2009年12月12日土曜日

俺の名は勘九郎(13)

2006年に入社した山崎は、半年間の研修が終わるとすぐに営業部に配属された。学生気分の抜けない山崎は、副社長であり営業部長を兼務していた蔵島に、細部に渡って指導を受けた。
「中小企業の営業って、やっぱ厳しいんスね」
およそ副社長に対する言い方とは思えないもの言いで、山崎は、蔵島に不平をもらした。
「大企業だって、零細企業だって、サラリーマンは辛いんだよ、ヤマちゃん。新入社員を甘やかしているような会社は、すぐにつぶれちゃうよ」
山崎より20歳も年上の蔵島だが、言葉づかいは柔らかである。したがって、山崎には蔵島の厳しさが伝わらない。ありていに言えば、受け流しているのだ。

蔵島について言えば、社長を補佐するときの考えの深さと、事を起こした時の行動力は抜群である。身長は185cmを超え、横幅もそれなりにあるが、恰幅のいい中年体型ではない。子どもの頃から水泳で鍛えたという逆三角形の体型は、50歳近くなってもバランスよく維持されている。アーリア系民族の血が四分の一ほど混ざっている、と言われたら信用してしまいそうなほど彫の深い目鼻立ちから、山形県で生まれた生粋の日本人であることを想像するのは難しい。小柄で細身の浅野が、大男の蔵島を従えて歩く姿は、要人といかついSPのように見える。しかし蔵島の物腰は柔らかで、慎重すぎるようにも思える性格に、浅野はじれったさを感じることもあった。

「自然エネルギーを有効活用することで、地球環境に貢献する会社」浅野と蔵島の二人で会社を設立したとき、それが浅野ソーラーの理念だった。ハイブリッド街路灯のウィンディーサニーが主力商品となり、会社の規模が大きくなってからも、基本理念は変わらなかったし、二人の理想の行きつく先は同じだった。太陽と風の力を利用した街路灯で、暗い夜道を明るく照らす。それは、犯罪や事故を減らすことにもつながる有意義な事業だった。ウィンディーサニーは、暮らしの安全と地球環境を守る製品であり、二人にとっての誇りだった。


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2009年12月10日木曜日

俺の名は勘九郎(12)

当時29歳だった浅野は、大手電機メーカーを退職して、ソーラーパネルを製造・販売する小さな会社を興した。会社の名前を「浅野ソーラー」という。理工学部出身の浅野は、浅野と同じ大学を卒業して二年ほど海外を放浪していた後輩の蔵島という男を誘い、たった二人で業を起こした。資本金はすべて浅野が負担している。

浅野が開発したソーラーパネルは、太陽のエネルギーを効率よく電気に変換した。しかし、名もないベンチャー企業の製品を売ることは簡単なことではなかった。技術畑出身の浅野は、よい物が安ければ必ず売れると信じていた。しかし、高品質で安いものも、信頼と評判がなければ、決して商品は売れない。宣伝と営業にまで手が回らない浅野を経営学部出身の蔵島がよく補佐した。「清廉潔白」を是とし、正攻法しか知らない浅野に対し、世界中を放浪して歩いた蔵島は、人間の善意を信じることの大切さと、その危うさを知っていた。企業社会で競争するには、ときに清と濁とをあわせ飲む必要があることを、体感的に悟っていた。現実派の蔵島が、理想主義の浅野を盛り立てながら、会社の進むべき方向をうまくリードした。

会社は少しずつ成長し、ソーラーパネルは省エネ社会のニーズとマッチし、着実に売り上げを伸ばした。浅野ソーラーが急成長したのは、太陽の光と風の力を利用できるハイブリッド型街路灯を商品化してからのことだった。晴れた日には太陽の光で発電し、雨の日でも風さえあれば、発電できるタイプの街路灯を浅野は開発した。チュウリップの花のような形をした銀色の羽は風と光を受け、くるくると回りながら電気を作った。そして、花びらの下の電灯が、夜になると街の小さな路地を明るく照らした。浅野はその街路灯に「ウィンディーサニー」という名前を付けた。

浅野ソーラーは、設立20年で年商を50億円にまで伸ばし、従業員の数は80人に増えた。中核部品のソーラーパネルを製造する工場に40人の従業員を抱え、新宿のテナントビルに移した本社には、24人のエンジニアと12人の営業マンがいた。その中の一人が、現在の私の主となってしまった山崎だ。


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2009年12月4日金曜日

俺の名は勘九郎(11)



自殺した浅野の遺品である私が、山崎などという小者の手に渡ってしまったのは、誠に遺憾としか言いようがない。私が生まれたのは、1986年の春のことだ。ペン先の金が、金山から掘り出されたのは、もう何百年も前のことだが、そんな昔語りは、今は必要ないだろう。万年筆として文具売り場のショーケースに並んだ私は、主と恃むにふさわしい人物の来訪を静かに待っていた。いわゆる「バブル景気」の走りのころだったが、百貨店で3万8千円の筆記用具を買う人間には、それなりの覚悟を持っていてもらいたい。地上げ成金のような人間がショーケースの前に立つとき、私は目立たぬように気配を消した。気配を殺してしまえば、たいていその人間に体を持ち上げられることはない。逆にこの人物こそ、と思う人間がやってくれば一心に念ずる。するとその人間は、必ず私を手にとった。
「ショーケースの中の物が、ぼくを呼んだような気がしたんです」
そう言って何かを買う人間には、なかなか見どころがある。普通の人間が失ってしまった感受性をかろうじて残している証拠だからだ。浅野が売り場に来たときもそうだった。その時の浅野の背中には、あけぼのの光が指していた。《あなたのような人こそ、私の主となるべき人間である》私はそう念じた。私もまた、この世において新しい使命を与えられたばかりだった。
「贈り物ですか?」
と売り子に聞かれた浅野は
「いいえ。今日、ぼく、自分の会社を設立したんです。これから沢山のお客様と契約を結べる会社にしたいと思ってるんです。だから、契約書にサインするのにふさわしい万年筆を買っておこうと思って」
売り子は、おめでとうございます、と言いながら、白いガーゼの手袋をはめて、私を持ち上げた。
「お試しになりますか?」
私の体が浅野の右手の3本の指に収まったとき、私は働き口を得たことを確信した。試し書き用の白い紙の上に「浅野辰己」と一度だけ書いて、浅野はニッコリ笑いながら、これを下さい、と売り子に言った。以来私は、浅野の身の回りから離れたことは一度もなかった。浅野の成長と成功、そして無念の最期までを、私はこの目で見届けることになった。


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2009年12月3日木曜日

俺の名は勘九郎(10)

《呼んだか?》
机の脇のカラーボックスの上に、水槽がある。中のミドリガメに向かってマタいでみた。しかし、カメは無反応だ。
《腹がへった。暇だ。眠い》
カメの意思はそれだけだった。俺は注意して部屋の中の小さなものにまで気を配った。禍々しさにも似た強い意思を確かに感じた。深い怨念のこもった意思が、自らを解き放とうとしているようだ。しかしそれは、邪悪なだけの怨念ではなかった。痛みと悲しみと絶望とに窒息しそうになりながら、それでも何かを超えようとする「恨(ハン)」の感情だ。それが、深みのあるマーブル調の模様をした万年筆が発しているものだと気づくまでに、しばらく時間がかかった。しかし、安物ばかりが並ぶ山崎の部屋で、そのペンだけが周囲とは異なる彩りの輝きを発していた。太くて重厚なワインレッドのボディーは、山崎のように軽薄そうな若造とは明らかに不釣り合いだった。
《あんたかい?》
目玉のようなマーブル模様の一点に意識を照射して、俺は聞いてみた。
《浅野の宿怨、忘れまじ》
そいつの意思が、俺を射すくめた。


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2009年11月30日月曜日

俺の名は勘九郎(9)

山崎の住むマンションは、JR中野駅から北へ進み、早稲田通りをさらに北へ進んだ辺ぴなところにある。人間の足なら20分ほどかかるが、飛べば5分の便利のよさだ。もっとも、駅から5分だろうが、20分だろうが俺にはまったく関係はない。セキュリティーに対するこだわりが、ほとんどなさそうな建物の玄関ホールの前に降りてみると、山崎を載せたエレベーターは5階のランプがついたところで止まった。7階建てのマンションの屋上を飛び越えて、南向きに並んだ窓の5階辺りを眺めていると、ほどなく一つの部屋のカーテンが開いた。5階の東の角部屋が山崎の住む一室で、俺はその部屋のベランダの手すりの一番端に止まり羽を休めた。小さく羽ばたきベランダを2、3度往復すると山崎の部屋の様子がだいたい分かった。ワンルームタイプの部屋の東側の出窓の壁と接するようにベッドがおかれ、反対側の壁の奥にテレビがある。ブラウン管式だから、アナログ電波しか受信できないタイプなのだろう。南側の窓につながる壁と水平におかれた組み立て式の机の上には、CDやらゲーム機やらが乱雑に置かれていた。長いこと机として機能したことはないのだろう。机の意思を呼び起こして聞くほどのことでもないので、俺は無駄な労力を使うことはしなかった。俺が覗きこんでいる窓からまっすぐ奥に見える大きなドアが、この部屋の玄関口だ。その方向に数歩進んだ山崎は、右手のドアを開けて中に消えた。そこには、トイレと一体になったユニット式の風呂がある。なんということもない独身男の一人暮らしの部屋だった。
その日のねぐらになりそうな木をさがそうと、ベランダを飛び立とうとしたときのことだ。俺は何かに尾羽をつかまれたような気がした。振り返ってみても、そこには誰もいない。山崎は、まだトイレに籠ったままのようだ。傾げた首をもとに戻し、すっかり黒くなった正面の空に飛びだそうとすると、今度は両方の翼を人間の手で包まれるように抑えられた気がした。何ものかが、俺の注意を引いている。


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2009年11月28日土曜日

俺の名は勘九郎(8)

キトの飼い主である女は、山崎がこの部屋に連れてきた4人目の女だ。半年で4人の女と同棲まがいのことをするというのは、以前の山崎なら、ちょっとありえないことだ。しかし、山崎の生活がすさんでしまった理由を分かってやれないでもない。
俺が初めて山崎を見たのは、6年も前のことになる。上野動物園のサル山の前だった。山には40頭ほどのサルがいた。
「サル山のサルを観察するときは、これだと思う一頭を決めて、そのサルになりきってみて下さい。きっとそのサルの性格まで見えてきますよ」
動物園のガイドの言葉を聞いた山崎は、パートナーのメスザルに死なれたばかりだという一頭のオスザルに注目した。近くでじゃれあう2頭の子ザルは、そのサルの子どもたちなのだろう。子ザルがいくら父親にちょっかいを出しても、オスザルはピクリとも動かなかった。ただ、ぼうっとした様子で、一点を見つめるばかりだ。そして山崎も、初夏の陽ざしをもろともせず、ひたすらまんじりとそのオスザルを見続けた。サル山の後ろの壁の向うから生えたクスノキは、こんもりとした枝を山の裾野の真上まで伸ばしている。生い茂った葉がほどよく日光をさえぎり、俺は1時間ほど、その木の枝で居眠りをした。目を覚ましても、まだ山崎は最前と同じ所にいて、その視線の先には、これもまた最前のサルが同じ格好をしていた。ガイドの言葉ではないが、おれは山崎になりきったつもりで、この一人の人間を観察して見ようと思った。山崎がひとりでサルを眺めていたのは、昔の女と初めてデートした場所を訪れて、くだらない感傷にひたるというありきたりの理由からだった。暇つぶしのつもりの人間観察が、それから6年も続くことになるとは、さすがの俺も、そのときは想像できなかった。太陽が西の空にかかり、サル山の尖ったてっぺんの影が長く伸びたころ、山崎は動物園の出口の方へ向かった。その山崎をなんとなくつけてみようと思ったのは、ただの気まぐれだったのか、巡りあわせの必然だったのか。それはいまもって分からない。ただ、ねぐらの森を捨てたばかりの俺が、サルを見て一日を過ごす孤独な人間の心に妙に反応してしまったのだとは言えるかもしれない。


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2009年11月23日月曜日

俺の名は勘九郎(7)

俺たちと意思の交換ができる人間には、会ったことがない。言葉に頼る人間は、ミドリガメと同じで、年中開きっぱなしのやつが多い。だから、人間の言葉が嘘ばかりだということを、俺は知っている。例えば、出社したときの山崎は、上司や同僚から「おはよう」と声をかけられる。気持ちのいい朝だね、という意味でおはようと言っている人間はほとんどいない。上司は《そんな顔で会社にきやがって、昨日の夜は、何時まで飲んでいたんだ?》と思っているし、目の前の女の子は《ネクタイは違うけど、昨日と同じシャツ。この人、また外泊かしら?》と思いながら、おはようと声をかける。それを直接聞かないのが人間の習性なのかもしれない。
初対面の女を俺に紹介することもなく、山崎が女に聞いた。
「ワインと氷結、どっちにする?」
半透明のビニール袋から、コンビニで買ってきた安ワインとロング缶のチュウハイを、山崎が取り出した。
「氷結かな」
と女は一応答える。全開の山崎の感情から漏れてくるのは、《はやく、やりてえ》の一色だ。ちなみに、氷結かな、と答えた女の心理はどうであろか。こちらも、早速、開いていた…。



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2009年11月19日木曜日

俺の名は勘九郎(6)

マタギの上級者は、いきなり他の生物に向かって開くようなことはしない。例えば、犬と人間の会話が成り立つとしたら、人間だって、カミさんの悪口を散歩中の愛犬に言ったりはしないだろう。俺たちの場合だって同じようなものだ。俺がキトのキジトラ模様をいつか真っ黒に染め抜いてやろうと考えても、俺の言葉がキトにとって「カア」ならば警戒されることはない。高等な種族の体の色は、黒と相場が決まっている。人間ならば、アフリカを起原とするやつらが上等だ。しかし、白鳥の連中は、鳥だって人間だって、白いのが一番だと主張する。鳥も人間も黄色がいい、と言っているカナリアには会ったことがない。正直に言えば、黒でも白でも、なんでもよろしい。俺の好みが黒というだけのことだ。したがって、キトを真っ黒にしてやろうと本気で思っているわけじゃあない。
キトの言葉に、俺がすぐ反応したのは、付き合いが長くなりそうな気がしたからだ。互いの領域を不可侵にする条約を結んでおけば、毎日いらぬ心配をしなくてすむ。キトとの交渉はうまく成立した。 それにしても、「人類の最大の発明は言葉だ」と言った人間がいるそうだが、それを進化だと思っているとは、哀れなことだ。そのせいで人間は、テレパスを失ったのだ。まれに俺たちの言葉に反応できる人間もいる。しかし、それが動物や物質から放たれた言葉だとは、とうてい理解できないようだ。「神の啓示を受けた」なんて言って喜んでいるやつは、俺たちが何かを教えてやっているだけのことだ。勘違いしたやつが、ときどき教祖を名乗りだすが、そんな人間に俺たちはもう何も教えてやらない。したがって、にわか教祖はデタラメばかり言うはめになる。


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2009年11月13日金曜日

俺の名は勘九郎(5)

キトの交換能力がどのレベルにあるのかは分からない。しかし、いきなり俺に向かって開いてきたということは、まだマタギの初心者なのだろう。開くというのは、自分の意識を開放して、相手に話しかけることだ。意思の交換は、感情を開いたり閉じたりして行うものだ。俺がキトに何か言いたければ、俺はキトに向けて感情を開く。考えていることを知られたくないときや、相手の声を聞きたくなければ、閉じれていればいい。中には閉じたり開いたりが出来ないやつもいる。無生物は基本的に、ずっと閉じている。だから、自分たちがしゃべれるということを知らない。黙っている分には、バカには見えないから、沈黙は金というのも、あながち間違いとは言い切れない。逆に四六時中開きっぱなしのやつもいる。山崎が水槽の中で飼っているミドリガメがそうだ。《腹が減った。暇だ。眠い》あいつの頭の中にあるのは、たいがいこの三つだ。お経のようにそればかり繰り返している。餌を食って暇になると、すぐに寝てしまうやつだ。腹が減った以外の言葉は不要だ。一度カメにそうツッコんでみたが、「おや?」という顔をしただけで、またお経が始まってしまった。うるさくて仕方ないので、すぐに閉じた。以来、カメの思考に対して開いたことはない。


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2009年11月8日日曜日

俺の名は勘九郎(4)

しかし、ある朝、何ものかが《助けて!》と叫ぶのが聞こえた。そいつは、線路の砂利の下にいた。人気のない新宿駅のホームの下で、プラチナのリングがキラリと輝いた。俺は声の主がそのリングだと直観した。最終電車に乗る前に、結婚指輪をはめようとした男が、うっかり落としたものに違いない。不倫の代償は、指輪の値段くらいではすまないだろう。空き缶からちぎれたプルトップを集めるような、貧乏くさい趣味は俺にはない。しかし、そのプラチナのリングが発した光は、不倫男にはふさわしくない清楚な輝きだった。俺はそいつを茶色い石の下から救ってやった。オレンジ色の頭をビルの向うに見せていた太陽が、いつの間にか黄色く強く輝いていた。すぐに始発電車がホームに入り、半分眠った酔客を体の中に吸い込んで西へ進んだ。
《あんたの声が聞こえたぜ》
俺がリングに話しかけると、リングは一瞬驚いたが、すぐに悟ったようで、そいつは俺に礼を言った。俺は無生物の意思を掬うコツに気がついた。その日から俺は何年も修行して、地上のすべてのものと話ができるようになった。リングはいま、俺が作った巣の中にある。あまり知られていないことだが、カラスは自分の巣をねぐらにしているわけじゃない。巣は、メスが卵をうみ、ひなを育てるための場所だ。寝るときは普通森に帰る。森の中で、集団で寝るのが、俺たちの習性だ。これは俺たちだけじゃなく、巣をつくる種類の鳥は、たいていそうだ。集団で寝ていれば、異変が起きたときに誰かが気づく。気がついたやつは、大声を出して仲間に知らせる。すると群れは一斉に森を飛び立ち、危機を逃れる。誰かが襲われたとしても、被害は最小ですむ。だが、俺はいつのころからか単独行動するようになってしまった。能力が高すぎて、カラス仲間で少々浮いてしまったことは否めない。


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2009年11月5日木曜日

俺の名は勘九郎(3)

マタぐ、というのは、種族間をまたいで意思疎通できるということだ。普通は、ネコならネコ同士、カラスはカラス同士でしか会話できない。ネコにはネコ語。カラスはカラス語、というわけだ。マタげない連中にとって、ネコの言葉はニャアだし、カラスはカアだ。ところが、少し出来のいいやつになると、種族間をまたいで意思を交換することができる。さらに出来るやつは、植物とだって意思交換する。葉っぱにだって、命はあるのだ。そして俺くらいのレベルになると、石ころとだって交換できる。もちろん意思の交換、ということだ。「石の意思」なんてベタなことを、俺は言わない。したがって、プラスチックとだって鉄とだって、交換は可能だ。宇宙の始まりはカオスで、有も無も、生も死も、一体だということを知っていれば、鉱物にも意思があることくらい想像がつく。その仮説に自信はあったが、実践にはかなり苦労した。無生物の連中も、目の前で起きたことを理解しているし、記憶もしている。しかし、ほとんどのやつは、自分がしゃべれる事をしらない。聞く耳があることを知らない。だから、こっちからマタいで行くと、えらく驚かれる。しょんべんで目を覚ました冬眠中のカエルが、となりで寝ている蛇に気づいてしまったときのような顔をする。考えてみれば、やつらにとってはファーストコンタクトだ。それくらいの衝撃があってもよろしい。俺が、おい、と声をかけてやっても、連中はそれがカラスの意思だとは思えない。だれに返事をしていいのか分からず、キョトンとしている。ひょっとしたら、天の声か何かと勘違いしているのかもしれないと考えたこともあった。所詮、しゃべることは出来ないのだと思っていた。


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2009年11月2日月曜日

俺の名は勘九郎(2)

《珍しいわね、あんたみたいなタイプに部屋の中で会うなんて。あたしの名前は、キト。しばらくお世話になるみたいね。よろしく。で、あんたの名前は?》
飼い主と違ってキジトラの方は、少しは礼儀を知っているようだ。キトの頭をなでながら、飼い主の女が俺の顔を覗きこむようにして言った。
「ネコとカラスって相性いいの?」
いいわけがなかろう。やっぱり山崎の連れだ。飼いネコでも鳥を食うやつがいる。狩りを楽しむだけで食うことをしない、キャッチアンドリリース派のネコもいる。まあ、俺たちカラスは、ネコに食われるようなドジは踏まない。が、それでもネコとひとつ屋根の下に暮らすのは気持ちのいいもんじゃない。おい山崎、なんとかしろ、と言ってみたが、人間にはどうせカアとしか聞こえていないのだ。かわいそうに。人間には言葉があるというが、そんなものは嘘の塊だ。人間以外の存在は、いわゆるテレパシーで意思を交換している。だから、キトの言うことを俺は理解できるわけだ。俺はキトに答えた。
《俺の名は、堪九郎。この鳥かごをねぐらにして2年になる。この部屋のベランダに居つくようになったのは3年前で、山崎との付き合いはもっと古い。昼間は勝手にやっているが、部屋にいるときは、カゴの中だ。お前さんとかち合うつもりはないから、せいぜいよろしく》
《人間に飼われるカラスなんて、初めて見たわ。ところで、あんたいつからマタげるようになったの?》
《そんなものは、生まれたときからだ》



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2009年11月1日日曜日

俺の名は堪九郎(1)



「なにこいつ?」
挨拶もなしに女は言った。俺がその女を見たのは、そのときが初めてだ。したがって、女の言う「こいつ」とは俺のことだ。初対面の相手に向かって、なにこいつ、とはどういう了見だ。俺はその女の両目を黙って見据えた。しかし、女は俺と目を合わせる気もないらしい。ならば俺の方から声をかける必要もあるまい。それにしたって、どなた? くらいの言いようがあろう。どちら様?と言えればまあ合格だが、そこまでは期待していない。どうせ山崎が連れてきた女だ。上品な人間じゃないことは確かだろう。山崎というのは、俺の目の前にいる色白で痩せぎすの男だ。裸になれば、28歳の男にふさわしい筋肉が少しはついているのだが、それにしたって、どうみてもやさ男だ。人間の中に芯てものがない。心根の優しいやつではある。優しいから女にはもてる。女には多少もてるのかもしれないが、俺から見れば、ただの甘ちゃんだ。甘ちゃんの3流サラリーマンだ。
山崎は俺の方をちらっと見てから、女に言った。
「こいつはね、堪九郎っていうんだ。けど歌舞伎はやらないぜ」
くだらない冗談で、山崎は俺のことを女に紹介した。
「うまいこというわねえ。堪九郎だけに、歌舞伎ときちゃった」
本気か? 本気で笑ったのか? まあいい。どうせ山崎の連れだ。頭の程度だってしれている。
「ちょっと気味が悪いかもしれないけど、慣れれば平気だから。それにびっくりするくらい頭がいいんだぜ」
気味が悪いと思うか、カッコいいと思うかは、主観の問題だ。頭がよさそうなことくらい、この女にも想像がつくだろう。しかし、山崎はいつまでこの女をここに置いておくつもりなのだ。キャスター付きのド派手なピンクのスーツケースを、女は山崎に運ばせた。そして山崎は、俺に断りもなく、その目障りなスーツケースを俺の足元に置いた。しかも、縦に置いたスーツケースの上には、その女が連れてきたネコが乗っている。茶色地に黒縞模様のキジトラ猫だ。あまり太ってはいない。


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『俺の名は勘九郎』 について

試験的に書いたものを公開しております。
推敲をほとんどしていない状態なので、いろいろな不備があると思います。
・誤字、脱字が多い。
・ストーリーの時間軸に矛盾がある。
・ストーリーの中の制約条件(物語の中のルール)に矛盾がある。
・過去の展開とつながらない展開が突然起こっている。
などが考えられます。
オリジナル原稿はストーリーの大筋しか決めていません。従って、ストーリーの大幅な変更を行った場合は、原稿の本文はすべて修正していますが、ここに公開したものはたぶん修正できないと思います。

無事に完成すれば、文学賞へ応募することがあるかもしれまん。
その文学賞がインターネット上の公開を禁止している場合は、更新を中断したり、削除することがあるかもしれません。
また、あまりに拙い小説もどきの文章を公開していることの恥ずかしさに気づいた場合は、すぐに削除してしまうかもしれません。
(下手な文章にも発生する)著作権は、筆者に帰属しています。

興味を持って読んでいただけるかたには、以上をご理解いただければ幸いです。

2009年9月22日火曜日

それなりに

昨年の10月25日、巨人 対 中日のクライマックスシリーズをテレビで見たあとにこう書きました。
「10年に一度くらい、魂をゆさぶられるようなシーンに出会いたいのか? 毎年確かにやってくるそれなりの興奮に満足すべきなのか?」

セ・リーグの3位争いを見ながら、それなりに興奮しています。阪神・広島・ヤクルトによる三つ巴の戦いが白熱しています。選手の公式ブログには、スポーツ新聞やテレビのニュースより、緊迫感が伝わってくるものもあり、戦っている選手の熱さを感じることができます。

それでも、首位と25ゲーム差の5位のチームに、この時期でも日本一の可能性がある制度って、どうなのだろうと思ったりもして。
短期的な視野でみるとシーズンの終盤までリーグ戦を盛り上げる効果があると思いますが、長期的には人気の凋落を招くような気がします。

(更新が滞っていますが、来てくださってありがとうございます)

2009年7月26日日曜日

Nothing lasts forever

近所の公園内にある野球場で高校野球の予選大会が開かれているので、ときどき足を運んでいます。全国で最多の189チームが参加した神奈川県大会は今日でベスト4が出そろいました。
桐光学園、横浜隼人、桐蔭学園、横浜創学館の私立4校に甲子園への道が残されています。

試合が終了し、球場の通用口から出てくる勝ったチームの選手は、応援団に向かって雄たけびをあげたり、胸をなでおろすしぐさを見せたり、明るい表情でしばし勝利の味をかみしめます。監督はチームの手綱を引き締めるために、戒めのことばを選手に与えてから球場を後にするパターンが多いようです。

一方、負けたチームの出口では、選手・ベンチ外の部員・応援団の区別なく、泣きじゃくる人がいたり、絶句してうつむいたままの人が沢山いたりして、いつまでもその場所に居続けようとするような雰囲気が漂います。3年生にとっては、最後の夏だからなのでしょう。
小学校、中学校、高校と成長するにつれ、打ち込んだものに注ぎ込むエネルギーは徐々に大きくなっていきます。プレーヤーにせよ、チアリーダーにせよ、この夏が永遠に続くわけではないことを誰もが知っているはずです。それでも最後の打者がバッターボックスに入る瞬間は、どんなに負けているチームでも応援するスタンドのブラスバンドの音や歓声がひときわ大きくなります。
それは逆転を願う大声援というよりは、「終わらないで」と叫ぶ祈りのようでした。

2009年7月22日水曜日

日食と月の関係の?

