2つの事件が発生したとします。被害者の意見以外は同じ条件下で起こった事件だと仮定しましょう。被告人は「相手は誰でもよかった」と発言しました。
「怪我のせいで2ヶ月間仕事をすることができず、その間の収入が0になってしまった。家族の食事代さえままならない生活を余儀なくされた。」と訴え、被告人に重い刑を求める被害者Aさんのケース。
怪我の回復には2か月程度かかりましたが、収入を含め経済的な影響はあまり大きくなかった被害者Bさん。「被告人の行為は許せません。適切な刑が執行されることを望みます」と主張します。
この2つのケースでは、刑の重さに差があるべきでしょうか?被害者が求刑することがなかったこれまでなら、量刑に差は生じないのでしょう。では、Bさんの発言がさらに踏み込んで、「被告人の行為は許せませんが、更生のチャンスがある寛大な配慮も必要と考えます」と発言したらどうでしょう。

被害者が意見や求刑できる制度には賛成です。しかし、法律の専門家でないぼくが、このような問題を裁く立場になったら、正しい判断ができるのか甚だ疑問です。裁判員裁判の候補者通知が来ていないことに、ほっとする人もたくさんいるのではないでしょうか。

2008年11月27日木曜日

言っていい「人」と悪い「人」がいる

“「常識欠けた医者が多い」は患者の常識”週刊新潮(12月4日号)の見出しにこうあります。麻生首相発言を受けてのテーマですね。首相の発言としては極めて不適切な言葉も、週刊誌の見出しとしては問題のないところにマスコミの妙があります。非常識な医者=不適切な医療行為を行う医者ではないかもしれませんが、一般的な感覚としては医師には常識人であってもらいたいところです。
どんな業界でも、良識のある人もいれば、非常識な人もいるものです。絶対数で何人の非常識な医師を知っていても、医師に非常識な人が多いか少ないかを断定することはできません。誰が見ても「常識のない人」もたまにいますが、「あいつには常識がない」と言う場合、主観的な判断によるケースが多々あります。
「あなたは非常識な人ですか?」とアンケート調査されて、「ハイ」と答える人は少ないと思うので「調査の結果、医者と政治家では〇〇の方が、非常識な人の割合が多いと判明しました」などという報道はありません。
奥田英朗氏の小説に登場する伊良部先生のような突飛な医者が本当にいたら、ちょっと怖いですね。

2008年11月23日日曜日

大麻汚染は大学生の間で拡大しているのか

11月22日の朝日新聞朝刊に「大麻摘発 最悪ペース 目立つ若者」とあります。「昨年検挙された30歳未満の若者は、1570人で10年前の2.3倍。・・・・今年(10月末現在)に入って大学生は74人が検挙され、昨年同期より10人多い。 早稲田大、慶応義塾大、法政大、東京理科大・・・・」と記事は続きます。

テレビや新聞の報道から、大学生の間に大麻汚染が広がっているような印象を受けます。しかし先の記事から昨年検挙された若者(30歳未満)に占める大学生の比率を類推すると、5%以下に過ぎません。昨年の10月末までに検挙された大学生の総数は64人、1か月あたり、6.4人が検挙されている計算なので、年間77人が検挙されたとします。この人数を1570人で割ると4.9%。
一方、30歳未満の若者総数のうち、大学生はどれくらいの割合でいるのでしょうか?平成17年度の国勢調査の数字を利用すると、10歳から29歳までの人口総数は約2600万人となります。このうち、18歳から22歳までの人口総数は、520万人。平成20年の大学進学率が約55%なので、約290万人が大学生と計算します。したがって、10歳から29歳までの若者に占める大学生の比率は、11%ということになります。1570人の若者が検挙されたならば、そのうちの170人くらいが大学生であったとしてもおかしくありません。10歳の小学生や13歳の中学生が大麻で検挙された話は聞かないので、検挙された若者を15歳から29歳までとすれば、昨年230人くらいの大学生が検挙されても不思議ではない数字になります。
ところが、実際に検挙された大学生は80人以下(推定)。実態としては、若者全体に広がっている現実をとらえて、取締の対策を考えるべきなのでしょう。
たしかに、早大生や慶応大生が「逮捕」されると、ニュースとしてのインパクトがあります。雑誌の特集なら、「一流大学生が大麻所持」と「若者に拡大する大麻汚染」では、販売実績に差がでるのかもしれません。また、「有名大学生逮捕」には一罰百戒的な効果もあるのでしょう。
それでも、一律的な報道に疑問を感じたときは、検証する姿勢を持ちたいものです。

