2010年12月24日金曜日

俺の名は勘九郎(52)

社長になった田中はコスト意識の強い技術屋で、原価低減に熱心ではあったが、財務にはうとく、経営者的な思考をしたこともなかった。浅野ソーラーの経営方針は、上野のひと言で決まり、それを田中に伝えるのも猪俣の役目だった。社長を補佐せよ、と言われた蔵島に猪俣が仕事の報告することはなく、蔵島はいわば窓際に置かれた存在になってしまった。
ハンは知り得た情報のすべてを俺に教えてくれた。昔のことや上野や猪俣の考えていたことまで、一生懸命俺に語った。
《どうしてそんなにも浅野に肩入れするんだね。たまたまハンを使うことになった人間というだけじゃないか》
俺には、人間をご主人と思うような気持ちは全くなかったので、あるとき、ハンに聞いてみた。
《人間を嫌う気持ちも分かりますよ。私の体はかつて地下に眠る油でした。人間は、地球に何千メートルもの穴をあけて、地上に私を引っ張りだし、なんども機械に通して私をこの体にしたのです。壊れてしまえばポイと捨て、エコだといって、今度はペットボトルにでもするんでしょう。そのくせ、石油を燃やすと地球が暑くなるとか言ってさわいでる》
《究極のエコは、人間が地球からいなくなってくれることだな》
《そういうことです。だけど、人間がいなければ、いまの私は生まれていないのも事実なのです。地下に眠る油のままだったら、勘九郎さんと話をすることもできなかったでしょう》
《人間が新しい命を創造したとでも言うのか》
《いいえ、命は素粒子にだってあるのですから。ただ、今の私は今の命を生きています。すべてのものが流転するなかで、私の命をいとおしんでくれたのが、浅野だったのです》
《物に愛着を持つタイプの人間も中にはいるな》


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2010年12月12日日曜日

俺の名は勘九郎(51)

ハンが蔵島の所へ行ってからも、俺は山崎の家の鳥かごをネグラにしていた。たまにくれる厚揚げはうまかったし、アホの山崎ウォッチングは、それなりの暇をつぶしになった。そして俺は、山崎と同じように、毎朝徳原ビルへ通うようになった。ビルの前の大通りには、高い欅の木が等間隔に並んでいて、そのうちの一本は、山崎たちのいる営業部を眺めるのにちょうどいい場所にあった。
俺だって一日中山崎ウォッチングをするほど暇じゃあない。毎日そこへ通うようになったのは、ハンと話をするためだ。浅野と同じように蔵島は、ハンを常に持ち歩くようになった。浅野が死んだ2月からのことを、胸のポケットからハンは詳しく調べた。人間の意思を拾うだけでなく、パソコンや机などがもつ記憶にさえ、ハンは働きかけた。相手に自意識がなくても、ハンは対象の物体から記憶を引き出すことができた。
浅野の後を継いで社長になったのは、副社長の蔵島ではなく、専務だった田中だ。蔵島は副社長のままだったが、5月になると、営業部長の任務も外され、新社長の田中を補佐しろと、上野から指示された。新しく営業部長になったのは、徳原建設からやってきた猪俣という男で、かつて上野の腹心と言われていた人物だ。小太りで猫背ぎみの猪俣は商業高校の出身で、上野の強い引きがなければ、学歴偏重の徳原建設にあって部長格にまで出世することはなかっただろうと言われていた。猪俣は、業界調整のプロフェッショナルで、猪俣が「取れます」と言った仕事は必ず受注できたし、「今回は取れません」と言えばその仕事はとれないのだった。上野は、猪俣の言葉を黙って聞くだけだったから、たとえ猪俣が逮捕されても、談合の存在をしらない、と言い張ることもできた。それは徳原建設の暗黙のルールであって、かつて上野が談合の調整役をしていたときも、上司に細かな報告などしたことがなかった。いや、してはいけなかったのだ。上司からは「取れるのか、取れないのか?」とだけ聞かれた。上野が「取れます」と答えれば、設計や購買は必死になって動いたし、「取れません」と言えば、その仕事は存在しないのと同じだった。上野が役員になり、談合の現場を離れたとき、後任に選ばれたのが猪俣だった。業界の仲間に猪俣を紹介して、「水曜会」という名のその会から去ることを上野が伝えると、他社のメンバーは「おめでとうございます」言って上野を送りだした。各社の利益を代表する調整役たちの結束は強く“仲間”が役員に昇格するのは慶事だったのだ。


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2010年11月28日日曜日

俺の名は勘九郎(50)

ハンと俺が話しをしていると、蔵島が山崎の方に向かって歩いてきた。ハンが先にそのことに気づいて、強力に自己の存在を主張し始めた。俺もあわてて蔵島に念を送った。
《気づいてくれ!》
俺たちが念じる前から、蔵島はハンのことが気になっていたようだ。
「それ、浅野さんが使ってた万年筆じゃない?」
「そうっすよ。お通夜のときに社長のお子さんから貰ったんです」
「女の子?」
「いえ、息子さんでした。『これは、会社の人に』って泣きながら言うんで預かってきました」
「悪いけど、ぼくが預かっていいかな。それ、浅野さんが会社をつくった日に買ったペンなんだ」
「いいっすよ。てゆうか、万年筆って使いずらいっすね」
椅子から立ち上がって、山崎は蔵島にハンを渡した。ようやく収まるべきところに収まったハンは、ふうーっ、と大きく息をした。
《やっと落ち着きました。でもこれがスタートです》
キャップのフックが陽光に反射してきらりと光り、それはまるでハンの目が鋭く輝いたかのようだった。
「社長はねえ、会社を興した日から、ずうっとこのペンを使っていたんだ。どんなに小さな仕事でも、契約書にサインするときは必ずこのペンだった。ワープロやゴム印を使わずにね。ぼくの名前で決裁した案件は、営業部長の印で済ませているけど、社長決裁の案件は、今だって必ず自分でサインしているよ」
「そんな大事なものだったんですか? 放りっぱなしにしてすみません」
「山ちゃんたちの世代にしたら、万年筆なんて面倒くさいだけのペンなんだろうね」
「正直、ボールペンの方が使いやすいです」
「インクの文字が涙でにじむ、なんて良さがあるんだけどなあ。時代かな。ぼくも最近はほとんど使ってなかったな」
「でも、雰囲気はありますよね。なんか想いが込められてそうっていうか」
「今日から、このペンを使わせてもらうよ。浅野ソーラーが昔の浅野ソーラーに戻る日まではね」
「戻る日?」
「うん、それが出来たらこのペンは、社長の奥さんに返そうと思うんだ」
どうやら、ハンの強い念が、蔵島の心に響いているようだった。


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2010年11月20日土曜日

俺の名は勘九郎(49)

俺が山崎と初めてあったのは、浅野が死んだ年の6月のことで、新橋にある会社まで山崎を追いかけたのは、ハンをなんとか蔵島のもとに帰してやりたいと思ったからだ。ハンと違って俺は自由に飛ぶことができるが、山崎のカバンからハンを取り出し、蔵島の前に落としてやるチャンスはありそうもなかった。
机の奥でほこりをかぶっていたハンを山崎が会社まで持って行ったのは、朝から蝉の鳴き声がうるさい夏の終わりのことだった。会社についた山崎は、鞄のポケットからハンを取り出すと、机の奥から裏紙をとって、「山崎浩介」と書いてみた。濃紺のインクでしたためられた文字は意外に達筆で、俺は多少感心もしたのだが、山崎は自分で書いた文字を眺めながら、ハンをくるりと指先で回転させた。ペンの先から飛んだインクが、青いワイシャツに小さないシミを作った。山崎は、ツェっと舌打ちしただけだが、俺はアっと叫んでしまった。ハンが指から落ちてペン先が潰れたら、ハンの万年筆としての機能は死んでしまう。山崎はそれまで、万年筆を使ったことがなかったのだ。ペン先を下に向けて山崎は何度かハンをノック式のシャーペンように振ってみたが、そのときはインクが漏れることはなかった。ペン先をよく見た山崎は、万年筆の構造を理解したのだが《使いづらいペンだなあ》と不満に思った。
手紙の一枚も書いてみれば、万年筆がつくる文字の趣が分かるのだが、と俺が思うと、
《今の若い人には無理かもしれませんね。メールの時代ですから》
とハンが念を送ってきた。
《ハンの仲間は、なかなか生まれてこないってわけかい?》
《ええ、もうずうっと減りっぱなしですよ。インクのカートリッジを替える必要があったり、たまにインク漏れしたりするのが嫌われるんでしょうね。もっとも、最近はインクを漏らしてしまうことなんてありませんよ。さっきみたいに、鉛筆のようにまわされることは想定外でしたけどね》
《壊されやしないかとドキドキしたよ》