残念ながら、横浜では日食を観測することはできませんでした。以下は、日食のメカニズムについて、国立天文台サイトからの引用です。

“日食とは、月が太陽の前を横切るために、月によって太陽の一部(または全部)が隠される現象です。太陽が月によって全部隠されるときには「皆既日食」と呼ばれます。今回は一部の地域でこの「皆既日食」が見られます。また、太陽のほうが月より大きく見えるために月のまわりから太陽がはみ出して見えるときには「金環日食(または金環食)」と呼ばれます。太陽の一部しか隠されないときには「部分日食」と呼ばれます。 日食は、見る場所によって、どのくらい深く欠けるかも違いますし、日食が始まる時刻や一番大きく欠ける時刻・日食が終わる時刻も違います。”

ここで、日食に関する長年の疑問です。月が太陽の前を横切るわけですから、黒い部分=月そのものだと思います。太陽の光が強いので、月が黒く見えることは理解できるのですが、日食が始まる直前や日食が終わった直後の月が太陽のとなりに見えることはないのでしょうか? 昼間の月は、白く見えることがあります。その白い月がだんだんと太陽に近づき、太陽と重なった部分から黒く見えていくという現象にならないのはなぜなのでしょう?

TVのニュースでは、皆既日食の間、金星が見える映像が流れていました。また、冬の星座であるオリオン座の一部も姿を現したそうです。「昼間も星は出ているけれど、太陽の明るさで見えないだけ」ということも理解出来ているつもりですが、「部分日食」の時の太陽と重なっていない部分の月もまったく見えないのは不思議な気がします。

そもそも、メカニズムについての理解が根本的に間違っているのかもしれません。
???

2009年7月16日木曜日

クサくない「青春」

高校野球の神奈川県予選大会を観戦してきました。取材でお世話になったことのある学校の野球部の応援です。結果は9-6で応援していたチームが勝ちました。そのチームは公立高校ですが、練習は365日休みなしという部活動です。監督とコーチが部員の体調を管理して、休ませるべき部員には交代で休みを与えながらも部活動そのものがOFFになることはないそうです。昨年の夏はベスト8に進んだ学校ですが、横浜高校や慶応高校などの強豪私立の壁を崩すことがなかなか出来ないということでした。それでも彼らは、もちろん甲子園を目指しています。
打撃戦のゲームは最後までもつれ、9回の表にも反撃されてハラハラしながら見ていました。高校野球の場合、一つのミスでゲームの流れがガラッと変わり、簡単に大量失点してしまうことがしばしばあります。一つのプレーがゲームの流れを変えてしまうことがあるのは、プロ野球でも他のスポーツでも同じですが、高校生のレベルだと「エラーしたらどうしよう」という心に支配されて、実際にエラーしてしまうことが多いものです。
ゲームが終了し、選手たちが応援団のいるスタンドの方に駆け寄ってくるとき、みんなが「ワー」「オー」と叫んでいました。

「いいなー、青春してるなー」
声の主は、応援団かチアリーダーの生徒のお母さんなのだと思います。その声は、グラウンドでプレーしていた息子に投げかける興奮気味なものではありませんでした。でも、その「青春してるなー」には、“ちょっと羨ましいけど、今しかできないことがちゃんと出来ているじゃない”という賛美の気持ちがこもっているようでした。

「青春」という言葉が照れくさくなく、ほんと「いいなー」と感じた夏の一日でした。

2009年7月14日火曜日

脳死は人の死?

「脳死を人の死」とする法律が成立しました。この法律により本人の意思が確認できない場合でも、家族の同意があれば臓器の摘出が可能になりました。
「脳死=人の死」について国民的な合意ができたのか?議論は十分になされたのか?
という疑問も残っているようですが、どれだけ議論しても国民的な合意が形成できる問題ではないでしょう。
脳死を人の死と定義しないことには、家族の判断が本人を死なせることになってしまうので、法案の成立には必須の要件だったのでしょう。

「臓器移植が必要な幼い子は、死を待つことしかできないのか」
「脳死後も長期間心臓が動き続ける我が子に、法律が死亡宣告するのか。そして速やかに子供の臓器を誰かにあげるべきなのか」
二つの思いを同時に救うことができないのが、この問題の重いところです。

個人的には、自分の臓器は提供してもいいけど、自分の判断で家族の体を冷たくしてしまうのは避けたいというのが本音です。「脳死状態になったら、絶対誰かに自分の臓器を提供してくれ」という本人の強い意思を知っていれば別かもしれません。
重要な法案が成立したことは確かですが、本人の意思が明確にしるされたドナーカードの仕組みが変らないと実際の移植は増えないような気がします。
やがて運転免許証の裏に意思表示が義務付けられる時代がくるかもしれません。
「そこまですべきではない」という意見が主流なら、やはり「脳死は人の死」を受け入れられていないということなのでしょう。

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2009年7月13日月曜日

社員は社長を変えられない

都議選では民主党が圧勝しました。NHKの開票速報では、都連の会長でもある石原伸晃幹事長代理が苦しそうにアナウンサーからの質問に答えていました。
会話の内容はこんな感じです。
アナ:麻生総理のもとで衆院選を戦うべきだとお考えですか?
石: 現在審議中の重要法案を可決することも必要でありましたて・・・
アナ:石原さんご自身の考えでは、麻生総理のもとで衆院選を戦うべきだとお考えですか?
石:解散の時期につきましては、総理ご自身が判断することで・・・

「全然答えになっとらん」と思わずツッコミを入れてしまいましたが、考えてみるとなかなか答えにくい質問です。
飲み屋のサラリーマンなら
「今の社長、全然だめだね。このままじゃホントうちの会社ヤバいよ」
なんて言うこともできますが、これが全国に放送されていると思えば、簡単には言えません。
しかし、政治家は言葉で自分の考えを明らかにすることも仕事のうちですから、石原さんにはもう少し分かりやすい回答をしてもらいたいところでした。

同じような質問をされた民主党の岡田幹事長は「麻生総理の手で解散し、国民の審判を受けるべきだ」と回答しています。
フラフラしているピッチャーに続投してもらえれば試合に勝つ可能性が高いわけですから、民主党としては当然そうなのでしょう。

味方からは「自発的に降板してくれ」と言われ、敵チームには続投を望まれるエースというのもツライものです。
さて、どうするのでしょう?

2009年7月10日金曜日

レーザーレーサーは正統派?

競泳の全米選手権でマイケル・フェルプス選手が世界新記録を出しました。100mバタフライで、50秒22の記録です。フェルプス選手が着用していた水着はレーザーレーサーだったそうです。北京オリンピックの少し前、水着メーカーとの契約の関係で、日本人選手はスピード社のレーザーレーサーを着ることができないという状況がありました。この段階では、レーザーレーサーを着ている外国人選手が好記録を出しても「水着に助けられてる部分もあるわけね」と冷ややかな目で見ていました。レーザーレーサーを着た北島選手が北京で2冠を達成すると、「水着が泳いでいるわけじゃなく、北島が強いのだ」とすっかり満足していました。我ながら現金なものです。スポンサーとして長年北島選手を支援してきたミズノ社にとっては屈辱だったかもしれませんが、レーザーレーサーの着用を認めたことは英断だったと思います。
その後日本の水着メーカーも開発競争で巻き返しをはかり、4月の日本選手権では国内メーカー製の水着をきた選手が好記録を連発しました。5月の日豪対抗で入江選手が出した記録が世界新記録として公認されなかったことは記憶に新しいところです。
新型やその改良型の水着が次々に登場しているので、レーザーレーサーが早くも「古い」水着のように感じてしまいます。フェルプス選手の世界新記録の記事に「水着はレーザーレーサーだった」とあるので、後で記録が取り消されるようなことはないのだなと分かります。1年前とは大違いで、レーザーレーサーに正統派のイメージが出来上がっていました。

水着は泳がないし、シューズは走りません。記録向上の主役が人間であることに間違いありませんが、道具の改良に真剣に取り組んでいるのも人間です。選手にも開発者にも拍手を!

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2009年7月7日火曜日

審判もチャレンジを!

プロ野球のセントラル・リーグは、本塁打のビデオ判定導入に向けたテストを8月から実施することになりました。責任審判が必要と認めたときにビデオ映像を確認するのですが、現状ではそれをもとに判定をするのではなく、問題点を洗い出すための試行だそうです。
人間のやることですから、審判だって間違うことはあります。ときに「誤審」がゲームを大きく動かすことがあり、それもひとつの「ドラマ」である、という人もいます。確かに、「誤審」によって心に残る「ドラマ」が生まれることもあります。シドニーオリンピックの柔道100Kg超級決勝戦で篠原選手(現・代表監督)がフランスのドゥイエ選手に敗れた試合は、日本柔道の敗戦のうちでもっとも印象に残るものでしょう。しかし、誤審によって生まれるドラマは必ず「悲劇」です。
第1回ワールドベースボールクラッシックの日本 対 アメリカの試合では、日本選手のタッチアップが認められないという(確信犯的な?)誤審があって、日本は敗れました。最終的にこの大会で日本が優勝したので、この小さな悲劇は「世紀の誤審」とまでは呼ばれません。つまり、悲劇の度合いが大きいほど「ドラマ」として記憶に残るわけです。
「あってはならないこと」があった方が「おもしろい」というのは矛盾ですが、それも人間の心理かもしれません。

テニスの大きな大会では、数年前から「チャレンジ」という制度を導入しています。微妙な判定に対して、選手が「チャレンジ」を要求する権利をもち、ビデオ映像を解析したCG画像が即座にスクリーンに映し出されます。審判の判定と違う結果なら、ポイントは修正されます。プレーヤーは決められた回数の「チャレンジ」しかできませんが、誤審の場合はチャレンジを要求できる回数は減らない仕組みです。
最初の頃は人間味がないようにも感じましたが、「チャレンジ」できる回数を制限しているところに駆け引きもあり、見せる視点と公平性のバランスがとれた面白いシステムになっています。

判定する人にはツラい制度かもしれませんが、プロフェッショナルな審判には制度の導入にチャレンジしてもらいたいものです。

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2009年7月3日金曜日

「どっちでもいい」決議

「さすが江川さん、『だいぶたい』ではなく『おおぶたい』といいましたね」
10数年前のテレビ番組で、アナウンサーの徳光さんが、プロ野球解説者の江川さんに言った言葉を今でもよく覚えています。

「大舞台」は「おおぶたい」とも「だいぶたい」とも読みます。NHKでの使い方は、歌舞伎などの古典芸能で使うときは「おおぶたい」、そのほかの場合は「おおぶたい」も「だいぶたい」もOKとしているようです。
小学生のときだったか中学生の頃か、学校の先生が「『おおぶたい』が正で、『だいぶいたい』は誤った使い方です」と言ったのを聞いて、「おおぶたい」が正なのだとぼくの脳にはインプットされました。子供にとって、先生の言葉の影響力は大きいものです。やがて教師の言葉がすべて真実ではないと気づき、誤用が広まり市民権を得た言葉も否定すべきものではないと知りました。
それでも上記の徳光さんのような発言を聞くと、旧来からある「正しい言葉づかい」を守りたいと思う人もたくさんいることを知り、それも理解できます。

今日の朝日新聞・天声人語に “ 「ニホン」なのか「ニッポン」なのか。古くて新しい難問に、政府が「どちらでもよろしい 」と答えをだした。 ~(中略)~ 麻生内閣の、歴史に残る閣議決定になるかもしれない” とありました。「麻生内閣の歴史に残る」なら茶化しているだけかもしれませんが、「麻生内閣の、歴史に残る」と読点があるので、歴史的な意義を認めていることが分かります。天声人語ではめずらしく「麻生内閣の」閣議決定を評価していました。
「『ニホン』でも『ニッポン』でもいいと閣議決定した」というニュースを最初に聞いたとき、読み方じゃなくて閣議決定すること自体が「どっちでもいい」と思ったのですが、新聞記者やアナウンサーにとっては重要な問題だったのかもしれません。

ぼくの場合、明らかに間違っている言葉の使い方をして、後から気づいて恥ずかしくなることが今でもあります。慙愧、ざんき。
「慙愧」が「残念」に近いニュアンスの言葉だと思っていたのは、とても若かったころの話です。
ということにしておきましょう。

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2009年7月1日水曜日

結局、美人に弱い ?

Yahoo!のニューストピックスに「美人選手はセンターコートに!?」というタイトルがありました。職業的使命感に駆られて?誘われるようにクリックしていました。

テニスのグランドスラム大会の中で、芝のコートで行われるのはウィンブルドン大会だけです。センターコートと第1コートはこの大会以外では使われることのないコートで、センターコートはテニスプレーヤーにとってもあこがれの場所のようです。全部で19面もあるウィンブルドンのコートの割り振りは主催者が決定するわけですが、これまでのところシード上位の選手が最優先されるわけではなく、選手のルックスも影響しているようだ、というのがYahoo!ニュースの主旨でした。「真偽のほどは定かでないが、コート選定にはテレビ局の発言力」もあるように記載されています。
もしそれが本当だとしたら重大な問題です、と怒るようなニュースではありません。が、なかには怒っている人もいるかもしれません。美人選手だけを男性の決定権者が選んでいるとしたらセクハラの問題になるのかもしれませんが、男子でもイケメン選手が選ばれているのかもしれません。
でも、結局のところ、美人がセンターコートにいる方が注目が集まるのは確かでしょう。「イケメンがセンターコートに!?」というタイトルより「美人がセンターコートに!?」と書いてある方が、クリックされる可能性も高そうです。

「スポーツは、顔やスタイルやコメントの面白さで勝負する世界ではない」的なことを普段書いていますが、結局こういうタイトルにひかれてしまうのも事実です。

2009年6月30日火曜日

コンテンツとしてのスポーツ

プロ野球も大相撲も、かつては日本中で絶大な支持を集めていました。好きなものを問われて「巨人・大鵬・卵焼き」と子供たちが回答したのは、1960年代だそうです。
ボクシングもプロレスも昔はゴールデンタイムにテレビ中継されていました。人気低迷と視聴率低下が連動し、やがて中継されなくなったのでしょう。
熱烈なジャイアンツファンの知り合いが「テレビ中継しないから余計にファンが減るんだ!」としょっちゅう怒っています。スポーツ観戦好きのぼくも同調して文句を言っています。ただ大相撲人気の凋落ぶりをみると、テレビ中継さえしていれば人気が維持できるものでもないようです。NHKが中継を続けるということは、国技としての相撲に文化的な価値があることを、建前としては、国民が認めているということになるのでしょう。
Jリーグ発足当初や日韓ワールドカップの頃のサッカーは大いに盛り上がりました。国民的な人気のピークが2000年前後にあったスポーツはサッカーだけでしょう。それでも日韓W杯のあった年の冬、
「日本人は、サッカーを忘れてしまったのか?」
というCMコピーがありました。そのコピーをぼくは忘れることができません。熱しやすく冷めやすいのは、たぶん日本人だけでなく人間の特徴なのでしょう。

サッカーのW杯やオリンピックなら見たいけど、巨人対ヤクルトの試合なら、ゲームをしているか携帯でチャットでもしていた方が楽しいということなのかもしれません。

スポーツ中継そのものよりも、人気アスリートが出演するトーク番組の方が受ける理由ってなんなのだろうと思いつつ考えたことでした。

2009年6月28日日曜日

アナザーワールド

陸上の日本選手権、ハンマー投げでは室伏選手が15連覇を達成しました。自身がもつ日本記録を11m60下回る73m26の記録でした。10月で35歳になるベテラン選手にとって、北京オリンピック後の肉体的な疲労と外国選手のドーピング違反による銅メダル獲得経緯は、精神的なストレスにつながったのかもしれません。故障の影響で1月から4カ月間は練習もできない状況だったそうです。不本意な記録かもしれませんが、ハタチのときから15年間この大会で負け知らずという快挙です。

朝日新聞の見出しには「孤高の15連覇 記録低調 ライバル不在」とありました。
ハンマー投げの土井宏昭選手が「室伏のライバル」と呼ばれることは、ほとんどありません。土井選手は2002年から2008年まで日本選手権2位の成績を納めています。74m06の自己ベストをもち、今回は室伏選手の連覇を阻むチャンスだったのかもしれません。しかし結果は69m90で、今年も2位に終わりました。
「室伏広治のいない世界」を土井選手が想像したことがあるかどうかは分かりません。日本選手権8連覇となれば、国内ではもっと注目される選手になっているでしょう。しかし、外国選手との差が大きいのも事実です。アジア大会で活躍することができても、オリンピックでのメダル獲得に縁がなければ、ハンマー投げ自体が注目されないかもしれません。砲丸投げや円盤投げがニュース番組で取り上げられないのと同じ状況になるでしょう。
オリンピックのメダルがもつ絶大な力を改めて感じてしまいます。

「どんな手を使っても勝ちたい」と考える選手がいる限り、ドーピングとの戦いは続きます。

それは社会の縮図かもしれません。

2009年6月26日金曜日

日本選手権ただいま開催中

陸上の日本選手権が開催されています。(25日~28日・広島)
100mの朝原氏が引退し、200mの末續選手・400mHの為末選手は、この大会には参加していません。短距離界を引っ張ってきた名選手が出場していないのはさびしい限りですが、若手にとってはチャンスといえるでしょう。もっとも若い選手たちは、同じトラックに立って勝ちたいのが本音だと思いますが。

女子200mでは福島選手が日本新記録で優勝しました。23秒00の記録は、ベルリンの世界選手権代表に内定するために必要な記録(A標準)と同タイムでした。明日が21歳の誕生日という福島選手なら、世界選手権までにさらなる成長も期待できそうです。

男子の100mに朝原・末續の名前はありませんが、北京オリンピック400mリレーで彼らとメンバーを組んだ高平選手と塚原選手がエントリーしています。今日200mで優勝した高平選手と昨年の100mチャンピオン塚原選手の争いになりそうですが、ぼくの注目は城西大学1年の本塩遼(もとしお・りょう)選手です。昨年の高校総体で100m・200mを制したランナーで、独特の深い前傾姿勢で走る姿が印象的な選手でした。未完成なイメージの彼の走法は、やがて「進化し続けるライナー特急」と呼ばれることになるでしょう。
ぼくが生まれ育った町で彼も生まれという理由で応援しています。まだ、優勝はむずかしそうなので、今回は決勝に残って少しでも上位に入ってくれればと思います。
7年後の2016年でも、26歳。東京でのメダルに期待です。 リオ かな ???

2009年6月24日水曜日

ウィンブルドンの雨

残念ながら初戦で敗退してしまいましたが、クルム伊達公子選手(38歳)がウィンブルドンに戻って来ました。世界ランク9位のウォズニアッキ選手(18歳)から第1セットを奪ったときには、13年ぶりのウィンブルドン勝利を期待してNHKの中継を見ました。しかし両脚にけいれんを起こしたという第2セットからは、ウォズニアッキ選手にゲームをコントロールされてしまいました。
今年からウィンブルドンのセンターコートに屋根がつき試合の中断もなくなるようですが、かつては雨やみを待ち、うとうとしながらテレビの画面を眺めていたものです。
地球上の別な場所で、今この瞬間に起こっている現実を見ているのだと思うと、なんとなく「コートに落ちる雨」が感傷的な気分を誘いました。
昨日見た伊達選手の試合には「LIVE」の文字がありませんでした。少し残念ですが、中継されているだけヨシとしましょう。
夕方、駅のホームで中学生くらいの男の子たちが会話していました。
「伊達、負けちゃったね」
「見た見た。途中までみて、負けそうだったから寝ちゃった」
ぼくにもそんな時期がありました。スポーツを見ることが、ひらすら「楽しい」という頃でした。あの頃は、いろいろなスポーツの国際中継が、深夜に放送されていました。今では、有料の契約を結ばないと見られないスポーツ番組がたくさんあります。ビジネスコンテンツとしての価値があるからそうなるわけですが、お小遣いで有料放送を見る子供は少ないでしょう。

ガンバレ!地上波。

2009年6月22日月曜日

見られて美しくなる

巨人の大田選手が、代打で一軍デビューを果たしました。「三球三振」がニュースになるとは、さすがジャイアンツ期待のルーキーです。高校通算65本のホームランを記録し、昨年のドラフト会議では、巨人のほかにソフトバンクも1位で指名した逸材です。それでもソフトバンクに入団していたら、ニュースとしてこれほど大きく扱われていないでしょう。「人気凋落」と言われても、巨人の選手であることにニュースバリューがあるわけです。

少し前に、バン・クライバーン国際ピアノ・コンクールで全盲の辻井伸行さんが日本人初の優勝を成し遂げました。ハンディキャップを克服しピアノの才能を開花させた努力が報われたことに、素直に「おめでとう」の気持ちが湧きました。その後の報道では、「全盲であることばかり強調せず、辻井さんのピアニストとしての素晴らしさをもっと伝えてほしい」という声も紹介されています。こう主張する人の気持ちもよく分かります。しかし、事実が淡々と報告された最後に「ちなみに辻井さんは全盲である」と記載する新聞記事では読みとばされてしまうかもしれません。
「目が見えないのに大変だったんだろうな。どんな努力があったのだろう?」と思う人が多いから、ニュースとして大きく取り上げられるのでしょう。

今日の朝日新聞の朝刊では、JALで唯一の女性パイロット・立川 円さんが紹介されていました。約600人のJALのパイロットの中で、同社史上ただ一人の女性パイロットだそうです。
「JALにパイロットがいます」では、まったくニュースになりません。
「JALに、たった一人だけ女性のパイロットがいます」と書いてあると、どんな人なのだろう?という興味がわきます。
「男性社会に切り込んでパイロットの座を勝ち取るまでにはどんな苦労があったのだろうか?」と書くと知的好奇心から記事を読み進めたように見えますが、実際はジェット機を背景にした制服姿の写真を見て「結構かわいいじゃん」というオヤジ目線が記事を読ませます。(主観ですが)

大田選手も辻井さんも立川さんも、プロとして一流の実力があることは間違いないのでしょう。今は「巨人の」、「盲目の」、「女性の」という枕ことばがつくから注目されていることも事実だと思いますが、超一流は、注目されることでさらに自分を成長させていきます。
俳優が、年を重ねてもカッコよかったり、美しかったりするのは、見られて成長する典型なのかもしれません。

2009年6月20日土曜日

メダルはみんなの宝もの?