2008年11月22日土曜日

WBC出場辞退と縮小均衡

WBCの代表選手に「中日の選手は全員が出場を辞退した」と報道されています。選手個人より球団への批判が出ることを想定した上での、「出場辞退」だと思います。

極端な妄想をしてみましょう。

2009年4月、万全の状態でシーズンに臨んだ中日は、開幕ダッシュに成功し大きな貯金をつくります。
レギュラーシーズンの途中で失速するも、4月の貯金がものをいい、10月のデッドヒートを制してペナントレースで優勝。クライマックスシリーズを勝ち上がり、日本一を達成。観客動員も大幅に増加し、球団の利益は伸びます。シーズン当初の批判は忘れられ、球団幹部はほくそ笑みます。
2012年のWBCでは、09年の中日の成功を思い出した各球団が、WBCへの選手派遣を辞退します。プロ野球界全体の繁栄を忘れ各球団のエゴが通る結果に、多くのファンが離れていきます。
それでも、プロ野球を愛するファンはたくさんいます。コアなファンだけが残り、12球団の半分が淘汰されますが、残った6球団はそれなりの規模でプロ野球を維持していきます。縮小均衡により適正規模になったプロ野球は、「国民的行事」と言われるような盛り上がりを見せることはありませんが、マニアをがっしりつかんだ堅実なビジネスとして成功します。

妄想にすぎませんが、「WBC出場辞退」は
「野球って楽しそうなスポーツだなー」と感じる子供より、
「サッカーのワールドカップにいつか出てみたいなー」
と思う子供の方が増えそうなニュースだと感じました。

2008年11月19日水曜日

会長とチェアマンとキャプテン

サッカー界の2トップの連携に乱れがあるようです。日本サッカー協会の犬飼会長が、「2010年からJリーグの秋開幕」を提案すれば、それを検討したJリーグの鬼武チェアマンが「2010年からはムリ」と回答しました。「ナビスコカップは23歳以下とオーバーエイジ枠の選手で」と犬飼会長が言えば、鬼武チェアマンは、「JリーグのことはJで決める」と発言したそうです。それに対し、「Jはサッカー協会傘下の一組織」と犬飼会長。
“川淵キャプテン”の時代なら考えられない対立でしょう。巨大組織では、長く君臨したカリスマ性のあるトップが退任したあとに、次世代の覇権をめぐる権力闘争がおこりやすいものです。
カリスマトップが名君の場合、組織は大きな進歩を遂げます。一方、暴君にカリスマ性が備わってしまうと組織は大きく歪んでしまいます。「鈴をつける人がいない」状態です。
Jリーグの秋開幕やナビスコカップ出場選手の年齢制限は重要な検討課題なのかもしれません。しかし、下部組織とはいえJリーグチェアマンとの事前協議があってしかるべきでしょう。強権発動は、トップダウン型の指導力の発揮が必要なケースとそうでないケースを判断して、実行すべきものです。

2008年11月18日火曜日

ある努力

「世の中に天才などいない」と言いきってしまうこともできる。そして「すべての人間は天才である」ということもできる。人はそれぞれ、違った才能を持って生まれている。それが、「天に与えられた才」である。
「才能」つまり「物事をうまくなしとげる能力」を人は誰でも持っている。一つの分野を特定して、能力のマグニチュードを計測できるなら、当然そこには優劣がある。数字の暗記に適した能力、外国語の発音を自然に聞き取る能力、正面から飛んでくるスピードボールを打ち返す能力。さまざまな能力がある。その局面だけをみて、「天才は違うね」と片付けてしまうことは、たやすく、そして切ない。
「石ころを入れたカゴを背負って毎日歩き続ける能力」この能力の偉大さを計るすべは誰もしらない。未来への希望がそこにあることを知ったものが、それを真似ることは可能だ。