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2010年11月7日日曜日

俺の名は勘九郎(48)

やがてウィンディーサニーを含めた太陽光や風力を利用するタイプの街路灯に補助金がつくことにはなったのですが、工場見学の一見以来、上野と浅野の関係は決定的なものになっていました。上野は浅野のやることにいちいち文句をつけ、ことあるごとに5階のフロアまで降りてきて、社員たちが見ている前で浅野を怒鳴りつけたのです。
「わざわざ、ここで言うことないのにね」
同情する女子社員の声が聞こえたとき、浅野はいっそう屈辱を感じました。
年が明け、正月休みが終わりに近づくと、浅野は憂うつ感が増してくるのを感じました。
そして出勤の朝、浅野はトイレに座ると、ズボンとパンツをおろした格好のまま動けなくなってしまいました。
《俺が、俺の作った会社に行きたくなくなってしまうなんて》
そう考えた浅野は絶望的な気持ちになりました。それでも何とか立ち上がり、水を流そうとして、ふと便器の中を覗いてみました。よく磨かれたパールホワイトの便器の中に、鉛筆よりも細い便が、とぐろを巻くこともできずに沈んでいました。ミミズのような赤黒い排泄物を見た浅野は、会社ではなく病院に行くことを決めたのです。
ストレスからくる胃潰瘍と軽いうつ症状と診断された浅野は、結局3週間も会社を休んでしまいました。入院中、不眠を訴えた浅野は医者から睡眠薬を処方されました。消灯時間の少し前に、毎晩一錠ずつ渡されるその薬を、浅野は一度も飲みませんでした。プラスチック製のメガネケースに浅野が睡眠薬を隠していることに、医師も看護師も気づきませんでした。私は、目の前を通過していくすべての人間たちに薬のことを訴え続けました。しかし、誰かが私の念を感じとることはありませんでした。
そうして、あの、月の冴えた2月の夜を迎えてしまったのです。


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2010年10月30日土曜日

俺の名は勘九郎(47)

「接待を受けることは固く禁止されている、と鶴巻さんが言うもので…」
「それでも帰さないのが、今日の仕事なんだよ。工場見学だけじゃ、何の意味もねえんだ!」
「すいません。あまり強引すぎるのも失礼だと思ったものですから…」
「くっそお。お前なんかに任せられないと思って、ずっと貼り付く予定にしてたんだよ。俺がいなけりゃ、やっぱりこのざまだ」
上野に罵声を浴びせられる度に、浅野はすいません、と口にしましたが、接待を無理強いする上野のやり方は時代に合っていないのだと、内心では思っていました。それを言えず、ただひたすら電話口で、すいませんとしか言えない自分がもどかしく、そして空しくなりました。この人とは一生合い入れることはないのだろう、携帯を耳から少し離して、浅野はそんなことを考えていました。
5階のフロアに上野が怒鳴りこんできたのは、翌朝のことでした。執務スペースにある机で仕事をしていた浅野の前に立つと
「接待を断ったのは、部下のなんとかって野郎で、鶴巻さんは行くつもりだったそうじゃねえか。あの後、鶴巻さんに電話したんだよ」
「お言葉ですが、あの状況で鶴巻さんだけが行くという判断はできなかったと思います」
「ふざけるな!てめえが、そこまで能なしだとよく分かった。それが分かったことが、唯一の収穫だな」
上野の言葉はフロア中に響き渡りました。陰で「天皇」と呼ばれるようになっていた上野のは、「お言葉ですが」と言われるのが一番嫌いだったのです。


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2010年10月21日木曜日

俺の名は勘九郎(46)

「業者さんたちと飲んじゃいけないことになってるんですよ。うるさい決まりが沢山ありましてね」
「こんな田舎まで来たら、うるさく言う人もいないでしょう。食事も用意させているので、是非お願いします」
「どうする?」
元来が酒好きの鶴巻が部下の方を見て言ったので、浅野は一瞬ほっとしました。
「私は会社に戻りますので、部長はどうぞ」
役所ではなく、「会社」と呼んだことを不思議に感じましたが、浅野はすぐに
「そう固いことをおっしゃらずに、どうかお付き合い下さい」
と言って、ふたりを帰らせまいとしました。
「いいえ、そういうわけには参りません」
「最近の若いのは、融通がきかないんですよ。まあ、我々の世代が少しルーズ過ぎたのかもしれませんな。また今度ということにしましょう」
鶴巻は申し訳なさそうでしたが、部下の方に向き直ると「俺は会社へは帰らないぞ」と言ってから、浅野に駅までの道順を聞きました。癇癪を起こす上野の顔を想像すると浅野は憂うつになりましたが、これ以上引きとめるのも失礼だろうと判断して、浅野は車を呼びました。
タクシーが工場の正門を出て右折するのを見届けると、浅野はすぐ上野の携帯に電話をかけました。
「バカヤロー。絶対に帰すなと言っただろ!」
上野の反応は予想通りでした。


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2010年10月9日土曜日

俺の名は勘九郎(45)

黒塗りのハイヤーに乗せられた鶴巻は「東京に戻る上野がその車を使えばいい」と恐縮したが、「厚木の工場までは車なら1時間で行けますから」と言ってその場を辞去した。
「この車は、上野さんの専用車ですか?」
部下の一人とハイヤーに乗った鶴巻は、ドライバーに訪ねた。
「いいえ、この車は徳原建設のものです。私も、建設の社員ですけど、上野さんには昔から可愛がってもらいまして、エナジルが車を使うときには、だいたい私が指名されます」
「気さくで、気のきく方ですよね」
「ええ。私らみたいな学のないもんにも分け隔てなく接してくれる人です」
「優しい人なんだ」
「さあ、どうでしょう。大学を出たエリートさんたちには、ずいぶんと厳しいことも言うようです」
鶴巻たちが何気ない会話をしているうちに車は厚木工場に付きました。丹沢連峰の向うに隠れようとしていた太陽が、工場に並んだ発電パネルにオレンジ色の光を優しく投げかけていました。
管理棟のエントランスで一向を迎えた浅野は、挨拶もそこそこに、ディスプレイ用のパネルと街路灯が並んでいる場所に鶴巻たちを案内しました。
「だいぶ陽は陰ってしまいましたが、昼の間に電気を蓄えているので、御覧のように十分な明るさを保つことができます。今は風がほとんどありませんので、蓄電したエネルギーだけで照明していますが、風が吹くと自動的にバッテリーが制御され、風力による電気も活用するように切り替わります」
浅野はいつものように、澱みのない説明を行いました。
現場での見学と、プレゼンテーションルームでの質疑応答が終わると、あたりはとっぷりと暮れ、落ち葉が構内の道路を流れるのが見えたので、風が出てきたことが分かりました。
「今日は本当にどうもありがとう御座いました。上野社長にもよろしくお伝え下さい」
「この後は、なにかご予定がありますか。軽く食事でもと思っているのですが。上野も戻ってくるつもりでおります」
浅野は鶴巻たちを引きとめようとしました。


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2010年9月23日木曜日

俺の名は勘九郎(44)

「国の役人に、厚木工場を見てもらうことになったぞ」
電話を耳元に寄せるまえから、上野のがなり声が飛び込んできました。厚木工場は、ソーラーパネルを生産する唯一の工場で、隣接の土地では第二プラントの建設が進んでいました。
上野の言う国の役人とは、経済産業省に勤務する鶴巻という名の部長でした。
「本来なら、浅野ソーラーに来ることなんてあり得ない人物だ。十分気をつけてもてなせよ」
上野は浅野に、恩着せがましく言いました。
上野が鶴巻を引っ張りだした本当の理由は別にあり、風力発電の普及が温室効果ガスの削減にどれだけ寄与するかを刷り込むことが目的でした。太陽光発電の補助には熱心な国の目を、風力発電にも向けさせ、エナジルの発電事業に役立てようとしたのです。しかし、浅野にはそのことを言わず、くれぐれも粗相のないようにとだけ繰り返し、プレッシャーをかけました。
静岡県にある富士川ウィンドファームは、徳原エナジルが建設した風力発電所で、そこには、支柱のてっぺんで3本の矢を付き合わせた形の風力発電設備が16基もありました。上野が鶴巻に見せたかったのは、このウィンドファームで、雄大な富士を背景に、白くて長い羽根をゆったりとまわす発電設備は、自然と経済の調和を感じさせることを意識して作られたものでした。
鶴巻とその部下がウィンドファームと浅野ソーラーの工場を見学したのは、冬至の二日ほど前のことでした。午後1時から公園のような趣のあるウィンドファームを見てまわると、鶴巻たちがそこを出たのは3時を過ぎた頃です。上野はウィンドファームでの案内を自ら行いましたが、厚木に向かう車には乗れませんでした。終日同行して鶴巻を接待するつもりの上野でしたが、昼過ぎに発生した営業上のトラブルがそれを許さず、上野は新富士の駅から東京に向かいました。新幹線に乗ると上野は、すぐに浅野の携帯に電話して、「夜の席には合流するから、俺がいくまで鶴巻たちを返すなよ」
と言って予定の変更を告げた。