朝日新聞(20日・「時時刻刻」)にスポーツ庁設置構想についての記事がありました。政府の教育再生懇談会が、スポーツ行政を一元化するために「スポーツ庁」の設置を提言したことを受けての記事です。記事によると、自民党の主眼はトップアスリートへの支援強化で、民主党は地域レベルでのスポーツ行政を充実させ、スポーツのすそ野を広げることを重視しているそうです。

スポーツや文化を国が支援するのは、最終的にそれが国民の利益につながると期待されるからでしょう。

先ずは民主党的な視点から考えてみます。
「地域レベルでこんな取り組みをすれば、確実に住民の健康状態が良くなります」
「こんな」の部分が明確で、それに国民の同意があれば、その政策は支持されるはずです。
例えば
・全国にゲートボール施設を整備して、全国大会を運営するボランティアスタッフに、お弁当代と交通費を支給します。
という政策はどうでしょうか?具体案になると賛成派と反対派が出てきそうです。
(そういえば、最近ゲートボールを見なくなったような気がしますが、ぼくの行動パターンとの接点が少ないだけかもしれません)

続いて、自民党型のエリート支援です。遠征費用を公費で負担できるとしたら、どのケースでしょうか?
・さくらんぼの種飛ばし名人が山形の種飛ばし大会に遠征する費用。
→ ありえませんね。

・企業に所属するアマチュアスポーツ選手の海外遠征費用。
→ テレビでよくみる人気選手で、いつも会社のロゴが目立つ服を着ているような場合には、納得感が薄いかもしれません。
→ 比較的マイナー競技で会社からの金銭的な支援がなく、オリンピックのメダルを目指して自費遠征している選手の場合なら、理解が得られるかもしれません。
→ さらにマイナー競技で、オリンピックにはない競技の世界選手権参加の場合はどうでしょう。納得度は下がるかもしれません。

エリート支援の納得性は、オリンピックでのメダルの期待感に集約されるのかもしれません。

2009年6月16日火曜日

ゴルフがオリンピックに?

国際オリンピック委員会(IOC)がスイスのローザンヌで開かれ、2016年夏季五輪で実施競技入りを目指すスポーツの団体が、IOC委員に対してプレゼンテーションを実施しました。
競技入りを目指しているのは、野球・ソフトボール・ゴルフ・スカッシュ・空手・7人制ラグビー・ローラースポーツの7競技です。
朝日新聞の記事によると、ゴルフと7人制ラグビーの前評判が高いそうです。個人的に、野球は好きなスポーツです。北京オリンピックでも、見たい競技の中でかなり優先順位が高い方でした。ただ候補となっている7つの競技の中で、野球とゴルフは選ばれなくてもよいのではと感じます。両競技のプレーヤーには、オリンピック以外の国際舞台あるからです。野球の場合、現在のワールド・ベースボール・クラッシック(WBC)の位置づけはあいまいですが、この大会はサッカーのワールドカップのような大会に変わっていく可能性があります。WBCで得た利益は、アメリカを中心とした各国のプロ野球機構に還元されますが、オリンピックの場合はIOCが収支を管理します。したがって、プロの関係者は、オリンピックよりWBCを最高の舞台にしたいと考えるはずです。オリンピックに復帰しても、サッカーのように23歳以下の選手の大会になるかもしれません。
同様に、ゴルフにも全英オープンやマスターズなど最高峰の大会があります。そしてビッグタイトルのひとつである全米プロゴルフ選手権は、毎年8月の中旬に開催されています。オリンピックの年は開催時期を多少ずらすことになるかもしれませんが、グランドスラムを狙うようなトップ選手が、全米プロよりオリンピックを優先することはないと思います。もちろん中には、オリンピックを最優先に考える選手がいるでしょう。しかし、野球とゴルフ以外の5競技のアスリートは、ほとんどの場合オリンピックに全精力を傾けることになるでしょう。

CMの投資効果が高い競技ではなく、オリンピックが最高の舞台であることが明白な競技こそ採用されてほしいと思います。

2009年6月15日月曜日

韓国スポーツの強さ

朝日新聞(6/13夕刊)の記事に、“韓国が野球人気にわいている”とありました。観客動員数は過去最高を上回るペースだそうです。北京五輪で金メダルをとり、今年のワールド・ベースボール・クラッシック(WBC)でも準優勝したことで、自国のプロ野球のレベルの高さをファンが見直し、それが人気につながったようです。そして記事は、強さの背景に、韓国政府が認定する「スポーツエリート制度」があることを示しています。国際大会で好成績を残した選手には、国からの経済的な支援や兵役の免除などのメリットがあり、選抜育成されたエリートのモチベーションも高くなるようです。

韓国プロ野球のレベルの高さはWBCや北京オリンピックをみて感じましたが、その他のスポーツはどれくらい強いのでしょう?
北京オリンピックの結果をネットで調べてみると、金:13個 ・ 銀:10個 ・ 銅:8個のメダルを獲得したようです。日本は、金:9 ・ 銀:6 ・ 銅:11という結果でした。韓国の人口は約5千万人で、日本の人口(約1億3千万人)の半分以下です。この数字を使って遊んでみると次のような計算もできます。
もし韓国に1億3千万の人がいるとすると、あと2.6倍のメダル数を期待できるかもしれません。そうすると、金メダルの数は33.8個ということになります。

「宿敵韓国に負けるな!」と言いたいわけではありませんし、メダルを取ることだけが大切なのかという議論は別にあると思いますが、国が支援するエリート育成には、それなりの効果がありそうです。

2009年6月13日土曜日

ルーヴルの価値

国立西洋美術館が展示する「ルーヴル美術館展」を見に行きました。上野駅の公園口改札を出ると、徒歩2分くらいで美術館に到着します。開館時間の9:30を目指しましたが、到着したのは10時過ぎでした。明日の日曜日が最終日なので、混雑していることは予測していましたが、2時間待ちでした。最近の行列予想は、実際に並んでみると想定よりも早いことがときどきあります。13時にその近くで用事があったので、どこかで時間をつぶすのも一緒だと思い、読書しならが列に加わることにしました。
結局、きっちり2時間待って入場し、20分だけ鑑賞して帰りました。
それでも、地中海を臨むイタリアの港に帆船が帰港した様子を描いた「クリュセイスを父親のもとに返すオデェッセウス」という名の絵画の前に来ると、その絵につかまってしまったかのように、10分近くも見入ってしまいました。たぶん、この絵がぼくを呼んでいたから、2時間待つことを決意させたのでしょう。クロード・ロランという人の作品でした。

なんてことをここに書くために、作品と作者の名前をメモしてきたわけです。今日みた中で、ぼくが一番「好きだな」と思った絵だったことに偽りはありません。そして、その絵が記念品売り場で、絵ハガキになっているのを見ると「おれが気にいっただけのことはある」と自己満足します。

美術展に行けば、絶対的な尺度にしろ、相対的な比較にしろ「いいな」と思う絵は必ずあります。自分の審美眼がすぐれているかどうかはどうでもよく、気に入った絵の前で足をとめます。それなのに、ギャラリーが主催する展示会などで「いいな」と感じた絵に、高い値段がついていたりすると、なぜか得意げな気持ちになってしまいます。もちろん、自分の感覚と絵画の値段に相関関係はありません。自分がいいと思った絵を、じっくり眺めればそれでいいわけです。
そう達観したつもりで値段の安い絵を見ているのですが、その作品を書いた画家を解説する言葉に「若手だが将来を嘱望されている」なんてコメントを見つけると「さもありなん」と納得します。

自分のアホさにイヤ気がさしますが、ここでザンゲ的に宣言を。絵を見るのは嫌いではありません。たまに「好き」な絵があります。でも、絵画の価値はまったく分かっていません。

2009年6月11日木曜日

エコとエゴ

日本の温室効果ガスの削減量を2005年比で15%減とする中期目標を、政府が表明しました。1990年比だと、8%減になります。

朝日新聞のコラム「CM天気図」の天野さんは、“ 電気をこまめに消したり、レジ袋の代わりにエコバッグを買ったりしているぼくらは、いったいなんなんだ ” と言って怒っています。産業界がもっと抑制すべきなのに、その分のツケが一般家庭にまわされることに憤りを感じて、そう主張されています。
エコロジカルな生活を実践している人ほど、怒りが大きくなるのはわかります。
5月31日の朝日新聞の記事では、セメントや鉄鋼業界が生産量を減らすことを考えずに、現状維持を前提としていることを問題視していました。かつて鉄鋼会社にいたぼくとしては、この意見には賛成できません。たとえば、日本の鉄鋼メーカーが生産量を半分にすると、その分を海外の鉄鋼メーカーが増産してニーズを満たすかもしれません。環境対策装置の性能は日本メーカーの方が進んでいるケースが多いので、結果的に、地球に排出される温室効果ガスの総量は増えてしまいます。
すると、世界中の鉄鋼生産量を減らせばよい → 世界中の車の数を減らせばよい → 石油も使わずにすむ、 ということになります。

しかし、生活のレベルは落としたくないし、大きな自己負担もしたくない。
「昔のような電気のない生活には戻れないのだから、便利をガマンせずに、地球を守るための知恵を出しましょう」というところにムリがありそうな気がします。

究極の温暖化防止対策は、少子化対策をしないことかも ・・・ 。

2009年6月9日火曜日

世界を驚かす覚悟

「覚悟しろ!」と言われれば、たいていはその後につらいことが待っていることを予想します。
「覚悟を決めた」と言えば、困難や苦労を伴う道であることを承知で進むことの意思表示です。

W杯行きを決めたウズベキスタン戦の直後、何人かの選手が着ていたTシャツの胸には「世界を驚かす覚悟がある」と書かれていました。アナウンサーが間違えて「世界を驚かす準備がある」と読んでから訂正しましたが、「準備」の方が言葉としはしっくりきます。Tシャツの言葉は「本大会でベスト4を勝ち取るための厳しい試練に耐える覚悟がある」という意味を短くまとめたわけですね。

岡田監督は「本気でベスト4を目指している選手は、最初は1、2人しかいなかった。今は7、8人いる。これから代表メンバー全員にその気になってほしい」とコメントしていました。
日本のサッカーにとって、ベスト4がかなり高い目標であることはだれしも認めるところです。冷やかな見方をしている人もたくさんいると思いますが、代表メンバーの中にもムリだと考えている人がいればチームのベクトルはバラバラになってしまいます。
ワールドカップ本大会出場が当面の目標だった間は、チームの方向性がぶれることはなかったはずですが、今後は、「本気でベスト4を目指す人」が代表メンバーに選ばれる基準になるかもしれません。
チームで仕事をする場合、全員が目的を共有して行動しないと結果的にパフォーマンスは下がります。岡田監督が目指すところを代表全員が達成可能な目標としてとらえることができるか、それが今後のメンタル面の課題になるでしょう。

1年以上先の話ですが、ベスト8まで行くと「目指した方針は正しかった」と言われ、グループ予選で敗退すると「チームの方向性が最初からひとつになっていなかった」と批判されるような気がします。

ぼくとしては、達成の可能性がほんの少しでもありそうなところを目標にすべきだと思うので、ベスト4を目指す方針に賛成です。というわけで目標の設定については
「岡田ジャパンを批判しない覚悟がある」
よく分からない日本語で、本日はおしまい。

2009年6月8日月曜日

絶対に負けられない戦いが、かつてはあった。

サッカーの岡田ジャパンが、W杯行きを決めました。フランス・日韓・ドイツ・南アと4大会連続のW杯出場は、日本サッカーの地盤が強化されてきたことを示す事実です。

さて、テレビ朝日が日本代表戦を中継するときのキャッチフレーズは「絶対に負けられない戦いが、そこにはある」です。確かに、過去のW杯予選には一敗も出来ないという緊迫した雰囲気がありました。そういう雰囲気があるとときには、なかなかカッコいいキャッチフレーズです。たぶん、テレビ局側の「このキャッチいいでしょう」というアピールも、視聴者から支持されていたのだと思います。

ところが、ドイツ大会の頃からアジア地区予選に悲壮感がなくなっています。前回も今回もアジア予選A・B各組で、2位以内を確保すればその時点で本大会出場が決定する仕組みでした。各大陸予選のスケジュール的な事情もあり、ドイツ大会も南ア大会も日本が出場権獲得一番乗りということになりました。つまり、「絶対に負けられない」ところまで追い込まれることなく本大会の出場を決めたわけです。

日韓大会は開催国で予選免除でしたから、予選に「絶対に負けられない感」があったのは、フランス大会への出場を目指した頃でした。今から、12年も前のことになります。このときは、アジアの出場枠が3.5しかなかったので、アジア第3代表をかけたイランとの戦いを「日本中が注目した」ように記憶しています。「ドーハの悲劇」との対比で「ジョホールバルの歓喜」という言葉が残っているくらいですから、かなりの熱狂度があったわけです。
1990年代はビジネスとしてのスポーツが急速に拡大した時期でもありました。オリンピックとサッカーW杯が巨大化した背景は、ハード的に成熟した先進国の市場にスポーツというソフトが新しいニーズを提供したことにあるのかもしれません。W杯の出場チーム数増加は、そのニーズに応えるためでもあったのでしょう。ビジネス規模を最大化してコンテンツの魅力を維持するためには、32チームくらいが本戦に参加できる今の状況がベストなのでしょう。
アダム・スミスの言う「神の見えざる手」が市場経済を自動的に調節する機能というのは、こんなところにも働いているのかもしれません。ちなみに、マラドーナの神の手が、まったく別なところで働いたのは、1986年のメキシコ大会のことです。

と御託を並べつつ、岡崎のゴールに素直に感動したウズベキスタン戦でした。

2009年6月4日木曜日

新型インフルは怖くない?

怖いのか、怖くないのか?
専門家ではないのでわかりません。今回の感染の広がりに対する危機管理については、専門家でも対応が困難なのだそうです。
朝日新聞の記事によると、6月に入ってからも都内や千葉県・神奈川県で感染が確認され、感染者の累計は400人を超えたとあります。感染が確認された人数は増え続けていますが、累計の感染者の中には既に回復している人もいるでしょうから、感染の勢いは衰え、終息に向かっているのかもしれません。

感染が広がりを見せパニック寸前のような報道がされていたとき、過剰に危機をあおらず大人の対応をせよ、という人がいました。
完全にリスクを排除できた状況ではないのだから、終息宣言にはまだ早い。報道の過熱を後から非難して、自分だけは冷静だったふりをするのは卑怯だ、と今も警鐘を鳴らし続ける人がいます。
初めから冷静だった人や今でも注意喚起している人は、どちらもブレがない人だったのでしょう。
おそらく彼らは、恐怖に対する主観が定まっているのだと思います。
「通常のインフルエンザと同様で、罹患しても過剰に恐れることはない」と思えば冷静でいられます。
「弱毒性ではあるけれど、いつ強毒性に変異するか分からない」と考えれば、常に警戒している必要があります。

恐怖の原因と対処の仕方が分からないときに、人は立ちすくんでしまいます。トンネルの中が真っ暗でも、障害物のないことが分かっていれば、転ばないようにゆっくりと歩けばいいだけです。
とはいえ、「一寸先は闇」という言葉もあります。街灯に明かりをつけてもらうのを待つか、自家発電ででもしないと、安心して前に進めない世の中です。

2009年6月2日火曜日

GMの破綻とテレビ欄

米自動車大手ゼネラルモーターズ(GM)の経営が破たんし、アメリカ政府による国有化の状態から経営再建を目指すことになりました。朝日新聞の一面に “GMといってもピンとこない人が多いだろう。では大衆車シボレー、高級車キャデラックならどうか。いずれも「アメリカ車」を代表するGMのブランドだ”
とあります。「GMにピンとこない人は、シボレー にもキャデラックにもピンとこないだろう」と軽いツッコミを入れつつ、経済面に目を移します。
破たんしたGMと業績が大幅に悪化したトヨタ自動車を取り上げ、“大量生産によるコスト削減を目指す「規模の経営」に頼った両雄の転落で、巨大化を目指してきた自動車業界は行き場を見失っている ”とあります。
今日現在の結果を見ればそのとおりですが、2000年代のはじめ、縮小均衡による健全経営をしていたヨーロッパの鉄鋼メーカーの多くは、インドを出発点にM&Aを繰り返した会社に買収されました。外資に買収されること=悪ではありません。しかし、ホンダやトヨタが外資系企業になってしまう日が来たとしたら、「それがあるべき姿なのだ」という世論にはならないでしょう。

さて、極めて主観的な感覚ですが、「巨大化して他を圧倒すればいいわけじゃない」とか「一番であることが、必ずしも正しいわけじゃない」という論調が『朝日新聞的なもの』だと勝手に解釈しています。そういう雰囲気の記事を読んだあとに、テレビ欄を見て驚きました。「我が家のともだち10チャンネル」が消滅していました。10チャンネルと我が家がどうやってともだちになったのかは定かでありませんが、テレビ朝日はTBSを追い抜いて、日本テレビのとなりの位置を占めています。「だってデジタル5チャンだもん」という声が紙面から聞こえてきました。
やっぱ、本音は10番より5番、5番より1番なのね。というか最初から、ぼくが勝手に朝日的なものを誤解していただけなのかもしれなせん。
というわけで、我が家のともだち新聞は、読売から朝日に切り替わりました。

2009年5月28日木曜日

グイン・サーガを残して

作家の栗本薫さんが、すい臓がんのために亡くなりました。代表作の『グイン・サーガ』は、一人の作家が書いた作品としては世界最長とも言われているそうです。書くことに対する栗本さんの執念は深く果てしなかったようで、読売新聞の記事によると「元気なころは一日50枚書けたのに、最後は数枚しか書けないことをとても悔しがっていた」と夫の今岡清さんは語ったそうです。テレビのニュースでは、月1000枚以上の原稿を書いていたと紹介され、着物姿でパソコンを打つ指の早さは、タイプライターの名人がキーを叩くような早さでした。手書きの原稿をワープロに打ちかえるだけだとしても驚異的な早さですが、一日に50枚書くということは、文章を考えながら文字に変換していく作業を行っていたはずです。
試しに、今書いているこのブログを、昨日テレビで見た映像と同じリズムでキーを叩いてみました。すぐにミスタイプして、頻繁に後戻りしてしまいます。あのスピードで原稿を書くことが月産1000枚以上につながるのでしょう。これは毎月3~4冊もの本を出せるペースです。
「自然と湧き出る力に押されて、一気に原稿を書いてしまった」と作家が語ることがありますが、栗本さんの場合は常にそのような状態だったのかもしれません。

「とても真似できない」と思うか「少しでも近づきたい」と思うかは自分次第、というお話でした。

以上、原稿用紙約1枚分の内容を5分ほどで書くことができました。
と言えれば、合格点なのですが・・・・・・まだまだこれから。

2009年5月27日水曜日

一人の大臣

年金も、インフルエンザも、郵便物の不正も、全部一人で監督していたら、舛添大臣には寝る暇もないのだろうなと思っていたら、「厚労省は、一人の大臣が抱えきれる範囲をかなり超えている」ということで、省を分割する案が政府内で検討されています。
ぼくが厚生労働大臣なら、「そいつは助かる」と思ってしまうところですが、舛添大臣はそんなことは言いません。「国土交通省も総務省も巨大な省であるのは一緒だ。検討するなら、厚労省単独ではなく省庁をもう一度再編すべきだ」と言っているのをNHKのニュースで見ました。

安心社会実現会議のメンバーであるナベツネ氏が厚労省の分割案を主導しているためか、朝日新聞の論調は、単純な分割に懐疑的なようです。もちろん読売新聞は積極的な推進論です。どちらにしても、一人の大臣が監督するのに大き過ぎず、縦割り行政の弊害もない適正な規模を探るのは、極めて困難な作業でしょう。

さて、このニュースを見て最初に思ってしまったことは、
山積する日本の難問を、一人の総理大臣で抱え切れるのか?
だったりしました。

2009年5月25日月曜日

大関に「喝」

大相撲夏場所は、大関3場所目の日馬富士が初優勝を飾って、幕を閉じました。
少し前まで「安い馬」だった関取が、今では「富士の上に立つ日本の馬」に名前が変わりました。しこ名も成績も大いに出世しています。
一方、日本人大関の魁皇・千代大海・琴光喜は、そろって8勝7敗の成績に終わりました。3人の最近3場所の成績には、二桁勝利がありません。一時期の魁皇と千代大海には、カド番の場所で優勝したり、優勝の翌場所に負け越したりと大きな波もありました。しかし、今ではカド番の場所とかろうじて勝ち越す場所の繰り返しです。ここは奮起の願いをこめて「喝」を入れなければなりません。

ところで、朝青龍・白鵬・日馬富士の年齢が、順番に28歳・24歳・25歳であるのに対して、魁皇は36歳、千代大海と琴光喜は33歳です。3人の大関が今後2場所連続優勝して、横綱になることは難しいかもしれません。ふがいなさに「喝」を入れたくなるのは期待の裏返しです。
「みっともないから早く引退せよ。そう言われたくないのなら、それなりの結果を残せ」という意見もあると思います。大関の地位に対する期待が大きいほど、そう思うものでしょう。
余力を残して引退する引き際の美学もありますが、自分の納得がいくまでボロボロになっても戦い続ける選手も、ぼくは好きです。
カド番を繰り返す大関に不満をもつファンが多いのも事実で、横綱審議委員会は「累積5回のカド番で降格や引退勧告」などの案を具体的に検討しているようです。ランキングと実力をマッチさせるには、ルールの改定が必要かもしれません。

どんな制度になっても、納得いくまで戦う姿勢とそこにある魂を見せてほしい。それが、魁皇や千代大海に対するぼくの期待です。

2009年5月23日土曜日

ワールドスカッシュデー

昨日(22日)、社団法人の日本スカッシュ協会が開催した「ワールドスカッシュデー」に関連するイベントに参加してきました。2016年の夏季オリンピック競技入りを目指している世界スカッシュ連盟(WSF)は、5月23日を「ワールドスカッシュデー」に指定し、世界各国でイベントを行う予定だそうです。

都内で行われたスカッシュ体験イベントには、松本淳選手・清水孝典選手・松井千夏選手など男女の日本トップクラスの選手が参加し、新聞記者や一般参加の初心者に丁寧な指導をしていました。