(60歳のころ、脳卒中で倒れたK氏は、半身不随の状態からやがて立つことが可能になりました。石ころを入れたカゴを背負うことで体のバランスをとり、歩行のリハビリをしました。リハビリの結果、90歳になる現在も、グランドゴルフを楽しめるほど元気になりました。石を背負って、毎日数キロの道を無理して歩かせる家族の厳しさと優しさ。リハビリの様子を取材して記事を作成予定です)

2008年11月7日金曜日

アフリカ系(黒人) ~ニュースの言葉がわからん~

6日(木)の朝日新聞・朝刊に「アフリカ系(黒人)の大統領を選んだ歴史的な選挙となった」とありました。7日の朝刊には、「無数のアフリカ系(黒人)有権者が、泣いた」とあります。すぐ後に「80年代に大統領選指名候補争いに出た黒人指導者、ジェシー・ジャクソン氏のほおにも涙が伝った」とあります。“アフリカ系(黒人)” と “黒人”の使い分けがわかりません。オバマ氏はアフリカ系(黒人)であるけれど、ジェシー・ジャクソン氏は、ミクロネシア系かアフリカ系かルーツは不明ながら「黒人」ということでしょうか?だとすると、「無数のアフリカ系(黒人)有権者が、泣いた」は、「アフリカ系の黒人有権者は泣いたけれど、アフリカ系以外の黒人有権者は泣いていなかった」という意味が込められているのでしょうか?
6日の朝日新聞夕刊には、F1で最年少王者になったルイス・ハミルトン選手の記事があります。「マッサ(ブラジル、フェラーリ)をかわして、シリーズ初の黒人王者にもなった」とあります。この場合もルーツは不明だけど、とにかく「初の黒人王者」を強調したいのでしょうか。
一方、神奈川新聞では、オバマ氏は「初の黒人大統領」であり、ハミルトン選手は「初の黒人チャンピオン」と記載されています。この方が、読んでいて引っかかりがありません。
“アフリカ系(黒人)”の場合、カッコにも引っかかります。カッコを外して、「アフリカ系黒人」ではだめなのでしょうか?
今度、朝日新聞に聞いていみよう。

2008年11月2日日曜日

プロ野球のFAとサッカー王国ブラジル

国内の球団からドラフトでの指名がなかった新日本石油ENEOSの田沢選手は、「よかった。感謝しています」とコメントしました。活躍の舞台をどこに求めるのかは、本人の自由です。メジャーリーグに行ってしまうと、田沢選手のピッチングを“生”で見ることが出来なくなってしまうので個人的には残念です。すべてのアマチュア選手が日本のドラフトを拒否すると、日本のプロ野球は消滅してしまいます。それは大袈裟ですが、有力な新人選手が日本のプロ野球を経ずにメジャー入りしてしまうことを心配する気持ちもわかります。
しかし、「最初からメジャーに行った人が日本のプロ野球に入りたくなっても、僕たちに申し込んでから2~3年経たないと入れてあげませんよ」という制度を決定しようとしている日本プロ野球界には、がっかりです。プロ野球が魅力的であり続けることを一生懸命に考えた結果なのに、かえってファンがそっぽを向くルールになってしまいそうです。
FA取得までの期間を短縮し、油の乗りきった時期に海外へも挑戦できる制度を作ってはどうでしょうか?旬の選手がメジャーに流出してしまうのは惜しいことも確かですが、抜けた穴を埋めるべく若手に台頭のチャンスも巡ってきます。松井稼頭央選手がメジャーに移籍しなければ、西武・中島選手の活躍は別な形になっていたでしょう。
サッカー王国のブラジルは、国内のリーグで活躍した選手がどんどんヨーロッパのチームに移籍していきます。その流れが、スター選手を次々に輩出する要因のひとつではないでしょうか。
「日本人メジャーリーガーと日本プロ野球の選手が結集してWBCのような大会に出てくると、圧倒的な強さを誇る」そんな野球王国ニッポンなら、プロ野球界の衰退を危惧する必要はないでしょう。