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2010年9月12日日曜日

俺の名は勘九郎(43)

「そう言うわけには行きません」
黙って聞いていた蔵島が異を唱えました。
「若い社員にどう説明するんですか。会社は社会の公器だって教えてきたんですよ」
山崎たち若手に教えてきたことを思いだしながら、蔵島は言いました。それに対して、田中は、少し力を込めて反論したのです。
「缶ジュースはどこで買っても120円じゃないですか。新聞の休刊日だって話し合いで決めてるんですよ。世の中は適度な競争で成り立ってるんです。若い連中だってそれくらいのことは知ってると思いますけどね。私だって、毎回談合しようと思っているわけじゃありません。一度話して、あうんの呼吸をつくるだけです」
「この話は終わりにしよう。あとでもう一度、上野さんと話してくる」
しかし浅野は「勝手な動きをするな」と田中に言うことができませんでした。そして浅野が、この件で上野の所に行くこともありませんでした。上野の顔を見ることが大きなストレスになっていた浅野に、方針転換をせまる気力は残っていなかったのです。
鉄塔の向うに一条の雲がたなびくばかりで、東京の空にしては冴えのある師走の朝のことでした。駅へ向かう浅野は、手に下げたカバンから微かな振動を感じ、歩みを止めて携帯を取り出してボタンを押しました。


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2010年9月4日土曜日

俺の名は勘九郎(42)

「自然と、だな。それ以上、俺が知る必要はないだろう」
そう言って上野は携帯を取り出し、「こっちは終わったから、すぐに山下を呼んでくれ」と秘書に言って、浅野に出ていくことを示唆しました。
「我々の判断で談合しろというのですか!」
蔵島は食い下がろうとしました。
「誰にものを言ってるんだ。次の役員人事を楽しみにしておくんだな」
上野は含みのある笑い方をして、蔵島の目を見ました。
エレベーターで5階に戻った3人は、そのまま浅野の社長室に向かいました。険しい顔をして進む浅野と蔵島の後を、田中がうつむき加減でついていきました。
浅野の応接室のソファーはビニール皮の安物で、壁に高価な絵もありません。上野の部屋と比べて見劣りするのは明らかでしたが、談合して儲けた先にあるのが、虚飾でしかないように思え、浅野はむなしさと怒りを覚えました。
蔵島を自分の脇に促し、田中を正面に座らせると浅野は静かに言いました。
「上野社長と事前に打ち合わせしていたようだね」
「いいえ、今朝の社内会議で社長のご意見を伺おうと思っていたのですが、上野さんから急な呼び出しになってしまったので…」
「それも、予定通りのハプニングだったんじゃないのか」
「そんなことはありません」
「それにしたって、田中を談合プロジェクトのリーダーにするような話だったじゃないか」
「業者同士の強調には、やむをえない面があると思います。叩きあいをしていたのでは、適正な利益を確保できません。前から言っている通り、ウィンディーサニーはもう少し高く売れていい商品だと思っています。その点では、上野さんに近いのかもしれません。世の中には、利益率が20%や30%という商品だって沢山あるじゃないですか。そんな売り方をしている会社が、勝ち組企業と言われてるんですよ」
「その話は前にもしたはずだよ。それはうちのやり方じゃない。しかし、上野さんはそれを否定している。田中に言い含めたんじゃないのかね」
「それは違います。でも、このままじゃ、うちは潰れてしまいますよ。一度だけやらせて下さい。村上の設計部長は、高校時代の友人です。彼と会って、話をしてみます。適切な価格について、意見交換するだけです」
「それだけじゃすまないだろう」
「それ以上、聞かないでください。浅野社長も蔵島さんも、何も知らなかったことにすればいいんです」


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2010年8月28日土曜日

俺の名は勘九郎(41)

田中は少し震えた声で、その点についてですが、と言って話を始めました。
「ウィンディーサニーの他に、村上製作所の『ひまわり君』と鳥海ウィンドパワーの『ウォッチングバード』も補助金の対象にしてもらうというのはどうでしょうか? ひまわり君は太陽光、ウォッチンングバードは風力だけを補助電源に使っていますが、自然エネルギーの利用効率としては、ウィンディーサニーに匹敵する力のある商品です。高効率のエコタイプ街路灯として補助金がつくのではないでしょうか」
覚えてきた言葉を一息にそらんじるような田中のしゃべり方でしたが、上野は興味をそそられたような顔をして、
「その3社で入札すれば、勝てるのか?」
と、田中と浅野を交互に見やりながら聞きました。
「コストだけの競争なら、うちが一番厳しいです」
そこで一瞬言葉を切った田中でしたが、上野に目で促され続けました。
「しかし、3社でうまく調整する方法もあると思います」
「我々に、談合しろと言うのですか!」
大きな声を出したのは蔵島でした。大学院卒で自分より年齢が一つ上の田中に対して、丁寧なものいいを忘れたことがなかった蔵島でしたが、そのときは珍しく激しい口調でした。
「綱川社長の脱談合宣言はどうなるのですか!徳原グループの経営方針に逆らうことになるんですよ!そんなことが世の中に知れたら、徳原グループにとっても大きな損失になります。そもそも浅野ソーラーはそんなことをする会社じゃありません!」
蔵島に言われて田中は目を伏せましたが、上野が蔵島を制止して田中に続きを言わせようとしました。
「社長と同じで青臭いヤツだな、君も。田中は談合するなんてひと言も言ってないじゃないか。田中には何か考えがあるんだろう」
「ひまわり君とウォッチングバードと、うちのウィンディーサニーでは商品特性がそれぞれに違います。立地条件や仕様書を見れば、お客さんがどのタイプを求めているのか、ほとんどのケースで分かります。3社だけの競争ならば、自然と住み分けが出来ると思うのですが」


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2010年8月11日水曜日

俺の名は勘九郎(40)

三日以内に考えてこいと命じた上野でしたが、突然浅野を呼び出したのは、翌日のことでした。
田中の他に副社長の蔵島もいたので、上野は「呼んでないやつがきているな」と、小さな声で言いました。
「今ちょうど、この件について打合せしていたものですから、3人で参りました」
浅野が言うと、上野は一瞬不快な表情をつくりましたが、座れという風に目で促しました。
広い社長室の奥にある、黒いスウェードのソファーの長椅子に浅野と蔵島が腰かけ、浅野の向かいに上野は座りました。上野の隣の一人掛けの椅子に座った田中でしたが、浅野と蔵島に対して上座になってしまうようで、テーブルの脇にある背もたれのない予備の椅子に移動しました。
「時間がないんだ。一晩あれば考えられただろ!」
左の腕に目をやった上野は、実際に時計を見たわけではありませんでした。
「老朽化した街路灯のありかを調べて、省エネタイプのものに交換するよう自治体に働きかけてみたいと思います。その時に、ウィンディーサニーの性能と明るさ保証の実績を強調して説明します」
「そんなことは、とっくにやっていることじゃないのか」
「もちろん、各自治体に対して個別に訴えてはきました。しかし、これからはキャンペーンを貼って、大いに宣伝します。エコを全面的に強調して、マスコミに取り上げてもらえるような作戦も考えます」
「それが補助金につながるのか」
「国交省に対しても働きかけてみたいと思います。徳原建設にいるOBの方を紹介してもらえませんか。その方を通じて、国交省のしかるべき人にアプローチしたいと思います」
「分かった。ウィンディーサニーだけに補助金がつくよう、うまく交渉しろよ」
「それは難しいと思います。特定の商品にだけ、補助金が出ることはないんじゃないでしょうか」
上野は不満そうでしたが、横にいた田中にちらりと目をやりました。


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2010年8月1日日曜日

俺の名は勘九郎(39)