「百聞は一見にしかず」と言いますが、「百見は一体験にしかず」でもあるようです。何度かテレビなどでスカッシュの競技を見たことがありましたが、スカッシュのハードさを初めて実感しました。WSFが発表する資料によると、1時間に1500kcalを消費する運動量だそうです。成年男子が1日に消費するカロリーは2200~2500kcalと言われているので、一日の消費量の60%~70%をたった一時間で消費してしまうことになります。

それになにより、オモシロイ ということがわかりました。やってみなければ分からない楽しさがあるのは、すべてのスポーツに共通する要素です。しかし、何を面白いと感じるかには個人差があります。スカッシュは立方体の壁のうち、天井以外の5面を使って行う競技です。前後左右から飛んでくるボールを、テニスと同じようにノーバウンドかワンバウンドで打ち返せなければ、相手にポイントが入ります。ビリヤードの球が立体的に交差する感覚で球筋を読み、それを狙った方向に打ち返して、相手の裏をかくのもスカッシュの醍醐味の一つのようです。
初体験のぼくは、バック・ウォールと呼ばれる後ろの壁まで利用することはできませんでしたが、トップ選手のエキシビジョン・マッチでは頭脳的なプレーのいくつかを垣間見ることができました。

というわけで、みなさんも是非スカッシュを体験してみてください。
IOCが2016年夏季オリンピックの競技種目を決定するのは今年の10月です。道端で外国人から「スカッシュしてますか?」と聞かれたら、「イエス」と答えましょう。
「セコムしてますよ」と答えてはいけません。

2009年5月21日木曜日

水着でおどるな

足にゴム製のひれをつけて泳ぐフィンスイムという競技があります。フィン(ひれ)がついているので、何もつけない状態より早く泳げるのは当然です。イルカの尾ひれ状の一枚フィンをつけて、人魚のように両足を上下させて泳ぐサーフィスという種目があり、100mの日本記録は38秒台です。これはクロールの日本記録よりも10秒ほど早いタイムです。

競泳の男子200m背泳ぎで、入江選手がだした世界新記録が公認されない可能性があります。水着と体の間に空気が入って、浮力を生む構造に国際水泳連盟(FINA)が疑問をもっているようです。レーザーレーサー以来の水着問題を聞くたびに、水着の性能開発も競争に含めてしまえばいいという乱暴な考えが頭に浮かびます。「何を着てもOK」にするとやがてフィンスイムになってしまうわけですね。もちろんフィンスイムにも規則があり、ルールに沿った戦いがあります。

早くFINAが分かりやすい基準を示すべきだと思いますが、公平なルールをつくるには時間がかかるのかもしれません。
FINAには、二枚重ねや首まで覆うタイプの水着を禁止するなどのルールがすでにあります。そして、水着問題の行きつく先には、「またもや日本人に不利なルール」の見出しが待っているような気がします。
例えば、
・男子の場合、水着が体を覆う面積は、体の表面積の40%まで
という規定あると、外国人に比べて体の小さい日本人ほど得られる浮力が小さくなります。

スキージャンプで、板の長さのルール変更があったことを思い出したので、こんなことを書いていますが杞憂で終わってほしいものです。

水着問題に一喜一憂してしまうぼくですが、メタボチックなおなかが恥ずかしいので、水着ではおどらないことにします。

2009年5月19日火曜日

球団の説明責任

横浜ベイスターズの大矢監督が事実上解任されました。昨季のベイスターズは、48勝94敗2分けと大きく負け越しました。今季も37試合で、13勝24敗と最下位に低迷しています。公式戦の1/4が終了し、今日からはセパ交流戦がスタートします。チームが心機一転するために監督を替えるなら、このタイミングしかなかったのでしょう。

しかし、成績不振を理由に監督を解任するなら、昨シーズンが終了したときに替えるべきでした。そして新監督にコーチ他のスタッフを選ばせ、キャンプ・オープン戦を通じて1シーズンを戦う準備をさせるべきです。神奈川新聞によると、今年の大矢監督には人事権がなく、コーチ陣の刷新は球団フロントが主導して行ったそうです。一般の会社で考えると、成績の振るわなかった部署の部長だけを残留させ、次長や課長などの管理職スタッフを経営陣が入れ替えたことになります。経営者にとっては、かわいい部長だったのでしょう。しかし、このまま部長を続投させたのでは昨年と同様の結果になってしまうことが明らかになってきました。そこで、こんどは部長を交替します。
もはや、責任の所在は明らかです。経営陣が襟を正さなければ、社員は身を粉にして働く気が起こらないでしょう。これでは借金はいつまでたっても返済されません。

球団の社長には選手やファンへの説明責任が求められます。それがなければ、客として足を運ぶ気になれません。

2009年5月15日金曜日

ラブレターのあとがき

「ラブレターは朝読み返すな!」だったのか、「朝、読み返してから出せ!」だったのか、もう長いことラブレターなんて書いたことがないので、すっかり忘れてしまいました。
前夜書いたときの勢いそのままに、熱い思いを伝えてしまう方がいいのか、冷静になって読み返してから出した方がいいのか?
Yes にしろ No にしろ、手紙を受け取った人の返事は、読む前から決まっていたようです。サンプル数の少ない経験則なので、一般論ではありません。

さて、今日ある人に手紙を渡してきました。何度も読み直して、何度も書き直したのですが、結局
「俺って、こんなに頑張って、こんなことまでして、こんなに君のこと好きなんだ。こんな俺って、結構かっこよくない?」という内容で終わってしまいました。
「あなたのどんなところに惹かれて、どんなところが好きで、こんな考え方に共感できて、だから一緒にいたいんだ」という大切なことが抜けていました。言いたいことはたくさんあったのに、気がつくのはいつも後からです。

(ブルーハーツ 「ラブレター」より)
♪ あーあー ラブレター 百分の一でも
あー あーラブレター 信じてほしい ♪

今日の手紙は愛をつづったラブレターではありませんが、手紙を書いた最後の余力で「あとがき」をアップしてみました。
公共の?電子信号?を私的に利用できるのがブログのいいところです。

五感を使ってコーヒーを飲む

偶然に、雑誌と新聞で「五感を大切に」という記事を読みました。第六感といわれる「インスピレーション」や「ひらめき」を得るためには、日頃から五感を豊かに使う必要があるそうです。 普段、空気の存在を意識しないように、五感を意識して生活することはほとんどありません。意識せずにすむことのありがたみにさえ、なかなか気がつかないものです。

視覚・聴覚・嗅覚、、、、味覚、、、、、、、触覚。
久しぶりに五感を意識してみたら、こんな順番で脳の引出しから出てきました。「触覚」に至っては、「痛覚?」 「温度の感覚?」などと、やや混乱しながら思い出しました。
さっそく、五感を豊にして、朝のコーヒーを飲んでみます。 真っ先に使うのは、視覚です。いつも使っている緑色のマグカップがあります。木登りしたパンダが枝に腰かけて本を読んでいる絵が描かれています。もう何年も使っているマグカップですが「パンダの絵の緑のカップ」としか認識していませんでした。でもよく見ると、緑色の下地に幹と枝が黒で描かれ、葉っぱは、縁取りと静脈が黒です。葉っぱそのものは、白ぬきの「白」だったことを発見しました。
続いての登場は、触覚です。思い出した順番はどんじりでしたが、出番の早いことに驚きです。右手でカップの取っ手を持ち、左手で本体を包んでみました。温かい感触が両手の指から伝わってきます。冬場なら、感謝の気持ちがワンランク・アップしているかもしれません。でも、温かく感じるということは、相対的に指先が冷たいということです。というわけで、指先から指の根元までを軽くマッサージしてやります。ついでに、足の指もマッサージしておきました。普段意識していない体の部位たちにも、たまには敬意を表する必要がありそうです。
ミルクが入り、マイルドになった茶色の液体を口に運ぶ前に、今日は匂いを意識してみます。少し酸味のありそうな豊潤な香りが漂ってきます。と書きたいところですが、インスタント・コーヒーの匂いがするだけです。何かを感じたいと思い、口ではなく鼻のしたにカップを運び斜めに傾けてみます。危うく、鼻からコーヒーを飲むところでした。嗅覚さん、今日はこれまで。
と、ここまで来て、やっとコーヒーを飲むことができます。苦労してたどりついただけあって、いつものインスタント・コーヒーと比べて格別な苦味の切れがあります。粉の分量が多めだったことは、この際忘れましょう。 というわけで、五感を使ってインスタント・コーヒーを堪能すると、感謝の気持ちでいっぱいになり、とてもおいしく感じられます。
あれ、なにかが足りない・・・。聴覚を使い忘れていました。 仕方がないので、空になったマグカップを耳に当ててみます。すると、海辺で拾った貝殻を耳にあてたときのようなロマンチックな音が聞こえてくるではありませんか。またまた、大発見です。

怪しい人だと思われるので、職場でコーヒーを飲むときに聴覚を使うのはやめましょう。

2009年5月13日水曜日

アリはロックでリズムを刻む

11日の更新に対して 「竹中直人の弔辞は、クサすぎ」というコメントがありました。

ところで、何かの本で、作家の村松友視さんが語っていました。
“ある旅行で、モハメド・アリと一緒の機会があった。アリは常にイヤホンからロックを聴いて、体を揺らしてリズムを刻んでいた。パーキンソン病のために、体が自由にならないことを知り、これが、スーパースターの病との闘い方なのだと思った。・・・ ”
(しばらく前に読んだ本の記憶なので、正確な引用ではありません)

スーパースターにはスーパースターの、名優には名優の生き方があるのでしょう。
清志郎のロックに合わせて、竹中は踊っていた。それもまたよいのです。

2009年5月11日月曜日

竹中直人から忌野清志郎へ

“訃報を聞いて真っ先に思ったのは、どうしよう、ということだった。清志郎の生の声が聴けない世界で、私はいったいどうすればいいのだ。” 5月4日の読売新聞に作家の角田光代が寄せた記事の一部です。

清志郎の訃報を知った夜、ぼくも、同じような趣旨のメールをファン仲間の先輩に打ちました。

寂しい気持ちになってしまうので、何も書かないつもりだったのですが、竹中直人が読んだ弔辞をテレビで見てしまったので、一言。

ぼくは、清志郎と同じくらい竹中直人も好きです。そして竹中直人の弔辞を聴いて、もらいなきしそうになりました。
「おれは、忌野清志郎と友だちなんだぜって、世界中の人に自慢したいです。ずっとずっと自慢してていいですよね、清志郎さん」
なきじゃくり、鼻をかみ、最後は右手を腰にあて、左手を大きく振りながら「またね」と言ってお別れです。
心が伝わってくる、男泣きのかっこいい弔辞でした。

さて、誤解のないよう先に書きますが、この弔辞が竹中直人の演技であるはずはありません。
ただ、映画の一場面として、監督が俳優・竹中直人に指示したら、きっと完璧にこのシーンを演じきってしまうのだろうな、とぼくは感じました。映画の中でも、竹中直人が演じる人の悲しい気持ちを、観客に伝えられる俳優だと思います。

清志郎にしても竹中直人にしても、偉大な表現者というのは、人を魅了する力を遺憾なく発揮して人生を送るのだなと感じさせる弔辞でした。

(本日、敬称略)

2009年5月10日日曜日

「スポーツは国家戦略」なのか?

「○○は××なのか?」とタイトルにあれば、一般的には反語ですね。主張は 「いや、そうではない。なぜなら ~ 」となります。

読売新聞の記事(10日・朝刊)に、 “超党派のスポーツ議員連盟(会長・麻生首相)が検討している「スポーツ基本法(仮称)」の骨子案が明らかになった。(中略) スポーツ政策を国家戦略として位置づけ、国や自治体の責務や義務規定を記載する” とあります。

そして、“ 国際社会で日本の存在感を高める方策として、
1)トップアスリートの支援
2)国際大会の招致
3)スポーツビジネスの充実
4)スポーツ医科学の研究
など ” が盛り込まれているそうです。
上記のことを実現するために、税金が使われるべきなのでしょうか?
と、ここまで反語調で書きつつ、この件について、ぼくは賛成です。

公的資金をどこに投入すべきかについては、さまざまな意見があると思います。
ダムをつくったり、国民全員に定額を給付したり、高速道路の料金を1000円にしたり、介護保険制度を充実させたり、この他にもさまざまな公的資金ニーズがあります。立場によって優先順位のつけ方が違う のは当然です。
ぼくは、スポーツでメシを食おうとしている人間なので、積極的に賛成の立場になります。
しかしながら、この記事を読んだときに「?」の引っかかりを感じたのも事実でした。「国威を示す場面として、スポーツを利用する意図もあるのかな」という感覚です。
一方、お祭りで地域が盛り上がったり、参加してる人が楽しく過ごせたりするのが、ぼくは大好きです。オリンピックやスポーツの国際イベントも大きな祭りのひとつだと思っているので、金額の規模や使途にもよりますが、大会招致やアスリート支援に公的資金が使われても、基本的には賛成です。

というわけで、今回は反語ではなく同調の「?」でした。

2009年5月8日金曜日

「ママ」はハンデ?

日本陸連は、8月にベルリンで行われる世界選手権の男女マラソン代表に佐藤敦之選手と赤羽有紀子選手を発表しました。すでに発表されていた男女各4選手に加えて、5番目の代表が決定しました。読売新聞スポーツ面の見出しは「ママ 赤羽 世界陸上初代表」で、記事には“五輪・世界選手権を通じて、国内では初めての出産経験のある選手”とあります。

「驚き」や「感嘆」は、ニュースバリューのひとつの要素です。
「そいつはすごい!」と素直に思えたとき、人は、下から目線で畏敬の念を抱いたり、上から目線で「ほめて使わす」などと称賛の気持ちが湧いてきたりします。

たとえば「エベレストの最初の登頂に成功した」というのは、文句なしのビッグニュースで、自然に「すごい」という感情が生まれやすいものです。しかし、それ以降は、「○○ルートからの初登頂」とか、「軽装備での登頂成功」などスゴさに解説が必要になります。

スポーツ選手が「ママ」であることを強調される場合、「子供を産んで大変なのに頑張っている」という『スゴさ』が解説されています。サッカー選手の最年長ゴールやプロ野球選手の最年長勝利などが見出しになるのは、「体力的なピークを過ぎているのに」達成できた『スゴさ』が解説されています。
スポーツの場合、「若い男は強い」というのが解説いらずの前提のようです。

さて、出産前後の女性がスポーツをしたり、働くことにハンデがあるのは明らかです。だから産休とう制度がわるわけですね。ところが、解説の中味に「育児する女性がハンデを克服して頑張っている」ことが加わるとジェンダー・ギャップの問題になってきます。
「育児は女性だけが負担すべきものなのか?」
答えは ノー ですが、いまの社会構造を考えると、「イエス」と答える家庭の方が貯金は貯まりやすいのかもしれません。
ラドクリフ(イギリス)・トメスク(ルーマニア)・エゴロワ(ロシア)など、出産経験のあるマラソンの強豪選手はたくさんいます。
女子マラソンで欧米系の選手が活躍する背景には、社会の価値観が影響しているようです。

2009年5月6日水曜日

憲法を振り返る日

最近のゴールデンウィークには「昭和の日」と「みどりの日」があって、なんとなく昭和天皇が生まれた日のおかげで得した気分です。4日の「みどりの日」が祝日として一本立ちしてくれたせいでしょうか、今日は3日の憲法記念日の振替休日です。

というわけで、今日は憲法について振り返ってみたいと思います。

「百獣の王がラインなら、キング オブ 法律は憲法だ」
と、中学時代の先生が言ったかどうかは覚えていませんが、憲法9条を説明するときに、先生が「困った」と発言したのをよく覚えています。

憲法第9条の2項に
「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」とあります。
上の条文を読み上げたあとに、その先生は
「自衛隊は戦力じゃないのかと質問されると、それは困ってしまうんだな」と言いました。

正直いって、このとき「法律の中で一番重要な憲法に国が違反しているということは、法律っていい加減なものなんだな」 と思ってしまいました。
大学で法律を学びましたが、ぼくが遵法精神の大切さを理解したのは、社会人になって何年もたってからです。
若いときに法律を守ることの重要性を認められないのは、アウトロー的なものにあこがれる感情もありますが、ぼくの場合は子供のときに持ってしまった最初の印象に引きずられた部分があるようにも感じます。
あるとき友達に訊いてみると、「実は、おれもそう思っていた」という人がほとんどでした…
なんてことはなくて、職場や友人が集まる場で、憲法論議がされることはまずありません。

憲法を護ることにも重要な意味があると思いますが、子供が聞いても矛盾を感じるような部分は、改めるべきだと思っています。

2009年5月3日日曜日

やっぱり生で見たい

今日も、世界卓球選手権ネタです。横浜市民の務めです。福岡選手との対戦では応援していなかった石川佳純選手を、昨日はテレビでしっかり応援しました。16歳で8強入り、1日(金)に書いたシンデレラ・ストーリーに乗っています。しかし今日は、北京五輪金メダリストで世界ランク1位の張選手との対戦、苦戦しそうです。

ところで、石川選手の試合の後に、放送されたのは男子の吉田選手と韓国選手のゲームでした。テレビの放送時間は、あまり残っていません。生中継ではない吉田選手の試合が終了する頃には、放送時間も終わりに近づきそうです。昨日の試合で8強入りの可能性のあった男子選手は、吉田・水谷・松平の3選手でした。男子シングルスの選手が8強入りすれば、24ぶりの快挙となります。前日までの話題性では、10代の水谷選手と松平選手が26歳の吉田選手より上でした。それぞれの対戦相手のランキングをみると、二人の若手は 格上、吉田選手は格下の選手と試合が組まれています。
「ということは、水谷と松平は負けて、吉田だけが勝ったのか」
と思いながら観戦してしまいます。
「せっかく日本で試合をしているのだから、ライブで見せてくれ」と思うのですが、たぶん視聴率を最大にすることをスタッフが一生懸命計算しながら、編集しているのでしょう。
吉田選手は危なげなく8強入りを決めました。そしてすぐに、松平選手の生中継に切り替わりました。対戦相手は中国の馬琳選手で世界ランク2位の強敵ですが、2-2でファイナル・ゲームに入っていきます。
「おー、今やってる試合なら最初にこっちをみせてくれよ」と思いつつも、画面に集中します。松平選手は最終ゲームも4-1とポイントをリードし、大金星に近づきましたが、結局、逆転されてしまいました。しかし、熱い試合に会場も大きな拍手を送っていました。ぼくは、不必要に絶叫するアナウンサーに普段なら辟易してしまうのですが、この試合に限っては、納得です。
やっぱり、「生中継できるなら、最初からこの試合を放送すべきだ」とテレビ局に抗議したくなってしまいます。しかし、番組制作者側は、「吉田のベスト8入りを短時間にして、松平の試合を生中継するのはいいけど、いいところなしで負けそうになったら、お前らすぐにチャンネルを変えてしまうじゃないか」というのでしょうね。

ハイ たぶん、そうです。ゴメンナサイ。

2009年5月1日金曜日

求む! シンデレラ

横浜アリーナで、世界卓球選手権を観戦してきました。
男子では、水谷(29)・吉田(35)・松平(109)の3選手がベスト16入りしました。ちなみに、松平選手は、青森山田高校に通う18歳で、( )内の数字は、世界ランクです。会場は満員ではありませんが、日本人の試合が多いコートは応援席の近くに設置され、その付近はかなりの盛り上がりを見せていました。テレビ中継を意識して会場が設営され、観客もそこを中心に席を埋めていくので、結果的にテレビ映りは見栄えのするものに仕上がっているようです。
日本人の男子選手が16強入りするのは、12年ぶりのことだそうです。大会前に、注目されていた女子の福原選手や平野選手が早々に敗退してしまったのとは対照的な結果になりました。普段より声援が大きいことは、期待を背負う選手にはプレッシャーとなり、チャレンジャーにとっては背中を押してくれるものなのかもしれません。

ところで、この日のマスコミ的な注目の一戦は、福岡春菜選手(33) VS 石川佳純選手(105)だったようです。二人の対決が始まった瞬間に、カメラマンの数がグッと増えました。勝った方が、ベスト16に進出です。16歳の石川選手は、前日に世界ランク10位の香港選手を破っての3回戦進出であり、14歳のとき、世界選手権に初出場しています。従って、マスコミは「ポスト愛ちゃん」的な役割を石川選手に期待しているようです。コートの後ろにカメラマンがずらりと並ぶのですが、試合開始の時点では、福岡選手の背中・石川選手の顔、が写る位置取りです。第1ゲームが終わってコートチェンジすると、反対側に移動するカメラマンが少なからずいました。常に、石川選手の表情を狙うシフトです。タイムアウトでドリンクを飲むときには、ほとんどのカメラマンガ石川選手の方にレンズをむけて、シャッターをきりました。
こうなるとぼくは、俄然、福岡選手を応援したくなってしまいます。対戦カードを見た時は、「どちらかと言えば石川・・・かな」と思っていたのに、気持が変わってしまいました。たぶん、ひねくれた性格なんだと思います。昔はアンチ巨人で、貴乃花と曙なら、曙を応援していました。

でも、カメラマンの大移動を見る前まで「なんとなく石川」だったのは、16歳でランク105位の選手が、この大会で一気に駆け上がるシンデレラ・ストーリーを期待していたせいだと気づきました。
それが、ぼくの自然な気持ちで、そんな世の中の潜在ニーズにマスコミが応えようとしているのか、スターを作り上げたいマスコミに誘導されて生じた気持ちだったのか、もう少し時間がたたないと判断がつかないようです。

そのゲームは4-1で、石川選手が勝ちました。
もちろん、日本人選手の明日からの活躍に期待しています。

2009年4月29日水曜日

世界卓球2009横浜

青森山田中の3年生・丹羽孝希(ニワ コウキ)選手が、横浜で行われている世界卓球選手権の本戦出場を決めました。世界ランク426位の丹羽選手が、予選で4連勝して32人の本戦出場枠に残ったことは快挙といえます。予選免除の選手が96人いるので、明日から128名の選手がトップを目指して試合に臨みます。

北海道・苫小牧市出身の丹羽選手は、名門と言われる青森山田中で指導を受け、めきめきと力をつけたそうです。才能を認められた選手が、優秀な指導者の下でトレーニングを積み、努力が結果につながっているのでしょう。
小学生の段階で素質を買われた野球選手が出身地以外の都道府県に進むと、「野球留学の低年齢化」と批判されるケースがあります。2007年に「特待生問題」に取り組んだ日本高校野球連盟も、「特待生は、1学年5人まで」などとするガイドラインを発表し、全面的には特待生制度を支持していません。これは、甲子園大会の盛り上がりが「郷土愛」によって成り立っているからでしょう。青森県の代表が全員関西弁をしゃべっていたのでは、「郷土愛」は冷めてしまいます。
一方、オリンピックや世界選手権などで活躍した選手やチームだけが注目される競技では、選手が中学や高校時代に有名な指導者を求めてどこへ行っても批判されることはありません。テニスの錦織圭選手は、14歳で渡米しています。この場合の「郷土愛」は、日本という郷土があればいいのであって、出身の都道府県がどこかということは、ほとんど気になりません。
日本中が注目するハイスクール世界野球選手権のような大会があったなら、エリート育成のための野球留学がもっと盛んに行われるかもしれません。

世界卓球の観戦予習をしていたのですが、いつもと同じような発想のブログになってしまいました。

2009年4月27日月曜日

自殺行為か延命か

TBSの情報番組が「国と地方の二重行政の無駄」を報じましたが、のちに国から「事実誤認」と指摘され、「誤解を与えかねない表現」として謝罪しました。
大阪府の委託をうける清掃業者は、国道と府道(大阪)がぶつかる交差点では、国道部分になると清掃車がブラシを上げて通過し、再び府の道路に戻るとブラシを下ろすという非効率的な作業を行っている、と番組で報道したそうです。実は、TBSがそのように作業するよう業者に依頼していたことが判明し、謝罪に至ったのですが、TBSの広報部は「国が管轄する道路では、本来ブラシをあげるものだと思い込み、業者に依頼した。勘違いであり、やらせではない」と説明しているそうです。
以上は読売新聞の記事を元に書いています。

ぼくはその報道番組をみたわけではありませんが、「二重行政の無駄を報じるために、やむを得ない演出だったのだろう」とは思えません。むしろ、「やらせではない」とする理由を「勘違い」としているところにある意味感心してしまいます。
番組の制作者が、交差点ではブラシを上げるものだと思い込んでしまった。「そう思い込んでしまったことが嘘である」と証明されると誰かが責任を取ることになりますが、他人の思い込みを否定する作業は困難です。
桜の枝を切ったのは私ですと正直に話し、父親にほめられたワシントン大統領のエピソードは有名ですが、社会的に問題になったことを正直に白状すると「おとがめなし」で済むケースはめったにありません。従って、反証が難しい「記憶にございません」や「勘違いでした」がまかり通って、やがてその出来事が忘れられてしまうことも多々あります。
一時的にはうまく延命できたことになるのでしょうが、不信が募れば結果的にそのメディアが衰退することにもつながり自殺行為ともいえます。

速報性や視覚的な刺激の少ない活字メディアが生き残っている理由は、信頼性や真理の探究精神にあるのではないでしょうか。
新聞にも誤報や「やらせ」的な脚色もたくさんあると思いますが、インターネットやテレビと比較すると、信頼性の高いメディアだと感じているので、ぼくは毎日、新聞を読んでいます。
本や雑誌にも、扇情的で興味本位のものがたくさんありますが、自分に必要な内容を選択して読んでいます。

ぼくの書いているものも、誰かに必要なものになったらいいなあ と思いつつ、現在修業中。

2009年4月25日土曜日

偽善人でいこう!