2008年10月31日金曜日

季節はずれの銅メダル

北京オリンピックのハンマー投げで、銀メダルを獲得した選手と銅メダルを獲得した選手が、ともにドーピング違反でメダルをはく奪される可能性が高いようです。処分が確定すると室伏選手が繰り上げで銅メダルを獲得することになります。日本陸上競技連盟の沢木専務理事は、「『室伏がクリーンであること』が証明されたとも言えるが、複雑な心境」とコメントしたそうです。「薬物を使わない選手はクリーンである」という表現そのものが、ショッキングでした。
残念ながらどの競技もドーピングと完全には決別できていません。しかし、薬物を使う一部の選手がダーティーであり、使わない選手が当たり前のはずです。
外国人選手と比較して細身の室伏選手が、80メートル以上もハンマーを飛ばすのは驚異的なことです。しかし、薬物を使わないのが当然の環境でなければ、室伏選手に続く若手の競技者は出てこないでしょう。今年の6月に行われた日本陸上競技選手権をスタンドで観戦しました。室伏選手の投てき姿は、芸術的な美しささえ兼ね備えていました。国内で室伏選手を脅かす若きハンマースローアーの出現にも期待したいところです。

2008年10月30日木曜日

孤独の港

どこの国の地図にもなく、どの海図にも海岸線さえのっていない。
やがて鉄くずになるばかりの老船が、ときおり島を思い出す。

島の浜辺に打ち上げられたのか、砂を盛って築いた島だったのか。
いまでは気にすることもない。
島につくった孤独の港。
船が来るのを待つでもなく、ひとり潮風をはむ。

ランボーの詩「地獄の季節」の一節を読んだ後なので、影響されています。
このブログは、ただ「書く」ために開設したブログです。もちろん誰かが読むことを意識して書いています。アメリカのノンフィクション作家が、「本気でノンフィクションを書きたいのなら、毎日原稿を書け。メモ書きや下書きでなく、読者がいることを前提とした原稿を書け。」と指南していました。それを読んでブログの開設を思い立ったわけです。
世界につながるインターネットの波の中で、誰も訪れないサイトを思いつつ、本日はこれまで。
(タイトルは詩中の“悲惨の港”にヒントを得て。)

2008年10月29日水曜日

Qちゃんの引退

マラソンの高橋尚子選手が引退を表明しました。かつて高橋選手を指導した小出氏は「40歳前後まで第一線で走れる選手なのにもったいない」と発言しています。これが本音かもしれませんが、高橋選手と出会えたことに感謝し、ねぎらいの言葉をかけているところは、さすが名伯楽です。
引退の日は、すべての選手に必ずやってきます。余力を残してスパっと辞めてしまう「引き際の美学」もあれば、ボロボロになるまで闘って果てる「もがきの美学」もあります。じたばたともだえ苦しむ様は、「美」ではなく「醜」だという人も沢山います。「トップを極めた選手が、いつまでもしがみつくのはかっこわるい」との考え方です。
一方、「もがき派」は、自分の可能性を信じて闘い続けます。純粋な体力だけなら、どんな選手でもピークを越えた時期を意識できます。しかし、経験により得た技術力とメンタルコントロールの力で、自分より体力的に上回る相手に打ち勝つことが出来るのがスポーツです。「ピークを越えても80%くらいの体力を維持できれば、総合力ではまだまだ負けない。」そんな風に考えて、勝負にこだわる選手もいます。その可能性を信じて、もがき続ける姿にぼくは美学を感じます。“プライド”をどこに見出すかの価値観によるものでしょう。
どんな形であれ、引退が話題になるのはトップアスリートの証です。アマチュア選手の場合、第一線に到達していなければ、引退のしようがありません。公的な大会のマスター部門やシニア部門に出場し続けることも可能です。
Qちゃんは、「50歳、60歳になってもジョガーとして走り続けたい」と宣言しました。ジョガー高橋に引退はないのでしょうね。