5階のオフィスに戻った浅野は、副社長の蔵島と専務の田中を呼んで対策を練ろうとしましたが、営業に出ていた蔵島が会社に戻るのは夕方の予定でした。
5時ちょうどに蔵島が戻ってくると、浅野は早速、蔵島と田中を呼んで社長室に入りました。二つ並んだ茶色のソファーの一つに浅野が座り、普段はお客さんを座らせる奥の長椅子に蔵島と田中を促して、浅野は切りだしました。
「エナジルの上野社長のところに、今まで通りのやり方にさせてくれって、お願いに行ったんだけど、まったく相手にされなくてね。逆に宿題をもらってしまったよ。次に来るときは田中専務も呼べ、ってわれたんだけど、田中君、何か聞いてる?」
「いいえ、特になにも。上野さんは、大学の先輩でもあるので、気にかけてくれているのかもしれません」
「田中君は、竜ヶ崎大学の出身だったね」
「私は理系ですけど、上野さんは文学部心理学科の卒業だそうです。上野社長の前では言えませんけれど、うちみたいな二流大学から、徳原建設に入って、専務まで務めたんですから、よっぽど優秀だったのでしょうね」
「強烈な人だよ。誰がどこの大学を何年に卒業したかってことに異常なほど詳しいね」
「徳原建設って、みんな一流大学の人ばかりじゃないですか。コンプレックスもあったんじゃないでしょうか」
田中が上野の心情をおもんぱかるように言った。
「高卒の優秀な社員を抜擢して、徳原の人事制度を実力主義に変えたのが、専務時代の上野さんの功績だったようです」
「詳しいね、蔵島君。我々が卒業した大学は、だいぶ嫌われているみたいだけど」
浅野と蔵島は、私学の雄と言われる早明義塾大学の卒業でした。
「上野社長の早明嫌いは有名だそうです。ただ、それよりも大卒とか高卒にこだわることを徹底的に嫌っているようです」
「コンプレックスの裏返しみたいで怖いですね。私なんか、身の丈にあった生き方ができればいいと思いますけど」
そう言ったときの田中に、私は引っかかりを感じました。本心を隠しながら話しているように思えたのです。


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2010年7月19日月曜日

俺の名は勘九郎(38)

「アポイントもなしにやってきて、いきなり嘆願かよ」
「失礼しました。この一ヶ月間、入札にも呼んでもらえず、仕事はどんどん減っていくばかりです。ウィンディーサニーが売れなければ、我が社は消滅してしまいます。どうか昔と同じように売らせて下さい。お客様にはきちんと私から説明します」
「どう説明するんだよ。予算を抜いてくるのは親会社の社長で、私は何にも知りません、とでも言うのかい」
「それは、うまく説明します。ただ、これまで通り、利益率の設定については私に任せて下さい。心をこめて伝えれば、なんとか分かってもらえると思うのです」
「甘いな。一度落ちたブランドは、そう簡単に再構築できるもんじゃないんだよ」
「落としたのは、あなたじゃないですか!」
「マジメに薄利で売ってます、なんていうのはブランドでもなんでもない。ただの安売りだよ。ウィンディーサニーは今だって、オンリーワンの商品だ。どうしてもっと売るための方法を考えないんだよ」
「そのためには、以前のような価格戦略が必要なんです」
「たった5%の利益で売るのが価格戦略かよ。もう少し頭を使えよ。太陽と風の力で明かりをつくるエコ商品なんだから、補助金を使う手だってあるだろう」
「ハイブリッド型の街路灯に国からの補助金が出されることはありますが、それは、太陽光や風力を利用するすべてのエコタイプに対してです。ウィンディーサニーだけが特別扱いされるわけではありません」
「特別な街路灯なんだろ。だったら、特別な手当をもらったっていいじゃねえか」
「そんな都合のいいこと、できるはずがありません」
「無理だろうな。お前の発想じゃ。役人なんてえのはな、理屈が立てばいくらだって金を出すんだよ。その理屈を説明する場所は、昼間のお役所じゃねえんだ。少しは考えろ」
上野は浅野に、三日以内に考えてこい、と宿題をだして、浅野を追い払いました。


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2010年7月11日日曜日

俺の名は勘九郎(37)

S市のプロジェクトと同じようなことが、3度続きました。いずれも、市の予算をつかんでいたのは、上野です。
浅野ソーラーは、徳原グループ入りして、汚い会社になった。自治体の都市計画課や公園管理課に、この噂はすぐ広まりました。
ウィンディーサニーは、付加価値の高い製品ですから、太陽光や風力を利用する一般のハイブリッド型街路灯より当然コストも高くなります。それでも、毎晩一定の明るさを確保してきた実績が評価され、人気を得た商品でした。しかし、徳原グループ入りして半年もすると、ウィンディーサニーでしか対応できない仕様書を作ってくれる自治体はなくなりました。
どこのメーカーでも作れる街路灯と値段の競争をしてもウィンディーサニーに勝ち目はありません。新工場の建設が始まったとたんに、浅野ソーラーは主力商品のウィンディーサニーを失ってしまったようなものでした。
黄色く色づいたばかりのイチョウの葉を、いっぺんに落としてしまうような強い風が吹いた日のことでした。珍しく朝から社長室にこもっていた浅野は、机の左奥にある電話に手を伸ばすと、少しためらいながらも上野に直通の内線番号を押しました。浅野は上野の秘書の米田に電話して、なんどもアポイントをとろうとしましたが、上野は米田に、浅野からの電話はとりつぐなと指示していたようでした。上野が電話にでると、浅野は名前を名乗り「これから上がります」とだけ言って、返事も聞かずに電話を切りました。浅野ソーラーがあるのは徳原ビルの5階でしたが、浅野は中央のエレベーターを使わず、非常階段を1段飛ばしでのぼり、徳原エナジルのある8階まで駆け上がりました。首からぶら下げていた社員証を認証機にかざすと、重い扉を引き、上野がいるはずの社長室へ足早に進んだのです。社長室の扉は開いていて、浅野は入るなり、上野に懇願しました。
「ウィンディーサニーを以前のように売らせて下さい。全国の自治体をお詫びして回ってきます」


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2010年7月3日土曜日

俺の名は勘九郎(36)

浅野ソーラーでしか対応できない発注仕様書を作って、それが予定価格のほぼ上限で落札されたのですから、だれかが浅野ソーラーに便宜を図っていると思われても仕方ありません。その嫌疑を最初にかけられるのは、当然、市の開発担当者です。
「浅野ソーラーはそんな会社だったのですか!あなたを信用して、ウィンディーサニーでしか対応できない発注仕様書を作ったんですよ」
市の開発担当者に呼び出された浅野は、申し訳ございません、と言ったきり黙ってしまいました。
「だいたい、どうやってうちの予算を盗んだんですか?」
「盗んだなんてそんな」
「だって、そうでしょう。私は上司以外、誰にも予算の話をしていない。その上司に詰問されたのです。7億円くらいなら仕方ないと思ってたんですよ。それくらいの金額なら、後ろ指をさされることだってなかったんだ。それを9千万円も超えたら、予定価格に収まらないと思うはずでしょう。ギリギリのところを狙ってくるなんて、誰かがあなたに数字を教えたはずだ。一体だれなんです。私が疑われているのですよ」
「本当に、申し訳御座いません。予定価格のことなど、私は気にしたことがありませんでした。適切な利益を頂ければそれでいいと考えてきました」
「だったら、どうしてこんなことになるのですか!」
「それは……」
「もういい。帰って下さい。今回の仕事は契約しますけど、二度とお付き合いはないと思って下さい。」


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2010年6月20日日曜日

俺の名は勘九郎(35)

「6億7千2百万円+設計費で、7億円くらいはあるかもしれません」
「7億円の予算があって、競争する相手がいなくって、それで6億2千万円で入札するっていうのか!」
「そうやって浅野ソーラーは、お客様からの信頼を築いてきたのです。私がいうお客様とは、市町村などの自治体だけではありません。夜の街を歩く市民ひとりひとりなのです。彼らが応援してくれるから、独占入札になっても文句を言われないのだと信じています」
「もういい。7億9千万円で入れろ。どうせ、お前じゃ予算も知らないんだろうと思って、俺が調べさせた。市は予備費をちゃんとみといてくれたよ」
「そんなことをしたら、今まで協力してくれた市の担当者に迷惑をかけてしまいます。せめて、7億円にさせて下さい」
「これは、業務命令だ。違反することは許さない!」
「それは出来ません。綱川社長に確認させて下さい」
「好きにしろよ」
その場で綱川の携帯に電話した浅野は愕然としました。すべて上野の指示に従うようにと言われたのです。浅野は、約束が違うと食いさがりましたが、綱川の言葉は変わりませんでした。浅野ソーラーが浅野の意思で動くなら、徳原エナジルも綱川の命令に従う必要はないのだな、と上野が綱川に迫ったそうです。
結局、浅野は7億9千万円で入札せざるを得ませんでした。浅野を信用していたS市の担当者は激怒しました。彼が8億円近い予算を組んでいたのは、7億円程度での落札なら、予定価格と呼ばれる予算に対して、90%を切る落札価格になるからでした。結果的に予定価格に対する落札率は、99%になってしまいました。浅野の思惑通り、6億2千万円なら、78%の落札率になっていたはずです。