“ 「クン」をつけずにはいられない清潔感と温かい人柄がにおう人 ” 読売新聞の「編集手帳」では、SMAPの草なぎ「クン」をそう評しています。

草なぎ クン が主演していた「いいひと。」というドラマがありました。ドラマはほとんど見ませんでしたが、原作のマンガはよく読んでいました。もう10年以上前のことです。主人公の「ゆーじ」という青年の行動基準は、「自分のまわりにいる人に幸せになってもらいたい」というもので、それを実践する本当に “いいひと” でした。いい人がいい事をするだけのつまらない話でなく、人間の本質を考えさせるようなマンガだったから、好評で長く連載されたように記憶しています。

20代だったぼくは、マンガの主人公のように生きられたらいいのだろうけど、現実の人間が全く同じように行動したら「偽善者」といわれてしまうのだろうな、と考えていました。
「 『いいひと』 宣言する必要はないけれど、心ひそかにいい人でいよう」とか、
「結局、それだって、他人からいい人っぽく見られたいだけの偽善なんだよな」など
若いなりの悩みをもったものでした。そして、「偽善でも、なにもしないよりマシ。でも“偽善者”は響きが悪いから、“偽善人”でいこう」と考えました。
結果として日々善行に励むことができた・・・、わけではなく、毎日普通に暮らしてきました。
考えてみると「偽善人でいこう」と高らかに宣言すること自体、予防線を張っているようでかなり偽善的な行為です。

昨年亡くなった永井陽之助という政治学者は、「政治というものは、『悪徳』よりも『偽善』が優越する不正儀の秩序である」と言ったそうです。
心の問題として考えるより、社会秩序の問題として割り切った方が、実践しやすいのかもしれません。

さて、「いいひと。」の主人公のイメージとぴったりだった草なぎ クン 。20年以上「いいひとカラー」の服を着ることを義務づけられていたのかもしれません。仙人でもなければ完璧な善人ではいられないのですから、たまには脱いじゃってもいいんじゃない。

2009年4月23日木曜日

イチロー と 琢朗

もしも・・・
メジャーリーグ新記録の9年連続200本安打達成にあと1本とせまったイチロー選手が、10試合連続無安打のスランプに陥った状態で、マリナーズがワールドシリーズ進出をかけた最終戦に臨むということになったら・・・

日本のファンは、イチローを出せというでしょう。マリナーズのファンは、別な選手を使えというかもしれません。
日本人がMLBの記録保持者になるのはいやだから、イチローを出すなというアメリカ人は少ないような気がします。
一方、同じような状況でNPBの記録を韓国選手が塗り替えつつあったら、その選手を使うなという声が大きくなりそうです。

仮定の話を感覚的に論じても意味がありませんが、ひさしぶりにプロ野球のナイトゲームを観戦して思いました。
横浜ベイスターズで20年間活躍した石井琢朗選手は、今年から広島カープに在籍しています。今シーズン、カープが横浜スタジアムでゲームするのは昨日が初めてでした。
3-3の同点、ツーアウト・2、3塁の横浜のピンチの場面で、「代打 石井琢朗」が告げられました。個人的には「琢朗ファン度」>「横浜ファン度」なので、ぼくの中ではこの場面、石井選手の応援です。広島ファンが石井選手の応援テーマを演奏すると、ベイスターズファンまでが「かっとばせー タクロー!」と大声援を送っているのに驚きました。もちろん、「冗談じゃねーよ」と怒っているファンもいるのですが、タクローへの声援が圧倒的であることに、なぜか嬉しくなってしまいます。結果的に、その場面で石井選手は凡退しましたが、ゲームは横浜が破れました。
「チームにつく」か「人につく」かで、ゲームの楽しみ方がまったく違うのだなあと感じながら帰途についたのですが、メジャーリーグの情報を気にするとき、まったく「チームについていない」ということを再認識しました。

2009年4月22日水曜日

世襲できる職業

読売新聞の記事によると、自民党の選挙公約に「世襲制限」を盛り込むべきか党内でも賛否両論があり、森法務大臣は、閣議後の記者会見で「大正13年(1924年)から、ずっと私の一族で議席を頂いてきた」と発言したそうです。
「職業野球リーグが始まった1936年から、ずっと私の一族でレギュラーの座を頂いてきた」というプロ野球一家はいません。

世襲的な職業とそうでない職業を思いつくまま書いてみます。
○親子が同じ職業につきやすいグループ(世襲組)
歌舞伎・落語・政治家・医者・老舗商店の経営者など
○親子で同じ職業につくことがめずらしいグループ(非世襲組)
プロ野球やJリーグなどのプロスポーツ選手・映画監督・弁護士・小説家など

顧客を獲得するために看板(人気・ブランド・安心感)の重要度が高い職業が、世襲組には多いようです。一方、非世襲組は、実力が先にあって、あとから人気がでるタイプの職業ではないでしょうか。
どんな職業にもプロとしてお客さんを満足させるための合格ラインというものがあります。
世襲組の仕事は、親の教育と本人の努力や情熱である程度なんとかなりそうな仕事、非世襲組はそれだけではどうにもならない仕事と言えそうです。

さて、世襲批判の根底には、「楽しておいしい仕事についている」というやっかみがあるような気もします。
看板にあぐらをかいているのか、必死で働らいているのか。 選挙の場合は、それを判断基準の一つにしてみます。

2009年4月20日月曜日

大道芸

「大道芸」は横浜の春の風物詩のひとつになっているようです。桜木町近くの野毛地区では昔から盛んだったようですが、最近では、伊勢佐木町やみなとみらい地区でもたくさんの大道芸をみかけます。
読売新聞の地域面によると、「みなとみらい21大道芸」には世界各国から、52組210人の大道芸人があつまり、一日で64万人が見物したそうです。昨日、みなとみらい地区に行きましたが、いろいろなところで多彩な芸が繰り広げられていました。軽妙なトークで見物人を楽しませるマジシャンのところには、あっというまに人だかりができます。植木鉢のような容器を空中にいくつも放り投げ、頭のてっぺんで次々にキャッチしていくおじさんは、上半身はだかで胸に紅葉マークを付けていました。老齢ではないと思いますが、かなりのベテランのようです。

黄色いシャツの下に真っ赤なパンツをはいた青年の自転車曲乗り芸が終わると、右の眼に眼帯をした、車いすのおばあさんが真っ先に男性に近寄り、青年が用意していた箱にチップを入れました。両親に小銭を渡してもらった子供たちがそれに続き、ひとときの芸を楽しんだ見物人が「お代」を箱に入れて、その場所を去っていきます。
小一時間して同じ場を歩いていると、先ほどの自転車芸人と車いすのおばあさんが何やら会話していました。遠目からみただけなので、どんな話をしているのかは分かりません。
春の暖かな日差しに誘われて街にでた薄幸のおばあさんが、自転車芸でひとときのなぐさみを与えてくれた若者に、わずかな金額のお礼を箱に入れた。
という勝手な想像が、「サクラだったの?」という疑念に変わります。余計なシーンを見てしまったような気がして、その場を通り過ぎました。
それからしばらくして、ショッピングモールの中のおもちゃ屋で、再び車いすのおばあさんとすれ違いました。孫と一緒に来ているようでした。「サクラじゃなかったんだ。よかった」という心理になります。そして今度は、「あーなんで、おれって、すぐにうがった見方をしてしまうのだろう」とまたまた考えてしまいます。

快晴でさわやかな日曜日なのに、自分だけ晴れたり曇ったりの一日でした。

2009年4月17日金曜日

27番に気をつけろ!

イチロー選手が日米通算で3085本のヒットを放ち、張本氏の記録に並びました。ものすごい記録です。しかし、イチロー選手には申し訳ないのですが、彼のスゴサになれてしまい、日本人が持つ記録を更新しても当り前のように感じてしまいます。
「ルーチンワーク」とは、「きまりきった作業」や「日々繰り返される当たり前の作業」と訳されますが、イチロー選手が、念入りな準備をルーチン化して試合の結果に結びつけていることは有名です。イチロー選手にとっては、準備もゲームも同じルーチンであり、どちらの重要性も同じであることを理解して、行動しているのだろうと思います。
さて、昨日のイチロー選手は42番を背中につけていました。メジャーリーグ最初の黒人プレーヤー・ジャッキー=ロビンソン選手がデビューした日を記念して、昨日はメジャーリーガー全員が42番をつけて試合に臨んだそうです。
野球でもサッカーでも、プロの最高レベルでは、機能としての背番号にあまり意味がないのかもしれません。オリックスのローズ選手がバッターボックスに立てば、ピッチャーはホームランを警戒し、ジェフの巻選手がゴール前に迫れば、ディフェンダーはヘディングに注意します。
一方サッカーの試合でお互いが対戦相手を知らない場合、背番号がないとちょっと困ることになります。
「7番のドリブル突破に注意しろ」や「10番はロングシュートを打ってくるから、中盤でもフリーでボールを持たせるな」などゲームの途中で、プレーヤーが共通認識を持つためには背番号が必要です。野球の場合、6番バッターとか3塁手など背番号がなくても認識できるので、全員が42番をつけても成り立つスポーツかもしれません。

ぼくは、フライングディスク(フリスビー)を使ったチーム・スポーツをやっていて、背番号は27番をつけています。ある日の試合で、ぼくのマークについたディフェンスの選手が、彼のチームメイトに言いました。
「おれ、27番につきたくねーよ」
どうやら警戒されてしまったようです。

彼は続けて言いました。
「あいつ、酒くせー」

二日酔いで試合に出てはいけません。

2009年4月15日水曜日

武士道とカウボーイ道?

5-15と大敗しているゲームで、ニューヨーク・ヤンキースのスウィッシャー一塁手が8回裏からメジャーで初めてのマウンドに上がったというニュースがありました。高校以来の登板だったというスウィッシャー選手は、1イニングを無失点に抑えたそうです。アメリカでどう受けとめられているのか分かりませんが、日本のプロ野球の監督が同じことをすると物議を醸しそうです。
エンターテイメントの中のファンサービス、対戦相手に対して失礼な行為、試合放棄に等しい敗退行為など、賛否両論あるでしょう。

日本の高校野球の試合で、122-0という試合があり話題になったことがありました。10年以上前の夏の甲子園大会につながる青森県予選でのことです。大量リードを奪われたチームの監督は、ゲームを続けるか試合を放棄する(没収試合となり公式記録には残らない)か、部員の意思を確認したところ、一人の部員だけが最後までやりたいと応えたそうです。そして、両方のチームが全力で戦った結果が122-0という得点差になりました。

メジャーリーグには、「書かれざるルール」と呼ばれる暗黙の了解事項があります。大量リードをしているチームは盗塁をしないとか、ホームランを打った選手はガッツポーズをしないなど、相手を侮辱する行為をしないことだそうです。
どれだけ点差がついても全力を尽くすことが相手を尊敬することなのか、戦意喪失したチームを必要以上に傷つけないことが尊敬なのか。日本とアメリカの文化の違いなのかもしれません。
戦争で捕虜になったアメリカ兵は、降参しているのだから、それなりの待遇で適切に扱われることを当然と考えたそうです。投降したら命を取られることまで覚悟するかつての日本人的感覚とは違うのでしょう。

「リスペクト」だけの問題なら、一塁手がマウンドに上がることは理解できません。もっともイチローがマウンドに上がるシーンを見てみたいというファン心理は別にありますが。

2009年4月11日土曜日

横浜

ぼくが現在横浜市民であることと、横浜ベイスターズファンであることに関連性はありません。ぼくのベイスターズファン歴は、横浜市民歴よりも圧倒的に長く、ベイスターズのファンだから、横浜市に移住してきたわけでもありません。また、ここ数年ベイスターズファンとしての熱狂度は低下しています。しかし、長年の習性から、生活の中で聞こえてくるベイスターズネタには自然と反応してしまいます。

「三浦と寺原で11勝33敗はいけると思うんですよね。その他のピッチャーで、10勝90敗。もう少し勝つとしても、よくて30勝114敗ですね」
ファンのつらい声を、電車の中で耳にしました。

ペナントレースは年間144試合なので、そういう計算もあるかもしれません。現在のところ、三浦投手で1勝、その他の投手で7敗。このペースだと年間・・・。

かなりの上乗せがないと、年間30勝に到達しません。

2009年4月9日木曜日

就業規則改定のお知らせ

当社の就業規則を以下の通り改定しましたので、お知らせいたします。

1.就業時間 ; 8:30~18:15(平日の超過労働時間は、これをもとに算出。目標時間は従来通り)
2.一か月のトレーニング目標 ; 22日以上/月 (運動のメニューは従来通り)
3.アルコールの摂取単位 ; 上限45単位 /月 (複数の健康管理指標を参照し、現実に鑑み上限単位を緩和)

???
個人事業者なので、就業規則はありませんが自分なりのルールです。
個人事業者なので、体が資本。というわけで、健康管理もルールに明記しています。
個人事業者なので、ルールから逸脱しても誰にも文句は言われません。
ただし、ブログに書くことで少しだけ強制力が強まるような気がするので、書いてみました。

この他にもいくつかのルールを作ってあります。自分との契約に違反のない月は、アウトプットのボリュームが増えます。
「能力 × 時間 × やる気 = 仕事量」 のうち、ルールを守ると「時間」と「やる気」の要素がアップするようです。
あとは能力・・・か。

2009年4月8日水曜日

松井秀と秀喜

MLBが開幕しました。ヤンキースの松井秀選手が開幕戦でホームランを打ち、長嶋茂雄氏のホームラン記録を超えました。読売新聞のスポーツ面は、「秀喜 『まだ通過点』」という見出しです。アストロズの松井稼選手と区別するために、読売新聞では松井秀喜選手を表記する際に、松井秀と秀喜の両方を使っています。朝日新聞では、「秀喜」はなかったような気がします。
新聞では、スポーツ選手の愛称が見出しに使われることが時々あります。「イチロー」のような登録名の場合は別ですが、事実を伝える報道記事の本文に愛称が使われることはありません。
「楽天のマー君は7回3分の1を投げて、被安打3、1失点と好投した」では違和感があります。
事実は確かなもの → 確かなものは固いもの → 「田中」と「マー君」では「田中」の方が固いから報道記事では「田中」を使いましょう
という理由かどうかは分かりませんが、現役選手に敬称はつけず、引退後は「氏」や「さん」をつけるなど、報道記事にはルールがあるようです。
ところで、秀喜です。世代的に「ヒデキ」と言われるとすぐに「カンゲキ」してしまうのですが、読売新聞が松井選手を「秀喜」と表現すると、「本当はジャイアンツの松井だけど、ヤンキースに貸出してるだけなんですよー」と言いたい気持ちがあるのかな、と勘繰ってしまいます。もちろんジャイアンツ出身の選手に親しみをこめて「秀喜」と呼んでいるだけだと思いますが。
卓球の「愛ちゃん」、ゴルフの「さくら」・「遼くん」など、愛称には親しみがこもっていますが、なんとなく「みんなのもの」感があるときに使っているようです。「うちの○○ちゃん」という意識。
主観ですが、楽天の田中選手は、「マー君」度が下がっています。いつまでも、「マー君」じゃないだろうという感じ。ところが、野村監督が、「今日はマー君に尽きる」とコメントしても違和感がありません。
たぶん、野村監督にとっては、まだまだ、うちの「マー君」なのでしょう。

2009年4月6日月曜日

心境のヘンゲ

昨日、近所の公園をジョギングしていたら、満開の桜の中に一本だけ、紫に近い濃い桃色の花をつけている木がありました。たくさんの桜が連なる中で、遠目にみてもその木だけひときわ濃いピンクの花をつけていたので、立ちどまって眺めるとやはりソメイヨシノの木ではありません。
Yの字に分岐した太い幹から、真横に伸びた枝の先に濃い桃色の花が咲いています。同じ一本の木の別な枝には白い花がついていて、また別な枝にはうす桃色の花もあります。その樹木につけられたプレートには、「ゲンヘモモ」と書かれていました。花の色がヘンゲするモモかと思いましたが、ヘンゲモモではなくゲンへモモ。
桜の木の中に一本だけ混じった変わり種を見つけて、今年の花見は終了です。自宅に戻り辞書やパソコンで調べても「ゲンヘモモ」はありません。「ヘンゲモモ」もありませんでした。植物にもキメラ種があり、ひとつの木に複数の色の花を咲かせるものもあるそうです。植物のキメラは、接ぎ木によって作られるものと、体細胞の突然変異によって生じるものがあるとか。

これまでの人生、ジョギング中に花や木々をみて立ちどまることはなかったのですが、年を重ねると心境も変化するのかもしれません。

そういえば、あと1年で41歳の春です。これでいいのか。

2009年4月4日土曜日

カズと北澤

読売新聞に「北澤流Jリーグの楽しみ方」というタイトルの企画広告がありました。
最初の見出しに “J1、J2は順位なら1位から36位ということ” とあります。

Jリーグ関連のニュースには、試合結果の他に「カズ最年長ゴール記録を更新」など、J2での記録が取り上げられることもあります。J1とJ2がプロ野球の1軍、2軍とは全く違うシステムであることは理解していながらも、J1で達成した記録とJ2で達成した記録に「スゴさ」の違いを微妙に感じることがありました。たとえば、横浜ベイスターズの工藤投手が「イースタンリーグでの最年長勝利投手記録を更新しました」と言われても、あまりすごいとは感じられません。

Jリーグのキャリアサポートセンターによると、選手が現役を引退するときの平均年齢は26歳だそうです。40歳を過ぎて、ゴールを決めるカズのスゴさは十分に分かっていたつもりですが、Jリーグトータルで28位の「横浜FC」に所属するカズが決めたゴール、と考えると、そこはかとなく自分の中に漂っていた“2軍感”が消えました。なんとなくすっきり。

それでも、同世代の横浜市民としては、J1に復帰した横浜FCでのカズのゴールシーンを、やっぱり見てみたい。

2009年4月2日木曜日

迷宮入り?

阿刀田 高 氏の短編小説 『修善寺にて』(文藝春秋 ・ 『ストーリーの迷宮』に収録)を読みました。
この短編の主人公である「わたし」は、志賀直哉の『城の崎にて』を読んで疑問を抱きます。
『城の崎にて』は、山手線事故で九死に一生を得た志賀直哉が、温泉養生に行ったときに目撃した内容から生まれた小説です。城崎で志賀は、蜂の死体を見たあとに川で溺れる鼠を目撃します。そして、少し自分と離れたところにいたイモリを脅かしてやろうと石を投げると、命中して死んでしまった。そこに着想を得た志賀は、小説の中で死生観を語ります。
『修善寺にて』の主人公は、「ハチ → ネズミ → イモリの死が偶然に続くなんて、志賀先生、話を作っていますね。」と疑います。ほんとに見たんですか?がキーとなって物語は続きます。

そして最近読んだコラムを思い出しました。それは道ばたでお金を拾った経験について、筆者が心情をつづったコラムです。概要は、
・コラムの筆者は2度お金を拾った経験がある。
・50万円が入っているバッグを拾ったときは、もちろんすぐに交番に届けた。後日、落とし主のすし店主から「仕入のお金で、なくしたら大変なところでした」とお礼の電話があった。
・2度目は、2千円札を一枚拾った。面倒臭いという思いが先にたって、届けるべきか悩んだ。
純粋な道徳的観念よりも、ネコババしてもろくなことにならないという小市民的悲観が心の中にあった。 この「2千円問題」をはやく解決してしまおうと思って、交番へ急いだ。
というものです。

このコラムを読んだとき、いろいろなことを考えました。
ぼくは1000円札を拾って届けなかったことがあります。忙しいときに拾ってしまい、交番に届ける時間がありませんでした。「拾わなきゃよかったなー、めんどくさい」と思いつつも、こんどその場所に行ったときに交番に届けようという意思がありました。やがて、お金を拾ったことを忘れてしまいました。もう何年も前の経験です。が、結果的にネコババになっちゃったなーという嫌な思いが残り、ときどきチクっと痛みのようなものを感じます。ちょうど、前述のようなコラムを読んだときなど。
ネコババは、刑法254条の遺失物横領の罪にあたります。刑法の罪には原則として「故意」が必要です。拾ったときは届けるつもりだったので、その時は「故意」ではありません。長い時間が経過して、「いまさら届けても仕方ない。」と思ったとき、そこで罪として成立するはずです。たぶん。
たとえば10年前にお金を拾って、「後で届けようと思ったけどそのままになってしまったなあ」と、昨日読んだコラムで思し出したという場合はどうなるのだろう?
刑法なので公訴時効があるけれど、基準となる時期は拾ったときなのか、届ける意思を捨てたときなのか?
などと長考してしまいました。

そこへ『修善寺にて』の物語です。
「50万円もの大金を拾った経験のある人が、次に2千円札を拾った。自分の心の『2千円問題 』にけりをつけるために交番に急いだ」
出来すぎてるなー。作った話だとしたら、ずいぶんと 罪 つくり。

2009年4月1日水曜日

熱狂度

ビデオリサーチが発表する視聴率によると、WBCの決勝戦(日本 対 韓国)は平日昼間にも関わらず36.4%で、サッカーW杯アジア地区最終予選(日本 対 バーレーン)は、土曜の夜でしたが19.4%でした。
19.4 ÷ 36.4=0.5329 ということで、WBC決勝戦の熱狂度を100%とすると、W杯予選は53%ということになります。 そんな感じでした、ぼくの中でも。
個人的な熱狂度とテレビの視聴率に相関関係あると、なんとなく安心してしまいます。
個人の感覚と世間の感覚にずれがなかったことに安堵するわけですが、世間の感覚が視聴率に表れるものなのかは不明です。
「視聴率とは、わずか600世帯の視聴動向を調べて、それが日本全体を代表しているかのような・・・」
という議論もあるようですが、目安なので目くじらをたてないようにしています。

そんなわけで、ぼくのバーレーン戦に対する熱狂度は53%でした。W杯本戦に出場できる国や地域が32チームに増えてから、日本も本戦に出て当たり前のような雰囲気があります。しかし、ホームだった日韓大会を除くと、なかなか本戦で勝てないということは、世界の中での位置づけは、アメリカ大会に出場できなかった頃と変わらないのかもしれません。
「世界をあっと言わせたい」という岡田ジャパンに期待しましょう。

2009年3月28日土曜日

またひとつ賢くなってしまった

新聞や本などを読んで、知らない言葉や事柄あったら、できるだけ調べるように心がけています。知らないことを全部調べようとすると、辞書とにらめっこしているうちに一日が終わってしまうので、自分の琴線に触れたものしか調べられないのが現実です。

日本舞踊家の藤間紫さんが亡くなりました。“ 「濹東綺譚(ぼくとうきたん)」で92年の菊田一夫演劇大賞受賞”と新聞記事にあったので、 「濹東綺譚」は永井荷風の小説だったかな?と思って調べて見ると、「~ 随筆的構成のなかに作者の感慨を遺憾なく流露した後期の代表作」とありました。その小説を読んだこともないのに、やっぱり永井荷風だったと確認できて自己満足です。辞書の説明に「流露」とあったので、「リュウロ」 or 「ルロ」?今度は 読み方を確認しました。「リュウロ」が正解です。
またひとつ賢くなりました。辞書は「愛情の流露している手紙」と使い方まで示してくれています。
「あれ、この言葉、前に調べたっけ?」調べた言葉は手帳に残しているので、今度は手帳をめくり返します。永井荷風 → 濹東綺譚 → 流露の順番で調べてました。
賢くなったつもりが、脳の老化が確実に進行していることを実感しただけの朝でした。

ちなみに、琴線(きんせん)を長い間、「ことせん」と読んでいました。「ことせん」だと信じきっていたので、辞書を引いたこともありません。ある日の会話で、後輩から「キンセンですね」と指摘されたときはかなり恥ずかしかったものです。これくらい恥ずかしい思いをすれば、記憶にも定着するようです。

2009年3月27日金曜日

余韻

「WBCに夢中 教諭が部活顧問せず」とYahoo!のトピックスにありました。 タイトルだけ見て、内容は読んでいませんが、

許す!