2008年10月28日火曜日

原ジャパンが決まって

イチロー選手の発言が、WBC監督人事の流れを変えたと言われています。
「WBCは北京オリンピックのリベンジの場ではない」
ディフェンディングチャンピオンとしては、当然の発言ですね。北京オリンピックに出場していない選手にとって、WBCはリベンジの場にはなりえません。自分の発言が星野氏のWBC監督就任に大きな影響を与えることを、イチロー選手は当然予想したと思います。しかし、星野氏の指導力について言及したわけではありません。
一方、星野氏にとって、WBCでの優勝は北京の雪辱に値します。「メジャーリーガーも含めた最強メンバーで戦えば、日本がこんなに強いことを証明できた」といえるでしょう。星野氏が雪辱に燃える気持ちもよく分かります。ただ、星野氏には「リベンジのチャンスを与えてくれ!」または「敗軍の将は兵を語らず。何があってもWBCの監督には就任しない」と最初に言ってほしかった。今回の固辞の仕方は、「県民が国政で汗をかけというなら、衆議院選挙に出てもいい」と発言した知事のように見えてしまいす。
オリンピックで敗れた多くの選手は「オリンピックの借りはオリンピックでしか返せない」と言います。4年後のロンドンオリンピックという雪辱の場がないのが、星野氏にとって一番つらいのかもしれません。

2008年10月26日日曜日

プロ野球の“格” ~リアル・チャンピオンという称号~

セ・リーグのクライマックスシリーズはジャイアンツが制しました。日本シリーズはジャイアンツ対ライオンズの対戦です。ともにペナントレースで優勝したチームです。なんとなく気持ちよく日本シリーズを観ることが出来そうです。レギュラーシーズン2位のチームが日本一になってしまうシステムに100%は賛成できていません。それでも、オリックスや広島の選手が最後まで日本一を目指す意気込みでプレーしていた姿を、興味深く観ていました。
クライマックスシリーズが定着するなら、今年の日本シリーズ覇者を「リアル・チャンピン」と称し、“格”を持たせてはどうでしょうか。「リアル・チャンピオン」はリーグ優勝して、日本シリーズを制したチームにのみ与えられる称号とします。
「多くのチームに最後まで優勝する可能性がある」というのはエンターテイメントとして重要な要素です。しかし、「最終問題の点数は100点です。この問題に正解すれば、最下位のチームにも大逆転のチャンスがあります」というクイズ番組には“安っぽさ”が漂います。

“格”を持つことは重要です。「リアル・チャンピオン」という“格”を多くの人が認めることにより、プロ野球が持つ“おごそかさ”を再構築できるのではないでしょうか。

仮の話です。原ジャイアンツが今年から9年連続で日本一になったとしましょう。途中1年だけ、レギュラーシーズンを2位で通過しながらも日本一になれた年があるとします。V9を達成した原監督は優勝インタビューに答えます。
「リアル・チャンピオンとして達成したV9ではありませんから、真の意味で『川上ジャイアンツ』と肩をならべたとは言えません」