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2010年6月12日土曜日

俺の名は勘九郎(34)

S市の「再開発地域街路灯設置工事」入札日の前日のことでした。徳原エナジルの上野が、浅野のいるフロアにやってきました。
「ちょっと来い!」
浅野の机の前に立った上野はそう言うと、まるで自分の部屋であるかのように社長室に入っていきました。
「明日の金、いくらにするつもりなんだ?」
「6億2千万円にするつもりです。それでも今回は7%以上の利益は出せます」
「バカヤロウ!誰が7%でいいなんて言ったんだ」
「社長である私の判断です」
「お前の判断なんていらねえんだよ。徳原グループの目標利益率がいくらだか言ってみろ」
「営業利益率で10%であることを存じておりますが、浅野ソーラーの、特にウィンディーサニーの販売戦略については、私に委ねられています」
「俺が、許さないといってるんだよ」
そう言いながら、上野はポケットからカード型の電卓を取り出しました。
「なんだと!6億2千万じゃ、一台あたり260万にもならないじゃないか。定価だって280万円だろう!」
「あの定価表は、設計費を別にして、1台を単品で販売するときの目安ですから、今回のように240台も同時に発注してもらえる場合は、格段に安く提供できます」
「バカにするな!それくらいのことは分かってる。だいたいお前、市の予算を知らないのか?」
「280万円×240台、プラス設計検討費用くらいは見込んでいるかもしれません」
「それはいくらだと聞いてるんだよ」


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2010年6月6日日曜日

俺の名は勘九郎(33)

市の委託を受けて公共事業の設計書を作るのは、本来、専門のコンサルタント会社なのですが、コンサルタント会社にもその能力はありません。浅野ソーラーはコンサルタント会社に設計書づくりの手伝いを頼まれていたわけです。
街路灯の設置工事について、S市は公募型の競争入札を実施しました。公開された設計書をみて、明るさ保証のできる会社は浅野ソーラーしかないことは、業界の関係者ならすぐに分かります。結局、応募した会社は浅野ソーラーだけでした。
最初からウィンディーサニーが欲しいのだから、S市は直接浅野ソーラーに仕事を頼めばいいと思うのですが、その辺が公共事業の難しいところなのでしょうね。もちろん、浅野がS市の担当者に賄賂を渡すようなことはありません。ウィンディーサニーを適切な値段で提供し社会に貢献する、それが、浅野ソーラーの経営方針でしたから。
徳原グループ入りした浅野ソーラーは、本社を品川にある徳原ビルに移していました。社長室は有りましたが、個室に入ることを嫌っていた浅野は、いつも社員の顔をみながら、仕事をしていました。朝の光を窓から背中に受けて、社員の横顔が輝くのを見るのが、浅野は好きだったのです。


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2010年5月26日水曜日

俺の名は勘九郎(32)

《上野っていうのは、浅野の上役にあたる上司だったな》
《浅野ソーラーの親会社の社長です。この話は、山崎にもちゃんと思いだしてもらって、行動を起こしてもらいたいのですが、難しいのですかね》
《まあ、しっかり念じながら話すことだね。ムダだとは思うけど》

あれは今から2年ほど前のことでした。浅野ソーラーが徳原グループに入って1カ月経った頃でしたから、2006年の5月のことです。S市の再開発プロジェクトの一環で、街路灯を一遍に240台も設置するという大きな仕事がありました。一度にそれだけの台数を受注するというのは、浅野ソーラーの歴史において最大の仕事でした。新工場が建設される前も、年間600台の生産能力はありましたから、生産能力上の問題はありませんでした。その案件は、浅野社長と市の再開発担当者が何年も協力してつくり上げた計画だったのです。
市が開発する仕事の設計書を浅野ソーラーのようなメーカーがつくることは形式的にはありません。メーカーに頼むと自分の会社に有利な設計書を作ってしまいますからね。しかし、S市の本音は、浅野ソーラーのウィンディーサニーが欲しかったのです。どんな夜でもウィンディーサニーを常時点灯させておけるのは、現地の風量と太陽光の照射傾向を調査して、独自のノウハウで発電バランスを計算することで成り立ちます。だからこそ、日没から翌朝の日の出まで一定の明るさを保証する、という条件を満たせるのです。


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2010年5月20日木曜日

俺の名は勘九郎(31)

《だったら、埃をかぶせておくな。浅野の恨みを晴らそうとしているハンの気持ちが分からないのか》
通じていないことは分かっているが、言わずにはいられなかった。
「そう怒るなよ。今度、パチンコ玉でも持ってきてやるからさ」
山崎を相手にしていると、俺の念を送る力が足りないのかと不安になる。しかしハンが4カ月念じ続けて、何も感じなかった男だ。非が山崎にあることは間違いない。
鳥かごの窓を持ち上げて、山崎は言った。
「ハウス!」
《バカ》
わざと鳴き声を聞かせてから、鳥かごに入ってやった。
「うわーお。英語を理解して鳥かごに戻るカラス。これ、ビデオにとって、テレビに送ろう」
《せめて、テレビ局と言え》
「ホントに、お前って言葉が分かってるよね。テレビ出たら、厚揚げ3袋な」
そいつには、ちょっと弱い。

《ありがとうございました。これで、明日からは外の世界に出られそうです》
ポテトチップスを食べながら、バラエティー番組にバカ笑いする山崎をしり目に、ハンが声をかけてきた。
《いつも、いろんな話を聞かせてもらっているお礼さ》
声を出さずに、俺は答えた。
《なぜ私が上野を恨んでいるのか、詳しい話をしてもいいですか?》


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2010年5月12日水曜日

俺の名は勘九郎(30)


小型のサルが飼える大きさの鳥かごで眠るようになって4日目の夜、鳥かごの窓はいつものようにカギがかかっていなかった。俺は、窓を嘴で持ち上げ、そのままするりと、頭を外にやり、うなじを使って、窓を一番上に持ち上げた。それからジャンプして、かごを抜け出し、山崎の机の上に降りた。そうして、埃をかぶったままのハンを咥えたときに、タイミングよく山崎が風呂から出てきた。
「わっ、何やってんだよ、お前!」
ちょうどよかったので、俺はハンを咥えたまま、嘴を天井に向け、バサバサと二度、大きく翼を広げた。羽を戻しハンを机の上に置くと、山崎が俺の方にゆっくりと近づいてきた。
俺が山崎になついたそぶりを見せたことは一度もなかったが、不思議なことに山崎は、俺を警戒するところがなかった。
ハンを手に取り、じっと眺めてから、今度は俺の方を向いた。
「勘九郎はこれが欲しいのか?」
俺は、クォアアルッと、ひと鳴きして、同意してみせた。
山崎が俺のことを勘九郎と呼びだしたのは、その前日のことからで、3日間、念じ続けた成果だった。それまで山崎は俺を「九ちゃん」と呼び続けていた。九ちゃんと呼ばれたとき以外は、山崎の言葉に適切に反応してやっていたから、山崎も、ようやく呼び名を変えてみようと思ったのだろう。
「カラスは光るものが好きだっていうけど、ほんとなんだな。でもこれはやれないぜ。浅野社長の大事な形見だからな」


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2010年4月24日土曜日

俺の名は勘九郎(29)

先代の社長から抜擢された綱川は、上野の実力を認めていましたが、社長になった綱川を後輩扱いする上野に、ある日注意しました。
「上野さん、二人だけの時ならともかく、社員の前では社長と呼んでもらえませんか。あなたに呼びすてにされたのでは、示しがつきません」
「偉くなったもんだな、と言いたいところだが、一応、俺より偉いんだったな。社長なら、俺をどこへでも飛ばしたらいいだろう」
「考えておきます」
上野は、綱川に仕えるつもりは全くなかったのです。翌年の四月、綱川は上野に子会社であるエナジルの社長就任を命じました。