2009年3月25日水曜日

選手の起用法

WBCは日本の2連覇で幕を閉じました。
シビれるゲームでしたね。昨夜は、久しぶりにスポーツニュースをハシゴしました。

代表チームが称賛されることは当然であり、勝因もいろいろなところで語られているとおりだと思います。そんな中、原監督の選手起用法に唸りました。「うーん、すごい」とテレビに向かって独り言をいったのは、栗原選手の名前がスタメンにあるのを見たときです。33人から28人に代表候補メンバーを絞ったときに、原監督は「削る作業ではなく、33人から28人をピックアップした。日本に残っているメンバーもジャパンのメンバーである」と表現しました。栗原選手は、代表合宿が終了した夜も日本代表の一員という自覚をもってバットを振ったといわれています。
横浜の村田選手がケガをしたあと、原監督はすぐに栗原選手を緊急召集しました。そして、準決勝は代打、決勝戦はスタメンで起用しました。決勝戦ではチャンスに凡退し、韓国の投手が左から右に変わったところで、稲葉選手と交代になりました。栗原選手は結果を出せませんでしたが、いつか原ジャパンに貢献できるサムライになりたいと強く思ったことでしょう。
ジャイアンツの大砲主義的なFA補強は好きになれませんが、原監督の下で、亀井選手や坂本選手などのはえぬき選手が育つ理由がわかったような気がしました。

2009年3月24日火曜日

決勝戦

WBCは5度目の日韓対決で、ついにチャンピオンが決定します。
NHKの野球解説者は
「ここまで来れば、ある程度国民も納得する。あとはのびのびとプレーして優勝してほしい」
とコメントしました。
たしかにここまで来れば、あとは文句言わんから委縮せずに、はつらつとしたプレーを見せてほしい、という気持ちも分かります。しかし、この大会を見て感じたことは、「勝ちたい気持ちの強い方が勝つ」という勝負の世界でよく聞く言葉の重要性です。大会前の盛り上がりや選手の意識が、国によって違うと言われていましたが、結果的に「熱い」国が勝ち上がりました。
MLBの恣意的な組み分けと断定はできませんが、2次ラウンドは真剣組(日本・韓国・キューバ・メキシコ)とお祭り組(アメリカ・ベネズエラ・プエルトリコ・オランダ)に別れていたような気がします。結果的に最も気合いが入っていると思われる日韓が決勝に進みました。日韓と同じプールに入ったキューバが割をくった格好ですが、大会が始まる前にキューバは楽なプールと考えたかもしれません。
準決勝の2試合をニュース映像でみる限り、簡単なミスがアメリカ・ベネズエラの敗因になっていました。「気合いが足りない」というと精神論になってしまいますが、気持ちを高揚させることができず、アドレナリンの分泌が足りなかったことが簡単なミスを誘発したという分析もできます。科学的にはそんな分析が成立するのかは保証の限りではありません???

さて、決勝戦にたどりついてホッとする選手のメンタリティーをぼくは理解できてしまうタイプなのですが、トッププロの中でもスーパーがつくような選手は、優勝する前にホッとすることなどあり得ないような気もします。
優勝したあとにだれかその辺のことをコメントしてくれないかなあ と思いつつ、今日は仕事をサボってみてしまおう。

2009年3月22日日曜日

ほしいもの

優れた芸術活動を表彰する「第1回伊丹十三賞」を、コピーライターの糸井重里氏が受賞しました。“1日に140万件のアクセス数を誇るホームページ「ほぼ日刊イトイ新聞」の功績が称えられた”そうです。
「ほぼ日刊」のタイトルながら、毎日更新されるエッセイをしばしば読んでいます。読者の期待に応えるエッセイを10年以上一日も休まずに更新していることに驚きますが、そこに「本物」とか「実力」を感じます。

「ほしいものが、ほしいわ。」
糸井重里氏が作ったCMコピーはたくさんありますが、ぼくが真っ先にに思いだすのは、これです。
記憶がさだかでないのでネット上で調べてみると、1988年に西武百貨店向け作られたようです。
いわゆるバブル経済が始まったころで、株や土地の値段がどんどん上がり、お金さえあれば何でも買えるという風潮に対して、「じゃあ、ほんとうにほしいものってなんなの?」と問いかけているコピーだったような気がします。

自動車を買えるのは大金持ちで、テレビを買う前に先ずは洗濯機、子供にとってグローブは夢の一品という時代がかつてありました。経済成長の途上にあったころの日本には「ほしいもの」がたくさんあって、それを買った時の喜びは今とはずいぶん違ったのでしょう。
バブルがはじけて、失われた10年があって、実感のわかない戦後最長の好景気が終わりました。この間に、電話は携帯できるようになり、パソコンが普及し、車にはナビゲーション機能がつきました。どれも技術革新によるすばらしい商品なのですが、買った瞬間に達成感が満たされるような「どうしてもほしいもの」ではなかったような気がします。

そして気がつけば、100年に1度と言われる大不況の真っただ中。「ほしいものは、明日の仕事」という 時代が終わったとき、ほんとにほしいものが見つかるのかもしれません。

2009年3月18日水曜日

球数制限と登板間隔

WBC2次ラウンド、韓国に敗れた日本は、明日の試合(日本時間:19日12:00開始)で4強入りをかけ、キューバと対戦します。登板間隔の特別ルールにより、松坂とダルビッシュはもう2次ラウンドで投げることはできません。しかし、キューバも主戦投手が投げることはできないので、岩隈を残している日本が有利という予想もあります。

では、希望的観測による今後のWBCを予想してみましょう。

19日 日本 VS.キューバ 【日本の勝利】
19日 アメリカ VS.ベネズエラ 【アメリカの勝利】
(アメリカが2組1位通過)
20日 日本 VS.韓国 【韓国の勝利】(日本は1組2位通過)

準決勝
22日 日本(1組2位) VS.アメリカ(2組1位) 【日本の勝利】
23日 韓国(1組1位) VS.ベネズエラ(2組2位) 【韓国の勝利】
(日本にっとては、一日の休み)

決勝
24日 日本 VS.韓国 【日本の勝利】
韓国との対戦成績は2勝3敗ながら、日本がWBC連覇!

たぶん、MLBの人がこれと同じようなのシミュレーションをして、2次ラウンド2組1位のチームが最も有利になるような大会日程を作ったのだと思います。

ところでWBCの球数制限と登板間隔の特別ルールですが、日本の高校野球にこそ適用した方がいいのでは?

2009年3月15日日曜日

睡眠周期

多くの人は深い眠りと浅い眠りが90分周期で繰り返されるそうです。眠りに入ってから自然に目覚めるまでの時間を割り算して概ね90で割り切れれば、その人の睡眠周期は90分だそうです。眠りに入り始めた時間が12:00なら、その直後、1:30、3:00、4:30、6:00、7:30が眠りの浅い時間になります。従って、この時間に目覚まし時計をセットすると寝覚めがよく、眠りの浅い時間から30~40分後に起きようとするとアラームに気がつかないとか、どうしても二度寝したくなってしまうようです。
睡眠時間の周期は人によって違うそうですが、ぼくの場合は90分でした。30代の前半までは、目覚まし時計がないと10時間以上中断なしで寝ていることがよくありましたが、30代の終わりころになると、6時間くらいで自然に目が覚めることが多かったような気がします。4時間か5時間しか睡眠時間が確保できないこともよくありましたが、起きるのがつらいのは睡眠周期に逆らっていたからかもしれません。これからは、短時間睡眠の場合は、4時間半後に目覚ましをセットすることにしてみましょう。
昨夜は、珍しく21時に眠ってしまい、今朝は6時に自然な目覚め。とても快適な朝を迎えました。久しぶりに有意義な日曜日をすごせそう。
(睡眠時間の周期については、ALL About 「睡眠・快眠」などのHPを参照しました。)

2009年3月13日金曜日

お決まりと変化の関係

いつもきまったパターンで生活できる人がいます。きまった時間に就寝して、いつもどおりに起床し、定刻の電車に乗る。余裕をもって職場につき、準備を整えていれば、ときどき起こる非常事態にも落ち着て対応できるというものです。
ある運送会社で、ほとんどトラブルを起こしたことがない運転手が、その秘訣を尋ねられると
「毎日、しっかり、朝メシを食って、クソとしょんべんをしてから、運転しているだけだ」と答えたそうです。ほかのドライバーにも同じことを徹底させると、事故の発生率が下がったそうです。

一方、いつもと少しだけ違う道を通って駅に行ったり、通勤ルートを少し変えてみるだけで、脳が刺激され、新しいアイディアが浮かんだり、困難な課題の解決のヒントがひらめいたりするそうです。ワンパターンだけで行動していると、脳は活性化しないようです。

どちらか一方が正しいのではないのだと思います。
仕事において、継続的にヒットを飛ばしている人は、型にはまったスタイルを持ちつつ、新しい方法や改善策を発見するための刺激を受ける状況を、自ら作り出しているのでしょう。

2009年3月12日木曜日

記憶のない人

3月9日の国会答弁で、官房副長官が「特定の政党、特定の政党の議員について、検察の捜査が及ぶか及ばないか、それについて申し上げた記憶はない」と発言しました。
数日前に新聞記者に話した内容を忘れてしまう程度の記憶力で、政府の要職についてはいけません。
「風邪薬とワインを一緒に飲んでしまったので、少し朦朧としていまいした。ごめんなさい」と答弁したら、記者団も許してくれたでしょう???

2009年3月11日水曜日

WBCの主催者

WBC1次ラウンドを、日本は2位通過しました。ダブル・エリミネーションという変則トーナメント方式ですが、他の競技でも、この方式を採用することがあるようです。1回負けたら終わりの通常トーナメントの方が分かりやすいのですが、はるばる南アフリカからメキシコまでやってきて1試合で終わりというのもさびしい気がします。予選は、サッカーのようなリーグ戦も考えられますが、野球には得失点差や失点率という考え方がなじまないので、ダブル・エリミネーション方式がいいのかもしれません。コールド勝ちしたときの得失点差が考慮されるなら、韓国に対しても、だだいぶ貯金があったはずですね。

ところで、2次ラウンドには日本、韓国のほかに、キューバ・メキシコ・オーストラリアのうちの2チームが同じプールに入ります。(南アはすでに敗退)キューバが残った場合、前回WBCチャンピオンの日本・北京五輪金メダルの韓国・両大会で準優勝のキューバのうち1チームが姿を消します。1次ラウンドで同じ組のチームは最大で5回対戦する可能性があり、C組・D組のチームとは準決勝まで当たらないシステムというのは、トーナメントを作った人の恣意が入りすぎています。

こんな大会はおかしい!と言いたいところですが、MLBが主催する大会であることを承知で参加しているのがつらいところです。アジア地区の1次ラウンドだけは読売新聞社も共催しているため、韓国や台湾のチームはアウェイでの戦いを余儀なくされています。
そういえば、ドラゴンズの選手が全員代表入りを辞退して物議をかもしたとき、中日のオーナーは、「あれは読売さんの大会ですから」とコメントしていました。
中立機関の主催でない大会への出場を支持する限り、運営については文句を言えません。WBCを公正な大会にするには、優勝して発言権を強くし、主張するしかないようです。

2009年3月8日日曜日

パーティー券とは

政治資金規正法違反に関する事件と疑惑で、与野党が揺れています。

ノアの方舟に乗れる最後の一人を決めるのが政治家だったなら、毎年多額の献金をしているAさんと献金したことのないBさんでは、選ばれるのはAさんでしょう。政治献金する人のほとんどは、なにがしかの利益につながることを期待していると思います。従って、政治家への献金制度は廃止して、政治に必要なお金は政党助成金などの公金でまかなうべきです・・・・。というキレイゴトはおいといて。

パーティー券をたくさん購入してもらった議員が「法的には問題ないが、道義的に返却するのが妥当」と発言しています。ところが、購入してくれた政治団体が解散しているので、だれに返すべきかを法律のプロと相談しているそうです。
海外から運んだ裏金がパーテイー券購入の原資になっているようなので返してしまおうというのは分かる気もしますが、うーん、いろんな疑問が浮かんできます。
・たとえば、振り込め詐欺で作った金がパーティー券の購入原資だったら、犯人に返すのか?
・金の出所をいちいち詮索しないというなら、反社会的な人がパーティーにきても不審に思われないのか?
・パーティー会場で名刺交換したら、「西松建設」じゃなくて「政治問題研究会」の名刺だったのか?
・会話してるうちに、建設業界の人だと気づかないのか?

などなど、西松建設とダミー政治団体のつながりを知らなかったと強弁するには、献金よりもパーティー券の方が分が悪いようです。
どちらも真っ黒だとは思いますが。

2009年3月6日金曜日

内部からの改革

“大相撲春場所の新弟子検査が行われ、応募したのは過去最低の41人にとどまった”という報道がありました。過去最高は160人で若貴人気のころだそです。近年の相撲協会の不祥事も、人気低迷につながっているのでしょう。
知人が運営するポータルサイト(http://www.shene.jp/)を見ていたら、柔道の山口香さんのブログがありました。今年になってから開設されたブログのようですが、「柔道を考える」というタイトルのもと、山口氏の考える柔道界の改革や、柔道の発展を願う気持ちがつづられています。山口氏は、現在でも全日本柔道連盟の女子強化委員を務めていますが、ブログでは柔道界の過去の内紛を歴史として振り返ったり、現在ある問題解決のための提案がされています。全柔連内部には、苦々しく思っている人もいるかもしれませんが、発信力のある人が自由な意思を表明できていることに、意義があると思います。相撲協会内部にも、活発な議論があるのかもしれませんが、なんとなく閉鎖的な印象を受けてしまいます。
自由闊達な議論を戦わすことができて、なおかつ一枚岩であることは難しいものですが、組織の発展には欠かせない要素でしょう。

2009年3月5日木曜日

紅白歌合戦について(その2)

季節感がまったくありませんが、NHK紅白歌合戦の出場者について、なんでこの人が?と思う歌手がときどき出演します。
ぼくがそう思うだけで、世間的には納得の人選なのかもしれません。文句があるなら見なければいいだけなのですが、大晦日になると「なぜ?」と思ったことも忘れて、酒を飲みながら見ています。そして、今ごろの時期になると、去年の紅白にだれが出ていたのかあまり覚えていません。ジェロは出てましたね。ぱっと思いついたのがジェロでした。

ワールドベースボールクラッシック(WBC)に、なぜ南アフリカが参加しているのだろう?
フランスに声をかけても「私は出場したくありません」と言われてしまうからかな?
などと思っているうちに、紅白の出場者と同様に主催者マターななんだろうな、との考えに至りました。

もうすぐ東京ラウンドが始まります。

2009年3月4日水曜日

お家芸

読売新聞のスポーツコーナーに、「お家芸」について書いてありました。体操ニッポンが「礼節」を世界に広めたことや、相手に感謝する気持ちが「礼」となって表れるのが柔道だと記載されています。
「礼」という言葉を使うと日本独特のもののように感じますが、どこの民族にも感謝や尊敬の気持ちはあります。それをお辞儀の形で表わし、「礼」と表現することが、日本や儒教思想の特徴なのかもしれません。
元気な挨拶やお礼の言葉を盲目的に強制するのは意味のないことですが、高校の部活動などを訪問すると、挨拶がきちんとできるところに強い部が多いのも事実です。スポーツに限らず、社会にでてからも挨拶ができている人ほど、仕事もしっかりこなします。
「今の若者に、挨拶することの意味と理由を、相手が納得できるように説明することは大人にとっても難しい」という若者論を読んだことがありますが、相手に対する感謝や尊敬の念を自然に伝えることが挨拶だと思います。感謝や尊敬できない人には挨拶をする必要がないのか?と質問する人には「そうですね」と答えておきましょう。
勝負の世界で結果を残している人に共通するのは、
・負けず嫌いであること
・よく考えること
・感謝の気持ちを持っていること
だと最近よく感じます。

2009年3月2日月曜日

世論調査

2月28日の朝日新聞に、内閣支持率が新聞社ごとに違う理由が書かれていました。昨年8月の福田内閣が改造した直後に調査した結果では、朝日新聞の24%に対し、読売新聞では41%と大きな違いがあった事を検証しています。大きな理由としては、次の二つだそうです。
1)朝日新聞は、支持・不支持・その他を、一度聞いたら終わり。読売新聞の場合は、「その他」と答えた人にもう一度質問をして、「どちらかと言えば、支持」と答えた人は支持とカウントする。
2)読売新聞は、「内閣改造した福田内閣を支持しますか?」と質問し、朝日新聞は前置きなしで、「福田内閣を支持しますか?」と質問する。

朝日の記事に、どちらが正しいとは書いてありません。個人的には1)の質問の仕方については朝日を、2)は読売を支持します。「朝日と毎日」 、 「 読売と日経」が似た質問の仕方をしているとありましたが、各社の論調を組立てるのに都合のよい数字を導く質問の仕方のような気がします。
そういえば、 野球特別大使に就任した王貞治氏が麻生首相を表敬訪問した翌日、読売新聞の一面には二人のツーショット写真が大きく載っていました。一方、朝日新聞では2面に小さく文字だけの記事として扱われています。ここにも論調の違いが表れているのでしょう。
「新聞の記事は偏っている」ことは当たり前だと思って、総理大臣にはいろんな新聞を読んでもらいたものです。

2009年2月27日金曜日

WBCでハリキるイチローは正しい

3月5日から第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)が始まりす。代表合宿や練習試合に大勢の観客や報道陣が集まり、国内での注目度は極めて高いようです。一方で、「アメリカの野球関係者やファンの間では、WBCが真の世界一を決める大会だとは認められていない。」という声も聞こえます。アメリカの大衆紙といわれるUSA TODAYが運営するウェブにWBCを扱う記事は少なく、またNY TIMESのウェブでは、「WBCに入れ込む日本の代表合宿が始まった」というタイトルのコラム(2月17日付)が掲載され、日米の温度差を指摘しました。本場アメリカが一種のお祭りと考えているものに、必死になって取り組む姿勢は恥ずかしいような気もしますが、大会の重みは当事者の価値観によって異なります。これは日本シリーズの後に行われるアジアシリーズを想像すると分かりやすいかもしれません。アジアシリーズは、日本一になったチームと韓国・台湾・中国の代表チームがアジアナンバー1の座をかけてプレーする大会ですが、日本中が熱狂して応援する大会にはなっていません。アジアシリーズでは、けがを押して日本シリーズを戦った選手は大事をとり、外国人選手には帰国しているケースもあります。この大会で、もし日本のチームが敗退したとしてもファンの落胆の度合いは小さいでしょう。例えば、韓国チームが優勝したとすればこう言うかもしれません。
「日本は、若手主体のメンバーだったからね。ベストメンバーで戦えば、負けることはないよ。そもそも、お祭りみたいな大会にそんなに熱くなる方がおかしいのさ」
韓国側は、それを、負け惜しみと言って、こちらが本気になるまで、挑発してくるでしょう。
「WBCでのイチローはなぜ熱いのか?」その疑問に対する答えも、そこにあるのではないでしょうか。ハリキってチームを引っぱり、ライバルチームを挑発し、本気でぶつかりあって、世界一を奪う。「熱いのはアジア地区だけ」では、WBCが育ちません。

2009年2月24日火曜日

WBC代表メンバーと文字メディア

WBCに出場する最終メンバーが固まり、合宿に参加していた33人から28人に絞られました。原監督は、「削る作業ではなく、28人をピックアップする作業」と表現しました。ストレートに応援したくなる原監督の人のよさが出ているようでもあり、毒を吐かない面白みのなさのようにも感じました。
落選した選手のコメントを新聞で読むと、「代表から離れても、気持はメンバーと同じ。連覇を勝ち取ってかえってきてほしい」(和田選手)、「やれることはすべてやった。納得している」(松中)などと書いてあります。TVでは、アキレス腱に痛みを抱えていた松中選手が、怪我の状態が選考に影響したと思うかと質問され、「それは、まったくない。怪我が理由だとしたら、非常にショックだ」と語気を強め、悔しさのにじんだ様子が映っていました。

「やれることはすべてやった。納得している」
「怪我が理由だとしたら、非常にショックだ」
どちらも松中選手の言葉ですが、新聞記事として紹介するとき、上なら解説不要ですが、下の場合は背景を説明する必要が生じます。紙面が限られるため上の言葉を使わざるを得ないのでしょう。
活字メディアと映像メディアでは受け止め方に差がでます。どちらか一つを選びなさいと言われたら映像メディアを選ぶかもしれません。しかし、活字や文字による情報伝達の手段が消えることはありませんし、文字だから伝えられることもあります。テレビカメラが回っているときの発言は、基本的にその言葉が公表されることを前提に、話者は心を構えています。一方、記者やライターと話し手のやりとりでは、話したことすべてが、活字になるわけではありません。そのとき、建前ではないその人の本質が表れることがあります。もちろん本人が公表したくない言葉は通常記事にはなりませんし、記者やライター相手に話す言葉には常に注意を払って発言する人もいます。
それでも、活字や文字だからこそ伝えられるものを探していきたいと思います。

2009年2月23日月曜日

読者の声

長い間、日経新聞をとっていたのですが、現在は、朝日新聞です。図書館で日経や読売を読むこともありますが、日経新聞には読者の投書欄がないことに気づきました。
15年以上とっていたのに、そのことが気にならなかったということは、やはり日経新聞には必要なかったということですね。
朝日新聞の「声」、読売新聞の「気流」は読者の投書欄です。昔から実家は読売新聞だったので、ときどき投書欄も読んでいましたが、読売の投書欄と朝日の投書欄では質が違うようです。読売の投書には、「ほのぼの」とした内容が多く、朝日の投書は「怒り」や「批判」が多いような気がします。
いわゆる「保守層」と「革新層」で読者が分かれている傾向があるのでしょう。

いつも朝日新聞だと考え方の傾向にも影響がありそうなので、来月からは読売新聞に変えてみました。
ジャイアンツの記事が多すぎることには目をつぶります。

2009年2月20日金曜日

かんぽの宿から合宿寮へ?