歴史への挑戦は品格も築いていきます。

2008年10月25日土曜日

意味のない守り ~20年の時を経て~

昨日(24日)のクライマックスシリーズ、ジャイアンツ対ドラゴンズ戦は引き分けに終わりました。アドバンテージを含めて、ジャイアンツの2勝1敗1分けです。最終的に3勝3敗1分けならシーズン優勝のジャイアンツが日本シリーズに進むため、王手がかかりました。ジャイアンツにとって「勝ちに等しい引き分け」に違いありません。TV中継の地上波放送が終了したとき、ラジオ中継に切り替えました。車の運転中以にラジオを聴くのは久しぶりで、なんだか新鮮です。
ドラゴンズの勝利がなくなった12回裏のジャイアンツの攻撃では、「やる意味がないですねー」と解説者も脱力ぎみです。聴く方もクライマックスからリラックスモードへ。でも、最終的にジャイアンツ2勝・ドラゴンズ3勝、2つの引き分けというケースもあります。そう考えると、中日が昨日の12回裏をきっちり守った意味も少しはありそうです。
さて、20年も前の話です。意味のない最終回の守りが、すべてのプロ野球ファンを熱くしたことがあります。1988年のペナントレース終盤、常勝チームの西武ライオンズを近鉄バファローズが驚異的なペースで追い上げていました。シーズンの最終日、近鉄はロッテとのダブルヘッダーに連勝すれば逆転優勝という局面です。結果は2試合目が引き分けに終わり、西武の優勝が決まりました。勝利の可能性がなくなった最終回裏のロッテの攻撃、近鉄ナインは泣きながら守備につきました。満員のスタジアムもTVの前の観衆も、近鉄ナインをやさしく見守っていたのだと思います。ペナントレース最後の場面に心が震えました。
クライマックスシリーズで、意味のない最終回の守りがドラゴンズにやってきても、誰も泣かないでしょう。「もともと3位だし」という気持ちが先に立ってしまいます。
10年に一度くらい、魂をゆさぶられるようなシーンに出会いたいのか? 毎年確かにやってくるそれなりの興奮に満足すべきなのか?けっこう大きな問題です。

2008年10月24日金曜日

速読法

レポートを作成するには、下調べの資料が必要です。準備のない仕事は、いい仕事になりません。サラリーマンの中には、レポートを作成するために一日中インターネットや本と格闘している人がいます。立派なレポートに仕上げて上司に報告すると、「パソコンばかり見てないで、現場に行け」と一喝されます。翌日は作戦変更です。“論より証拠”、“巧遅は拙速に如かず”とばかり、現場で見たことをそのままレポートにまとめて提出しました。
「これじゃあ、背景がわからない。せっかく昨日作った立派な資料があるのだから、それを使いなさい」

何ごともバランスが重要です。

図書館には沢山の本があります。ネット注文すれば、すぐに本が届きます。パソコンはあらゆる情報につながっていきます。すこしでも多くの情報をインプットしておきたいのは山々ですが、それではいくら時間があっても足りません。

「5分で一冊の本が読める」という本を5時間かけて読みました。積ん読になっていた「本能寺」を手に取ると、5分で読めました。織田信長が明智光秀に殺されるまでの様が、ドラマチックに描かれているようです。速読法は、すべての内容を正確に理解するためのものではありません。読む人に必要な情報がインプットされればいいのです。同じ方法で「新約聖書」を読めば、キリストの奇跡について書かれた本だということが分かるはずです。「百科事典」を速読したらどうでしょう?・・・速読マエストロへの道は遠いかもしれません・・・。

一字一句を正確に読むのはムダという話をよく聞きます。1年に数百冊も読める読書家は、なんらかの速読ができているのでしょう。イメージが脳にちく積され必要なときに取り出せれば、バランスのよいレポートが完成するのかもしれません。

さて、読書ばかりではなく、書く作業を始めましょう。

2008年10月23日木曜日

10月23日(初回) ブログのタイトルについて

ブログを更新するのは、けっこう、めんどくさいことだと思います。
でも、何かをめんどうだと思ったとき、「めんどくさいは体にいい!」と念じて、なるべくめんどくさいことを片づけてしまうように努めています。

テレビを消すのに、リモコンを取りに行くのがめんどくさい。
宿題を済ませるのがめんどくさい。
買い物に行くのがめんどくさい。
日曜日なのに、仕事の準備をするのがめんどくさい。

身の回りには、めんどくさいことがいっぱいです。
でも、「めんどくさい」ことをするときには、必ず脳か筋肉を使っています。脳も筋肉も使わないと、どんどん劣化していくそうです。つまり、「めんどくさい」ことをするのは、頭か体にいい刺激を与えていることになります。
なので、ぼくは「あー、めんどくさい」と感じたときに、「めんどくさいは体にいい」と念じます。そして、めんどくさいことを先に片づけると意外とさわやかだったり、翌日後悔しなくてすんだりします。
ちょっとだけやる気が出るぼくの「おまじない」をこのブログのタイトルにしました。
さて、いつまで更新できることやら・・・。