「俺は綱川みたいに、やわなことは言わないから、覚悟しとけよ。圧倒的な技術力のある商品を、たった5%の利益で売るなんてバカな経営はやらせないからな」
「綱川社長は、経営の方針については、いっさい私に任せると言って下さいました。ウィンディーサニーの売り方にしたって、これまでと同じでいいということだったので、徳原建設のグループに入る決断をしたのです」
「どうせ、綱川は、金はだしても口は出しません、とかなんとか言ったんだろ。あんなヤツに口出しはさせねえよ。浅野ソーラーの親会社は徳原エナジルなんだ」
「それじゃあ、約束が違います。綱川社長と話をさせて下さい」
「今年度中に、エナジルは建設の売り上げと利益を追い抜く。エナジルの経営に、文句は言わせない。徳原の傘下に入ったからには、非公開の零細企業とはわけが違うんだ。エナジルの連結利益を向上させるために、浅野ソーラーの経営体質を徹底的に改善してやるよ」
《この人と話をしてもらちが開かない》
上野を言葉で理解させるのは不可能だと、浅野は諦めました。


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2010年4月10日土曜日

俺の名は勘九郎(28)

ダムの工事で業績を大きく伸ばした徳原建設は、ダムに付帯する水力発電機を製造したことが契機となって、エネルギー分野にも進出していました。
2005年の時点で、グループの中核企業になっていた徳原エナジルは、その10年ほど前、ドイツの発電機メーカー・ハンスロル社と包括的な技術提携をし、国内及びオセアニア地域における独占的販売権を獲得した際に発足した会社でした。
エナジーではなく、エナジルという社名になったのは、ハンスロル社に敬意を払ったためだったそうです。
徳原グループの資本を受入れることで、浅野ソーラーは新工場を建設することが出来ました。資本提携に関する契約書にサインするときも、浅野はもちろん私を使いました。そして、「浅野辰己」の署名の上の段にサインしたのが、徳原エナジルの社長である上野喜助でした。

徳原建設の下に浅野ソーラーが入るのではなく、徳原建設の子会社である徳原エナジルの下に入ってしまったことに、ほとんどの人間は何も感じませんでした。
「お前の上司は綱川じゃなくて、俺だということを忘れるなよ」
契約が成立しためでたい日に、なぜ上野が高圧的なもの言いをするのか、浅野には分かりませんでした。
上野喜助は、徳原建設の社長の綱川時雄よりも2歳年上でした。綱川が常務取締役だったころ、上野は専務取締役で、次期社長候補の筆頭と目されていた人物でした。


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2010年4月4日日曜日

俺の名は勘九郎(27)

日記を書き終えた浅野は、居間のチェストに置いてあった腕時計を持つと、書斎に戻ってきました。そしてそれを左の手首にはめ、右の掌で私の体をぎゅっと握りしめました。
「長い間、ありがとう」
浅野は、私たちにそう言ってくれたのです。銀色の盤面の右端で金のリューズが輝く腕時計は、私よりも長い浅野との付き合いでした。私が浅野のところに来てからも、22年の時が経っていました。
閉じた日記帳の上に、私と腕時計を丁寧に置くと、浅野は小さなあくびをひとつしました。そして、一粒の涙をこぼしながら、フフッと鼻で笑ったのです。
《こんな時でも眠くなるなんて、大発見じゃないか》
心の中でそうつぶやくと、浅野は大量の睡眠薬を、ストレートのウィスキーと一緒に飲みました。浅野の意識が朦朧とし、やがて消えていくのを、ただ感じることしか私にはできませんでした。

浅野ソーラーの売上金額が40億円を超えた頃、ハイブリッド街路灯の受注増加率が急停止しました。基幹部品のソーラーパネルを製造する工場の能力が限界に達してしまったからです。市場にはウィンディーサニーを求める声が沢山ありました。しかし、浅野は、借金をして新しい工場を建設することに躊躇しました。投資を回収できなければ、会社を倒産させてしまうこともあります。浅野はむしろ、新商品の開発に資金をつぎ込みたいと考えていました。
ゼネコン大手の徳原建設から、浅野に対してグループ入りの打診があったのは、その頃のことでした。
「ウィンディーサニーは、市場を席巻する力をもった商品です。うちの資本を有効に活用してもらえれば、浅野ソーラーも躍進することは間違いないと思いますが、どうですか?もちろん、浅野ソーラーの社名も経営体制も今のままで結構です」
徳原建設社長の綱川時雄から話があったのは、2005年の春のことでした。



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2010年4月2日金曜日

俺の名は勘九郎(26)

今日まで、本当にありがとう。そして本当にゴメンなさい。
自ら死を選ぶ人間は、きっと天国にはいけないのでしょうね。だからもう、いくら待っても、和江に会えないことだけが心残りです。

百万回生きたネコ、というお話しを、和江は子供たちに聞かせてあげていましたね。ぼくも百万回生きられるのなら、百万回、和江と出会って、百万回、結婚したいです。
百万回結婚したら、百万回、祥子と玄太が生まれてくるのでしょうか。玄太が先に生まれて、祥子が妹になることだってあるかもしれませんね。それでもぼくは、百万回、この家族と一緒に暮らしたいのです。今度はもっといいお父さんになれそうな気がするな。
和江には「もうこりごり」って言われてしまうかもしれないけれど、もう一度、ぼくはみんなに会いたいのです。

だったらどうして!

今これを読んでいる和江はきっとそう思っていることでしょう。
どうしてかは、ぼくにも分からないのです。
だけども、どうしようもなく疲れてしまったのです。ぼくはもう朝日を見る元気をなくしてしまったのです。お月さまに誘われてしまったのです。
本当に、本当に、ゴメンなさい。
さようなら。
さようなら。


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2010年3月28日日曜日

俺の名は勘九郎(25)

いつも仕事しごとで、家のことは和江に任せっぱなしだったし、祥子や玄太とも、ほとんど遊んであげることができませんでしたね。今はそのことを、とても後悔しています。
でも、ぼくは、あの会社を自分の命だと思っていたのです。だから会社を取り上げられてしまったとき、ぼくの命が終わってしまったように感じました。いまでもぼくは、あの会社の社長だけれど、もうあの会社は、ぼくの会社ではなくなってしまったのです。

お月さまの光が地球に届くまで、1秒くらいの時間がかかるということは、玄太にも理解できるかな。玄太がお月さまに向かってペンライトを振ったら、その光は1秒たってからお月さまに届くんだ。お月さまが鏡だとしたら、そこに映った光が地球へ帰ってくるのにまた1秒かかることになるね。つまり鏡に映った地球の姿は2秒前の世界ということになるんだ。
そして今日、ぼくは鏡になったお月さまを見てしまったのです。2秒前の世界に存在していなかったぼくが、いまは存在している。それはいけないことのように感じました。なぜだか、そんな気がしてしまったのです。
帰ってきたぼくが、真っすぐ洗面所へ向かったことに、誰か気づいたかな。ぼくは鏡の中に自分がいることを確認したかったのです。
そこには僕がちゃんといました。でもぼくは、逆にそのことが怖くなってしまってね。鏡に映っている自分は、0.000000000001秒前のぼくで、今のぼくは存在していないのかもしれない。今度は、そう思ってしまったんだ。
昨日はあったし、明日もあるのに、どうして毎日、今日なのだろうね。
昨日のぼくは、いたのかな。
明日のぼくは、いるのかな。
こんなことを考えてしまったのが、いけなかったのですね。最近のぼくは、少し変だったのかもしれません。
和江はそのことを心配してくれていましたね。家族のことを暖かく見守っていてくれて、本当にありがとう。いつも自分のことを最後にして、ぼくや子供たちのわずかな変化にも気がついてくれましたね。祥子の足の指に出来た小さなあざを見つけて心配そうに伝えてくれたり、玄太の喉仏がすこしだけゴツゴツとしてきたことをほほ笑みながら、教えてくれましたね。


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2010年3月21日日曜日

俺の名は勘九郎(24)



日記帳に濃い青色のインクで浅野の意思を記すのも、私の重要な仕事のひとつでした。
妻と子供たちの眠りが深くなったのを確かめると、浅野は自室に入り遺書の代わりとなる最後の日記をつけました。自尽に及ぶ二時間ほど前のことです。

和江、祥子、玄太
ずいぶんと寒い夜になってしまったね。
もう少し暖かい夜だったら、ぼくも、こんなことは考えなかったのかもしれません。
祥子と玄太にとっては、父さんが自分のことを、ぼく、と言うのは不思議かもしれないけれど、ぼくは、和江の父さんではないから、今日は、ぼくと言うのを許して下さい。祥子と玄太に、許して下さい、なんて言い方をするのも変だと思うかもしれないね。けれど、これから父さんがすることを、本当に許してほしいのです。
今日、ぼくは月を見ました。まるくて大きな、銀色に光るお月さまでした。ぼくにはそれが、鏡に見えてしまったのです。
その鏡には、ぼくが映っていませんでした。街があって、ぼくの会社もあって、ぼくと一緒に働いてくれたみんなもいるのに、ぼくだけが映っていませんでした。ぼくがつくった会社が、もうぼくの会社ではなくなってしまったから、そんな風に見えたのかもしれません。