今から7~8年前のことですが、那覇市にある「かんぽの宿」に泊まったことがあります。仕事の関係上便利な場所にあり、値段も安かったので大いにたすかりました。しかし観光に最適な立地というわけではないので、民間の施設として単独で経営を黒字化するのは大変だったかもしれません。
その宿のことではないかもしれませんが、旧郵政公社が一括売却した物件のうち、買い手が1000円と評価していた土地と施設を、高校野球の強豪校・沖縄尚学を運営する学校法人が4900万円で購入したと報道されています。
繁華街や観光地から離れていて、交通の便が悪いところは、不動産としての価値は通常低いものです。ところが、野球やサッカーなどで全国大会を目指す高校にとって、スポーツに没頭するしかない環境は、最適な環境だそうです。沖縄尚学にとっては適切な価格での購入だったのでしょう。
一般企業が、4900万円で売れる施設を1000円で売却してしまったら、経営者は株主代表訴訟で訴えられてしまいます。日本郵政の株主は現在のところ日本国。総務大臣が株主を代表して、オリックスとの一括売却契約に待ったをかけるのも当然です。

2009年2月19日木曜日

最後の自己啓発

「夢をかなえるゾウ」という本を読みました。100万部を軽く超えるベストセラーです。
関西弁をしゃべるインドの神様「ガネーシャ」が、ごく普通の主人公「僕」に教えを説き、それを実践する主人公が成功していく物語です。
「ガネーシャ」と「僕」の掛け合いが軽妙で斬新なスタイルの自己啓発本ですが、内容はありきたりで、ちっとも目新しいことはありません。

なんちゃって・・・。偉そうに書きましたが、楽しく読んで、結構「やる気」になりました。
本の最後に、偉人伝や成功を収めるためのノウハウ本が参考文献としてたくさん挙げられています。本文の中にも、“自分の教えに新しいことはなく、あなたが既に持っている本に書かれているのと同じことを言っているだけだ”という趣旨のガネーシャの発言があります。

読んで、忘れて、また読んで。今度こそ実践あるのみです。

ある編集者が言っていました。「人間は飽きっぽくて忘れやすい。ダイエット本は永遠なり」
自己啓発もある意味永遠ですが、いつも新鮮では困ります。

2009年2月18日水曜日

「思案して飲んでも酒にまた飲まれ」昔からある川柳だそうです。酔った上での失敗が数々あるのですが、思い出すたびに最悪の自己嫌悪に陥ります。
「もうろう会見」が原因となって中川財務・金融相が辞任しました。
「風邪薬を多めに飲んだ日に、ほんの少し口に含んだワインがあんな効いてしまうなんて」という後悔なら、自己嫌悪の度合は低くてすむかもしれません。
しかし、「実写版 バカぼんパパの記者会見」のようなあの映像が流れるたびに、自分史上最悪の自己嫌悪にさいなまれるであろう中川氏が気の毒にさえなります。

健康を維持するためのアルコール摂取量目安といのうが、ときどき新聞や雑誌に掲載されます。日本酒の場合、2合以上を毎日飲むと発がんリスクが高まるとか、毎日1合程度で週1回の休みを設けるなら、たまには3合くらい飲んでも問題ない、など諸説あるようです。
概略ですが日本酒の1合は、ビールならロング缶1本、焼酎なら0.5合に相当します。このときのアルコール量を1単位として、「1か月30単位を上限にせよ」という記事がありました。1日5単位くらい摂取してしまうことがよくあるぼくにとっては、「ありえない」数字でしたが、あるとき「1か月40単位上限制」を自分に課しました。以来その制限を厳守しています、とは言えないのですが、全く飲まない日が爆発的に増えました。結果的にゆっくり休める日の前夜以外はほとんど飲まなくなりました。おかげで、平日午前の稼働効率UPです。
月の下旬に飲み会の約束が入ると40単位オーバーが明らかとなり、翌月の単位を前借りしたくなります。このままでは、人生最後の3年間は一滴も酒が飲めないということにもなりかねません。未来のぼくにつけを回したくないので、なんとか早く借金返済しなくては。赤字国債の乱発は、未来の日本人に借金のつけを回しているのと同じなのです!!! ?
そういえば、中川財務相は積極的な財政出動派でした。飲んだ勢いで「公共投資いっちゃう?」なんてことはありえないですね。

2009年2月16日月曜日

青梅マラソンと応援の熱狂指数

コニカミノルタの黒崎拓克選手が、青梅マラソンで優勝しました。30kmを1時間32分50秒の好記録で快走しました。1kmを3分6秒で走るペースなので、同じスピードでフルマラソンを走れば、2時間10分35秒という計算になります。30kmからが本当の勝負といわれるフルマラソンですが、起伏の激しい難コースの青梅で、8月の世界陸上(ベルリン)代表に内定している入船選手(カネボウ)を抑えての優勝はみごとです。23歳の彼が実力アップすれば、初マラソンで2時間10分を切ることも不可能ではありません。ロンドン五輪へ向けて、期待の新星誕生です。
と、持ち上げるのは黒崎選手がぼくと同じ高校(栃木県立大田原高校)の出身だからです。2008年の正月、箱根駅伝を初めて沿道で応援したのですが、東洋大学の4年生として2区を走る黒崎選手は、さっ爽とした走りを見せてくれました。
個人としてはなんの関係もないのに「同じ高校」というだけで応援したくなるのは不思議なものですが、オリンピックで日本の選手やチームを応援するのと同じ気持ちでしょう。
同じ国、同じ県、同じ学校、同じクラス と同質性の輪が小さくなるほど、応援の熱狂指数が上がって行くような気がします。自分の子供がオリンピックに出るなんてことになれば、たとえリオデジャネイロで開催されることになっても、応援に行くでしょう。

“人はなぜ人を応援するんだろう?”というコピーのCMがありました。究極の同質性=自分自身のクローンだったりして、と考えたらなんだかいやになってしまいます。
応援しているつもりだけど、かわいいのは結局、自分?

そんなわたしで、ごめんね、ごめんね~ 。(U字工事も同窓でした)

2009年2月14日土曜日

オバマ VS. 石原

朝日新聞・夕刊の一面に「素粒子」というコーナーがあります。2月14日の「素粒子」の一部をそのまま引用すると“シカゴの「顔」がオバマ米大統領なら、東京の「顔」は石原都知事。なんか勝負ついてるような感じもする夏季五輪招致。”とあります。
オバマ米大統領と石原都知事の人気を世界各地で調査したら、圧倒的な差がつくことは間違いありません。
以前このブログに理由を書いたのでここでは省略しますが、ぼくは2016年に東京で五輪を開催することに賛成です。それでも、新聞やその他のメディアが論戦を張り、最終的に東京へはオリンピックを招致するべきでないという意見が多数なら、招致すべきではないと思います。
ところで、今日の朝日新聞朝刊の一面トップの見出しは、「五輪本命 東京VS.シカゴ」とあり、マドリードやリオデジャネイロとともにそれぞれの都市のアピールポイントと弱点が記載されています。
シカゴのアピールポイントには「オバマ大統領の地元」と記載され、東京の弱点には「招致の顔が不在」との記述があります。
駅のスタンドで新聞を買う時、どの新聞を買おうか迷っている人にとって、見出しは重要な要素です。朝刊の見出しが、「シカゴの顔 オバマ VS.東京の顔 石原 ・ すでに勝負ありか」と書いてあれば売上部数や購買層に差がでたはずです。ひいきのチームが勝ちそうな時と負けそうなときでは新聞を買う意欲に差がでるものです。

新聞記事にいちいち目くじらをたてるのは、当事者かヒマ人のどちらかです。後者のぼくですが、「“信頼感が一番大切”なのは政治家ばかりではない」というのが今日の読後感想文でした。

2009年2月13日金曜日

首相の発言と新聞の論調

郵政民営化見直しをめぐる首相の発言について、郵政民営化を推進した元首相が発言しました。
引退を宣言している身ながら、とうとう我慢できなくなってしまったのでしょう。
麻生総理の「本当は賛成じゃなかった」発言を、最初に知ったのは、ネット上に配信されたニュースからでした。
「すごいこと言うなー、これで再び解散モード?」と思いつつ新聞を見ると、あまり大きな記事として扱われていません。読んだのは読売新聞でした。家に帰って朝日新聞を読んでみるとかなり大きな問題として叩かれています。
読売新聞を読んだときは、世の中的にはそれほど大きな問題になっていないのか?と感じましたが、朝日新聞を読むとやっぱり大問題のようです。
読売と朝日の論調の違いなので、どちらの姿勢が正しいとは言えませんが、マスコミの報道の仕方で受ける印象が大きく違ってしまうことは確かです。
今回の報道について、個人的には「朝日派」ですが、この出来事でここまで大々的に取り上げる?と朝日新聞に対して思うこともたびたびあります。
なので、時々違う新聞をとっています。読みなれた新聞を変えると、それなりの違和感があるのですが、これも頭の体操のうちかもしれません。

2009年2月11日水曜日

フェルプスのことは忘れろ!

今年の5月から裁判員制度が始まります。裁判員制度の対象となる事件は、殺人罪や強盗致死傷罪などの重大事件なので、若者が大麻吸ったからといって、その事件を一般の人が審判することはありません。

大相撲の若麒麟は大麻共同所持の疑いで逮捕され、その後、相撲協会から解雇さました。退職金が出ない「除名」ではなく、退職金をもらえる「解雇」処分であったことが甘いとして相撲教会は非難されています。不祥事続出の相撲協会に向けられる目は当然厳しくなります。
海外では、北京五輪8冠のマイケル・フェルプス選手が大麻を吸引している姿が報道されました。フェルプスは「自分の過ちは理解している」とコメントし、米国の水泳連盟は3か月間の出場停止処分を決めました。朝日新聞の記事には「大麻吸引疑惑が報じられたが、明確なドーピング違反を犯したわけではない。国民的ヒーローに自らの役割を自覚させるための異例の措置となった」とありました。文脈から考えて、「異例の“甘い処分”になった」という意味ではないようです。
再び国内に戻ると東芝・ラグビー部のロアマヌ選手に大麻疑惑が生じています。検査の結果でクロが確定すると、東芝は日本選手権の出場を辞退する意向を表明しています。この場合、選手個人に対する処分は「3か月間の出場停止」ではすまないでしょう。
では、日本の国民的ヒーローが大麻事件を起こしたら、その競技から永久に追放されるでしょうか?
同じ罪でも、犯した人によって罰(社会的制裁)の大きさが違ってしまうような気がします。

もしも、各界の国民的ヒーローが大麻事件で裁かれたら???
大相撲界 : 永久追放
その他のスポーツ界 :
・最初に裁かれるのがスパースターなら:ほとぼりがさめるまで出場停止
・最初に裁かれるのが無名選手なら:無期限出場停止または永久追放
政界(にヒーローがいるとして) : 永久追放
パンクロック界 : すぐにでも出演可能

ぼくが裁判員だったら、気分しだいな判決を出してしまうかもしれませんが、コンプライアンスな世の中はそれほどあまくありません。
フェルプスのことは忘れて、大麻を吸ったら永久追放されると思いましょう。

2009年2月8日日曜日

学級委員と徒競走

ある公立高校の野球部監督から話を聞く機会がありました。神奈川県から夏の甲子園にでるためには、7回または8回の予選を勝ち抜く必要があり、全国有数の激戦区と言われています。横浜高校や桐蔭学園などの私立強豪校がたくさんあり、戦後に甲子園出場経験のある公立高校は5校しかありません。
その高校は甲子園大会に出場したことはありませんが、夏の大会で準優勝したこともあり、本気で甲子園を目指す「熱い」練習は365日休みがありません。監督と部長が部員の体調をチェックし、必要な選手には適宜休みをとらせるそうです。すべての部員が甲子園を目指して入部してくるわけではなく、なんとなく野球部に来た生徒に高い目標を持たせることがなかなか大変だそうです。
「小学校時代に“お手てつないで徒競走、なかよくみんなでごゴールイン”という教育を受けてきた子供たちに、部内で競争してレギュラーをとれ、他の学校との競争に勝って甲子園を目指すんだと教えるわけですから、大変ですよ」
という話を先週聞いたのですが、今日の新聞に「鳥取の小学校で約20年ぶりに“学級委員長復活”」とありました。リーダーを選ぶのではなく平等を重視すべきだとの考え方から、学級委員長をおかずにいたそうです。順位をつけない徒競走の話は聞いたことがありましたが、学級委員長のいない学校が珍しくないとは知りませんでした。
会社には社長がいますし、自治体には知事や市長がいます。ほとんどの組織にはトップがいて、ほとんどの社会には競争があります。小学校において競争を排除することが「悪平等」とは言いませんが、社会を学ぶ場の基礎として、学級委員や一等賞があってもいいと思います。

2009年2月5日木曜日

餃子の数

なかまうちで、餃子の大食い大会をしたことがあります。餃子がおいしいと評判の店に集合して、もくもくと餃子を食べ続けます。ビールを飲むと食べる数が減るので、のどを潤す程度にしか飲みません。普段なら、うまいビールを飲むための、最適なつまみが餃子であるわけですが、この日ばかりは主客転倒しています。つくりが大きいその店の餃子を、35個以上食べた人は支払免除されます。食べられなかった人が、全員の飲食代をワリカンするルールなので必至で食べ続けます。ビールがうまいわけではなく、餃子を味わうこともできません。なんのためにそんなことをするのか?と問われれば、「そこに餃子があるから」としか答えようがありません。なんとか35個をクリアしたもののそこから先には進めませんでした。軽く80個をクリアした猛者が優勝しました。過去には100個以上食べたこともあるそうです。
さて、2007年に餃子を100個食べた人が、2008年に食べた数はいくつでしょう? 区分別に61個、90個、69個、59個、48個、133個、が答えでした。
これは、朝日新聞(2月5日)にあった「ギョーザ事件から1年」の特集記事による数字です。2007年に購入した冷凍ギョーザの数を100とすると、2008年に買った冷凍ギョーザはいくつになるかを調査した結果です。従って07年の大食い大会で、100個食べた人が08年の大会では何個食べたのかを回答したものではありません。しかし、話の流れでこのままいきましょう。上で「区分別に」と書きましたが、08年に61個食べた人は年収1500万円以上の人です。90個が年収1000万円以上、以下順番に、69個:800万円以上、59個:600万円以上、48個:400万円以上、133個:400万円未満。
中国製冷凍ギョーザ事件で在庫が拡大。価格の下がった商品を、雇用や収入に不安をかかえる層が購入した結果だと分析されています。「何と言っても値段が優先。中国産も、今は大丈夫と信じることにしています」というコメントには説得力があります。
食の安全を無視するようなメーカーは淘汰され良識ある普通のメーカーが生き残っていくのが市場経済の原則です。しかし、中国産に対するマイナスイメージはそう簡単には払しょくされません。日本の輸入元による検査体制強化とメーカーへの指導徹底を信じるしかないのが、買わざるを得ない個人です。期待できなくとも、国が安全を確保する対策を打つよう訴えるしかないのでしょう。

2009年2月4日水曜日

スカッシュよ、お前もか!

とういよりは、「スカッシュ君、きみの場合はしかたないかもね」というニュースがありました。スカッシュの世界連盟は、テレビ放映を意識して、試合時間の短縮が予想されるラリーポイント制の採用を決定しました。スカッシュは現在、オリンピック種目ではありませんが、2016年の大会から採用される可能性があります。野球やソフト・空手・7人制ラグビーなどとオリンピック入りを争っているスカッシュにとって、テレビ映りは重要なポイントなのでしょう。
放映権料が高騰するオリンピックでは、テレビ中継が視聴者に受け入れられるか?が、ビジネス面での大きな要素になっています。バレーボールやバドミントンはラリーポイント制を採用する競技となり、オリンピックの野球ではタイブレーク方式が導入されています。ルールの変更は、競技そのものの性質を変更してしまうようで釈然としないことがあります。
バレーボールやバドミントンが、サーブ権のあるときにしか得点できないルールだったのはなぜか?を考えてみました。
もしも、バレーボールが1点先取で勝敗が決定するスポーツだったとしたら・・・。Aチームがサーブを打って、Bチームがレシーブします。Bチームがトスをあげ、スパイクがAチームのコートに決まる。これで試合は終了してしまいます。サーブを打たないBチームが圧倒的に有利です。同じ1点先取のゲームだとしても、サーブ権のあるときにだけ得点できる本来のルールなら比較的公平な戦いが可能です。オリジナルのルールには理由があるものです。
一方で、1試合に3時間以上もかかるゲームを最後まで見続けるのは、マニアックなファンしかいないという指摘もわからないではありません。ラリーポイント制の採用は観戦者サイドが要望するルール変更なのでしょう。
「マラソン競技は時間がかかりすぎるので、距離を20kmに短縮します」なんて時代が来たら、日本人は箱根駅伝だけ見てすごしましょう。

2009年2月2日月曜日

WBC と 1971年の“日米”ワールドシリーズ

1960年代、MLBの単独チームが日本にやってきて、日本のオールスターや読売ジャイアンツなどと親善試合をしました。当初、圧倒的な力を見せたMLBチームでしたが、60年代後半に黄金期に入っていたジャイアンツはMLBチームに勝ち越すことがたびたびありました。オリオールズやドジャーズはシーズン終了後に観光を兼ねて来日し、親善試合をしているだけで本気で戦えば負けるはずがないと主張しました。
ジャイアンツ側は、負け惜しみを言わずワールドシリーズのチャンピオンチームを派遣し、真の世界一を日本で決めようと挑発します。調整の結果、70年のMLBチャンピオンであるオリオールズが71年の秋にやってくることになりました。71年もMLBチャンピオンになると予想されたオリオールズですが、ワールドシリーズ最終戦で、パイレーツに破れてしまいました。日本では予定通り、ジャイアンツがV7を達成しました。ジャイアンツは、オリオールズが来ても意味がないから、チャンピオンのパイレーツをよこせとMLBに迫ったそうです。さすがは「ナベツネ」、じゃなくて当時は、「正力親子」が読売では力を持っていたようです。しかし、当初の予定通り、やってきたのはオリオールズです。
この年、本気で戦ったオリオールズは、8勝3分けとジャイアンツを相手にしませんでした。

さて、3月から始まるWBCも、米国チームは最強とはいえないメンバーのようです。MLBが主催しておきながら、必勝態勢でないというのは理解できませんが、アメリカが早々に敗退することが続けば、やがて本気になるでしょう。あるいは、昔と違って本気で戦ってもそう簡単にタイトルを奪還できる時代ではないのかもしれません。

状況はどうあれ、日本チームの熱い戦いに期待します。

2009年1月31日土曜日

再びバーレーン戦について

少し前に、高額なテレビ中継の放映権を購入しない日本サッカー協会を支持すると書きましたが、中継がないとやはり寂しいものです。それでも今回は、文句をいうのはやめましょう。30日の朝日新聞『自由自在』というコーナーによると、バーレーン協会は、スポーツ専門チャンネルのアルジャジーラスポーツに4500万円以下で権利を売却し、日本側と最終的に交渉した「MP&シルバ」という代理店は、約1億円で放映権を売ろうとしたそうです。単なるぼったくりプライスなのか、転売を重ねた結果なのか不明ですが、「買わない」という判断の根拠が示されて、納得できました。シルバ社は、インターネットによる有料放送は行ったそうです。
さて、ネット放送でシルバ社が利益をあげられたのか分かりませんが、1億円という数字をみて不安になりました。10,000円×10,000人=1億円になります。1万円支払ってでもその試合を見たいという人が1万人くらいなら、いるような気もします。だとすると日本のテレビ局が買わなくても、シルバ社には問題がありません。スポーツ全般について同じ原理が成立すると、お金持ちで熱狂的なファンしか中継を見られなくなってしまいます。スポーツ中継が裕福なマニアだけのものになってほしくないというのうは前に書いたとおりです。バーレーン戦のケースがパンドラの箱ではないことを祈るばかりです。
ところで、『自由自在』の最後に、「テレビ中継がなく、一番被害を受けたのはサポーターだろう。彼らに支えられているはずの岡田監督が“生中継があってもなくてもチームにとっては変わらない”と言ったのは寂しかった」とあります。確かにサポーターが聞けば寂しい言葉かもしれません。しかし、「生中継がなかったので、やる気がでなかった」と発言したら、解任間近でしょう。

2009年1月29日木曜日

クラブと学校~トルシエ氏の視点~

朝日新聞の「私の視点」(1月29日付け)に、元サッカー日本代表監督トルシエ氏の選手育成論が掲載されていました。前半部分の趣旨をまとめてみます。
・日本にはジュニア向けのクラブが少なく、学校中心の育成システムに限界がある。
・欧州ではいい子供がいれば、ビッグクラブが連れて行き、高いレベルで日々切磋琢磨させる。
・14~15歳ではリーグ戦を通し、毎週一定のリズムで練習と試合を繰り返す必要がある。
・日本人のサッカーに関する常識を変えるのは、日本に来た外国人か、変革を求めて海外に出て行った日本人のいずれかだろう。
というもので、後半は、自身が総監督を務めるFC琉球の挑戦について書かれています。

子供の頃から優秀な選手を選抜して整った環境の中で育成することは、スポーツを強化するために絶対に必要なシステムだと思います。有名なスポーツ選手には、3歳からラケットを振っていた、5歳で水泳を始めた、放課後に合わせて仕事を切り上た父親にバッティングセンターに連れていかれた、などのエピソードがあります。
学校システムとは切り離したクラブでのエリート育成は成果を生むと思います。しかし、なぜか気持ちよく「全面的に賛成」と言えない心情的な引っかかりがあります。エリート選抜から洩れたその他大勢の子供たちに、「残念ながらあなたたちには期待してませんが、これからも頑張りましょう」と言っているような気がするからです。
マラソンの高橋尚子さんや、野球の上原浩治選手、サッカーの中村憲剛選手は、中学・高校時代は有名選手ではありませんでしたが、その後大活躍しています。上原選手は「雑草魂」という言葉で、自分を鼓舞しているそうです。
エリート育成にも賛成ですが、そこに選ばれなかった人もチャンスを見いだせる未来があること、それがスポーツ分野に限らず活力を維持できる社会なのだと思います。

2009年1月27日火曜日

ニュースに疑問?