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2010年3月20日土曜日

俺の名は勘九郎(23)

山崎は、クローゼットに備え付けの引き出しから、大きめのプラスドライバーを取り出すと、机に向かって座り、箱の中にあった説明書を読み始めた。ハンの位置から裏面が見える。
《オウム用だが小型のサルも飼える、って書いてありますね》
《読めるのか?》
《仕事ですから》
なるほど。ハンは俺なんかより、よっぽど頭は切れるのだろう。しかし俺には翼もあるし、嘴もある。いつだって自由に空をとべる。お前みたいに、机の上に転がされっぱなしなんてことはない。
俺は、しっかりと閉じてから、あえて挑発的なことを考えた。そしてハンの様子をそっと伺った。しかしハンには、目も口もない。究極のポーカーフェイスというわけだ。黙っているハンが、俺の意思を拾っていたのか、読めなかったのか。結局、俺には分からなかった。
《それだけの力を持つには、ずいぶん苦労したんだろな?》
意思を開いて、ハンに聞いてみた。
《特別なことをしたつもりはありませんよ。ただ、あなたがたの言う五感というものを一つに集めた状態にしておかないと、何も感じることができません》
《五感を一つに?》
《私には、あなたが真っ黒だということが分かるし、厚揚げは柔らかいということも知っていますよ。ただ、それは実際に見たり、触ったりしているわけではありません。見る、触る、味わう、嗅ぐ、聞く。これらの感覚を一つして、喉もとに集中させるんです》
《喉もと?》
《キャップについているフックの先の辺りです。リラックスした状態で、喉元に全部の感覚を集中させているときに、奥深いところにある意思まで拾えることは確かです。でも、これは私だけの感覚かもしれません》
《ありがとう。参考にさせてもらうよ》


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2010年2月4日木曜日

俺の名は勘九郎(22)

《あの人、どこに行ったと思います》
山崎が出ていくと、ハンが再び俺に声をかけてきた。
《さあ、パチンコにでも行ったんだろう》
《鳥かごを買いに行きましたよ》
《なに?》
《頭ん中、でっかい鳥かごでいっぱいになってましたね。段違い平行棒みたいに、止まり木が二本あるやつ》
《今ので、俺を飼う気になっちゃったわけ?》
《みたいですね。分かりあえたと思ったんじゃないですか》
《完全な一方通行だったがな》
《どうします?》
《どうって、俺はカゴの中で暮らすつもりはないさ》
《昼間は外に出してくれるつもりみたいですよ》
《夕方になったら、ねぐらの代わりに戻ってくると思ってるのか?》
《みたいですね》
俺には、鳥かごを買いに行ったことさえ読めなかったが、ハンにはそこまで分かるのかと思って驚いた。これほどまでに感受性の強いヤツに会ったのは初めてだ。
《私には目も耳もありませんけど、その分、受け取る感性が強いのかもしれません》
俺の驚きを見透かしたようにハンが言った。
《今のは、閉じていたつもりだったけどな》
《少しだけですが、漏れてましたよ》
《恐ろしいヤツだな。無生物ってのは、みんなハンみたいに感受性が強いのかい?これまで、そうは思えなかったけど》
《個体差は、あるのでしょうね》
日曜日の午前、配達業者の小柄な男が、自分の背丈ほどもある大きな段ボール箱を抱えてやってきた。前の晩は、キノコ雲の木に戻って寝たが、翌朝も俺はハンのところにやってきた。ハンの話には学ぶところが多い。


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2010年2月3日水曜日

俺の名は勘九郎(21)

「ダメかあ。でも最初に、九官鳥に言葉を教えた人だって、きっと、苦労したんだろうな。お・は・よ・う」
《アホウ。人間が言葉を教えようとしたのが先じゃない。人間の言葉をモノマネした九官鳥がいただけのことだ》
「おー、一生懸命しゃべろうとしてんじゃん。やっぱこいつ天才カラスだな」
それは正しい。
部屋に戻った山崎は、冷蔵庫から何かを取り出すと、再びベランダにやってきた。厚揚げをちぎって、むき出しのコンクリートに二切れ置おくと、また余計なことを言った。
「トンビにあぶらげ、カラスに厚揚げってか」
《バカ》
しかし、悲しいことに、好物だった。
「ちゃんと返事してから食うとこが偉いな、こいつ」
手に持っていた残りの厚揚げをプラスチックの袋からだして俺の足元に置くと、山崎は、待ってろよ、と言って部屋に戻り、ジーパンとTシャツに着替えて玄関から出ていった。


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2010年1月31日日曜日

俺の名は勘九郎(20)



浅野という男の恨みを晴らしてやりたい、すぐに俺がそう思ったわけじゃあない。ハンが切々と訴えるのを聞いて、ヤツの意思の力が半端なものじゃないことを、俺は感じた。ハンは自分の力に気づいてないようだったが、山崎の机の隅で、埃をかぶった万年筆にしておくのはもったいなかった。
山崎の住むマンションから3ブロックほど離れた公園に、枝ぶりがキノコ雲のような形をした大きな椎の木があって、しばらくの間、俺はそこをねぐらにしていた。昼間、山崎は部屋にいなかったが、俺は毎日ベランダまで行って、ハンと話した。山崎が昼過ぎまでベッドで寝息をたてていた土曜日の午前中も、おれは構わずにハンの話を聞いていた。ようやく起きた山崎は、目が覚めるとすぐに湯を沸かし、昼飯をカップラーメンと牛乳とカロリーメイトの組合せですませた。それから顔を洗い、やっと空気の入れ替えをしようと思ったようで、ベランダにつながるサッシの窓を開けた。
「お前かあ、犯人は」
と、山崎は大仰に言った。
俺が毎日ベランダに落としている黒い羽根のことを言っているのはすぐに分かったが、俺は黙って山崎の顔を見て、ハンのことを思い出せ、と念じた。
「毎日、掃除が大変なんだよ。まったく」
まったくとは、こっちのセリフだ。俺がどれだけ念じても、全然気づく様子がなかった。
カラスがベランダの桟に留っていれば、普通の人間なら、シッと言って追い払おうとするし、たちの悪いやつになると、エア・ガンで撃ってきたりする。しかし、山崎は俺をしげしげと見て言った。
「せめて嘴が黄色で、おはよう、のひとつも言えたら、お前もそこまで嫌われずにすんだんだろうなあ」
《どアホウ!それじゃ九官鳥じゃ》
「あれ、返事したよ、こいつ。言葉が分かんのかな。九ちゃん、おはよう」
《俺の名は、堪九郎だ!》
「やっぱり、分かるんだ。しゃべらせたら、テレビでれるかなあ。九ちゃん、お・は・よ・う」
バカと言ってやりたかったが、ここで反応すると、鳴き声をまた返事だと思われそうだったので、俺は無視した。


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2010年1月28日木曜日

俺の名は勘九郎(19)

着替えを終えたその人は、段ボールとカバンの中から取り出した新品の青いビニールシートを使って、自分の家をつくりはじめた。ぼくの家の木を含めた2本の木をメインポールの代わりにして、三角のテント小屋を作った。屋根がビニールシートで、床が段ボールのその家は、雨はしのげても風には弱そうだった。シュロの木につるしたハンガーを取り込もうとしたとき、その人はぼくに気がついた。抱きかかえて頭をなでながら、
「今日が俺の公園デビューだ。よろしくな」
とぼくに言った。ホームレスになることを、公園デビューというのかぼくには分からなかったし、その人がどんな人かも分からなかったけど、蒸し暑い夕暮れどきだというのに、その人の腕の中は柔らかで心地よかった。ぼくの喉元の毛を、親指と人差し指で軽く引っ張るようになでながら、彼は言った。
「俺、ヤスベエってんだ。お前の名前は、そうだな…、コタローにしよう」
ぼくは、《やった!》と声を上げたが、ヤスベエには「にゃあ」と聞こえたはずだ。ヤスベエが名前を思い浮かべる前に、ぼくは《コタロー》という念を、ヤスベエに送っていた。彼の意識に、ぼくの念が入り込んだのだ。人間と意思の交換を出来る動物はいないらしいけど、念を送ることで、ヤスベエにメッセージが届いたということは、ある意味で、マタギができたという証拠だ。
「コタロー、俺、ある人の仇をとるために、ここで暮らすことにしたんだ」
浅野という人の仇をとるために、誰かに復讐しようとしていることが、ぼくには分かった。
ぼくの能力が少しずつ高まりはじめているような気がした。


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2010年1月15日金曜日

俺の名は勘九郎(18)

草の上に転がしたバックパックから、プラスチックのハンガーを取り出して、シュロの木の枝にそれをぶら下げた。その人は、脱いだ上着を丁寧に畳んで、バックパックの上に乗せた。それからネクタイを外し、ワイシャツとズボンを脱いだ。靴を脱いだその人は、片足ケンケンで靴下も脱ごうとしたが、そこで動作を止めて、シルクソックスの足を、そのまま革靴に戻した。茶色の革靴にスケスケの靴下、白のランニングシャツにボクサーパンツという格好で、その人はカバンの上の服をハンガーにかけた。
彼は、着ていたもの一式をシュロの木にぶら下げると、たわんだ枝からハンガーが落ちないことを確認した。バックパックからオレンジ色のTシャツを出して、ランニングを脱ぐと、6枚に割れた腹筋が現れた。パンツ一丁に白いランニングシャツでは、中年のおじさんだったが、サイの横顔が大きく描かれたTシャツとジャージのズボンに着替えると、ずいぶんと若くみえた。足首をマジックテープで固定するタイプのサンダルをはくと、やっとその人の着替えが終わり、ようやくぼくも落ちついた。


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2010年1月14日木曜日

俺の名は勘九郎(17)

この前の無差別テロといのうは、公園のベンチや木陰にあった弁当の残り物を食べたネコやカラスが死んでしまった事件のことだ。キトさんが教えてくれたそのニュースによると、弁当に毒物を混ぜた人間がいるらしい。無差別テロ事件として広まったそのニュースは、公園中の動物たちを震撼させた。だから、キトさんのように、心が読める仲間の様子をみてからじゃなきゃ、人間から食べ物をもらうことができなくなった。
どうしてキトさんは、ピンクのスーツケースの人について行ってしまったのだろう。
年老いたシュロの木の根元にできた窪みがぼくの家だ。キトさんが、あの女の人と一緒に公園を出たのと入れ替わるようにその男の人は、ぼくの家の隣に越してきた。夏の暑さの残る、からりと晴れた日の夕方のことで、その人は、紺のスーツの背中にに黒い大きなバックパックを背負っていた。
「この辺にするか」
何枚かの大きな段ボールをシュロの木に立てかけると、その人はズボンのポケットからタオル地のハンカチを取り出して、額の汗を拭った。


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2010年1月6日水曜日

俺の名は勘九郎(16)



キトさんが、ぼくの前から姿を消して、もう3カ月になる。ぼくたちは渋谷の宮下公園で毎日のように遊んでいた。宮下公園のフットサル広場の隣がぼくたちの遊び場だった。ある日、その公園に、一人の女の人がピンクのスーツケースを引きずりながら歩いてきた。屋根と柱だけの東屋のベンチに座り、ぼくたちをぼんやりと眺めていた女の人は、土ぼこりでよごれたコンクリートの上に、スーツケースをべったりと横置きにした。彼女はそこから、お菓子の箱をとり出した。ぺりぺりっと音をたて、箱を開けると、タケノコの形をしたチョコレート菓子を口に入れた。ぼくとキトさんは、その様子をじっと見つめた。すると彼女は、箱の中から二つの菓子を一度につまむと、それを自分の足元に置いた。つま先に穴のあきそうな色の褪せた茶色いスニーカーの近くまで寄って、キトさんは黙ってそれを食べた。
《心配ないから、コタローも食べなよ》
キトさんが言うので、ぼくも安心して口に入れた。
キトさんは、ぼくにとってマタギの師匠だ。キトさんと出会う前のぼくは、仲間うちのネコの言葉しか理解できなかった。キトさんが訓練してくれたおかげで、ぼくは人間が話す言葉を理解できるようになった。しかしぼくは、人間の心を読むことはできない。
《あんた変わってるよね》
《そうですか?》
《普通は、あけっぴろげな人間の心が読めるようになって、それからしゃべり言葉が分かるようになるもんだよ》
《でも、ぼくの場合、話してる言葉しか理解できないみたいなんです》
《マタギっていうのはさ、開いてる状態の心を読む能力なわけ。私も人間の話す言葉が理解できるようになったのは最近だよ。コタローってもしかして犬の鳴き声とかも理解してんの》
《ワンワン、としか聞こえません》
《じゃあ、人間の言葉だけ理解できるんだ》
《そうみたいです》
《人間の言葉なんて嘘ばっかりだからね。気をつけた方がいいよ》
《キトさんは、嘘なんかついたことないですよね》
《当たり前じゃない。あたしらは、心を開くか、閉じるかしかないんだから》
《でも、嘘の心を相手に送りこめる動物っているんですか?》
《さあね。あたしは会ったことないけど。ひょっとしたら、いるのかしら。考えたこともなかったわ》
《ぼくが理解しているつもりの人間の言葉も、みんな嘘なんですか?》
《すくなくとも、コタローに話しかけてるときは、嘘じゃないと思うよ。人間どうしで会話するときに、嘘が多いみたいだからね》
《でも、この前の無差別テロみたいなこともあるから、怖いですよね。人間て》
《そうね。あれは、誰かが死ぬのを面白がってるヤツの仕業だものね》


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2010年1月3日日曜日

俺の名は勘九郎(15)

発注仕様書に「照度保証」の文言が入っても、浅野はウィンディーサニーの価格を吊り上げるようなことはしなかった。製造コストにわずかばかりの利益を乗せて入札金額とした。売上金額の堅調な伸びと比例して会社の利益も増えたが、浅野は大きな利益を上げることをよしとしなかった。どれだけ売上が伸びても、会社の経常利益率は3%程度で一定していた。
「我が社は、もっと利益を重視すべきです」
浅野に面と向かってそう主張したのは、古参のひとりである田中貞義だった。浅野ソーラー3人目の社員として入社した田中は、技術部長を兼務する専務取締役になっていた。財務基盤を強化したい蔵島は、本心では田中と同じ意見だった。しかし、浅野がなんと答えるかは、聞かなくても分かっている。
「独占的な立場を利用して、税金泥棒のようなことをするつもりはない。役所がうちに有利な仕様書を作ってくれるのは、浅野ソーラーの経営姿勢を高く評価してくれているからだ」
予想通りの答えだが、蔵島はそれもまた真なり、と納得している。しかし、田中の内心はそうではなかった。


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2010年1月2日土曜日

俺の名は勘九郎(14)

ウィンディーサニーの最大の強みは、365日、夜の明るさを保証できたところにあった。浅野は全国各地の気象データを集め、太陽光と風力による電力生成バランスを綿密に計算した。そして街路灯の設置ポイント毎に、陽光と風力による発電効率とバッテリー能力を見極め、雨の夜も一定照度の明るさを保証出来るハイブリッド街路灯を完成させた。他社のハイブリッド街路灯は型式ごとの既製品である。雨が続けば電気は消える。

それに対して、ウィンディーサニーは、設置場所毎のオーダーメードだ。製造コストは少し高くついたが「365日、明るい街路」をうたい文句にしている。もちろん想定以上に雨が続けば、ウィンディーサニーにもバッテリー切れは起こる。しかし、初号機を出荷してから10年以上、浅野ソーラー製の街路灯が消えていたという報告は、全国のどこからもこなかった。土地ごとの気象データと街路灯の照度のバランスに関するノウハウは、浅野ソーラーのトップシークレットになり、その情報に接することができるのは、浅野と蔵島の二人だけだった。

街路灯を注文するのは、一般的に市町村などの自治体であることが多い。役所が街路灯を発注する場合、通常は複数の会社による競争入札が行われる。発注仕様書と呼ばれる書類には、本体の高さ、風車の型式、起動に必要な風速などが示されている。街路灯のメーカーは、仕様書を満足する製品を設置しなければならない。その上で、もっとも安い金額を提示した会社が落札業者となる。仕様書の中に「日没から日の出まで、365日、常に45ルクス以上の照度を保証すること」というような文言があれば、それはウィンディーサニーが欲しいという意味になる。その条件を満たせる街路灯メーカーは浅野ソーラー以外になかったからだ。地方の公共事業を監視する目が大らかだったころには、「浅野ソーラー社製のウィンディーサニーと同程度の性能を保証できるもの」という大胆な仕様書さえあった。結果的に他社は、入札を辞退せざるを得ず、浅野ソーラーの売り上げは確実に伸びていった。


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