「うーん」分からんと思った最近のニュースです。
(1)スピーチライターとゴーストライター
オバマ大統領の演説に優秀なスピーチライターが存在していることは有名です。大統領の信頼が最も厚いスピーチライターは27歳の若さと評判です。オバマ大統領が、基本理念と思想をライターに伝え、二人は言葉のキャッチボールを交わしながら、スピーチライターが原稿を完成させるそうです。 オバマ大統領の演説もスピーチライターの原稿も高い評価を得ています。 一方、日本の国会では、民主党の議員が総理大臣に質問しました。「麻生総理が発表した論文に難しい漢字がたくさん出ている。『中就(なかんずく)、畢竟(ひっきょう)、唯々諾々(いいだくだく)・・・』もっと簡単な漢字の読めないあなたが、こんな難しい漢字の論文を書けるはずがなかい。この論文はだれか別人が書いて、あなたは承認しただけでしょう」という趣旨でした。なかなか説得力のある指摘です。自分で書いたと主張する総理は、『窶す(やつす)』以外はみなさん読めるでしょうと答弁し、国会内にどよめきが起こりました。ここはひとつ米国流に、自分の主義主張を信頼できるライターと言葉のキャッチボールを重ねて練り上げて作ったれっきとした私の論文ですと回答していれば・・・。 「麻生総理、ゴーストライターの存在を認める」という見出しで報道されてしまうでしょうね。残念。

(2)農業予算増加で「温かい県政」 山形県知事に民主・共産・社民党が支援した無所属の吉村氏が当選しました。現職で2期目を目指した斎藤氏の落選は自民党の衰えを鮮明にしていると朝日新聞にあります。社説のタイトルは「『温かさ』が勝った意味」です。 麻生内閣の不人気のせいか、いわゆる「加藤の乱」のしこりで自民党の斎藤氏支援が分裂したためなのか、自民党サイドにも減点理由はあるでしょう。また、吉村氏の政策や人柄が支持されたことも勝因かもしれません。現職の斎藤氏は、県の財政改革や行政変革での実績を訴えたそうです。県職員の人件費を累積で200億円削減するなど、痛みをともなう改革だったようです。一方で、吉井氏は公共事業予算の増額を掲げ、「温かい県政」を訴えて当選しました。 行政の無駄を排除し、必要な分野に限定した公共事業推進を目指した人を支援したのが自民党。 農業や公共事業が暮らしに重大な影響を与えるとして、その予算拡大を公約した人を支援したのが民主党。 いつもの構造と反対のような気まします。麻生内閣が、「温かい国政」を掲げて公共予算の大幅増額を公約に挙げたら、自民党と民主党の主張が一致して大連立政権を樹立する? などということはないでしょう。

2009年1月25日日曜日

ヒール朝青龍 と “ヒーロー” 白鵬

大相撲初場所の優勝決定戦では、力強い相撲で朝青龍が勝ちました。序盤の勝ち方と終盤の勝ち方では別人のような取り口でした。朝青龍が「人気者」なのかそうでないのかは不明ですが、いないと大相撲が盛り上がらないことは確かです。場所前は、引退危機が大々的に報道されました。初日に白星を挙げた時の観衆の拍手は、温かみもあり、同情的であり、真に応援する気持ちが表れていたようでした。翌日のファンのコメントにも、「強すぎたときの憎らしさはなくなり、痛々しさに応援したくなる気持ち」というものがありました。それが千秋楽になると、結びの一番の前には場内に「白鵬・白鵬」のコールが起こっていました。わずか2週間で強すぎる朝青龍が復活したことを証明するコールでした。
“ヒール”という言葉がこれほどぴったりするスポーツ選手は珍しいものです。朝青龍の実際の人となりは分かりませんが、普段の言動がつくるイメージはまさに“ヒール”です。貴乃花が横綱だったころ、曙は相対的な“ヒール”でした。横綱時代の曙に悪役的な言動はありませんでしたが、貴乃花の「かたき役」として“ヒール”でした。今の白鵬はヒーローの位置にいますが、強い朝青龍がいるときにだけ成立する基盤脆弱な“ヒーロー”です。朝青龍が引退してしまうと、一人強すぎる外国人横綱という微妙な立場に立ち、次代の日本人ヒーローが現れたときには、相対的な“ヒール”にされてしまうような気がします。
がんばれ、青白。

2009年1月24日土曜日

バーレーン戦の生中継

サッカーのアジアカップ最終予選・バーレーン対日本(日本時間 29日 午前0:15開始)が国内で生中継されないことが決まりました。バーレーン協会が代理店に販売した放映権が高額すぎて、日本側との交渉がまとまらなかったそうです。日本側の交渉主体がどこか記事(23日 朝日新聞)にはありませんでしたが、その決断を支持したいと思います。
2002年の日韓ワールドカップの放映権料は、約1400億円で、98年のフランス大会の10倍近い金額になった(週刊ダイヤモンド08年8月2日号)そうです。サッカーに限らず、スポーツ・ビッグイベントのTV放映権料が高騰しつづけることに疑問を感じます。放映権料の値上がりは、競技団体の財政をうるおし、競技の発展に必要な資金源を確保できるという面もあるでしょう。しかし転売される放映権料は、最終的には広告スポンサー料やNHKの受信料として支払われることになります。スポンサーは支出する費用に対して宣伝効果が少ないと判断すれば広告主にならないでしょうし、NHKがワールドカップを理由に受信料を引き上げることもないでしょう。放映権料が極端に高騰するとTV中継できないという事態が起こるのではないかと思っていますが、今回の「バーレーン戦生中継なし」はそれと同じ原理なのだと思います。
バーレーン協会から権利を購入した代理店は、日本側が最終的には「必ず買う」という予測のもとに強気の交渉をしたのでしょう。バーレーン戦の生中継が見られないことは残念ですが、たまにこのような決断があると放映権料の高騰にも歯止めがかかるかもしれません。
もしワールドカップ本戦でも同じようなことが起こると、お金を払っても中継を見たいという人がたくさん出てくるでしょう。そうなると地上波では中継されず、ペイ パー ビュー方式でないと見られないことになってしまうかもしれません。これでは、スポーツ中継が熱狂的なファンだけのものとなり、スポーツそのものが縮小均衡に陥ってしまいます。昔はテニスの全豪オープンや全仏オープンも地上波で見られましたが、最近では地上波の中継はありません。日本のプロ野球も地上波放送が少なくなってきました。
スポーツに興味のない人には好ましい傾向かもしれませんが、スポーツファンにはさびしい状況です。

2009年1月22日木曜日

全国体力調査

文科省が「全国体力調査」の結果を公表しました。福井県・千葉県・秋田県などが上位で、東京・神奈川・大阪などの大都市を抱える都府県は下位に甘んじています。大都市には子供が運動する場所が少ないためのような気もしますが、地方の成績が押し並べてよいわけでもありません。「全国学力調査」の成績と似た傾向にあり、学力と体力に相関関係があるとみる教育委員会もあるようです。どちらも、「テスト対策」をしっかりやった県が上位に入ったような気もしますが。

朝日新聞の記事には、”一喜一憂 体力でも” の見出しと ”文科省は「過度な競争意識をあおらないようにしたい」としているが、現場の教員には、順位を上げることを目的にするような風潮が広がらないか不安視する声もある”などとあり 、大阪府橋下徹知事の ”学力も体力も低い、大阪はどないすんねん”というコメントも載せられています。しかし、この手の調査を実施して、一喜一憂せずに泰然自若としている姿が模範なら、そもそも調査する意味があるのでしょうか?調査の背景には、「学力も体力も、低いよりは高い方がいい」という思想があるはずです。学業成績が悪くても体力がなくても、教育現場や子供にプレッシャーを与えず、のびやかに成長することが第一であるなら調査は必要ありません。学業にしてもスポーツにしても成果を発表する場があった方がやる気がでます。テストやスポーツ大会がなくても、自発的に勉強したり運動することで自分を成長させることができれば理想ですが、お尻に火がつかないとやる気が出ない人の方が多数派です。調査項目だけを徹底訓練し、テストの点数UPだけが最終目的となってしまう成績至上主義はあきらかな誤りです。しかし、学力や体力の向上を、精神的にも健康的にも豊かな社会の実現につなげる手段として利用することは必要であり、そのためにある程度の競争原理を取り入れることはやむを得ません。

さて、毎日朝食を食べる子供は、学力調査でも体力調査でも成績がよい傾向にあったそうです。個人的な経験においても、朝食抜きの時代と朝食ありの時代では、午前中のパフォーマンスに大きな差を感じました。朝食の重要性が判明しただけも、調査を実施した甲斐がありそうです。

2009年1月21日水曜日

新大統領と新社長

オバマ氏がアメリカの大統領に就任しました。初の黒人大統領であることや47歳という若さ、さわやかで意思の強さを感じさせるスピーチなど、アメリカ国民ならずとも期待したくなる気持ちは理解できます。
”「地球市民の大統領」と呼んでもいいくらいだ”と称賛するジャーナリストもいました。一方、ワイドショーでは「それにくらべて、この国の総理大臣は・・・」という論調です。「オバマはよくて、アソウだめ」をもっともらしく解説できる人が、今週はマスコミで重宝されるのでしょう。

トヨタ自動車は、豊田章男副社長が社長に昇格する人事を発表しました。創業家への「大政奉還」で難局を乗り切る方針と報道されています。こちらは、日本経済のみならず世界経済にも影響する出来事の一つかもしれません。

昨日(20日)は、「西松建設 国沢前社長を逮捕」というニュースもありました。オバマ氏の大統領就任がなければ、今日の一面のトップだったかもしれません。裏金問題に絡む外為法違反の容疑で逮捕されたそうです。「前社長」と書いてあると、今の社長とは別で、過去に会社のトップだった人が逮捕されたように感じます。実際には国沢社長が20日付けで辞任し、副社長が新社長に就任する人事が行われていました。逮捕された「前」社長は、逮捕の直前まで現職の社長だったわけです。
姑息な感じですが、企業としてはイメージダウンを少しでも低下させるリスクヘッジも狙ったのでしょう。他の大きなニュースの陰に隠れましたが、マスコミが暇な時期ならバッシングされているかもしれません。

ニュースバリューによる報道量の差とマスコミが社会へ与える影響というものについて、少し考えました。

2009年1月19日月曜日

オリンピック招致の支持率

2016年のオリンピック開催地として東京・マドリード・シカゴ・リオデジャネイロの4都市が立候補しています。今年10月にデンマークのコペンハーゲンで開かれるIOCの総会で、開催都市が決定します。東京オリンピック招致委員会は、東京開催についての国内の支持率が、70.2%だったと公表しました。1月7日~9日に、調査会社のモニターとなっている全国の15歳から69歳までの男女3000人が回答し、①希望する(70.2%) ②希望しない(20.4%) ③どちらでもない(9.4%)という結果で、07年12月時点では、62%が賛成だったそうです。(1/16の朝日新聞より)
「7割も支持があるの?」と感じましたが、「調査会社のモニターとなっている3000人」が回答しているためかもしれません。オリンピックやスポーツに全く興味のない人は、モニターにはならないでしょう。そう考えると興味を持っている人の7割が賛成で、2割が反対と読むこともできます。

08年6月にIOCが実施した支持率調査によると、東京の支持率は59%で候補4都市の中では最下位です。IOCの調査方法は不明ですが、調査を拒否する人はどの都市にもいるはずですから、「無回答」の扱いは平等なのでしょう。IOC評価では、環境対策や安全対策など他の項目も含めた総合評価では東京が1位で、2位がマドリード、以下シカゴ、リオデジャネイロと続きます。東京への招致には支持率のアップも大きなカギとなるようです。

東京オリンピック招致委員会の人と話をしたことがありますが、「支持でも、不支持もで意見を持つ人が増えてほしい。無関心層の多いことが一番問題」とのことでした。
東京へのオリンピック招致に個人的には賛成です。
賛成するにも反対するにも、概要を知りたいと思う方は、下記のURLへ。
http://www.tokyo2016.or.jp/jp/

上記は招致委員会の公式サイトですが、招致に反対の個人や団体のサイトもたくさんあることを付記しておきます。

2009年1月16日金曜日

プロ野球の球団説明会

「へつらう」:自分より上のものに気に入られるように、お世辞を言ったり気に入られるよう振る舞う。
「媚びる」:自分より下のものに気に入られるよう振る舞う。相手の機嫌をとる。

プロ野球とアマチュア野球の首脳が、ドラフト候補選手に対して球団や親会社の概要を伝える説明会ができるかを検討したそうです。このニュースを読んで、そういえば「媚びる」と「へつらう」の違いってなんだったろうと思い辞書を引いてみました。
プロ側がアマチュア側に媚びているわけではありませんが、日本のプロ野球を経ずに大リーグに挑戦する選手が増えてきていることに対する危機感の表れでしょう。優秀な選手を獲得するために、球団や会社の概要を説明するという当たり前の行為を日本の球団がようやく始めようとしているというニュースだと思います。
マスコミ的なイメージや短期的な企業業績に影響され、学生からみた人気企業ランキングは毎年変化します。今年の現段階では、自動車業界が大きく人気を落としているようです。人気企業というのは確かにありますが、すべての優秀な学生が人気企業を第一志望にしているわけではありません。はじめは興味が薄かった企業に対して、会社説明会に参加することで印象が大きく変わることがあります。球団説明会がアマチュア選手に与える影響は大きいと思います。
学生が企業を選ぶポイントで、会社説明会よりも重視するのが、実際にその企業で働く人のナマの声です。先輩社員がイキイキと仕事の内容ややりがいを語る企業なら、自分もそこで働いてみたいと思うものです。残念ながら野球界では、プロ選手とアマチュア選手が気軽に交流することができません。青田刈りや契約金額の高騰など、ドラフト制度の根幹にかかわる問題が選手間の交流を規制しているのですが、時代に即した制度改革や運用ルールの見直しを期待したいものです。

2009年1月14日水曜日

時代の空気

先ず、今週の「週刊朝日」中吊り広告の見出を引用します。
「改革が日本を不幸にした(中略) 新自由主義の正体はエリートに都合のよい大衆搾取のツール」
こちらは、先ほど読んだ本からの引用です。
「ようやく生存ができても、最低の文化生活を享受できぬ貧民は依然として跡を絶たないではないか。一方で富めるものの生活がつぎつぎに高められるとすると、相対的な貧しさはますます大きくなるではないか」

とあります。本のタイトルは「現代のヒューマニズム」(務台理作 著)で、1961年に書かれたものです。週刊朝日の中身は読んでいませんが、今週の週刊誌のタイトルと50年近く前に書かれた本の内容がマッチしているようで驚きました。
小林多喜二の「蟹工船」は読んだことがありませんが、1929年に刊行された本です。

不況のときに鬱屈した空気が流れるのは、いつの時代もかわらないのでしょう。

ところで、「規制緩和」が声高に叫ばれていたとき、「”セーフティーネット”の整備も同時に行うので心配はない」と説明されていたような気がします。結果的に、その”安全網”が機能しなかったのか”安全網”の整備が行われなかったのかは不明です。

すべての人に文化的な生活が保障され、才能に恵まれ努力を惜しまない人はそれだけのリターンが得られる社会。バブル的経済に気づいていないときだけが、そんな気分に浸れる時代なのかもしれません。

2009年1月12日月曜日

成人式と出身地

マー君は大阪で、ハンカチ王子は群馬で、成人式に出席したそうです。
マー君は北海道の、ハンカチ王子は東京の高校を卒業しています。

高校スポーツにおける特待生制度の議論を思い出しました。野球以外のスポーツでは一般的だった特待生制度について、高野連は「1学年5人まで」というガイドラインを示しています。私学の経営権にも関連する問題なので法律的な拘束力はないようですが、高野連が違反事実を確認した場合は、出場停止などの措置がとられるのでしょうか?別途確認したいと思います。
5人まではOKで6人目からはダメとういのは、中途半端で玉虫色の解決策のようにも感じますが、全面的な禁止や解禁という意見には賛成できないので、妥当な線だと思います。
「地元選手がほとんどいない高校の野球部を郷土の代表として応援できない」という気持ちは心情的によく理解できます。しかし、すぐれた資質を持った高校生が優秀な指導者の下で、その才能を開花させる事例もたくさんあります。マラソンの高橋尚子さんは、学生時代は有名な選手ではありませんでした。小出監督(当時リクルート)の指導を熱望した高橋さんは、大卒の陸上部員は採らない方針だったリクルートになんとか契約社員として採用してもらったそうです。ほめて選手を伸ばす小出監督の指導が高橋選手にマッチして、シドニーオリンピックでの金メダルにつながります。
苦労しながらも自分で道を切り開ける社会人なら高橋さんのような例もありますが、高校進学時点で優秀な指導者と巡り合うためには、周囲の大人の力も必要になってきます。特待生制度がなければ、金銭的な余裕のある家庭に生まれた子供だけが、高名な指導者の下に「留学」できることになってしまいます。スポーツに限らず優秀な才能に「奨学金」はあってしかるべきです。

それでも北海道や東北地方代表の選手が関西弁で話すことに違和感は残ります。成人式に出席した場所の都道府県対抗で「甲子園」を戦えば、深紅の大優勝旗は、いまだに白河の関を超えていないかもしれません。

2009年1月9日金曜日

スポーツ感動名場面

「夢をそだてるスポーツ感動名場面101」という講談社発行の本があります。1932年のロサンゼルスオリンピック・馬術大障害で金メダルを獲得した西竹一氏の話から、2007年のクラブワールドカップで3位となった浦和レッズの活躍まで幅広い年代と種目について書かれた子供向けの本です。

確かに、今でも記憶に残っている感動的なシーンだったなァと懐かしく思い出す場面がいくつもあります。
・1984年ロサンゼルスオリンピック(柔道) 山下 対 ラシュワン(エジプト)の決勝戦
・1979年夏の甲子園での箕島高校 対 星稜高校の延長戦
・1980代後半の瀬古 対 中山 のマラソン対決
個人的な感覚かもしれませんが、特に強く印象に残っているのは10代に見たものです。
最近のことはすぐに忘れても、子供もの頃のことは忘れないというのは、かなり中年チックな脳の働きだと認めざるをえません。

101の名場面は、VTR映像も含めてテレビでみたことのあるシーンがほとんどです。そして、この本にはもちろんサッカーの名場面もたくさんありますが、ペレとマラドーナの物語以外はすべて1997年「ドーハの悲劇」以降の場面です。80年代にはサッカーの中継がほとんどなかったので、思い出すことさえできません。
Jリーグ発足前の日本リーグの戦いの中にも感動的な場面はたくさんあったはずですが、「マニアでなければしらない話」として扱われ、この本には取り上げられなかったのでしょう。
テレビで話題にならなかったものは、歴史からも消えていく・・・

スポーツばかりが感動の宝庫ではありませんが、「M-1グランプリ名場面101」をみて、なつかしさを感じる時代が来るのだとしたら、ぼくはかなしい。

2009年1月8日木曜日

世界新記録の瞬間とデジタル放送

アナログ放送を見ていると、民報のTV局も画面の右上に「アナログ」と表示するようになりました。「あなた、いまだにアナログですよ」と言われているようで不快な気持になります。アナログ電波の受信状態が悪いときに、ビデオの内臓チューナーを使ってデジタル放送を見るのですが、アナログ放送とデジタル放送ではタイムラグが生じます。通信技術の制約によって、デジタル放送の方が1~2秒遅れて放送されます。

陸上の100m走なら、アナログ放送でウサイン・ボルトが世界新記録を樹立した瞬間に、デジタル放送では80m付近を走っていることになります。このことは、スポーツのライブ中継として決定的な欠点のように私は感じます。大げさかもしれませんが、自分がスタジアムで競技を見ているときに、世界新記録が出たならば、「歴史的な瞬間に立ち会えた」と感じるはずです。TVの生中継に興奮するのは、疑似的にその感覚を得られるからです。ニュース速報で結果を知ったあとに、録画のスポーツ放送を見てもちっとも面白くありません。記録が出るのか出ないのか、勝つのか負けるのか、見ている今と同時に起こっているシーンだからこそ、生放送に迫力があるのです。

2011年のプロ野球日本シリーズ、東京ドームで興奮している友人は、ご丁寧に携帯電話から実況中継してくれます。勝負を決める最後の一球、「押し出しのフォアボールでサヨナラ!」と絶叫を聞いたときに、デジタル放送では、ピッチャーが振りかぶっている、なんてことのないように、アナログ中継の終了前に技術革新が進んでいることを願います。

蛇足ですが、NHKニュースの前の時報が消えていました。いつのまに?

2009年1月7日水曜日

教育の一環

1月6日付け朝日新聞の夕刊に "高校スポーツを取材するとき、「教育の一環」というフレーズに違和感がある” という書き出だしの記事がありました。続いて、悪戦苦闘して全国大会(花園)に出場した高知中央高校ラグビー部とその指導者である大八木敦史氏の熱意が紹介されています。
高校サッカーでは、ベスト8に進出した大津高校(熊本)の平岡監督が「理不尽さが人をつくる」とコメントしていました。これに対し、キャプテンの藤本選手は、「普段の練習のおかげで、試合感覚や判断力が磨かれている」と応えています。指導方針については触れられていませんが、厳しい練習風景が想像されます。

高校スポーツの指導者と話をしていると、「のびのび派」と「厳格管理派」があるようです。選手の自主性や個性の発揮を尊重する指導者と、目標を明確にしそこに到達するための手段や技術を徹底的に教え込む指導者がいます。どちらかに極端でなはなくバランス感覚が大切なのですが、3年間という短い期間で成果をあげるためには、ある程度の管理が必要なようです。

昨年末、中日ドラゴンズ・山本昌投手の200勝達成を祝う地元の行事に参加しました。中学時代の野球部の監督との対談で、山本投手は「厳しい指導で痛い思いもしましたが、殴られるときには納得できる理由があったので、監督を恨むような気持ちは一切ありませんでした」と話しました。
中学を卒業してから20数年、毎年暮れには同級生たちとこの監督のところに顔を出しているそうです。「のびのび派」でも「厳格派」でも、心を通わせる指導なら、生徒はそれを感じとって育っていくのだと実感しました。

2009年1月4日日曜日

箱根と群馬

箱根駅伝は、東洋大学の初優勝で幕を閉じました。昨年の大会まで3年連続で東洋大のメンバーとして箱根の2区を走った黒崎という選手がいました。今年は新社会人となり、コニカミノルタのメンバーとしてニューイヤー駅伝を走っています。黒崎選手に注目していた時期があったので、今年の箱根でも東洋大学を応援していました。1年生の柏原選手が往路5区の山登りで驚異的な力を発揮し、総合優勝に大きく貢献しました。

元日のニューイヤー駅伝では、1位のチームと3位のチームのタイム差が1秒という大接戦を富士通が制しました。1月2日は新聞の休刊日のため、3日の朝刊でニューイヤー駅伝の記事を読もうとしたところ、読売新聞には記載されていないのかと思うほど小さな記事でした。朝日新聞の場合、箱根の結果よりやや少ない掲載スペースが確保されていました。読んでいませんがニューイヤー駅伝の共催者である毎日新聞なら、箱根駅伝より大きな記事になっているのかもしれません。日経新聞では、箱根駅伝の記事の10分の1ほどのスペースでした。これくらいが世間の関心度とマッチした掲載量なのかもしれません。

マスコミ的な盛り上がりや学生時代にしか走れないということが、走る選手を熱くしている大きな要因だと思います。「箱根駅伝燃え尽き症候群」という言葉があるように、故障を抱えた選手には、箱根を走れるならそれが競技人生の最後になってもかまわないと思う選手もいるようです。そのような思いがひしひしと伝わってくるところに、視聴者が惹かれるのも確かです。しかし調子が悪いのなら控えに回る勇気も学べる大会であってほしいものです。

2009年1月2日金曜日

新年の目標と旧年の反省

あけまして、おめでとうございます。

ブログを開設して4か月目になりました。毎日はムリでも、2日に1度くらいは更新したいと思ってスタートしました。昨年の更新率は4割4分3厘。厘の単位まで表わすと、4割4分3厘が好成績に見えてきます。普段はプロ野球選手の打率でしか見ることのない表記だからですね。43.3%と書くと、「不合格」のような感じがします。
そこで今年は、5割以上の更新率を目標とします。

ところで、このブログとは別に、日々の記録も付けています。日記ですね。こちらは、ほぼ毎日書いています。数行だけの日もあり、自分以外は読まない前提なのでかなり気楽です。酩酊状態でない限り、書いているので、「ほぼ毎日」が成立しています。しかし、酩酊寸前で書いているときは、文章もかなり酔っ払っています。しかも書いているときには、「すばらしいアイディアだ」とか「名文ができた」と思って書いているケースが時々あります。次の日読み返してみると、おもいっきり恥ずかしくなります。それでも日記なので、布団をかぶって隠れたくなるようなことはありません。
そのような状態でブログを書くことはほとんどないのですが、メールを送ってしまうことがたまにあります。先日、ある忘年会のあとに自分が幹事を務めた前日の忘年会の様子をメーリングリストに送信しました。100人以上が参加しているMLですが、翌日読み返してみると、それこそ穴があったら入りたくなるような恥ずかしさでした。
「すかしてんなー、こいつ」って言われても反論の余地がありません。反省。